jueves, 25 de febrero de 2016

人々の生活のサイクルの中で研究を進める

現地で調査をすることに重きをおく地域研究という分野に関わっていても、調査の仕方は人それぞれだ。

私は実際に家族や人と行動をともにし、相手から話を聞きながら、自分の研究テーマを形成していく。そうすると、ある種のサイクルの中でしか新たな展開は生まれない。その基本は1年というサイクルだが、大学教員をやるようになると実質的に長期休暇にしか研究ができないので、そうなるとまずは1週間というサイクルを幾つ確保できるかという問題になっていく。そしてもちろん、それぞれの人の人生という長いスパンでの展開も、いつも視野に入ってくる。

それは、皆がそういうサイクルの中で生活をし、仕事をしている中で、その人のもとを訪れて、話をしたり、活動に参加させてもらったり、生活の一部分に混ぜてもらったりするからだ。ピンポイントでここ、というのではなく、あくまでもお互いのサイクルをすり合わせるようにして、有限の時間を共有する。それぞれの現実(リアリティ)をすり合わせるようにして、相手の現実(リアリティ)に巻き込んでもらう。

これは短期間でアポイントを重ねて調査を行うやり方とはだいぶ異なってくるので、何が研究と調査にとって必要かという点で、実はお互いのイメージしている内容が一致していないこともある。そして、どんどん事務とマネージメントの作業が忙しくなってくる大学という場所で、人の生活や人生のサイクルに寄り添うような調査をする研究者は、ますます居心地が悪い。この点については、先達の人々からの「とにかく強行突破しろ」という教えを頑なに守ろうと思っているが、いつまで私はこれを続けられるだろうか。一人の先生がかつて言っていた、日本に向かう飛行機の中で「本当にまた戻ってこれるかな」という思いに捉われる、という言葉を、最近よく思い起こすようになった。

でも、生活の中で研究をしようとしても、その二つはどんどん分離していく。そして現実的な問題として、現地調査ができなかったとしても手掛けられる研究テーマのポートフォリオを幾つか取り揃えていこうという方向へと、自分の戦略は向かっていく。

sábado, 20 de febrero de 2016

断絶のその先へ

いま自分が知っていることを、かつての自分が知ったとして、それでも私は大学の教員になる決心をしただろうか、と最近よく考えるようになった。私の場合は、その決断に明確な時期が存在する。いったん働いてから大学院の博士課程に戻ろうとした、自分が29歳の時だ。そこは後戻りのきかない、正確に言えば後戻りしないつもりの、決断だった。

自分がかつて学生として通い、周りの人たちや先生たちとご飯を食べたりした記憶のある場所2カ所(片方では正式なそこの学生としてではなかったけど)で、今度はフルタイムの仕事として職場に向かうという経験をここ最近にした。仕事としてそこに関わる中で、かつて自分が感じていた茫漠とした違和感が、これまた多くは茫漠とした形でスーッと腑に落ちた。やはりそうだったのかと、以前からの違和感をその理由とともに納得するような。それは、あまり心地のよいものではなく、むしろ知らなければよかった類のものであった。まだしばらくの間、この感触は続くのだろうと思う。

一つの例として、私はイギリスの影響を受けており、「応用」と名が付く人類学を中心として、実務の世界に関わる際のジレンマという問題関心にとても敏感だ。しかし、その問題関心は<学問としては正しい>が、<大学としては正しくない>。ジレンマに悩むその身を置く安全な場所は大学ではないし、そもそもその身は安全ではない。どの口で正しさを主張するのか、と思うほど、大学は外の社会と比べても正しい場所ではないし、おそらくは社会よりもさらにどうしようもない。社会からの自律が比較的冷静な判断と見立てを可能にする、ということだけでは、そのどうしようもなさは解消されなんてしない。

かつて既に幾つかの大学以外の職場を目にしていた自分は、大学で働くということ自体をいいとは思わなかっただろう。それでも先に進もうと思うとすれば、それは自分の場合には、大学の教員になる直前に手掛けていたことへの、既に愛着と呼べるのかどうかも分からない執着、自分でこれだと思って選び取ったことを何とかこの先も守ろうとすることだ。それは私の場合大学とは関係なく、そもそも学問は大学とは関係がないと思う方がいいのだと思う。

それでも、この先で何かに新たにコミットするとしたら、それは何もない場所からやるべきなのだ。

(ちなみに、私を含めた若手研究者を取り巻く状況の悪化は確実に存在し、上に書いたことは恵まれた環境にいながら何を勝手なことを、という気もしなくはない。ただ、あるところから先は、停滞するのも地獄だし、進むのも地獄なのだと思う。その中で、どこに価値を置くのかを確実に問い直す必要があって、私はやはり見通しが甘かったのだが、どう考えてもその当時にこれ以上ましな見通しなんて持てはしなかった。)