lunes, 30 de marzo de 2015

生け花(小菊の9本生け)

2015年3月30日、小菊の9本生け。

菊というのはいつが季節なのだろうと思ってしまうくらいに、一年中を通して手に入る。外では桜が咲いているが、市場は少し実際の季節より早いので、3月に日本にいなかった私は桜を生ける機会を今年は逃してしまった。もう青い木物や、杜若(かきつばた)などの季節にこれから入っていく。

自分の技術に一切満足がいかない難しい段階に入っていきつつあるが、そんなこととはお構いなしに小菊は美しく自分を誇っている。

あと、実物を見ているとそれ程は思わないのだが、写真に撮ると思うと、真や流の先端部分にもう少し流れを出した方がいいかもしれないね。

domingo, 22 de marzo de 2015

ボリビア料理(魚の石焼き塩漬け)

ラパス市とエルアルト市に雹と雨が降り吹き荒れた翌日、アルティプラノ(高原)の空気は澄み渡り、街を取り囲む山系は一面が白い雪に覆われている。

カトリックでは、セマナ・サンタ(聖週間)が始まるところで「ラモス」という日が設定されているらしく、その大きな市が、今週末の日曜日からエルアルト市の郊外に立つことになっている。本当は来週の日曜日のはずなのだが、ボリビアはそこに地方選挙がぶつかっているので、市を一週間早く開催するのだと言う。(場所はRío SecoからEx-trancaを通り越したその先にある。)

ここで久しぶりに出会ったのが、チチカカ湖の魚の料理でもう一つ重要な、この下の写真の料理。これは石を熱しておいて、取れたての生きている魚をそこで焼いて、焼き上がった魚を塩(とトウガラシ)に浸けておくものだ。 名前をこれまで認識していなかったのだが、マピ(map'i)と呼ばれるらしい。
(追記:……と、一つの家族のお母さんは言ったのだが、別の家族のお母さんはこれはパピ(p'ap'i)だと言う。こっちのお母さんはチチカカ湖の周辺の出身なので、そっちが正しいのか?うーん……)
上の写真はペヘレイ(pejerrey)と呼ばれる魚のマピが大部分で、イスピ(ispi)のマピが左側に少しある。魚スープのワヤケにもつかわれるカラチ(k'arachi)という魚で作ることもでき、これも美味しいのだそうだ。このカラチで作った場合は、骨がごついために、そのまま食べることはできないそうだ。

このマピ、パンと食べると美味しいということで、 今日はラハのパンを買う。ラハ市はエルアルト市からオルーロ市に向かう街道沿いの郊外にあり、この街のパンは独特な味で皆に愛されている。なんでも、バターを使わずに、小麦粉と膨らし粉と水だけで作るのだそうで、なるほど素朴だが飽きのこない味だ。
ちなみに、このペヘレイのマピは頭や骨も私はそのまま食べてしまうが、うちの家族は皆が「信じられない」と言いながら私を見る。また、これは内臓をそのままに焼いて浸けてしまうので、その苦味が独特の味わいを添えてくれるが、うちの家族の「妹」たちは内臓が嫌いだと言って、この品があまり好きではないようだ。

下の写真のようにジャガイモやトゥンタやチューニョをふかしたものと合せてもおいしい。下はトゥンタをふかしたものと一緒に食べているところ。

いつかチチカカ湖畔の村で実際に作っているところを見てみたいなと思っている。

viernes, 20 de marzo de 2015

日常をともにするだけでは

<貧しいということは資本が自分の身体しかないということだ>というのは、私の修士時代の先生の一人(ロバート・チェンバース)による名言で、悲しいことに様々な場合に直観的に役に立っている。

日常をともにするだけでは、その穏やかさや幸せや愛情だけでは、困窮の中にそれが全てこぼれ落ちていくようなときがあり、命はとても脆く呆気ないものであり、そうして昔の私の専門ともう一度向き合えと運命が後押しをする。私はかつて、貧困と開発を専門としていたのだった。

人の命は意外としぶといと思おうとしたが、そんなことはなかった。

「祖先」を崇め称えるようなボリビアの先住民主義的言説の中で、私はアイマラのお年寄りが蔑ろにされ、家の一角の狭く暗い場所に追いやられ、寒々しい日々を送る様子を見たことが一度ではない。自分は自分を貫きながら、絶対にその見たことを、そして「祖先」という言説の白々しさを、忘れないし、許さない。

少しずつ冬へと向かう季節

周期的に降り続いていた雨の間隔が空くようになって、天気が徐々に良くなってくると、逆に気温の低下を感じ始めて、南アンデスの季節は少しずつ冬に向かっていく。そういう会話が聞こえてくるようになる時期だ。

まだアンデス高地の豊穣の季節は続いている。今週末も出身の村でのジャガイモの収穫に向かう友人がいる。そして渓谷部の果物類は、その最後を飾る桃の季節だ。 下の写真は、その出身の村からの桃のおすそわけ。ラパス市に届く渓谷部の果物は、梨も、桃も、どこのものだかがはっきりしていることが多い。
冬に入ると、こんどは低地の亜熱帯/熱帯地域から、ミカンやオレンジなどが届き始める。もうすでにバナナは結構安い。アンデス地域の生態の補完性は、こういうところでもうまく働いているものだなと感じる。

martes, 17 de marzo de 2015

ボリビアのチリ料理(アヒアコ)

ラパスのエルアルト国際空港の二階に、こじんまりとした食堂がある。ここにアヒアコ(ajiaco)というトウガラシベースのスープがあり、これはチリの食べ物なのだそうだ。なぜそれがここでと思ったら、このレストランのオーナー・シェフ(女性らしい)がチリ人なのだそうだ。トウガラシの一つ(ロコト)を軽く炙ったもの、タマネギ、ピーマン、牛のかたまり肉、かき卵と落とし卵などが入っていて、おいしい。

チリでどんなものなのか私は知らないのだが、上の写真のように、ラパス名物のパンであるマラケタ(marraqueta)と組み合せて食べられるのは、ここだけかもしれない。

昔は知る人ぞ知るメニューに載らない隠れた品だったのだが(私はかつて20代の後半に大使館で仕事をしていた時代に、これがあるということを伝承されたのです)、最近になってメニューに堂々とこれが載るようになった。昔はありあわせの皿で出てきたのが、ちゃんとスープ皿っぽいもので出て来るようになった。

それにしても、最近は日本人の団体客が本当にびっくりするほど多くなった。ここ数年の現象のはずで、一階に下りて行くとボリビア人の知り合いが書類を配るので大わらわになっているところに出くわし、お互いに苦笑いをして通り過ぎた。

雲と山の間に




sábado, 14 de marzo de 2015

ラパスとクスコを行き来しながら

ボリビアのラパスとペルーのクスコの間は、もちろんバスで行った方がずっと安いのだが、バスだと13時間かかるところを飛行機だと1時間でついてしまうので、一日丸ごと潰したくないと思うと飛行機に乗ることになってしまう。

ボリビアのアエロスール航空が破たんした跡、しばらくの空白期間の後にボリビアのアマソナス(Amaszonas)航空がこの路線に参入し、なんと史上初の毎日運航が現在実現しているのだが、つい最近ペルーのペルービアン(Peruvian)航空がこの路線に参入してきた。

ペルーの航空会社がクスコ―ラパス線を飛ぶのは初めてではないだろうか。ウユニ塩湖を中心としてボリビアへの観光客が増加しているのが関係しているのだろうが、小さい飛行機でわりかしかっちり飛ぶ引き換えに運賃がやや高いアマソナス航空に対して、運賃が安いことが売りのペルービアン航空。クスコ―ラパス線が少し安くなる可能性に加えて、ここまで何と1時間45分の片道のフライトが300ドル以上するリマ―ラパス線が少し安くなるのではないかと期待されるのではないかな。
(ラン航空とアビアンカ航空しかないと、航空券の値段がどんどん高くなっていく)
(ちなみに、アマソナス航空は週に3回ラパス-アレキパ(ペルー)間を飛ばしてもいて、この路線を飛ぶのもおそらく史上初だと思う。)

下はラパスのエルアルト空港で見たペルービアンとアマソナスの飛行機。ラパスに向かう便はペルービアンが出発が早く、クスコに向かう便はアマソナスが出発が早い。というのは、ペルービアンはクスコからラパスを往復し、アマソナスはラパスからクスコを往復するからだ。


離陸するとまずはアルティプラノ(高原)を飛ぶ。下はアルティプラノの小さな町。

そして比較的すぐにチチカカ湖に差し掛かり、かなりの間を広大な湖の上を飛び続ける。

その後は徐々に渓谷部へと入って行く。眼下にビルカノタ(Vilcanota < Willkan uta)川が見え始めるとクスコ圏内に入ってきたという印だ。 比較的緩やかなビルカノタ川の流域(しかし雨季には橋を一つ運び去ることもある)の向こう側に、見えてはいないがもっと急峻なアプリマック(Apurimac < Apu rimac)川の渓谷があり、その深く激しい川の流れはペルーの農民運動と社会変動の象徴にもなっていて、それをかすかに感じながら私はいつも飛行機に乗っている。

着陸直前、クスコの街の入り口のサン・ヘロニモ地区が見えてくると、もうあとわずかで接地する。 この地区は中央広場の脇に知り合いが住んでいて、この景色を見ると気分の設定が急に切り替わる感じがする。
行きのアマソナス航空がガラガラだったので、既にペルービアンに負けているのかと気にしていたが、クスコ発のラパス行きは満員に近い乗客が待っていた。確かに向きとしてはペルーからボリビアに向かう観光客が多いかもしれない。この路線は、もう完全に観光客目当ての線だ。

(追記2015.3.15)ちょっと気になって調べてみたら、やはりラン航空のラパス-リマ線は大幅に値下がりしていた。

viernes, 13 de marzo de 2015

ボリビア料理(フリカセ)

週末の昼前に、ニンニクとトウガラシが煮えるよい香りが漂う。
豚肉というのは、ちょっと特別なときに食べるご馳走で、日本に住んでいるときとの、この感覚の違いがなかなか面白い。そして薄切りの肉というのがそもそも存在しない。この豚肉を使ったトウガラシスープがボリビアではフリカセ(fricasé)と呼ばれる。フリカセはラテンアメリカ・カリブの各地に同じ名前の料理があるはずだが(そもそもどれだけ種類があるのだろうか)、ボリビアのはニンニクと黄色トウガラシがベースになり、イェルバ・ブエナ(hierba buena)という少しミントに似た香草を使うものだ。豚肉は必ず皮付きのものを買い、皮が十分に柔らかく煮えてくると出来上がりになる。
上の写真は、出来上がりのフリカセをよそっているところ。ジャガイモの乾燥保存食チューニョと、白トウモロコシを茹でたモテ(mote/mut'i)が必ず入る。
休日や特別の日のご馳走で、ついつい勢い込んで食べ、食べ過ぎてしまう。家族の皆が幸せな気分を味わう料理だ。
(2015年3月8日Yüpampaの家で)

ボリビア料理(wallaqi)

 ボリビアのラパスで食べられる、チチカカ湖の魚を使った料理のもう一つの定番は、魚のスープでワヤケ(wallaqi)と呼ばれる。カラチ(k'arachi)と呼ばれる小さめの魚は、骨が多くて少し食べにくいのだが、とてもよい出汁が出て、身も香ばしくて美味しい。コワ(q'uwa)という香草を使うので、独特の香りが漂う。下の写真はペヘレイとカラチのワヤケだ。
 このカラチという魚は、身がかなり固い鱗に被われているので、それを取るのが一大事だったりすることもあり、家で作りたがらない人が私の周りには多い(というかそもそも魚があまり好きではない人が多いような気がする)。なので、屋台で食べる、ということになる。
 私が好きなのは、ラパス市内のロドリゲス市場の端のベルスー広場(Plaza Belzú、サンペドロの広場から2ブロック歩くと着く)から、イリャンプー通り(Calle Illampú)を上がって行くと、左と右に一軒ずつ魚を扱う店があるのだが、その左の方のお店(ただし右の方も美味しい)。左と右のお店が週末には交互に路上にも出て売っている。 私の友人は、ブエノスアイレス通り(Avenida Buenos Aires)のアバロア橋(Puente Avaroa)に座っているおばちゃんのワヤケが好みだと言う。

どこでも一度食べ終えた後にスープをお代わりすることができる。私はそのときに、ジャガイモの乾燥保存食チューニョ(ch'uñu)を戻したものも追加してもらう。

jueves, 12 de marzo de 2015

ボリビア料理(frito de pescado con ají de papas)

海のないボリビアにはチチカカ湖があり、チチカカ湖の魚がラパス市に運ばれてくる。私はこの湖の魚が大好物なのだが、その食べ方の一つが、魚にレモン汁を回しがけして、トウモロコシの粉(harina amarillaと呼ばれる)をまぶして、フリットにするものである。

特に、日本のワカサギをさらに小型にしてちょっとクセを強くしたようなイスピ(ispi)という魚があり、これは基本的にフリットで食べられるものである。私が魚を大好物にしていることを知っているので、ここの家族は私がいる間に必ず一回これを作ってくれる。

そして、魚のフリットはアヒー・デ・パパスと呼ばれるジャガイモのトウガラシ煮込みと合せることに、これまた相場が決まっている。これは、タマネギのみじん切りを炒めて、トウガラシペーストを加えてさらに炒め、これをのばしながら茹でたジャガイモをすりつぶしたものを加えた料理。単純ながら味わい深く、ジャガイモの偉大さを感じる。

上の写真はペヘレイ(pejerrey)という白身魚を揚げたもの。魚の下にやや隠れてしまっているのは、トゥンタ(tunta)と呼ばれる、ジャガイモをフリーズドライにして流水に晒して白くした保存食を戻したもので、これかチューニョ(ch'uñu)がないとこの料理はやはりしまらない。

そうこうするうちにイスピが揚げあがってくる。今回はトウガラシペーストが思いの外に辛くて、皆でひーひー言いながら食べることとなった。
(2015年3月11日Bajo San Antonioの家で。)

アンデスの植物(カルトゥーチョ)

この花も家の脇に咲いていたもので、名前を聞いてみたところ、カルトゥーチョ(kartuchu / cartucho)と言うのだそうだ。



martes, 10 de marzo de 2015

今日の一言との出会い5(アイマラ語から)

jawsat anu      呼ばれてきた犬

村に来たよそ者たちが得意げに振る舞い、村を食い物にしてうまい汁を吸っている様子を揶揄する言葉だという。要するに、村の生活に溶け込もうとしない態度のこと。

興味深いのは、この言葉を挙げながら議論を重ねていたのがアイマラの人たちで、農村部にできた国立の先住民大学で何らかの形で教員として関わっていて、その大学のあり方を批判的に振り返る中でこの言葉が出てきたことだ。

90年代は、白人・混血の支配層が自らのインディヘニスモを振り返る内省が進んだとすると(例えばウカマウのPara recibir el canto de los pájaros(邦題『鳥の歌』)はその気運をよく表している)、現在は都市と農村の間でのアイマラの人たち自身の分断が前景化・問題化されてくる時代なのだと思う。これは、都市のアイマラには都市のアイマラの生き方があるという気概ともぶつかるために、一筋縄ではいかない厄介な問題だ。

これは、グローバル化し市場経済に積極的に参入していくアイマラ富裕層を、社会につなぎとめられるかという、より広い問題とも今後つながってくるだろう。

(ただし、同じウカマウのLa nación clandestina(邦題『地下の民』)は、都市に出たアイマラの人は農村に戻れるのかという、とても射程の長い問題を扱っているのでもあった。その意味で先駆的だが、そこでの問題の立て方と現代はやはりずれていく。)

でも、私はこの時代に、この新しい問題を自分の近くに感じながら生きていられて、そのジレンマを肌で感じながら生きている人たちと仕事ができることは、とても有り難いことだと思っている。ここに、一つの新しいフロンティアがある。

今日の一言との出会い4(ボリビアの文学から)

¿En qué estaba Adela Zamudio?
     Creo que estaba escribiendo una crítica romántica a estas obras que, en general, textualizaban una norma, un deber ser de las mujeres. A esto se opone Zamudio, a esta representación textual de la mujer. Es en este sentido que Zamudio "crea" a la mujer en Bolivia porque interpela el modelo romántico de mujer y sus mecanismos como el del amor romántico.

ではアデラ・サムーディオは何をしたのだろうか?
 私は彼女が、総じて女性の規範を、あるべき姿をテクスト化しがちなこれらの作品に対して、ロマン主義的な批判を書いていたのだと思う。サムーディオはこれに対して、この女性のテクスト表象に対して、反対しているのだ。この意味で、サムーディオはボリビアで女性を「創出」したのだ。ロマン主義の女性のモデルとそのロマンティックな愛のメカニズムに異議を唱えることで。

Virginia Ayllón. "Introducción." En Adela Zamudio. 2013[1942]. Cuentos. La Paz. Plural Editores.

アデラ・サムーディオ(Adela Zamudio、コチャバンバ、1854-1928)
 ボリビアの女性の詩人・作家で、近年Plural Editoresによるその短編及び長編小説の体系的な再刊と再評価が進んでいる。

domingo, 8 de marzo de 2015

次の豊穣に向けた仕事

今日は朝にずっと雨が降ってどんよりしていたが、途中からきれいに晴れて、少し汗ばむような陽気の週末の一日となった。

日に照らされながら、白トウモロコシが乾かされて、また次の種まきの時期への準備を始めている。
よく見てみると、真ん中に塩のかたまりが置いてあり、また幾つかトウガラシ(ají)が置いてある。うちのおばあちゃんによると、トウモロコシを乾燥させるときにこれを置いておくものなのだそうだ。

また、必ず白じゃないトウモロコシが混じっているのが興味深く、これまたおばあちゃんによれば、必ずいくつか混じるものなのだそうだ。それを排除せずに、来年度の種まきの準備の群れの中に入れていることも、これまた興味深い。
ちょっと面白いので、色のついているもののパターンを取り出して並べてみた。

アンデスの植物(クイティーリュ)

家の裏に生えている植物で、この時期にしか花を咲かせない。
これ名前なに?って聞いてみたところ、kuytillu(クイティーリュ)と言うんだと教えてもらったのだが、それはひょっとしてcohete>cohetillo(スペイン語)なのではないだろうか。確かにちょっとロケットっぽいかな。


それにしても写真で見てみるとすごい斜面だ。

sábado, 7 de marzo de 2015

今日の一言との出会い3(アンデスの気候について)

febrero loco        狂った二月

ラパス市を含めて南アンデスの多くの地域では、雨季の中でも二月に特に雨が多い。その雨が多い時に使われる表現で、元々知っていたのだが今日たまたま話の中に出てきたので。

狂った三月とは言わないので、ここしばらくまだ雨が多いのだが、二月の延長線上にいるようなものか。
ラパス市に雨が迫ってくる。このあと一瞬で町全体が雨に包まれ、しばらく経つとまた過ぎ去っていく。

ボリビア料理(relleno de papas)とソポカチ地区らしさ

ジャガイモの原産地であるアンデスでは本当にジャガイモが美味しいのだが、これは詰め物をしてオーブンで焼いたもの。長距離バスで売り子が売りに来たりするポピュラーな食べ物で、「ご馳走」という感じはしないかもしれない。

ラパスの古いソポカチ(Sopocachi)地区の入り口、6 de agosto通りからAspiazu通りへと折れて、Sánchez Lima通りに着くすぐ手前に、小さな小さな喫茶店がある。喫茶店とはいっても、むしろ中にある大きなオーブンで作られる、このpapa rellenaとか白トウモロコシのhumintaやpastel de chocloなどが売り物。並びに似たような店が他にもあるのだが、ここのが断トツで美味しい、というか余計なことをしないで普通に素朴に作った味がする。
店の名前はCAOBAというのだが、そもそも入口の外の看板が半分朽ちている。でも小さな店内の雰囲気、古めかしい内装とテーブルとイスが、とても居心地がいい。おかみさんは物静かで穏やかなお母さんなのだが、実際に客対応する人がとても無愛想だったりして、それもまたソポカチらしい。ラパス市内でも独特の建築をもつことで有名な、古くからの中間層の住宅街であったこのソポカチ地区の、昔ながらの雰囲気を伝えるお店の一つがこれじゃないかなと思い、私は気に入っている。

前に、ボリビアでとても有名な詩人で文学研究者の友人にここでバッタリ出くわしたことがあり、ああ他にもそう思っている人がいるんだなと思った。
(私に駒場で必修のスペイン語であたると、二列の授業の最後にその詩を一つ読む人です。)

ほくほくしていて、ジューシーで、やはりこれはごちそうだ。

jueves, 5 de marzo de 2015

ボリビア料理(Puré de papas con asado)

私にとってのご馳走の一つ。

前にもこの料理については書いたことがあるが、シンプルな料理ながらジャガイモが本当に美味しいと思える。私が行く渓谷部の村ではジャガイモの収穫期はもっと前なのだが、アンデスの高原部(アルティプラノ)は今がちょうどジャガイモの収穫期だ。周りの人たちが村に帰らなきゃと言っている。

一昨日からラパスに戻って来ている。この写真は前々からずっと昼ご飯を食べに行っている、住宅地の地域に根差した食堂で(この食堂についても前に書いた)。お、戻って来たなという顔を皆にされて、でもいつも通りに扱ってくれる、とても居心地のいい食堂だ。


今日の一言との出会い2(ボリビアの政治から)

Un chiste racista no es un chiste, es un acto de racismo. Un chiste machista es un acto de machismo.

人種差別的な冗談は冗談ではなく、人種差別の行いなのだ。男性優位(マチスタ)的な冗談は、男性優位の行いなのだ。

- Maria Galindo. 2015. "Respuesta a Walter Chávez, el rabioso." Página Siete, 4 de marzo, La Paz.
http://www.paginasiete.bo/opinion/2015/3/4/respuesta-walter-chavez-rabioso-49004.html

miércoles, 4 de marzo de 2015

今日の一言との出会い1(ボリビアの政治から)

En alguna medida la crisis del "modelo neoliberal" latinoamericano fue un atecedente de la crisis global actual que, por cierto, incluye una crisis de la convivencia multicultural.

ある意味で、ラテンアメリカの「新自由主義モデル」の危機は現在の世界全体の危機の先例であったのであり、そこには多文化主義にもとづく共生の危機も含まれている。

- Fernando Calderón. "Prólogo." En Fernando Mayorga. 2014. Incertidumbres tácticas. Ensayos sobre democracia, populismo y ciudadanía. La Paz: PIEB, CIUDADANIA, y Plural Editores.