jueves, 30 de diciembre de 2010

年末と年始

 写真はおもと(万年青)の受け流し生けです。お正月用のいけばなとして。

 一つの葉の一つの角度で、そして一つの葉と一つの葉の組み合わせで、空間が変わっていく。その空気が、エッジが鋭くなっていないと、伝統花はすぐにボンヤリとしてしまう。教えてくれる先生の手つきが自分の中に入ってきて、しかしそれを経る中で自分の形が生まれ現れてくる、それを気が遠くなるほど繰り返せるといいのだけれど。
 2011年がいい年でありますように。

jueves, 16 de diciembre de 2010

読書ガイド

 勤務先の仕事の一貫として、ふと思いついて、現代版の『ラテンアメリカ科ブックガイド』を編集中。
(現代版というのは、僕が学部生だった時代にははるか前から伝わっていたブックガイドがあったのだ。この前偶然に出てきたので、今度これも存在を復活させよう。)
 先生方だけではなく(常勤の先生は誰も出してくれない…)、非常勤として関わりのある人と博士課程の上のほうにいる人たちにお願いしつつあって(現在進行中)、そうするとかなり分野に幅が出て来る。新しく学部から入ってくる人に、大学院へ外から入ってくる人に役立つように。役立つだけでなく、日本語で、そして日本語になっていない本で、広がる世界を。そこへ向けての語学の習得を。
 でも何と言っても、これはお願いしている私の役得。一人ひとりの熱の入ったセレクションは刺激だ。
ブログをつけている方だと、この方の原稿はいち早く届いたものの一つ。
http://hirokiss69.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-4d42.html
 もう頂いているものは、暫定的な形で研究室に来る人々の目に触れるようにしています。力のこもったチューター役を、どうもありがとうございました。かつてのゼミでの名司会ぶりをも髣髴とさせるものです。うちの学生はぜひ見に来よう。最終的には分科のホームページで公開することを目指しています。

viernes, 10 de diciembre de 2010

基礎文法の先の混沌へ

 アイマラ語で一通り文法を教わった後に、人の言っていることが分かるようになって、話せるようになるにはどうすればいいんですか、というのは難しい質問だ。僕自身がまだ苦しんでいるし、これはある程度は永遠に苦しみ続けることにもなるし。語彙面でも、それ以外の面でも、段階を踏んで上がっていく教材がないような言葉を勉強している場合に。
 少なくとも言えることは幾つかある。一つには、我々外からその言葉を勉強する人たちにとって、「読む」ことの位置付けは大きい。口承の文学を対訳形式で、幾つかの例では実際の会話を記録して対訳形式にしたものも、出版されている。(そこから先は僕は未公刊の資料を大量に扱っていて、そっちに来るかどうかは人それぞれだろう。)もう一つは、その場に居合わせることだ。人がその言葉で話し、議論している場所にうまく居合わせることだと思う。自分に対してしゃべってくれることもそうなんだけど、それだけではなくて、むしろ自分が一緒に居る人が他の人に対してどう関わっているか。その中で、こういう風に使うのかという感覚とレパートリーを自分も増やして、身につけていく。
 「分かる」インプットとアウトプットの「必要」を蓄積していくという、下の本の感想文のエントリーを、具体的な場面に置き直すということになるだろうか。
 でもこの過程は、先の見えない混沌とした状況に長く耐えないといけない。これは自分への戒めとしても。ただ、何も見えない混沌ではなく、何が自分にとって課題なのかが、その時その時で具体的にみえていることでもある。
 横にずれると、アイヌ語を勉強するときに、ある所から先は独学の人は似たような問題に突き当たるのだと思う。その意味で、千葉大学の研究会に参加させてもらっていることは、とても参考になっている。これから先にアンデスの言語に関心を持つ人が増えてくるならば、そういう場所を作らないといけないんだろう。
 これはまだ宿題として、考え続けよう。

lunes, 6 de diciembre de 2010

振り出しに戻る

 かつてボリビアで仕事をしていたとき、様々な狭間に落ち込む感覚をよく味わった。
 様々な見解と立場がせめぎ合うという意味での政治に積極的に関与する国連やヨーロッパ系ドナーと、あくまでも純粋な技術的側面での協力にとどまろうとする日本。どちらにももちろん一理はありつつも、積極的に自分を開いていく(場合によっては壊していく)イギリスの考え方に大きな影響を受けた私には、肝心な所で議論を避けてしまう日本の援助の世界はとても居心地が悪かった。
 そしてボリビアの政治は正確に情勢を分析するのが、とてもとても難しい。その中で有数のアナリストの人たちの中で揉まれ、そこからもっと長いスパンの政治思想上の課題とつながる視野をどう組み立てるかを考えてきた。でも、自分で調査をすると、政治経済の動きとは直接関係のない人々の暮らしの様々な側面に、混血の社会とは区別された意味での先住民の社会や運動に自然と関わっていってしまう。
 抜け出せないままに、再び狭間のような役割を短期間得て、久しぶりにボリビア国内の主要な機関をインタビューで回っている。 ドイツの社民党系の財団のシンクタンクの、とても率直で魅力的な代表の女性の話を午前中に聞きながら、解決できないまま行き場を見失っている自分の課題に、再び立ち戻る。でもそこから、自分の足場を築く道も細く細く見えている。 五年前から、直観だけではもうどうしようもない事に、息をひそめて、潜ろう。