martes, 30 de diciembre de 2014

新年のいけばな

写真は万年青(おもと)の3株11葉生け。2014年12月30日。

一番長い葉が、何もせずともそのまま真の反りになっている。こういうことを目の当たりにするたびに、自然とはよくできたものだし、よく先人はこの形を考えついたものだなとも思う。

lunes, 29 de diciembre de 2014

2013年の年末に

今年は自分が難しい年代に突入していく実感がさらに強くなった年だった。昔は30代前半まで修行していれば、その後はもっとスムーズに色々なことが進むのではないかと思っていたのだったが、どうもそうではないことに気付いた。気付くのに3年ほどかかって、少し時間を無駄にした。

幾つかそのような話題を目にしていたので、すぐ先行する年齢の人が発言してくれていたことが光を照らしだしてもくれた。
名越康文、藤井誠二 『心の荷物を手放す技術』牧野出版、2013年。
宮沢りえ、糸井重里「試練という栄養」ほぼ日刊イトイ新聞、2014年11月。

今年はお茶の先生が、そしてお花の先生が亡くなった。お茶の先生は、習い始めたときに既にお年で、最近の様子も人づてに聞いていたので、覚悟はしていたつもりだった。お花の先生は、私の直接の先生の先生なので、90代、見事に生き切ったという感じでもあった。最後に、入院されていた先にお見舞いに伺えたのは、よかった。その時間がぽっかり空いていたのは、何かの恩寵のようだった。

でも、お茶の先生の私が立てたお茶を飲む、そのお茶の飲み方を私のように受け取った人は私以外にはいない。お花の先生が、直接は習っていないまでもふとしたときに漏らす言葉や、枝や葉を矯めるときの撫でる手つきを、指つきを、私のように受け取った人は私以外にはいない。そしてこの現実の世界でそれに接することはもうない。お茶を立ててもあの懐の大きさで飲んではもらえないし、花を生けてもあの反応、人を励まし前に押し出すあの反応は帰ってこない。

それでも私は何物でもない、何者でもない。そのことに耐えないといけなくて、そこからもう一度開き直さないといけない。30代の終わりで、そのようにもう一度思わないといけないのか。

sábado, 20 de septiembre de 2014

『3月のライオン』と底抜けの恐ろしさ

(本エントリーでは、この作品のここ最近の展開が、ボカシてはいても何となくわかるようになっているので、要注意。)

まだ単行本(10巻)になっていないのだけれど、しかも8月に日本にいなかったので一回分抜けているのだけれど、『3月のライオン』がおそろしいことになっている。

『はちみつとクローバー』から、プロとしてやっていくことの恐ろしさというテーマを引き継いできて、9巻の土橋九段と宗谷名人の指し合いの中で『3月のライオン』も同じ所までたどり着いたのだと、私は思っている。その果てしなさは、それはでも救いと隣り合わせなのかもしれないと思わせてくれた。

しかしその後、桐山零君は別の対戦で深くもぐり恐ろしい世界に入っていきながら、しかしもっと愚直で凡庸な相手に対して「負けて」いる。(注意―最初私はこの対局で桐山君は負けたのだと思っていたが、実際には勝っているかもしれなくて、おそらく勝ったのではないかという思いが最近は強くなってきた。でもここの話はそういうことではない。)この「負け」は、たぶん何かがすごく正しくて、たぶん人生の過程を踏んで年齢を重ねていくことと、つながっている。キラキラした透き通った世界は、際限なく開けていける新しいドアは、おそらくそれが到達点ではない。そのことが気になって頭から離れない。

数回前で、桐山零くんが幸田家を再訪していたが、ここまでに経過した時間の中で柔らかくなった、ものすごく残酷な話が語られた。それは穏やかな日差しの中で優しくなった、無力な、底抜けの残酷さであった。

そして、優しさが帳消しにしてくれない底抜けの残酷さが、底抜けの悪意が、 ここでまたもう一度現れてきているのだろうか。恐ろしすぎて、気になりすぎる。作者の方が病気とか(これ以上)しませんように。

domingo, 31 de agosto de 2014

空港の話(ダラス空港DFW)

ここ15年以上、日本とラテンアメリカを往復してきて、その一部の期間はイギリスとラテンアメリカを往復して来たりすると、米国の中のある特定の空港になんとなく親しみを感じるようになる。

私は、専門とするボリビアがアメリカン航空しか飛んでいないので、ひたすらワンワールド系列に忠実に飛んでいるのだが(ヴァリグというブラジルの航空会社が存在し飛んでいた時期はスターアライアンス系列に忠実だった)、ダラス(DFW)、マイアミ(MIA)、シカゴ(ORD)、ロサンゼルス(LAX)、ニューヨーク(JFK)など。

マイアミはよく一泊を要求されるので空港の外によく出たりするのだが、ダラスはたった一度の宿泊だけ、シカゴは国際学会に行くのでバスに乗り換えたたった一度、ロサンゼルスは遥か昔に長い長い乗換の時間があったので海を見に行った一度だけしか、外に出ていない。

でもなんとなく「やあまた来たね」という気分がいつもする。ダラスで時間があるときは、いつも同じ所で食事をしている。結構有名なところらしい。これは行き先の空港とは違う、完全に文脈を離れた止まり木のような場所だ。常に一瞬の邂逅だけれど、とても親しい。

空港の話(クスコ空港CUZ)

空港というのはとても不思議な場所で、飛行機もとても不思議な乗り物だが、ラテンアメリカの比較的小さな空港をよく使う私は、欧米の大きな空港を行き来する場合とは少し違う経験をしていることになるだろうか。

ペルーのクスコ市の空港は街のど真ん中に位置しているが、空港に入ると、同じ町の空間にいるはずなのに、何か別の膜で遮断されたような感じを受ける。それは併行した別の世界に遮断されてしまうような感覚であるときもあれば、自分がそこにいてもいいもう一つの世界の中にあと少しで戻ってくる感覚である時もある。

それを隔てているのは、セキュリティチェックという物理的な存在でもあれば、飛行機という乗り物の機体の感じであったりもする。でも、次第に人が増えて大きくなっていくここの家族の、小さな女の子が私に別れの挨拶をするのを忘れて遊び続けていて、周りの大人も全然気づいていなくて、後から慌てて走ってきて、ここから先は旅行客しか入れない線をわき目も振らずに駆け抜けてきた。係員の人も、一旦制止しようとして、事態を理解して、そのままその子を通してくれた。この隔ては、自分の気持ちも、他人の動きも、少しずつそれを越えて浸透してきたりする。

クスコは、昔むかしは、風のせいで午前中にしか飛行機の発着ができなかった。しかし、いつしか午後の日のある時間まで飛行機の発着ができるようになって、しばらく前に夜間発着に向けた投資をするという新聞記事を読んでいたら、なんと今回来てみたら、夜の早い時間にクスコに到着し、出発するフライトが設定されていた。

クスコを出てリマに向かう最終便は、普段の観光客でごった返している様子が少し和らいで、人も少なく穏やかな出発だ。出発の時に、リマからもう一つ飛行機が着陸してきた。これはクスコで夜を越して、クスコ早朝初の便になるらしい。クスコで夜を越す飛行機も、昔はなかった。

私が初めてペルーに行った1999年は、元々はチリの国営航空で民営化されたラン航空が初めてペルーに参入し始めた年でもあった。アエロペルーという何とも危なっかしい航空会社が、まだ最後の姿をとどめていた。アエロコンティネンテという航空会社にも何度か乗ったけれど、結局はラン航空の機体の新しさと投資が後押しした動きに、私はここまでずっと乗っかってきた。

martes, 26 de agosto de 2014

レネ・サバレタ・メルカード(ボリビア)の全集の刊行が続く

ボリビアの20世紀において、とても重要な政治・社会思想家であったレネ・サバレタ・メルカード(René Zavaleta Mercado)の全集の刊行が、Plural社から続いている。昨年2013年に第2巻が刊行されたことは気づいていて(全3巻)、いろいろと探しに行ったのだが見つからない。すでに品切れが近いらしく、かつ重版がなかなかかからないのらしい。


最初はPlural社の本屋に頼んでいたのだが、どうも頼りない返事しか来ないので、ふと思いついて古本の市場街に足を延ばした。ラパス市には二か所あるのだが、私はその中のPsje. Núñez del Pradoの一軒を昔から贔屓にしてきた。人文・社会系の本を選ぶセンスが良く、たまにしか見つからないものをうまく置いていたりするのだ。

そうしたら、なんと「お前が来るんじゃないかと思って取っておいたんだ」といいながら、奥から出してきてくれた。こういうのをスペイン語でcasero/caseraというのだが、ああやっぱりね。試してみるものだ。本当にありがたい。

この第二巻には、1952年のボリビア革命が失速してしばらく経った後の、彼がオーソドックスなナショナリズムやマルクス主義から次第に外れて、そしてそれによってボリビアの社会の多様性と複雑性を捉える重要な視点を生みだしていった、「後期サバレタ」と呼ばれる時期の重要な作品が収められている。特に遺作のLo nacional-popular en Boliviaは、かつてメキシコのSiglo XXI Editoresから出ていた版はしっちゃかめっちゃかだったのだが、不十分な書誌情報等がPlural社から出た第2版で大幅に改善され、今回の全集版でよく分っていなかった部分がさらに情報を加えられているようだ。

このような丁寧な書誌学的な仕事にもとづいた版が手に入るようになってきたのは、数年前からのボリビアの新しい出版情勢だと言えそうに思う。その中で、新たな私よりも少し上の世代の思想・文学の研究者たちが重要な役割を果たし、(いろいろ文句はやはりあるんだけど)Plural社が果たしてきた役割は大きい。

様々なカントゥータの花

ボリビアではカントゥータ(kantuta)、ペルーではカントゥ(kantu)と呼ばれる花がある。この時期の冬場にきれいな花を咲かせている。春になると実を付けているのだけれど、私の友人に聞くと種からは滅多に生えないようだ。側枝から別の株ができるのだそうで、それを植え付けるのが一番確実だという。

このカントゥータ、花の色に様々なバリエーションがあって、見飽きない。黄色と赤と花の付け根の緑とを合わせるとボリビアの国旗と同じ色になるので、ボリビアの国花にも指定されている。

村から村へと移動する道端に生えて花を咲かせているカントゥータ

上述の友人の家のカントゥータ。
日当たりがいいからか大木になって大きな花を咲かせている。


よく訪れるアイマラ語のラジオ局の入り口のカントゥータ(その1)

ラジオ局のカントゥータ(その2)



ラジオ局のカントゥータ(その3)



ラパス市のムリーリョ中央広場は、赤と黄色のカントゥータが混じって咲いている。

鳩に満ち溢れているこの中央広場、カントゥータの木に紛れると、
うっそうとして一瞬だけ違う空間に入り込んだ気がする。



domingo, 24 de agosto de 2014

野にある強さ

夏休みに自分が専門とする地域に来れているだけでも自分が恵まれている状況にあることは分かっているのだけれど(私の先生の清水透さんは、どこかのエッセイで、かつて日本に帰る飛行機の中でまた研究費が取れて戻って来れるのだろうかという思いが毎回頭をよぎったと書いていた、そのときよりも状況はおそらく恵まれているのだとしても)、3週間の短い滞在でおそらく会うのは難しいだろうなと思っていた人に、ばったり遭遇することがある。

相手の人がその場所にいた理由は、まったくもって楽しいものではなかったのだが、それでもばったり会えたことは何かの恵みなのだろう。

自分の才覚一本で、商売で新しい道を切り開いてきた人の、野にあるような思考と発想の力強さを思い出させてくれる、とても大事な人だ。意表を突かれるような発想は、日常のような当たり前の作業の中から生まれてくることを、話を聞きながら実感する。芸術的なものと工芸的なものの違い、手に職を付けることと手に職を付けないことのどちらが贅沢か、いろいろと考えさせられることがあったが、でもおそらく一番大事なのは(大学という狭い世界の中にいると忘れてしまいそうになる)その人が生きることと考えることが結びついた強靭で頑固でしなやかな鋭さだ。

帰り際に、いたずらっぽく、「こうして以前のように研究をしているのと、大学で授業をしているのと、どっちが楽しいですか?」と聞かれた。私は、とっさに、「自分の研究がちゃんと回っているときは、大学で授業をするのも楽しいですけど、研究ができずに授業に追われるだけになると、どこか自閉していくような気がします」と答えた。答えたんだけど、そしてそれは間違っていないんだけど、その言葉は私の中に重く沈んで残った。

sábado, 16 de agosto de 2014

ハイメ・サエンス『ラパスの像』をめぐって

ラパス市に住み、ラパス市を愛して酒を飲み続けたハイメ・サエンス(Jaime Saenz、1921-1986)という詩人・作家がいた。20世紀のボリビアにおいて傑出した詩人であり作家でもあったことは確かだ。私は以前からこの人の書いたものが気に入っていて、少しずつ読み進めている。

ずっと長いことこの人の作品は入手することが難しく、古本屋を丁寧に回らないといけなかったのだが、ボリビアのPlural社が一つ一つの作品を再刊(・部分的に新刊)する作業を進めてきた結果、ずいぶんと見通しが良くなった。

下の写真は2012年に再刊された『ラパスの像(Imágenes Paceñas)』。初版(1979年)では本の大きさに合わせるためにカットされたり縮小されていた写真を、この第2版では完全な大きさにして掲載しているとのことだ。
Plural社から第2版が出たJaime Saenz. Imágenes Paceñas.
昔読んだときに、他のものに比べて文章が薄いような気がして、そのままにしておいたのだが、今回読んでみるとやはり濃密で、特に序文はサエンスらしさが存分に発揮されていて、「よっ名文!」と叫びたくなるように思う。

分かったのは、どの地域を扱うかで思い入れに濃淡の差が出て来るらしいことだ。彼の得意分野はラパス市の旧市街、中でもムリーリョ通りからチュルバンバ(アロンソ・デ・メンドーサ広場)を抜けて中央墓地へと至る部分、そしてハエン通りからリオシーニョ広場へと至る部分だ。しかしながら、面白いことに、同様に濃密な雰囲気を漂わせていると私は思う、中間層の住むソポカチ地域については、サエンスは観光ガイドみたいなことしか書いていない。またもう一つ不思議なのはムリーリョ中央広場の扱いで、私はあそこからラパス市役所にかけての辺りはとても怖い場所だ、亡霊的な場所だと思うのだが、サエンスはそのようなことに触れつつも、やはりこの部分の記述も弱い。私はかつてソポカチ地区に長いこと住んでいたので、昔はそこから勢い込んで読んで、そのまま失望したのであったらしい。

文学をやる人と人類学をやる人の生息地域は異なってくることが多く、私はサエンスの活動地域よりも、ラパス市の両側面のもっと上の方にも基盤があるのだけ れど、さてそれにしても私の現実はどういうことになるのだろうかな。

ボリビアの文学雑誌La mariposa mundialは、2010年(第18号)のハイメ・サエンス特集に続いて、2013年(第21号)も補遺のような形で未発表の詩に加えて幾つかの論考を掲載している。


martes, 12 de agosto de 2014

冬から春へと

アンデスの高原ではまだ乾季の風景が続いているが、谷間では梨や桃の花が咲き始めていて、年明けから始まる豊穣の時期に向けて木々が始動している。今年もまた同じサイクルが回ってきて、真っ青な空と茶色の山々に白と桃色の花が点々と放たれている。
 







まだら模様の社会とまだら模様の自分

私はボリビアでは社会学者のシルビア・リベラ・クシカンキ(Silvia Rivera Cusicanqui)を先生と仰いで、ラパスにいる時は時折訪ねていろいろ話を聞かせてもらったりしている。今回も家で先生が仕事をしている横で、話を聞かせてもらったり、本やブログの記事を見せてもらったりする時間を過ごした。

ボリビアの政治社会情勢は、2000年代の最初の10年間の動きに大きな期待を持ってきた者たちにとって、決して明るいものではない。先住民を大統領に抱いたはずの政府が、昔ながらの為政者の流れに自らを位置づけ、大規模な公共事業で人目を惹き、ナショナリズムを強く発動した国家統合を目指していく姿は、かつて見えていた全ての変革の可能性が閉ざされてしまったかのようだ。この点で、私は大まかにシルビアと見解を同じくしている。

目に見える転換点は、このブログでかつて繰り返し話題にしてきたTIPNIS紛争であっただろう。

右傾化の中で変革の希望を見いだせずに閉塞感を強めていく日本社会と、左傾化の外見の裏で奇妙な消費バブルに浮かれつつ昔通りのやり方へと戻っていくボリビア社会と、奇妙なところで一致しながら事態が進んでいくかのようだ。

私がここで考えるべきことは大まかに二つある。一つは、20世紀のボリビア最大の政治思想家であったレネ・サバレタ・メルカード(René Zavaleta Mercado)の思想が、歪曲された形で21世紀初頭のボリビア政治に受けとめられたのではないか、という問題だ。私は2012年に二度学会とセミナーでペーパーを書いているのだが、これと共鳴するような問題意識が下で紹介したブログでのやり取りにはあり(La disponibilidad de lo inédito)、この検討をもう少し広く体系的に行う必要がある。サバレタ・メルカードの遺作であり代表作のLo nacional popular en Boliviaの英訳の刊行準備が進んでいるそうであり、それに併走する作業として重要になる。
(私がシルビアと意見を異にするのは、彼女は後期サバレタをほとんど無批判に受容していくが、それは彼女の思考のし方に完全に取り込んでしまっているのであって、既にかなり変形しているようにも思われる。私は後期サバレタ自体がもっている限界をも見た上で考えたい。)

もう一つ、私の先生は混血(mestizaje)を脱植民化するという問題意識から、自らの中にある二極性(混血性と先住民性)を解消せずに、そこから新たな可能性を見出していこうとする方向へと思考の舵を大きく切ってきた。これをアイマラ語でまだら模様を意味するch'ixiという単語で表現している。(もちろんこれがサバレタ・メルカードの「まだら模様の社会(sociedad abigarrada)」と呼応していることは言うまでもない。)この考え方が、本当に強固に変革を目指す志向を裏打ちすることができ、また現在のボリビアの政治社会情勢に対する批判として力をもつのか、これはまだ我々が見極めるべき課題として残されている。

苦しいのだと思う。おそらくこれはとても苦しい闘いだ。70年代初頭のトーレス軍政時の左派の体たらくに絶望し、アイマラ先住民運動であるカタリスタ運動に対する90年代の政治的取り込みに絶望し、そしてエボ・モラレス政権に対してまた絶望する。危機と絶望の中で、かつての先住民主義(インディアニスモ)の提唱者ファウスト・レイナガは晩年に転向したのだという(彼が残忍なガルシア・メサ軍政を支持していたとは私は今まで知らなかった)。このような状況で、それでも強く批判的に立ち続ける思想は、ボリビアの範囲を越えてラテンアメリカ全体に何かの指針となる力を持つことになるだろう、そうであってほしいと思う。

domingo, 22 de junio de 2014

リアトリスの本手9本生け

6月19日(木)。少し写真が斜めになってしまった。
等々力のほうの花屋さんはリアトリスをほとんど扱わないのだが、リアトリスは線がきれいに出る分、生花の花物の基本のような存在で、今回は千葉の花屋さんから。花物なので流から生けていく(流立て)。今回は真前を少し流の上に乗せるようにしてから自分の位置に出していくというところがうまくできた。全体のバランスの中で、流がもう少し短くていいか。
ちなみに、リアトリスも足を揃えるために葉を付けてうまく切って太い枝の下のほうを使った朴立てにすることもできるのだという。

viernes, 13 de junio de 2014

シルビア・リベラ・クシカンキ(ボリビア)の最近の発言

ボリビアの社会学者シルビア・リベラ・クシカンキ(Silvia Rivera Cusicanqui)への最近のインタビューのお知らせが伝えられてきた。私の先生。前に聞いていたように思うが、ニューヨークに教えに行っていたのらしい。

La disponibilidad de lo inédito: Entrevista a Silvia Rivera Cusicanqui / La línea de fuego(スペイン語)

シルビアがボリビアの首都ラパス市で若い人たちと一緒に結成しているEl colectivo 2というグループがあり、定期的に雑誌El colectivoを出版しているのだが、その第3号をスキャンしたものを広げてくれときたので、下にリンクを張っておきます。(スペイン語)
El colectivo, no.3(前半)(PDF)
El colectivo, no.3(後半)(PDF)

そして、別の所で広まっていたポルトガルのBoaventura de Sousa Santosとの対話を付け加えておく。
Conversa del mundo: Silvia Rivera Cusicanqui y Boaventura de Sousa Santos / Dínamicas moleculares(スペイン語)

追記
Lobo suelto!というブログのページに色々と最近のインタビューや記事のクリッピングがまとめられていることに気付いた。(スペイン語)(http://anarquiacoronada.blogspot.jp/
"¿Qué hacer frente a la 'Nación' de Álvaro García Linera?: Indianizar el mestizaje y descolonizar al gobierno."
"Silvia Rivera: No hay ningún gobierno indígena en América Latina."
"Para pasar el finde: Entrevista a Silvia Rivera Cusicanqui."
"Silvia Rivera Cusicanqui dialoga con oído salvaje."

ヒバの逆勝手五本生け

2014年6月12日(木)
あばれた短いヒバが来たので、写真からはあまり分らないかもしれないのだが、いつもよりも低い器に少し小さめに生けてみるというのをやった。そして、枝の振りから逆勝手にして受流し生けにするというなかなか高度なことに挑戦。写真でもバレてしまっているが、前受けが微妙に出の所で真に付いていない。本手の逆というのは、全体の形の感覚もそうなのだが、足の形の作り方や足下の切り方が混乱してくるので、たまにやっておいた方がいいのだな。

次回は魚道生けと呼ばれるものに挑戦する、予定(花の都合がつかずに延期)。いろいろと初めてのものが続く。

jueves, 5 de junio de 2014

日本ラテンアメリカ学会(6月7日、8日)

6月7日(土)と8日(日)に関西外語大で開催される日本ラテンアメリカ学会の大会で発表します。
当日のプログラム

私は8日(日)の午前中のセッションで、
「20 世紀初頭のボリビアのカシーケス・アポデラードスの運動に関するアイマラ語オーラルヒストリー資料―その回復作業と読みの試み―」と題した発表をします。
発表ペーパーはこちら(PDF)

他にも面白そうな発表があります。
学会というのは学術関係者ではなくとも入ることができます。お近くにお住まいの方がいらっしゃいましたら、ぜひご参加ください。

jueves, 8 de mayo de 2014

杜若の三花五株生け

2014年5月8日。
ここまで二花三株でしかやったことがなかったので、初挑戦。五株にすると、真と流と受の三か所に花を入れられるようになる。

五株の場合、真の外副(そとぞえ)と留を後ろに入れることになる。外副は真よりちょっと短め、留は受の三分の二くらいなのだが、厳密に長さをなぞるとちょっと長すぎるような気がする。全体のバランスの中でもう少し短くするんだと思っているといい。冠葉はこの季節はだいぶ長めにする。

流と受が葉の組み目のところが見る人にはっきりと見える。だから、ぜったいにこれは付くという一番いい葉を、流と受に先に確保しておいた方がいい。

ここ数年ずっとこの季節にやってきたからか、自分が何をやっているのか少し分かってきた。先生は、「去年何回か連続でやったからじゃない?」と言っていて、そうなのかもしれない。

これは葉組みが命なのだが、葉に表情を付ける指先の動きを丁寧にしようと意識した。まだぎこちないが、少しずつ、指が通るだけで葉にほんのすこし、ほんのすこしの動きが付いてくるといい。

miércoles, 30 de abril de 2014

異なる言語の第一歩の暴力

外国語の授業の第1課に差し掛かると、自分が話し伝えようとしていることがとても暴力的であることに怯む思いがする。なんなのだろう、これは。何かの言語がこうなっているという、端的にそのことは、ものすごく暴力的なことで、すべての根本にある暴力のようなものを、外国語の授業の第1課という隠れ蓑をまといながら、自分がふるっているように思う。そして、みな、いつのまにかその暴力と平気で戯れるようになって、言語好きへとなっていったりもする。でも最初に戻ると、なんてびっくりするほどの恐ろしさなのだろうか。

viernes, 18 de abril de 2014

田無(たなし)つつじの本手生け


たぶん全部で11本ほど入っているはず。

つつじは矯まらないと言われているが、これはそんなことはなかった。季節によるものなのか(春先の枝は粘りがあるものなのか)、むしろこのツツジの種類によるものなのかは要検討。ただし、節の上下すぐの所は簡単に折れるので注意する。

変化のついたかたまりをどう作っていくのか。初めてツツジを生けたので、できるだけ少ない本数でいこうとしたのだが(本数が多くなってくると自分が何をやっているのか分からなくなってくる)、ある程度の厚みをつけて、整理をしていく。

指使いが生み出していく枝合い

この前の利休梅は、形を作りづらくお生花(伝統花)に向かないと物の本などには書いてあるようだ。よくそれであんたあそこまで行ったね、と先生にほめられた。新しい素材を開拓できただろうか。

もう人前に出てくることはなくなってしまった、我々の会の会長の生け方を思い出す。あの人の指がすっと通るだけで、その枝に、その葉に、味がうまれてくる。岩のような豪気な梅の生け方をすることに衝撃を受けたものだったが、あくまでもその指使いは繊細で柔らかく、魔法のような丁寧さが込められていた。

そういうものが少しでも伝わって、少しでも自分の形の味わいにつながっていくといい。

一度知ってみるといろいろと気付くもので、スペイン語を非常勤で教えに行っている大学への道すがら、利休梅が白い花をたくさん付けているのをみた。そうか、きみはこんなところにいたのだったか。

viernes, 4 de abril de 2014

「外国語スペイン語」業界に身を置いて

新年度が始まろうとしているときに。

大学で外国語としてスペイン語を教えるようになって、本当の意味ではこれまで自分がスペイン語を教えることになると思っていなかったらしいことに私は気付いた。真面目に勉強していなかったというわけではなく、私は私でスペイン語で色々とやってきたのではあるが、教えるとはどういうことなのかそれほど考えていなかったのだった。

今の時点でどういうことかといえば、一つは、ラテン語と中世スペイン語を勉強していただろうと思う。(あとアラビア語。)日本語の古典文法や漢文訓読を大学受験生に教えたりして生活してきた私が、ラテン語をまったく知らないとは、そもそも首尾一貫性を欠いている。もう一つは、スペイン語の言語学についてもう少し事前に分かって、そして言語学と言語教育の関係について進んでいる考察についてもう少し分かっておきたかった。

Academia(スペイン王立アカデミー)の『新文法』(Nueva grámatica de la lengua española)二巻本と『記述文法』(Gramática descriptiva de la lengua española)三巻本は画期的で、とても役に立つ。そして、駒場のスペイン語部会の上田博人先生のここまで積み重ねた業績とそこでの考え方、それを外から眺めるのではなくてその現場で仕事をできることには、救われた思いがする。このとがった考え方が傍になかったら(ご本人はそのようには思わずただただ真面目にやっているだけなのだろうが)、私はおそらく途中でうんざりし始めていたと思う。

そして、今のスペイン語の教科書業界の状況は、やはりおかしい。missing middleといって、間をつないでくれるものがなかなか存在しない状況は、到る所にあるとはいえ、履修者を数で確保できることを基盤として初級の教科書ばかりが乱立し、中級の興味深い教科書は驚くほど少ない(ごくたまにあるし、自分の頭の中も含めればそれほど世の中捨てたものではない)。そして、スペイン語の「語学」と「地域事情」的なものばかりが幅を利かせ、本格的な「地域研究」に向かうための教科書はない。スペイン研究でもラテンアメリカ研究でも、日本語で教科書として使えるものが(大して)なく、そして、文学以外のものは驚くほど日本語に翻訳されていない。

文句を言うというよりは、以上を自分の抱負として、今年度も仕事を始めよう。

martes, 1 de abril de 2014

利休梅(りきゅうばい)


とてもメジャーそうな名前の花なのだが、なんと私は初めて見た。お花屋さんが「この季節の花です!」と勇んで持って来て、しかしお生花(せいか)でこれを見たこともなくやったこともなく、先生と二人で木の味を確かめながらの試行錯誤となった。

きれいな白い花がたくさんついている。私は気に入った。

写真は本手で11本入っているのだが、ためるときにゆるやかな曲線を作っていくくらいが限界なので中流し生けに本来はすべきだったようだ。節のあたりで比較的直ぐに割れて折れるので、節以外の所を引っ張りぎみにためていくとうまくいく。花はクタッと下を向いたものをカットしていくとよく、幾つか取っていくと全体が上向きになる。

非常によく水を吸う。

来年この時期になったら、思い出してもう一度持って来てもらおう。そのための記録。


domingo, 30 de marzo de 2014

高校生に漢文を教えるときに

高校生(大学受験生)に漢文を教えることがあるとしたら、最近役に立つ本を見つけた。

加藤徹『白文攻略―漢文法ひとり学び』白水社、2013年
漢文訓読の初級・中級辺りを「語学」としてカバーするという出だしのところの言明どおり、細かいところで考え方のコツが大盤振る舞いされていて、また例(文)が短くてしかも有用な点も画期的なのではないだろうか。教える側からするとヨダレが出そう。以前はもっと伝統的な意味でそっけない語法の羅列のような本しか見かけなかったような気がするのだが、時代と世代が転換してくれたのなら本当に嬉しいことだ。

(これまで以下の二つの存在も有り難かった―天野成之『漢文基本語辞典』大修館書店、1999年;江連隆『漢文語法ハンドブック』大修館書店、1997年)

唯一惜しいかなと思われるのは、各章ごとに、あるいは少なくとも巻末に参考文献を丁寧に挙げてくれればよかった。色々な過去の議論に言及されているのだが、これだけではそれが何か分からないからだ。

この本や、東京大学出版会の『古典日本語の世界』『古典日本語の世界二』、勉誠出版の『「訓読」論』『続「訓読」論』によって、漢文訓読の世界について大きく見通しがよくなったように思う。

「有り体に言って、現在、まともに訓読法を教えているのは、正規の教育機関ではなく、優れた講師を擁する一部の予備校だけなのである。」
(古田島洋介『日本近代史を学ぶための文語文入門―漢文訓読体の地平』吉川弘文館、2013年、p.iv)
貴重な技法の担い手として私たちはがんばっていこう。

miércoles, 26 de marzo de 2014

論文を書く

ナントカ論文というのを書く機会がもう一度めぐってきた(この場合のはサドクツキ論文ではない)。以前のナントカ論文のときも周りに一緒にやる人たちがいて、それぞれに忘れられない思い出になった。今回のも有り難いことに周囲に同時に進もうとしている人たちがいてくれる。でも、今回はそれぞれが背負っているものが重くて、生活がキビシかったり、仕事がキツかったり、将来は暗くふたがっていて、しかも目指す論文の大きさが段違いに重たい。論文が終わったとしても、今の私の研究も調査も何も終わらないし、たぶん変わらない。

それでも、それでいいとも思える。ギリギリのところだが、思える。それは前の二回との大きな違いだろうか。

あ、そもそもサドクツキ論文も近々書いて投稿しないといけないのであった。

lunes, 24 de marzo de 2014

何度目かの春に

生け花の中でも伝統花と呼ばれる生花(せいか)を始めて、何度目かの春が回ってきて、何度目かの(たぶん三度目の)桜がやってきた。

伝統花というのは不思議なもので、型が厳密に決まっているので、最初は生けるときに先生と二人三脚になる。というか、ほとんど先生が生けているような形になる。そうやって、自分を開いて他人の形を受け入れていく。しかしながら、ほとんど先生が生けていても、なぜか最終的な花には自分の何かが既に出ている。

何度目かの季節が回る間に、自分でやることが多くなっていく。ひとり立ちに向かうということかもしれない。しかし、先生とこれかあれか考えながら枝を選んでいく間に、あるいはそれこそ人の作品をチラッと見るそのときに、型を受け入れてしかしそれを自分のものにしていく。

うーん、ここだよここ、いいねえ。そう思いながら入れていく枝は、自分と花の両方の心が映し出されるだろうか。

街の桜は開花まであとちょっとだが、ほんの一足先に、この枝々が季節を先取りしてくれた。

domingo, 5 de enero de 2014

2014年新年

根引き松の五本生けです。