miércoles, 29 de septiembre de 2021

まったく新しい光に照らされる、繰り返されてきたモチーフ

ああそうか、この人はこんなところに出ようとしていたのか。『3月のライオン』第16巻を読んで、少し驚いた。

『ハチミツとクローバー』から何度も繰り返されてきたモチーフが、まったく新しい光の下で立ち現れて、私は呆然として、深く納得して、そして心の底から恐ろしくなった。

全ての伏線を(しかも時には何度も)回収し(※)、死への欲動まで抱え入れて、それでも真っ直ぐ前に進めるとは。若さと老練とが同居しつつ、そこにはあるということなのか。ああそうか、それでも前に進めるのか。

そして、この光がキラキラする場所は、かつて宗谷冬司が見せてくれた場所へと、桐山零が自分で辿り着いたということでもあるのだろう。

闇の力ではなく、光の力で進めるようになることは、10代の若さの中では切実な課題の一つなのだろうと思っていて(教育産業でも闇を上手に利用して商売をしている人たちがいるから)、そこに確かな執着心に満ちた道が示されたのだな、とも思う。

※読者の勝手な言い分ですが、私は二階堂を生かしきってくれようとしていることに、心の底から感謝しているのです

sábado, 25 de septiembre de 2021

夏から秋へ

職場の大学のキャンパスは一歩中に入ると、大学に関係する業者が整然とした植生を作り出しているのだが、その外側では全く違う木と植物が鬱蒼と生い茂っていて、湘南の森とはこういうものなのかと、いつも呆気にとられる思いをする。

キャンパスに入るのではなく、キャンパスの山の外側を回っていくバスの路線がある。2時間に一本くらいしか来ないのだが、これは中高等部の生徒たちが乗らないで空いているので、朝早めの時間に大学に行かないといけないときには、この路線を私は愛用している。そして、自分の大学の山のもう一つの姿を見ながら、その森を抜けながら、人工的に造られた仮の自然空間へと入っていく。さあ、もうすぐ新しい学期が始まる。



jueves, 23 de septiembre de 2021

アイヌ語の口承物語研究を進める際の「文献学的課題」(その3)十勝のアイヌ語の録音資料

(2022年1月27日追記、2023年10月1日再追記)

 一つ前のエントリーにも記したように、ひょんなきっかけでここ数年は、十勝のアイヌ語の筆録資料や録音資料を再び世に送り出す取り組みに加わることが増えた。そして、この地域のアイヌ語について、いかに公になったアイヌ語の記録が少ないかを痛感することとなった。この地域のアイヌ語については、澤井春美、切替英雄、高橋靖以各氏の重要な仕事が重ねられてきたが、これはほぼ、沢井(澤井)トメノさんただ一人との協働作業によるもので、またテキストとして公刊されているものについても、元となる音声にアクセスすることができない。(沢井トメノさんについては、逆に、音声が聞けるもので、その音声が文字に聞き起こされて公開されていないものもある。)

 沢井トメノさんよりも前の世代の、この地域のアイヌ語の話し手の人たちからの録音記録が本当は存在しているらしい。このことは、一つ前の「アイヌ語の口承物語研究を進める際の「文献学的課題」(その2)」で言及したNHKの過去の記録事業にも見てとれるのだが、ここでは、この十勝地域で過去になされたことが分かっている、個別の研究者による訪問と録音の取り組みをまとめておきたい。

1)辻秀子氏による録音資料

 帯広畜産大学で教員をしていた辻秀子氏は、十勝のアイヌの人たちの中で調査をしていて、その調査を基にした著作を発表してきた。本人は既に亡くなっているそうだが、この辻秀子氏が調査をしたその記録が本人の没後にどうなっているのかは、明らかにされていない。

 以下の文献に、辻秀子氏の録音調査の概要が記されている――
辻秀子(1984)「十勝アイヌの伝統文化に関する民族学的研究」『帯広畜産大学後援会報告』第12巻、pp.48-52。
(帯広畜産大学学術情報レポジトリPermalink:http://id.nii.ac.jp/1588/00003651/)
ここで辻氏は以下のように記している――

十勝アイヌに伝わる詞曲, 昔話, 歌謡, 祈詞などの口誦伝承をテープに収録し, それを基に,伝承構造, 言語, 世界観の分析を行なって, 他地域との共通性と変異を体系的に整理する。伝承者として, 十勝に在住する古老(田辺トヨ, 山川シマ, 沢井トメノ, 山川弘)の4名にお顕いした。

(同、p.48)

そのより詳しい内実については、さらに以下のような説明がある――

十勝アイヌに伝わる口誦伝承のうち,43編をテープに収録した。十勝の言語は日高,胆振などとかなり相異があり,アイヌ語辞典に掲載されていないことが多く,ー語ー語.を古老に問いながらの翻訳となった。サコロベ(英雄詞曲) 2編,オイナ(神謡) 1編,ツイタク(昔話)10編,ウポポ(歌謡),ャイサマ(抒情民謡).イフムケ(子守歌)などの歌30曲を収録した(以下略)

(同、p.50)

これはかなりまとまった量の録音記録であり、また、実際に辻氏がこれらの伝承者を含めた当時のアイヌ語の知識があった人たちにアイヌ語の言葉の意味を確認しているとすれば、その確認の記録自体も貴重な情報である可能性が高い。そして、上の記述を読むかぎりで、辻氏も自らの録音記録がたいへん貴重なものであることを十分に認識していたようである。これらの記録は一体どこにいってしまったのであろうか。

 さて、上の証言とは別に、以下の文献からは、辻秀子氏による十勝地方のアイヌ語の物語や歌の録音の記録が、北海道教育委員会の「アイヌ民俗文化財緊急調査」の一環として取り組まれていることが分かる――
北海道教育委員会編(1981)『アイヌ民俗文化財緊急調査報告書(無形民俗文化財6)』北海道教育委員会。(該当箇所はpp.75-92)
これが、上に示した辻氏自身が述べている録音資料と同じものなのかどうかが、まず一つのポイントになる。二つの文献を読み比べて検討してみると、資料の内訳や規模はおおむね符合しているように見えるのだが、伝承者の一部の氏名が符合していない。結果として、はっきりしたことが分からないようだ。

 さて、この「アイヌ民俗文化財緊急調査」において録音された記録の多くは、その複製が北海道立図書館に「北方資料」として所蔵されているが、不思議なことにこの辻秀子氏の録音資料はその中に見当たらない。このあたりの北海道教育委員会と北海道立図書館の資料管理と整理の状況については、どうも記録が見つからず、どのような経緯と現状であるのかが把握しきれない。

 さらには、北海道立図書館の北方資料で「アイヌ民俗文化財伝承記録テープ [録音資料] [204]」から「同[229]」にかけての記録は、主人公がオタストゥンクㇽやオタストゥンマッ(オタスッ人やオタスッの女)であるものが多い。そうすると、十勝地方のものであるか少なくとも広く道東のアイヌ語の記録ではないかと思われる、私は最初これが対応する辻秀子氏の記録なのかと思ってみたのだが、物語の内容が上の道教委の報告書と合致せず、また道立図書館の所蔵記録では記録者も語り手も明らかにされていない。これはこれで一体どのような記録なのであろうか。 あらためて、これらの記録は十勝のアイヌ語や広く道東のアイヌ語にとって非常に重要なものであろうと思うのだが、その存在・所在や詳細が確認できない残念な状況にあると言えそうだ。これらの記録の存在と整備のされ方いかんで、後の若い世代のアイヌの若者たちの言語と文化の継承活動を取り巻く状況は、大きく変わってくるはずだ。 

(追記:その後、この辻秀子氏による録音資料については、複数の経路から寄贈がなされているらしいことが確認できており、失われるという事態は回避されたようです。)

2)斎藤米太郎・明両氏による録音資料  

 齋藤米太郎は、沼田武男と並んで、吉田巌が自らの弟子であり後継者であると認めた人であり、吉田巌自身がそのことを書き記している。この点についての吉田巌による記述としては、とりあえず私は手元にある――
吉田巌(1959)『愛郷往來――東北海道アイヌ古事風土記資料』帯広市社会教育叢書No.5、帯広市教育委員会。
を参照しているが、他にももっと記録があるだろうと思う。

 この斎藤米太郎氏は、息子の明氏とともに、道東のアイヌの古老たちを訪問して、オープンリールのテープに録音をする取り組みを続けてきた。この録音資料は、以下にその目録が作成され、公開されている。
アイヌ文化研究会(2009)「『東北海道のアイヌ古謡録音テープ』の内容調査研究」『アイヌ関連総合研究等助成事業研究報告』第8号下巻資料編、pp.273-377。
この目録には話者の情報などが――プライバシー配慮の意図で――記載されていないが、テープと併せて丁寧な記録のノート2冊が残されていることが述べられている。

 この録音資料は、平成18年度(2006年度)に斉藤明氏から帯広市図書館に寄贈されたとの記録があり(帯広市図書館『図書館要覧2007』p.21を参照)、この音声記録はデジタル化され、帯広市図書館の館内で視聴できるようになっているようだ(アイヌ文化研究会2009、p.277)。この館内利用の音声の部分的な書き起こしを用いてなされた研究に、高橋(2016)がある(詳細な書誌情報については、一つ前の「その2」のエントリーを参照)。

 この録音資料には、様々な歌が記録されているとともに、数は少ないが神謡(オイナ)、散文説話(トゥイタㇰ)、英雄叙事詩(サコㇿペ)が記録されている。これらの長い物語については、上の目録(アイヌ文化研究会2009)には、その聞き起こしが冒頭一部分しか掲載されていない。
(ちなみに、十勝地方のアイヌ語の口承の物語には、英雄叙事詩にサコㇿペとユカㇻの二種類があったとする記録が幾つかある――『[昭和61年度]アイヌ民俗文化財調査報告書――アイヌ民俗調査  Ⅵ  (十勝・網走地方)』pp.68-69を参照。)
まず資料として帯広市図書館に所蔵され、利用可能な形となったこと自体が大きな前進である。しかしそこから、聞き取りと訳注の作業を経て、音声と比較可能な形で全体をアーカイブ公開するという課題が取り組まれなければならない、と言えるだろうか。

 研究者――ここでは狭い意味で大学に所属する研究者ではなく、広く調査・研究に関心をもつ人を指して使うことにしよう――が、自らの生涯で取り組んで集めた記録は、その研究者自身が自らの生涯のうちに全体を整理し、公開できる量のものでは到底ないことに、後から続く世代の私たちは次第に気づきつつある。アイヌ語についてかつてのようなフィールド調査ができなくなってしまった現代において、これらの記録をもう一度人々が使える状態にもっていくこと、そしてその前段階としてその資料の詳細情報の整理・対応づけを行うことは、これからのアイヌ語にとっての「基礎研究」として、大きな重要性をもつ。そこでは、記録と収蔵に関わってきた各組織・機関が、アイヌ語の知識をもつ人間を登用し、これらの課題に取り組んでいくことが必要になるだろう。

※このシリーズは「その5」まであり、もちろん本来はもっとたくさんの課題があるはずなのですが、今の私自身の研究のなかで重要で意識していることをまとめるという目的の下で、私が意識している部分を書きとめておきます。この問題はややこしく、意外と状況を把握すること自体に時間がかかるので、書き記しておくことには何らかの意味があるだろうと思っています。

アイヌ語の口承物語研究を進める際の「文献学的課題」(その2)NHKの録音資料

 アイヌ語は北海道の南側の地域の言葉が、そのアクセスのしやすさもあって、昔からよく知られてきた。私もその例に漏れず、千歳や沙流のアイヌ語を学びながら、幌別の知里幸恵や金成マツのアイヌ語に少しずつ親しんでいった。でも、本当はアイヌ語はずっと多様で、特に北海道東部のアイヌ語は、言葉や口承文学の歴史を知ろうと思ったときにもとても重要なのだが、一つの地域に実質的に一人の話し手しか知られていないような状況が、ずっと続いてきた。

 でも本当は、もっといろいろとあるはずなのだ。例えば私は最近は帯広の(十勝地方の)アイヌ語で、家族のなかで大事に残されてきたような筆録資料や、ふとしたきっかけで語り残された録音と関わることが続いている。我々研究者がその翻刻や聞き起こしに関わることが、それらのノートや録音が伝承される過程へと取り戻される手助けをしていることになるとしたら、それは意義の大きい関わり方だなと思う。

 我々のそのような一つ一つの仕事は、しかし、より大きなその地域のアイヌ語の言葉の使われ方の記録があって、かつそれが参照できるようになっていて、はじめてその精度を高めていくことができる。

 そこで重要になってくるのは、公共放送媒体がかつて記録した音声の資料だ。特にNHKが第二次世界大戦後のすぐの時期(昭和22年(1947年)と昭和23年(1948年))に録音に取り組んだ『アイヌ歌謡集』第1集および第2集は、他の調査ではカバーされていないほどの地理的な広がりで、様々なジャンルの口承文学を録音・記録していたことが見てとれる。
(注:本当はここから先には樺太のアイヌ語についての記録を視野に収めるべきなのだが、そこまでは私の力が追いつかないので、残念な思いで割愛することにする。)

 この『アイヌ歌謡集』第1集および第2集は、レコード化されたものであり、その目録(地域と演唱者)が公開されている。かつ、国立国会図書館の「歴史的音源」として提携する館で視聴することができる。
これには、北海道博物館の甲地理恵氏による案内が役に立つ――
甲地理恵(2020)「「歴史的音源」で聴けるアイヌの芸能について」歴史的音源ホームページ(URL:https://rekion.dl.ndl.go.jp/ja/ongen_shoukai_16.html)
甲地理恵(2018)「アイヌ音楽の音声資料――公刊されたアナログレコード盤」『北海道博物館アイヌ民族文化研究センター研究紀要』第3号、pp.73-116。
(URL: https://www.hm.pref.hokkaido.lg.jp/wp-content/uploads/2018/04/bulletin_ACRC_vol3_04_p73_116s.pdf)

 さて、これの何が問題であり、課題なのか。

 この「歴史的音源」では、それぞれの物語の音声の冒頭3分余りしか公開されていない。したがって、そこから推察されるに、元のレコードでも冒頭3分余りしか公刊されなかったのであろう。それぞれの物語は到底3分で語りきれるものではなく、私が視聴した際にも、それぞれの録音が中途で唐突に終わってしまうことが確認できている。
ちなみに、このような悪条件下でも、以下の高橋靖以氏の仕事では、その十勝方言の録音の冒頭部分だけを聞き起こしつつ、そこに考察を加えようとしている――
高橋靖以(2016)「十勝地方におけるアイヌ口頭伝承の語り方について――関係性理論の観点から」『北海道民族学』第12号、pp.35-40。
(URL: http://douminzoku.web.fc2.com/kaishi_pdf/12/12-04takahashi.pdf)

 このような公開され方では、到底そこで語られた物語の中身を知ることができない。そして、何が分からないかというと、レコードには3分だけしか収めなかったとしても、元の全体の録音が存在していたはずなのだが、その元の録音が保存されてきたのかどうかということだ。これについて――そして私が確認できる限りで――NHKは特に何も説明をしていないようだ。

 しかしながら、どうも保存されているらしいことが伺える情報もある。アイヌ民族文化財団(当時の名称ではアイヌ文化振興・研究推進機構)は、平成24年度(2012年度)から平成29年度(2017年度)まで、「オルㇱペ スウォㇷ゚(oruspe suwop)」というアイヌ語の口承文学をアニメ化し現代の語り手が演唱するという取り組みを続けてきた。
(URL:https://www.ff-ainu.or.jp/web/learn/language/animation/index.html)
この平成28年度(2016年度)の白老地方の神謡「うさぎがはねた」の解説を読むと、次のような文言に出会う――

 同資料は全国規模の民謡調査の一環としてNHKが1947年9月4日に登別で収録した音声資料である。同じ神謡の一部を編集したものが「アイヌ歌謡集第1集 アイヌ神謡 カムイ・ユカラ』(1947年刊行)に集録されている。
 アニメ化にあたっては、未公刊音源を編集委員によって聞き起こし、テキストを作成した。

(URL:https://www.ff-ainu.or.jp/animation/files/h28_ol5.pdf、pp.5-6)

これはNHKの中に未公刊音源が残っており、アイヌ民族文化財団のプロジェクトに関わっている人々は、その未公刊音源にアクセスできていた、ということを示していそうだ。また、上記の甲地(2018)のp.81にある「通し番号1)3)19)の音源の一部となっている「NHK放送文化財ライブラリー」」という記述も、何かしら元の音源が存在していることを示しているようだ。

 さて、これと関連して、繋がりが分かり難くなっている点がもう一つ存在する。NHKは2016年の年末近い12月17日と12月23日に、ETV特集で「今よみがえるアイヌの言霊〜100枚のレコードに込められた思い〜」という番組を放送している。この番組についての情報は、既にNHKのホームページからは消されてしまっているが、以下のホームページで確認することができる――
https://amass.jp/82171/
https://amass.jp/82391/
そこでは、「NHKが戦後すぐにアイヌの歌や語りを録音した100枚のレコード。最新の復元技術で音がよみがえった」という説明がある。これが放映された当時は、談判(チャランケ)の音声が記録されていて、それを北原次郎太さんや当時の「担い手事業」に参加する若い人たちが練習しているといった場面に関心が向いていたが、これには果たして『アイヌ歌謡集』の元録音が含まれているのだろうか。このETV特集では――私が覚えている限りではあるが――そこの対応関係も特に説明はされていなかった。

 NHKはその後も、1961年から1964年まで「アイヌ伝統音楽収集整備計画」事業を行っており(甲地2018、p.87)、これは以下の書籍とLPレコードで刊行されている――
日本放送協会編(1965)『アイヌ伝統音楽』日本放送出版協会。
さて、この書籍をみると「収集結果は、22市町村、68地区、273名から、1,987曲を収録し、この中からさらに原形として重要な440曲を抽出掲載した」とある(同「はしがきと凡例」を参照)。これも全体像が明らかになってはおらず、元の録音がどのように保存されているのかも分からない。

 本来、このNHKの調査に加わったアイヌの人々は、自分の言葉が後世まで残り、伝えられてほしいと願い、協力をしたのではないかと想像する。だとするならば、NHKはこれらの音源の所在と詳細を明らかにしつつ、どのようにアーカイブ化を進めていくか(あるいは既存のアーカイブ化の取り組みに加わり、協力するか)を定め、公けにするべきではないのだろうか。将来に向けて、アイヌ語がそれぞれの地域で取り戻されることがあるとすれば、そのためにはこれらの音源を使えるような形にしていく、地道な土台の整備がどうしても必要である。

付記――STVとHBCによる音声記録

 公共放送媒体が記録したアイヌ語の音声ということでいえば、札幌テレビ放送(STV)が1970年から1978年に録音した音声記録が、なぜか国立民族学博物館(「みんぱく」の方)に所蔵されていることが知られている。これは、以下の記事で概要が報告されている――
中川裕(2009)「アイヌ語の声のアーカイブへ――共同研究「アイヌ語を中心とする国立民族学博物館所蔵北方諸言語音声資料の分析」」『民博通信』第126号、pp.20-21。
この民博が所蔵するSTVの音声記録についても、この概要調査が行われたまま、それを公開するための取り組みへとつなげられることはなかったようである。唯一の例外は、その中の鍋沢元蔵氏の筆録ノート5冊で、これは遠藤志保氏の尽力により、以下の報告書として公刊されている――
中川裕・遠藤志保編(2016)『国立民族学博物館所蔵鍋沢元蔵ノートの研究』国立民族学博物館調査報告第134号、国立民族学博物館。
また、この音声記録についても、例えば以下の書籍にまとめられているようなSTVの録音事業との関係は明らかでない――
荻中美枝(1978)『サコㇿベの世界』札幌テレビ放送。
この『サコㇿベの世界』に記載されている人名を見る限り、上のみんぱく所蔵の音声資料よりも広い範囲で録音に取り組まれたようで、この記録がSTVには別に存在しているようだ。また、上の中川(2009)には、みんぱくのSTV資料の中に北海道放送(HBC)の録音が、断片的で混乱の大きな形で含まれていることも記されている。このHBCの録音記録がどのようなものであったかは、まったく明らかになっていない。

 NHKを筆頭に、しかしNHKだけではなく複数の放送局が、これらのアイヌ語の記録に無形の文化遺産としての価値を認め、それが幅広い人にとって利用しやすくなるような取り組みを進めることが、望ましいのであろう。そのような取り組みを通じてしか切り開かれることのない、アイヌ語の言葉の未来が存在しているのだと思う。

後日注(2023年8月21日):当時のレコードの録音容量からして、公開されているものが録音されたものの全体であろうという教示を得ました。(ただし同時に、公開されているものにほんの少しだけ録音の先がある場合があるらしいということも知りました。)

miércoles, 15 de septiembre de 2021

アイヌ語の口承物語研究を進める際の「文献学的課題」(その1)知里真志保ノート

 もともとこのブログには、研究そのもののことはあまり書いてこなかったのだが、自分の頭の整理も兼ねて、メモ書きのようにまとめておこうと思う。

 アイヌ語については、言葉を日常生活に回復しようとする取り組みが続けられる一方で、かつて記録されたアイヌ語を利用しやすい形でアクセスできるようにするという、資料の整理と公開の課題がある。この後者を「文献学的課題」と名付けることにする(この名づけ方は、私の先生である中川裕さんを踏襲している)。いま私たちは、どのような「文献学的課題」に直面しているであろうか。

 もちろん課題はそれこそ山のようにあるわけだが、今の自分自身の研究に近い範囲で意識していることを書き留めておく。たいへんややこしいので、書き留めておくことで自分にとっても整理として役に立つのではないかと思うのだ。

 アイヌとしての出自をもち、アイヌ語の研究に尽力し、北海道大学の教授になった知里真志保(1909-1961)によるアイヌ語の記録がもつ重要性は、比較的最近になって光が当てられるようになったと言ってよさそうだ。知里真志保は、『アイヌ神謡集』を遺して早逝した知里幸恵の弟としても知られている。彼が記録したノート(「知里真志保遺稿ノート」と呼ばれる)については、まずは北海道立図書館北方資料室によって(知里真志保書誌刊行会編(2003)に再録:pp.115-129)、また続いて北原・小林・八谷(2012)によって本格的な目録作成の取り組みが行われてきた。

 この目録作成の取り組みと並行して、北海道教育委員会(道教委)がノートの整理、翻刻、刊行の取り組みを行い、『知里真志保フィールドノート』が(1)から(7)まで刊行された(2002年~2008年)。 そもそも(7)の刊行をもって、なぜそれ以降の取り組みがなされなかったのかについては、私が見ている限りでは道教委から何の説明もなされていないようだ。それと同時に、しかし、刊行時に十分に検討されなかったと思われる課題が、もっと細かいところにある。

 この『知里真志保フィールドノート』は刊行の途中で方針が何度も変わっており、(3)から(5)までが、ノートの中の口承文学テキストの翻刻と翻訳に当てられている。それがノートのどの部分に相当するかは、前述の北原・八谷・小林(2012)を見ることで確認でき、そこからは知里真志保自身が記録・整理した内容の相当部分が翻刻・翻訳されて刊行されたことが見てとれる。ここにまだどれほどのの「漏れ」があるかも、丁寧に検討されなければならないのだが、ここで示したい課題はこれでもない。

 ここで指摘したい課題、刊行にあたり十分に検討されなかったと思われる課題は、『知里真志保フィールドノート』(3)~(5)で公刊された物語群のなかに、当初金成マツが筆録した物語を別の手で清書し直したものが含まれているのではないか、ということだ。

 これがなぜ重要なのか。

 金成マツが知里真志保に宛てて筆録したノート一式は、金田一京助に宛てて筆録したノートとともに、北海道立図書館にマイクロフィルム化されて所蔵されている。この資料をもとに、蓮池悦子が詳細な目録を作成したものがアップデートされて公開されている(例えば白老楽しく・やさしいアイヌ語教室2008)。元の目録には、おそらく現物を実際に全部確認していないことによると思われる、細かいところの漏れなどがあるようだが(藤田2021でその一部を指摘したことがある)、たいへん参考になる労ある仕事であることに疑いはない。そして、この目録と公開されているマイクロフィルム資料の複写を元に、当初は蓮池悦子が『アイヌ無形民俗文化財記録刊行シリーズ』において、近年では白老楽しく・やさしいアイヌ語教室が、その一部の翻刻・翻訳・考察を行い、成果を公刊してきている(白老楽しく・やさしいアイヌ語教室2021、2020および2017:蓮池悦子氏の元の仕事にはここの文献一覧から遡ることができる)。藤田も個人的に並行した努力を少しずつ行ってきている(藤田2021および2018)。

 さて、『知里真志保フィールドノート』の特に(4)の前半に配置された、「ウラシペッの人の物語」と題された一連の物語群については、第90冊(CM90)からとられたとされているが、これは蓮池悦子の目録における「請求番号ア92/c/26」の金成マツ筆録ノートの内容の一部分であるらしい。これらは、筆跡の特徴に関する指摘を含めた様々な情報から、同一のノートではない。特にその中の「1.2 子無き梁井村人の許へ六青年来りて養子になる事」は、私自身の手元にある複写から、金成マツ筆録ノートのなかの物語と同一の文言であるらしいことが確認できている。そして、この対応関係は、北原・八谷・小林(2012)では確認できない。道立図書館の資料の目録を手掛かりにした順番で当たってみるとすれば、CM116の後ろ辺りにきそうなのだが、どうもこれらの物語がその辺りに見つからない。
(おそらくこれは、北原・八谷・小林(2012)p.116の注5に書かれている、一部のノートが北海道文学館に収蔵されなかったことに起因するのではないか、と推察される。)

 つまり、この目録作成の取り組みが、十分にお互いを参照していないために、情報の重複の照合がなされずに整理・公刊の取り組みが進展したということになる……可能性がある。

 これは、特に『知里真志保フィールドノート』で公刊された内容に、重要な影響をもつ。というのは、金成マツが筆録したノートの方には、知里真志保が付けたのではないかとみられる注釈の書き込みが、随所に見られるからだ。しかし、それらの注釈の情報が十分に考慮されないまま、またその情報が翻刻されないままで、清書されたテキストだけが公開され、翻訳を付されたということになる……可能性があるのだ。これはあくまでも私の手元にある一部の資料を元にした推論であり、十分な確認がなされなければならない。(上述の子どものいないウラㇱペトゥンクㇽの物語には、随所に知里のものとみられる注釈の書き込みがある。)

 さて、ということで、ここで必要とされる作業は何かといえば、北海道文学館に所蔵されているノートと、北海道立図書館で公開されているマイクロフィルム資料をつき合わせて確認する作業だということになる。そして、私たちはここで壁に突き当たってしまう。北海道文学館に所蔵されている「知里真志保遺稿ノート」については、一般公開がされていない(少なくとも一般公開されているとはどこにも書かれていない)ために、最終的には十分に確認を取ることができないのだ。
(ただし、北海道立図書館のマイクロフィルム資料と上述の北原・八谷・小林(2012)を元に、かなりの程度まで推測を進めることは可能だ。)

 これは、知里真志保のフィールドノートのなかにプライバシー情報が入っている部分があるために難しいのかもしれないが、しかし口承文学テキスト自体にはプライバシー情報は入っていない。そこの仕分けと公開に北海道文学館が取り組むことは、やはり必要なのではないだろうか。それがない限り、私たちは何か「痒いところに手が届かない」感を抱えながら、資料と付き合っていかなければならないことになる。

※なおこれは、あくまでもユーザー視点からの課題の提示であり、実際に各種機関の内部で資料公開に向けた実務にあたる際の、人員と予算の少なさによる苦労、また規定を一から策定しなければならないことの苦労も、想像に余りある。その一端は北海道アイヌ民族文化研究センター研究課(2011)で知ることができる。

文献情報

複数著者(2002-2009)『知里真志保フィールドノート』(1)~(7)、毎年刊行、北海道教育委員会。
北原次郎太、小林美紀、八谷麻衣(2012)「北海道文学館所蔵『知里真志保遺稿ノート』の細目次」『北海道アイヌ民族文化研究センター研究紀要』第18号、pp.115-321。
白老楽しく・やさしいアイヌ語教室(2021)『知里ハツ口述ウエペケㇾ5話の研究』白老楽しく・やさしいアイヌ語教室。
白老楽しく・やさしいアイヌ語教室(2020)『盤木アシンナン口述ウエペケㇾ8話の研究』白老楽しく・やさしいアイヌ語教室。
白老楽しく・やさしいアイヌ語教室(2017)『金成アシリロ口述ウエペケㇾ10話の研究』白老楽しく・やさしいアイヌ語教室。
白老楽しく・やさしいアイヌ語教室(2008)『金成マツ筆録アイヌユカㇻ『カニビラッカ(金の下駄)』散文訳』白老楽しく・やさしいアイヌ語教室。
知里真志保書誌刊行会(2003)『知里真志保書誌』サッポロ堂書店。藤田護(2021)「金成マツ筆録ノートのアイヌ語口承文学テクストの原文対訳及び解釈 : 金田一京助宛ノート散文説話「金の煙草入れ (konkani tampakop) 」中川裕編『アイヌ語・アイヌ文化研究の課題』千葉大学大学院人文公共学府研究プロジェクト報告書第358巻、pp.15-42。
藤田護(2018)「金成マツ筆録ノートの口承文学テクストの原文対訳及び解釈 : 散文説話「六人の山子(iwan yamanko)」 中川裕編『アイヌ語の文献学的研究(3)』千葉大学大学院人文公共学府研究プロジェクト報告書第325巻、pp.25-65。
北海道アイヌ民族文化研究センター研究課(2011)「北海道アイヌ民族文化研究センターにおける採録資料の公開について」『北海道アイヌ民族文化研究センター研究紀要』第17号、pp.123-148。