昨今のボリビアのティプニス紛争は、「誰が先住民なのか」という正当性(レジティマシー)を巡る争いでもある。
エボ・モラレスがある時点から、自らを「先住民」と位置付けることをしなくなりつつあったという指摘がなされている。26日月曜日夜の謝罪会見においても、自らの側に言及する際に「先住民」ではなく「農民(カンペシーノ)」を使用しがちだったということも、同時にツイッターのタイムラインで指摘されていた。
彼と彼の最大の支持基盤であるコチャバンバ熱帯のコカ栽培農民は、「先住民」というシンボルをうまく利用してここまでやってきた。それはコカの葉がアンデス山地での高地適応を先祖代々可能にしてきたという歴史的意義とも結びつき、それを梃子とした反米・反帝国主義の拠点ともなり得た。
しかし、エボ・モラレス政権が成立して以来、この政権には本当に先住民の味方なのだろうかという疑いが常につきまとってきた。本来の多民族国家(estado plurinacional)構想にも関わらず、先住民の政治代表を可能にする制度構築、そして先住民自治の領域の再編をめぐる制度改革は、新憲法と新選挙法の制定をめぐる議論と反対勢力との妥協の中で、廃止されるか骨抜きにされてきた。そして、先住民思想に基づく「よく生きる(vivir bien, suma qamaña)を国家開発計画の目標に掲げたにもかかわらず、実際に採用された政策は従来からの国家主導の開発の復活と何ら変わることがないという指摘もなされてきた。
そして今、コカ栽培の増殖が低地先住民の生態をも脅かしつつあるという問題が表面化したときに(今回の道路建設計画はブラジルの太平洋への出口確保という側面と、コカ栽培者の販売のためのインフラ改善という側面をもっている)、この政権は低地先住民のデモ行進を当初は表だって叩きつぶそうとし、その結果として「先住民」を巡る「正当性」が低地先住民とそれを支援しようとする都市中間層に移ってしまう事態となった。高地の農民組合(CSUTCB)がこの件を巡って真っ二つに割れる中で、高地先住民組合(CONAMAQ)が早い段階で支持と連帯の方針を打ち出して存在感を高めたことも重要だ。
ただし、特にボリビアのアンデス高地においては、これは民族の分類と領域を確定させればいいという問題ではない。先住民というアイデンティティと他の社会アイデンティティの間の境界は流動的だし、農民組合という組織形態と伝統的な先住民共同体の組織形態が国家の行政体系の中で併存し、先住民は内部の階層差をも含めて一枚岩でもない。この複雑錯綜する社会状況の中で、それでもpropositiveに何かを考えていこうとすることが、ボリビアの社会と政治を考えていこうとする際の難題の一つなのだ。
しかしそれでも、これほどまでに「誰が先住民なのか」をめぐる争いは、ボリビア政治の重要な軸であり続けているのだと思う。それが今回の紛争で改めて表面化してきたのではないか。
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