miércoles, 20 de junio de 2012

ペルーのクスコ市の交通整理

横断歩道を渡らないとしばかれます。

"Respete el crucero peatonal."
横断歩道を尊重しましょう。

"Utilicemos el crucero peatonal."
横断歩道を使いましょう。

PS 私は本当に通行人が鞭で威嚇されているのを見ました。

domingo, 17 de junio de 2012

日曜日のご馳走昼ご飯

1.ワティヤの季節

家の外で下の写真のように火が焚かれています。これはワティヤ(wathiya、huatia)の準備をしているところです。ワティヤというのは、「石焼き芋」ならぬ「土焼き芋」で、南アンデスでは乾期に入ったこの時期からがワティヤの季節になります。サクサイワマンの遺跡にインティライミの踊りの練習に行ったうちの家族の娘は、遺跡の周りがこのワティヤをする人たちで一杯だったと言っていました。

 
これは家の使わなくなった柱のアドベ(土レンガ)を少しずつ崩しながら、それを積み上げてワティヤに使っているのです。「ちゃんとした家に住んでいると、こういう料理が自分の家でできなくなるからねえ」と、みんなであばら家住まいを称えながらの料理。

横ではジャガイモが待機中。これはマフティーリョ(maqt'illo、「フ」の音は喉の後ろの方で発音)という種類。だいたい一時間は火をがんがん焚き続けて、土と石を熱し続けます。

十分に熱せられたら、このかまくらのような構造の上を崩しながらジャガイモを入れていきます。土かけを崩しつつ、ジャガイモを入れつつの繰り返しです。

ジャガイモを入れたら、上の土レンガを崩して細かくしていって、万遍なくジャガイモがおおわれるようにします。その次に、周りの土を掘って、上にかけていきます。熱が逃げないようにということなのでしょう。

一時間ちょっと経つと、だいたい出来上がりです。本当はもうちょっと時間をかけてもいいくらいかな。ほくほくと美味しい、アンデスの土の中で育まれたジャガイモをもう一度アンデスの土に戻して焼いたジャガイモの出来上がりです。


2.その横で鉄板焼き

ワティヤを作っている横で、廃材バーベキュー(私の造語)の準備が進んでいます。その辺にある木片を割って重ねて、鉄板を熱します。

 
そして何軒か隣の店からチチャ(chicha、トウモロコシを発酵させて作るお酒)を買ってきてあります。肉を焼くときは、これが風味付けになります。

お肉には、トウガラシペーストとニンニクと醤油を混ぜたものと塩で下味をつけておいて、焼いている途中に、こうやってチチャとトウガラシを混ぜたものをふりかけてジューッと味を付けていくことになります。

3.まだまだもう一品

さらにもう一つの作業が同時進行中です。大好物のロコト・レイェーノ(rocoto rellno、トウガラシの肉詰めのようなもの)を作っているのです。

左側はニンジンとグリーンピースを茹でたもの。右側はブドウとオリーブを刻んだものです。

ひき肉とトマトとタマネギとニンニクを炒めて、圧力鍋の蓋をしてしばらく火を通しています。

これを全部混ぜ合わせて、ピーナッツを砕いてつぶしたものを入れると、詰め物の出来上がりになります。

ロコト(ペルーのはボリビアのよりも大きい)の中のすじと種を取り除いて、茹でたものに、詰め物を詰めていきます。

タマゴの黄身を除いて、白身を泡立てたものに、黄身を戻して小麦粉を混ぜたもので「蓋」をします。

これをフライパンで焼いていきます。
多分事前にすべてに火が通っていて、全体をタマゴと小麦粉ので包むようにするので、半分蒸し焼きのようになるのがポイントなのではないかと思われます。色が付いたら出来上がり。

4.そして出来上がり

全部を組み合わせて、日曜日のお昼ご飯の出来上がり。

メリーゴーラウンド花火

クスコの日というのはインティライミのお祭りの日のことになるらしい。今年は6月24日(日)に開催される。この日を前にして、クスコ市内では様々な催し物が真っ盛り。


コリカンチャ(サントドミンゴ教会)では無料コンサートが開かれていて、


その前を走る目抜き通りの一つアベニーダ・ソルの中央分離帯の手すりの上から見物する、うちの子どもたち。

もう一つの見ものは花火で、アンデスの花火は打ち上げ花火だけでなく、組み立て式の花火がある。


見ていると全部が自動で点火するのではなく、点火係の人が傍にいて火の粉を浴びながら一つ一つ点けて回っているのだ。見物している我々も、回転している花火の残骸が空からたまに降ってきて、これに当たるとおそろしく熱いらしい。


下の方から少しずつ上の方へ。


これで全開に近い。後ろではバンダ(金管楽隊)が演奏している。


そして、メリーゴーラウンドのように人形が回転しながら火の粉を振りまく花火があった。くるくるくるくる。

こういうお祭りは、暗さも一つのポイントで、人が周りでわらわらとざわめいていて、温かい飲み物を売る子どもたちがたまに行き交う。

sábado, 16 de junio de 2012

エクアドルの魚スープ

ボリビアのラパス市やチチカカ湖周辺の地域にはワヤケ(wallaqi)という魚のスープがあるけれど、キトにはエンセボジャード(encebollado)という魚スープがある。
海老と魚が入ったエンセボジャード・ミクスト(encebollado mixto)。エクアドルはセビーチェもトマトを入れて、しかも火を通して作ったりするので、ペルーのセビーチェとまた違った感じになるけど、このencebolladoはペルー北部のスダード(sudado)という料理とちょっと似ている気がする。

「トマトスープ?」とお店のおばちゃんに聞いたら、「あんた、これそんな単純なもんじゃないのよ~」と返されました。タマネギとトウガラシとハーブなどを炒めて煮るらしい。

トマトといえば、エクアドルのアヒー(ají)(万能トウガラシ調味料)はトマテ・デ・アルボル(tomate de arbol)ベースで作るのだなあ。この地域によるちょっとした食べ物の違いが、本当に面白い。

miércoles, 13 de junio de 2012

研究者であり続けるための倫理

第六回ラテンアメリカ政治学会というもののためにエクアドルのキトに来ている。

自分の発表はしょっぱなに終わってしまったので、引き続き、エンリケ・ドゥッセル(Enrique Dussel、アルゼンチン出身)の思想に関するパネルで盛り上がったり、メキシコのFLACSOの人たちがLatinobarómetroを使って重要な現実的含意を引き出すような計量の発表をしていたり、それなりに刺激的なことはありつつ…、

理想的なことについて呑気に語りながら、そういう人たちがどんどん現実からずれた議論に陥っていくのを多く目にして、いやはやなんともはやと思っていた。
(ラテンアメリカの社会科学をやっているとそういうことはとても頻繁にあります。)

もちろん知識人とか研究者に分類される人は、そこから抜け出すことは勿論できなくて、ある種の浮世離れを程度の差はあっても宿命付けられてもいる。でもしかし、そのあり方として、これならばと思うことがあった。それでも知識人や研究者としてあり続けるための姿勢あるいは倫理のようなものを、何人かの参加者の発表中の話し方に見出すようであったのだ。

(1)顔を真っ赤にして、自分の直観を大事にしながら、情熱的に話し続ける気狂い
(この場合、素肌にシャツをそのまま着て、髪は長めで、髭を生やしていると、ポイントが高い)

(2)難問・批判を突き付けられる中で研ぎ澄まされるに従って、薄明るく透明になっていく議論の組み立て

(3)架橋しにくい溝があったときに、「それをつなごうとしているのが私だ」と引き受ける言葉をさらっと放てること

これはある種の深めて行き方のようなもので、そうすることでもう一回開かれて、またつながることができるようになるのかな。どうしようもないことが溢れる中に、心が通じるようなちょっと素敵なことだってあるね。

PS (こっそりと…)ドゥッセルを扱うパネルで一緒に盛り上がったコロンビア人のおじいちゃん、私の発表を席を立たずに最後まで聞いてくれていた(席を立ちがちの人であった)。こういう何かが通じている感じというのは、とてもとても励まされます。一緒にコーヒーを飲まないままに学会終っちゃったけど、どうもありがとうございました。