domingo, 30 de marzo de 2014

高校生に漢文を教えるときに

高校生(大学受験生)に漢文を教えることがあるとしたら、最近役に立つ本を見つけた。

加藤徹『白文攻略―漢文法ひとり学び』白水社、2013年
漢文訓読の初級・中級辺りを「語学」としてカバーするという出だしのところの言明どおり、細かいところで考え方のコツが大盤振る舞いされていて、また例(文)が短くてしかも有用な点も画期的なのではないだろうか。教える側からするとヨダレが出そう。以前はもっと伝統的な意味でそっけない語法の羅列のような本しか見かけなかったような気がするのだが、時代と世代が転換してくれたのなら本当に嬉しいことだ。

(これまで以下の二つの存在も有り難かった―天野成之『漢文基本語辞典』大修館書店、1999年;江連隆『漢文語法ハンドブック』大修館書店、1997年)

唯一惜しいかなと思われるのは、各章ごとに、あるいは少なくとも巻末に参考文献を丁寧に挙げてくれればよかった。色々な過去の議論に言及されているのだが、これだけではそれが何か分からないからだ。

この本や、東京大学出版会の『古典日本語の世界』『古典日本語の世界二』、勉誠出版の『「訓読」論』『続「訓読」論』によって、漢文訓読の世界について大きく見通しがよくなったように思う。

「有り体に言って、現在、まともに訓読法を教えているのは、正規の教育機関ではなく、優れた講師を擁する一部の予備校だけなのである。」
(古田島洋介『日本近代史を学ぶための文語文入門―漢文訓読体の地平』吉川弘文館、2013年、p.iv)
貴重な技法の担い手として私たちはがんばっていこう。

miércoles, 26 de marzo de 2014

論文を書く

ナントカ論文というのを書く機会がもう一度めぐってきた(この場合のはサドクツキ論文ではない)。以前のナントカ論文のときも周りに一緒にやる人たちがいて、それぞれに忘れられない思い出になった。今回のも有り難いことに周囲に同時に進もうとしている人たちがいてくれる。でも、今回はそれぞれが背負っているものが重くて、生活がキビシかったり、仕事がキツかったり、将来は暗くふたがっていて、しかも目指す論文の大きさが段違いに重たい。論文が終わったとしても、今の私の研究も調査も何も終わらないし、たぶん変わらない。

それでも、それでいいとも思える。ギリギリのところだが、思える。それは前の二回との大きな違いだろうか。

あ、そもそもサドクツキ論文も近々書いて投稿しないといけないのであった。

lunes, 24 de marzo de 2014

何度目かの春に

生け花の中でも伝統花と呼ばれる生花(せいか)を始めて、何度目かの春が回ってきて、何度目かの(たぶん三度目の)桜がやってきた。

伝統花というのは不思議なもので、型が厳密に決まっているので、最初は生けるときに先生と二人三脚になる。というか、ほとんど先生が生けているような形になる。そうやって、自分を開いて他人の形を受け入れていく。しかしながら、ほとんど先生が生けていても、なぜか最終的な花には自分の何かが既に出ている。

何度目かの季節が回る間に、自分でやることが多くなっていく。ひとり立ちに向かうということかもしれない。しかし、先生とこれかあれか考えながら枝を選んでいく間に、あるいはそれこそ人の作品をチラッと見るそのときに、型を受け入れてしかしそれを自分のものにしていく。

うーん、ここだよここ、いいねえ。そう思いながら入れていく枝は、自分と花の両方の心が映し出されるだろうか。

街の桜は開花まであとちょっとだが、ほんの一足先に、この枝々が季節を先取りしてくれた。