viernes, 30 de agosto de 2019

アンデス先住民言語アイマラ語の継承の課題

よく誤解されていることだが、先住民言語だからといって話者数が減少しているとは限らない。南米アンデス高地のケチュア語やアイマラ語は、少なくとも国勢調査で確認できるようになってからは、つまり20世紀末から21世紀にかけて、一貫して話者の絶対数は増加している。

そして、これは言語人類学者のブルース・マンハイムが指摘していることだが、国勢調査の結果だけを見ると、先住民言語の単言語話者が減少し、先住民言語とスペイン語の二言語話者と、スペイン語の単言語話者化が増えているが、現実の村の生活自体はケチュア語(やアイマラ語)で営まれ、子どもたちはまずもって先住民言語の単言語話者として育っていく。スペイン語を学ぶのは、学校に入り、外の世界に接するようになってからなのだ。

ただし、先住民言語が置かれた状況は楽観視できるものではない。話者の絶対数は増えているが、それは人口増加が続いていることによるもので、都市に出てくると、その次の世代にはケチュア語もアイマラ語もなかなか継承されないのだ。

こういう状況で、先日仕事を一緒に進めている人たちと3人でご飯を食べている際に、面白い話になった(残りの2人はいずれもアイマラ語の母語話者の人である)。

街から遠い村では、生活は家庭の場面でも共同体の場面でも、アイマラ語で営まれている。ただし、街にだいぶ近い村になると、家庭生活はスペイン語で営まれることが多くなってきたという。ただし、それでも子どもたちはアイマラ語がかなり話せる。これは、家庭以外での公共の場面で大人たちがアイマラ語を頻用し、子どもたちがそれに触れて育つのだからだそうだ。

これはちょっと興味深い話で、確かめてみたいなとも思う。スペインのバスクでは、フランコ時代に弾圧され、家庭での継承が途絶えかかったバスク語が、民主化以降に、学校教育での標準語教育を通じて話者数を再び増加させてきたことが知られている。この場合に学校教育が果たした言語継承の役割が、もっと広い意味での公共の場面でアンデスでは機能していると考えられるとしたら、ちょっとおもしろい。

かつて、20世紀後半に入ったころから、アンデスでは「バイリンガルの国づくりが可能か?」という問いが立てられてきた。今でも様々な政策は二言語話者を想定していることが多いと思うが、ここしばらく周りの人たちと話している中で、英語とスペイン語とアンデス先住民言語の三言語話者(トリリンガル)は十分に可能なのではないか、という話題が何回か出てきていることに私は注目している。複数の言語が混ざり合い、学び合う空間を生み出していけるなら、ラテンアメリカの先住民言語の未来は、ずっとおもしろくなってくる。

大地とのつながりの中で(アンデスの捧げ物)

ボリビアのラパスの街の8月は、大地の母神(パチャママ)に対して捧げ物をする月だ。南アンデスの8月は乾季の終わりに当たり、パチャママがお腹を空かせている。この時期に捧げ物をすることで、われわれ人間がパチャママを忘れていないことを示し、来たる季節に向け豊穣を祈る。この捧げ物はアイマラ語でwaxt'a(ワフタ)と呼ばれ、ラパス市ではスペイン語でもこの単語が普通に使われる。

ラパスやエルアルトの街の各地にある呪術師の市場は大忙しで、街の色々なところで夕方から夜にかけて、供物を燃やしている様子を目にする。

捧げ物をすることで、パチャママが怒って人間や自然を食べてしまわないようにする。例えば、交通事故が多くなるのは、人間からの感謝の気持ちが不足して、パチャママが怒っているということになる。


供物はメサと呼ばれ、紙の上に配置されている。砂糖を使った甘い物と酒(ワインとアルコール)とが、メサを構成する基本の軸を構成しているようだ。コカの葉の形の良いものを選び、3枚ずつを重ねてメサの四隅に反時計回りに置いていく。アルコールも同じ向きで振りかけていく(このお酒を振りかける行為はch'allaña(チャヤニャ:アイマラ語)またはch'allar(チャヤール:スペイン語)と言う)。シナモンと砂糖を混ぜたものを、また振りかけていく。

ちなみに、このメサの構成の仕方にも流行があるように思う。 今回はリンゴを置いているが、これを見るのは私は初めてであった。でも、これはメサを準備する呪術師ごとに考え方が違うし、その後をどのように準備していくかもその人の出身地によって流儀が異なる。



そして、このメサを燃やす。燃やすことで、供物がパチャママに届くと考えられている。高原都市では、標高が高く酸素が薄く、火が付きにくいので、アルコールを何度も振りかけながら、土台に重ねた木に火を移していく。ワインをメサの外側に反時計回りに振りかける。燃えている間は、パチャママが供物を食べているのだと考えられている。

私もメンバーである先住民団体の建物の屋上で、皆でメサを囲んで燃やす。傾斜の強いラパスで、上と下に見えている街の灯りの連なりの中で、もう15年以上見慣れてきた建物たちに囲まれて、炎が上がり、煙が空に昇っていくのを眺める。様々なことがうまく行っていない中でも、でもまた皆がこの場所に集まって、祈る気持ちを合わせる。この一連の儀式が終わると、皆が少し心がすっきりしたような顔をしている。


最後に、それぞれが持ち寄った食材を取り合わせるアプタピ(apthapi)を、皆で囲む。まだ先がある。まだやるべきことがある。もう一回、あともう一回、前に進もう。

martes, 27 de agosto de 2019

何度も立ち戻る思考の場所

私は日本で大学の教員をしているが、ボリビアのラパス市にある先住民団体のアクティブなメンバーでもある。アンデス口承史工房(Taller de Historia Oral Andina, THOA)という団体で、アイマラの人々が中心で、ケチュア語を話す人もいる。

最初に繋がりができたのが2003年だから、今年でもう17年目に入るだろうか。この団体の他の仲間たちも同じような感想を口にするが、私は私で、何よりもここでインディアニスモ(先住民主義)に基づく考え方を、議論し、考え、教わってきたのだと思っている。先住民の思考とは何かを丁寧に深く掘っていき、そうすることで他の文化や社会に向かっても開いていくことができる、と私は強く思っているが、そう思えているのはこの場での議論によるところが、とても大きい。

なかなか長い時間をかけてボリビアに滞在することが難しくなってきた中で、でも今年も定例の会議に参加する。時間をかけて全員で議論をしていくと、あるところから、とても深く難しい問題に突き当たっていく。アイマラ語の手触りを確かめるようにして、 スペイン語の使わざるをえなさや、スペイン語とアイマラ語の間の距離を認めながら。同じ面子で、少しずつ新しい人を加えながら、何度も何度も議論を重ねてきた。

ああ、この場所だ、帰ってきた、と思う。ここを私は自分の思考の拠点にしようと、ずっと取り組んできたんだ。ここから言葉を発しようとして、ここに向かって言葉を発しているんだ。

domingo, 18 de agosto de 2019

スペインの植民地主義の多層的な理解に向けて

学生たちが参加しているスペイン語海外研修の視察と調整の仕事で、長期休暇の入り口にスペインを回る出張に出るようになった。今年の2月に続き、この8月もスペインに来ていて、これで2回目になる。スペイン語教育の中心地でもあるサラマンカと、バスクのサン・セバスティアンを回る。サン・セバスティアンは宿泊がなかなか高価なので、バスクの中心都市のビルバオに泊まることが多い。

これをやることで、新しく見えてきたことがある。

一つは、バスク地方とのかかわりができたことだ。バスク語をめぐる様々な状況は、アンデスの先住民言語やアイヌ語に関わっている私にも興味深いことが多く、公共空間におけるバスク語の存在感や、世代間で異なる継承のされ方、長期間をかけて作成された標準語と方言の関係など、考えるべき問題がたくさんあることが分かってきた。世界同時代性の下で、それぞれの文脈の中で同じ問題を共有しているという感覚は、私に大きな示唆を与えてくれる。また、たまたまお祭りの期間にビルバオにいることが多いが、祭りに加わる一つ一つの団体(コンパルサ)が、女性への暴力的攻撃の禁止や、政治犯の釈放要求など、政治的な要求を明確に打ち出していることも印象深い(このこのまつり(祭)とまつり(政)の一致ともいうべき特徴は、既に様々に指摘されている)。今年のビルバオの祭の開会宣言(8月17日)は、トランスジェンダーの子どもをもつ親の会の代表が務め、「我々は世界を変えていっているんだ」と高らかに宣言し、集まっている大群衆から万雷の喝さいを浴びた場にいたことは、私に深い感銘を残した。

もう一つは、ラテンアメリカを専門にしていると、スペインとラテンアメリカの関係で考えることがある意味普通になっていく。そしてそこからは、アメリカ大陸としての広い意味での植民地経験へと考察を広げていくことが、近年試みられていくことになる。しかし、スペインの多言語主義に目を配るようになると、バスクをめぐるスペイン国内の力学や、より現代に近い時代でのスペインとアフリカの関わりなどに目が向いていくようになる。スペインによる植民地主義の経験はラテンアメリカで終わるわけではなく、国内にも向きつつ、その先にアフリカでも続いていくのだ。このスペインの植民地主義の歴史の多層性に目が向くようになってきた。

アンデス高地先住民は、差別される側にも差別する側にも回る。日本人も、差別される側にも差別する側にも回る。そしてバスク人も、差別される側にも差別する側にも回る。この3点をつないで考えられることは、やはり新しい視野の広がりを私にもたらしてくれている。