lunes, 23 de abril de 2012

失くし物の行方

かつて井上陽水は「夢の中へ」で、
探しものは何ですか/見つけにくいものですか/カバンの中も/つくえの中も/探したけれど見つからないのに/
まだまだ探す気ですか/それより僕と踊りませんか/夢の中へ/夢の中へ/行ってみたいと思いませんか/
と歌っていた。

mr.childrenはそれに対して「ひびき」(作詞は桜井和寿)で、
見つからなかった探しものはポケットに入ってました。と/
幸せなんかおそらくそんな感じでしょ!?って/
君の声は教えてくれる/
と応えた、のだと私は思っている。

これはうまいと思ったのだけど、でも私たちは、ポケットの中の幸せと世界の銃声の両極端に分裂した時代をもはや生きてはいない。

ところで東京事変に「21世紀未来の子」という曲があって(作詞は椎名林檎)、そこでは、
代わりのない紛失物(なくしもの)/迷子のままのときは/宝物をつくり出そう大事に/
という歌詞がある。

とりかえしのつかないことは幾らでもあって、私たちは途方に暮れて、それでももう一度たからものを作りだしながら、私たちは生きていくことができる。私にとって研究というのはちょっとそういうことだし、それは多分それ以外のことでもそうなんだと思う。絶望と戸惑いと希望が背中合わせにくっついているような、その感じに私はいちばん励まされる。

domingo, 22 de abril de 2012

アンデスの食材と料理について二題、など

アンデスはカントゥータ(kantuta)の花がきれいに咲きそろう季節、つまり冬の入り口に入っています。

チチカカ湖で獲れる魚にはイスピ(ispi)という小魚があって、私はカラチ(k'arachi、「カ」は口の前の破裂音)と並んでこの魚が大好物。
…なのだが、今回買い物をする時に、ちょっと勘違いをしていたことに気付きました。

右側の手の上に注目すると、この魚、まずは内臓を取り出さないといけないのだが、腹いっぱいに白い寄生虫が入っていることがある。これはうちの家族によるとセルコ(sillq'u、「コ」は口の後ろの破裂音) と呼ばれるもので、うっかり家の動物とかが食べてしまうと内側から内臓を食い荒らしたりする厄介な寄生虫だとのこと。

何を勘違いしたって、今日は私は市場を歩きながら「こっちの魚の方が大きい」と思って買ったのですが、その大きさはこの寄生虫によるもので、量り売りなんだから、寄生虫に金を払ってしまったようなものじゃないかと思って、反省していたのです。腹が妙に膨れているイスピは要注意です。(ちなみにこの寄生虫はイスピにしか付かないらしい。)

次に、塩を振って、アリーナ・アマリーリャ(harina amarilla)というトウモロコシの粉をまぶして。ちなみにニンニクをすり込んでもいいのだが、うちのおばあちゃんはニンニクが嫌いなのでシンプルに。

フライパンで油で揚げると、これが香ばしくて、本当に美味しいのです(出来上がりが後ろ)。


ちなみに今日覚えたことをもう一つ。下の写真はカヤ(kaya)と呼ばれるオカ芋(oca)から作る乾燥芋=チューニョ(ch'uñu、「チュ」は破裂音)なのですが、これは茹でると独特の匂い(干し草のような匂い、あるいはウ○コみたいな匂い)がするので、現地の人でも苦手な人が多く、私は好きだというと驚かれることもあります。
今日そのカヤを食べていて、「しかしそれにしてもこれは何とも絶妙に美味しいじゃないか」と思って、お替わりをしに行くと、鍋が写真のようになっている。つまり牧草を下に敷いて、そこに水を入れて、上にカヤを入れることで、草で蒸し上げたような感じになって、独特の臭みが抑えられて風味が広がり柔らかくなるのです。ははあ、これはすごい知恵だなあと思って、感心してしまった。

アイマラ語ついでにもう一つ。下の男の子が遊んでいるのは、足に紐を括り付けて、片足でボールを回して何回飛び続けられるかという遊びで、これは「パタ・パタ(pata pata)」と言うのだそうです。

私が去年買ったニワトリたちはだいぶおばあさんになりつつあるようで、元からいたニワトリがまたヒヨコを生み(かつてブログに登場したヒヨコたちは全て雄鶏になってしまったため、既に全羽食べられてしまいました)、おばあちゃんの息子が二か月前にヒヨコを買ってきて、僕も二週間前にヒヨコを買ってきました。(私は首尾よく市場のおばちゃんが間違えたのをそのままにして、六羽のところを七羽もらってきたのだけど、一羽弱って先週死んでしまった。首に毛がないカラ・クンカ(q'ara kunka、最初の「カ」は口の後ろの破裂音)で気に入ってたのに。

こうやって、アンデスでの私の生活の新たな一年のサイクルがまた始まろうとしています。

lunes, 16 de abril de 2012

先住民の近代と人類学

今日、ラパスの国立民族学・民俗学博物館(MUSEF)であった人類学の研究発表を聞きに行った。Denise ArnoldとElvira Espejoによる、"La k'isa intrusa: Pugnas bolivianas sobre el color y sus significados sociales"と題されたものだった。Deniseは、私のアイマラ語の先生のパートナーで、独特の強いクセはありながらも、人類学のオーソドックスな思考法をする人で、しかも1970年代までのアンデス人類学の研究を踏まえて、それとの対話の上で現代の議論を展開するので、テーマが私自身と重ならない場合でも、いつも非常に参考になる。

この発表は、アンデス織物における色の意味と慣行についての衝撃的な発表であったのだが、これは完全に私の専門外なのでおいておく。しかし、抽象度をもう一段上げると、これは現代のアンデス人類学全般にわたる重要な問題提起をも内包していたように思う。そして、二人への質問とそれへの応答でもそれが確かめられたような気がしたので、ちょっと書き留めておこう。

現代は、うっかりすると、かなり最近のものであるのに、それが古くから存在してきたと勘違いしやすい時代だ。それは伝統が「創られたもの(invention)」であるからだけでなく、アイマラ先住民自身がここ数十年の間にわたって近代を担ってきているからに他ならない。つまり、我々は、きわめて現代的なものが伝統的なものであると受けとめられるという逆説の中を生きているだけでなく、本当に古くからの考え方がその下に幾つもの層を構成している。そして、下手をすると、完全に近代の中だけで仕事をして、すっかりそれに包まれていることになりかねない。

今日は織物と色染めの話だったが、おそらく音楽でも同様で、そして言語や物語を扱う場合も同じ状況に直面している。つまり、かつての人類学者たちの時代よりも層がさらに複雑さを増しているのだ。

そしてその状況に対峙する際の姿勢についても、過去の層を掘り起こすことで現代に批判的に対峙するというオーソドックスな人類学的姿勢だけでなく、その先住民の近代(現代)の逆説的なあり方の中をどう生きていくのかという問題が同程度に重要性をもち、さらにはそれらを知った上での試行錯誤を伴った実践がある。我々は誰しも、この三つ全てに何らかの形で関っていると言っていいだろうと思う。

(本当は、遡って1950年代には既にその複雑さはあったのではないかとも思うところなのだが、これはまた別の問題を構成している。)

その正しい答えのなさ、逆説を伴った層の複雑さ、せめぎ合っているのか消滅していっているのか、そういう状況の中で何かを見通すには強靭な思考態度が必要になるけど、遥か先頭を走っている人がいて、こういう問題の見取り図が再認識できるだけでも、本当にありがたいことだと思ったラパスの夜のひとときだった。

viernes, 13 de abril de 2012

近づくことで生まれる断絶

外から研究として何かに関わり始めると、ずっと距離を取り続けている場合は除いて、近くなれば近くなるほど、その届かなさに悩むようになる、かもしれない。

人類学者が何かを記述しようとしたとして、論文を書いたとして、それは文化の(歴史の、社会の)何を伝えたことになっているのだろうか。本当に文化(や歴史や社会)が継承されるとき、それは普通、論文での記述・分析という形を取らない。だから、文化を継承しようとすればするほど、人は論文という形との、議論(アーギュメント)という形との、折り合いが悪くなっていく。「論」を立てた瞬間に、何かが起こる瞬間から光速で離れてしまう。

これは文化に関する領域でよく問題になるが、経済や政治の領域でも本来は同じ問題を抱えている。

そのようなとき、例えば次のような方法が考えられる。
(1)分析用具を磨くことでもう一度近付き直そうとする。人類学で「パフォーマンス」が重視されるようになるのは、例えばその一つの場合なのかもしれない。
(2)自分の分析が鈍くなろうとも、切り結ぶその場面に関わり続けて、その割り切れなさに混じり合い続ける。
(3)自分が中に入ってやってみる。呪術や儀礼を研究する人にたまに生まれてくる。そして、音楽をやる人はむしろまずやってみることの方が圧倒的に多いかもしれない。

問題は、(3)が解決策になってくれればいいのだけれど、(2)と(3)の間に入っている亀裂にはまってしまう場合だ。(3)をベースにしてそれを省察するというよりは、(3)をやりながらも(2)の場所にとどまり続けようとする場合。

あるいは違う言い方をすると、自分がやっていることに意味があると思うこともできる。そうして一つの方法で地道に貢献することもできる。似たような人たちでギョーカイを作れば、ちょっと安心すらできてしまう。でも、自分がやっていることの意味を徹底的に疑うこともできる。近付けば近付くほど届かない闇に向き合い続けることもできる。

技が洗練されると、地道になって、亀裂が、そこの闇が深くなっていく。それは何かの蓄積としてではなく、自分の何かを壊しながらあがいた軌跡としてしか刻まれないものなのかもしれない。

sábado, 7 de abril de 2012

その一つ先へ

四月というのは新年度の始まりで、特に大学生を対象として新しい外国語を始める人への案内が書かれる季節でもある。ふっと、自分だったら何を言うかなあと考えてみたりもする。それはたぶん、入り口にはもっとその先があるんだということかもしれない。

(1)「外国語」として「お勉強」している段階に留まってしまうとなかなか見えないけれど、元々の自分の母語ではない言語ができるのが当たり前で、その言語を使って生活をして仕事をして、その言語について考えたり何かを創り出したりすることを、他の人たちと一緒にやっていくような、そういう世界がある。

(2)「スペイン語」はたくさんある。そもそも「スペイン」語というべきかどうかも微妙だけど、誰しもが関わるスペイン語の世界も、複数のスペイン語から成っている。フォーマルな世界でかっきりと書いたりしゃべったりするスペイン語も社会が異なると感じが変ってくるし、日常生活の中で話すスペイン語も、ケチュア語がベースになったスペイン語(例えばペルーのクスコのスペイン語)と、アイマラ語がベースになったスペイン語(例えばボリビアのラパスのスペイン語)とでは、イントネーションも言葉のつなぎ方も異なってくる。

(3)そのもう一つ先へ。それぞれの社会で、スペイン語のほかにもう一つ話されている言語があることが多い。アンデスに関わる人たちがケチュア語かアイマラ語の基礎を学んでいるというのは、日本以外の大学や大学院では、既にかなり普通のこととなっている。(国際協力の世界で「英語とあともう一つ」と言われるように、)イベリアやラテンアメリカに関わる場合も「次のもう一つ」が見えてくると、社会がまた随分と違った色彩をまとって現れてくるはずだ。

そもそも大学で学ぶ第二外国語が何かの役に立つ人がどれ程いるか心もとなく、勉強しているつもりになっているところから本当に勉強しているところに行くのは簡単ではなく、単位(いい成績)を取るためにが関の山になったりもする中で、それでも、ただ「使える」だけでもない「そのもう一つ先」が、我々には多分それぞれのかたちで存在していて、そういうことを伝えられるだろうか。そしてその中でそれぞれの言語について考えて練習して身につけるための、入り口のある段階を共有できるといいのだけれどなあと思ったりしている。

【参考】「ケチュア語とアイマラ語を勉強してみようと思う人のために」
http://latinamerica.c.u-tokyo.ac.jp/japanese/pg258.html
(紙媒体とウェブ上の入門教材の紹介ですが、十分なスペイン語の知識と、現地に行って勉強する用意があることを前提とします。)

martes, 3 de abril de 2012

エイプリルフール

遅ればせながら、友人の南映子さんのブログの4月1日のエントリーがとてもとても気に入ったので、リンクを貼っておきます。

Jamaica Break ハマイカブレイク―「1ero de abril(4月1日)」

最初主語が誰なんだろうと思いながら段々とはっきりしてくるところも、「自分を変えよう」ではなくて、大勢の人によって自分を変えてもらうところも、自分の言葉だって他の誰かにつなげてもらうものであるところも。

(上野駅周辺で山手線の内回りから宇都宮線のホームに、ごちゃごちゃやるとどうも入れそうなことを、上野駅の配線図を見ながら一生懸命考えてしまった。でもそんなことを考えていたことがばれると軽蔑されるかもしれないから、本人には言わないでおこう…。)