martes, 30 de agosto de 2011

La arrogancia del pensamiento izquierdista

Gracias a mis compañeros del THOA (Taller de Historia Oral Andina) me enteré de la conferencia esta noche de Boaventura de Sousa Santos, al que he logrado asistir.

He notado algunos aspectos positivos. Primero, me dejó una buena impresión su actitud crítica pero solidaria, o en otras palabras su actitud de izquierda responsable. Me refiero a la postura de insistir que los bolivianos no nos estamos (se están) dando cuenta de lo novedoso y valorable del presente proceso de cambio, y tratar de impulsar para que pensemos más creativamente.

Segundo, su manejo del concepto de la dualidad (de poderes y saberes) y la plurinacionalidad, dos conceptos claves en el pensamiento social boliviano, trató de ser analítico y esclarecedor de la realidad. Eso valoro, por no ser meramente celebratorio de la diversidad, sino más bien de tratar de utilizar estos conceptos para comenzar a indagar la realidad en la que vivimos.

Sin embargo, mencionaré también un aspecto que no me gustó. La izquierda, boliviana e internacional, suele tener la tendencia de suponer que es solamente una cuestión de incorporar los elementos indígenas/originarios a su modo de pensar, y suele ser bastante optimísitico sobre esta posibilidad. Boaventura no fue la excepción, como se pudo notar en varios momentos de su ponencia. Pero en el contexto boliviano, la izquierda y los corrientes indianistas nunca han tenido una historia tan sencilla, y en varios momentos hubo cuestionamientos por parte de los indianistas a la izquierda marxista. Esta desconfianza de los indianistas hacia la izquierda, y el optimismo arrogante de la izquierda hacia los indianistas, es un aspecto que también caracteriza al pensamiento del actual vicepresidente Álvaro García Linera (comparar su versión con las versiones de Felipe Quispe y su hijo Ayar Quispe). Mucha gente de izquierda trata de ignorar este aspecto en su pensamiento, y creo que Boaventura no fue la excepción. Se tiende a suponer, más bien, una solidaridad simbiótica ahí.

Una relectura de todo el pensamiento de la izquierda boliviana, pero tomando en cuenta plenamente estos aspectos de desconfianza y cuestionamientos, sigue siendo una tarea pendiente, que iría en conjunto con el repensamiento del concepto de mestizaje pero desde el punto de vista descolonizador, propuesto por mi profesora Silvia Rivera Cusicanqui.

指示語と接続詞

自分のための備忘録。
アイマラ語では目的語の位置に来た名詞の語末の母音が落ちるというのがキホンなのだが、指示語(特にakaとuka)が目的語になったときに、必ずしもそうではないというか、たまに主語と見分けがつかないような形をしているときがあるような気がする。特に動詞の後ろに来ているとき。
そして、通常の接続詞として使われるukatとかukapなどだけではなく、普通にukaxが具体的に何かを受けるのではなく、つなぎとしてポンと持ち出されることがあるような気がする。
ちょっと気を付けていよう。

lunes, 29 de agosto de 2011

うまのりとりのり

よく理由は分からないが、最近のうちは動物があまり死なないで順調に育っているようだ。ふと室内を覗き込むと…、
こういうのを馬乗りになる…、でも馬ではないから「鶏乗りになる」とでも言うのだろうか。うまくピョコンと乗っかってしばらくそのまま。

外では豚たちがのんびりとお昼寝。最初は子豚四匹は互いに重なるようにして寝ていたけど、たまに寝相を変えて少しずつ相対的ポジションが変わっていく。

ルフマ(lúcuma)の木の花が咲き始めた。これは黄色い大きな実がカルナバルの頃に熟す果樹で、背の低い灌木。つぼみはよく見るとピンク色で、花は白い。この果物で作る飲み物(refresco)やコンポートにしたものが、僕は大好物。

梨の花はもう至る所で満開で、 

写真にうまく出なかったけれど、茶色一色だった果樹畑が、緑の下地に白と桃色が重ね合わされて、一面に染まっていきます。

そんな中で、今日は縁先に座って1940年代の頃のおばあちゃんの昔話をインタビューしていました。先月植えつけたジャガイモの土起こしを昨日までやっていたようで、足が痛い足が痛いと。12月のクリスマス頃には収穫できるかなあ。高原よりも早い栽培のサイクル(高原では10月が植え付け)。

lunes, 22 de agosto de 2011

豚のサイクル、話のサイクル

全部で6匹の豚を養うのはとても難しく、子豚の餌代を捻出するために、昨日お父さんは解体されて肉が売られ、今日はその余った肉でフリカセ(fricasé)と呼ばれるトウガラシ煮込みスープを作って、みんなで食べました。ああいつもつながれていた所に豚がいないと思いながらも、僕はこの料理が大好物で、ごめんね~と心の中で思いながらも、朝から煮込まれていたスープはとても美味しくて、結局ガツガツと食べてしまいました。満足。

子豚はゆくゆくは4匹のうち2匹を売って、残り2匹を育てようというのが、おばあちゃんの計画。お母さんは年末くらいに売られるはずなので(年末年始は豚の煮込みの季節)、その次の来年のサイクルに向けて育ててゆくのだな。

しばらくやっているとぎこちなかったものが少しずつ慣れていくというのはあるもので、インタビューするときは前の週に話して頼んでおくというのが、私もできるようになってきた。これは私の先生に前から言われていたことで、人はもちろん即興でしゃべってくれるのではなくて、しばらく頭の中で反芻してからしゃべりたい、そのための時間をとっておくことはとても大事なのです。

人の話は不思議で、人の記憶は不思議で、人の人生の来し方はいつも独特のイメージと感触で衝撃を与える。僕は自分の昔のことをそんなにビビッドに覚えて語ったりできない。そしていつも、録音しているのはそのほんの一部分だ。それ以外に一緒に話し合っている時間の方が長いし、何をしゃべるか事前に打ち合わせてから録音していることもあるし、録音していることの全部を私は表に出さない。でも、あらたまって尋ねて話してもらうことで、普段だったら話さないことにお互いが入っていけたり、光があたったりする。悲しみの大きさとか、生きてきた人生の感触に、しばらく酔ったように振り回される。

jueves, 18 de agosto de 2011

直接に言わない

これは私が自分のアイマラ語の先生(Juan de Dios Yapitaという人です)から何度も教わっている感覚なのだが、どうにも簡単に体系的に身につきそうにないので、一旦メモっておこうと思う。(8月18日の本人との会話に基づきます。)
(注:これはスペイン語が分からないことを念頭において説明すると厄介すぎるので、今回はその点をご容赦ください。)

一例に過ぎないが「おなかいっぱい、満足」と言うとしよう。まずは
(1)Niya phuqatatwa.
が思いつくわけだ。phuqañaはスペイン語にするとllenarとかcompletarで、だからYa me he llenado.になるよね、と思うわけだ。しかしながら、これはバイリンガルの人のスペイン語発想のアイマラ語だ。このphuqañaは「何を」でとれるものがもっと限定されていて、たとえば借金を払い終わるときにこの単語が使える。(ちなみにこれは、今私が分析しているものの中にも複数回出てくる文脈だ。)(「仕事」も目的語になれる。つまり「責任を果たす」の「果たす」に近いと思うと分かりやすいような気がしている。)

したがって、本来は、
(2)Sist'asisktwa.
と言うことになる。sist'asiñaはスペイン語でhartarseとかsaciarseで、Me estoy hartando.になる。
しかしこれも本来は言ってはいけない、と言う。なぜかというと「その後腹痛が起きるかもしれないだろ」と私の先生は言う。つまり先に何が起きるか分からないから用心をしないといけない(hay que tomar precauciones)という理屈なのだ。
(これはどうも言葉自体が何かを呼び寄せてしまうということとは違うような印象が…。)
同じ理由で、最近頻繁に都市では使われるようになったkusisiña(alegrarse)も簡単に口にしてはいけないという。それは先々に不幸が起きるかもしれないからなのだ。

したがって、
(3)Manq't'asiwaytwa. Waliki. (He comido (brevemente). Está bien no más.)
(括弧に入っているのは、-t'aと-wayaという二つの接辞をスペイン語に訳すのがとても難しいのです。前者はmomentáneoと呼ばれ、後者はde pasoとふつう言うのですが、意味すら似ています。)
と言うのが本来の言い方ということになる。

アイマラ語の話者の人たちの間でこの言語感覚が失われていることに、私の先生は警鐘を鳴らし続けてきたわけだけれど、外国人である私がこの感覚を身につけるのはさらに大変だよ。どうしてもスペイン語に頼っちゃうでしょうよ…。ということで、失敗した時を念頭に置いて、感じを覚えている今のうちに一回書いておきます。もちろん都市のアイマラ語でこのような言い方が失われていくこと自体はいかにもありそうな気がするのだが、でもこの感覚はやはり大事よね。

それにしても、この話をわたしは先生と何度かしているので、どこかにメモがあるはずなのだよなあ…。過去の自分のアイマラ語とケチュア語のノートの電子化って実は取り組まなければいけない課題だったりするのかもしれないな…。

lunes, 15 de agosto de 2011

トコちゃんのその後

卵を孵していたうちのニワトリですが、8月3日にヒヨコが9羽生まれました。この家では、ここまで動物が子供を産むのはかなり珍しい年で、ちょっとみんなうきうきしています。ちなみに、ニワトリの餌を買うのは主に私の担当。 
これは二日後の8月5日の写真。お母さんはヒヨコたちを自分の中にかくまっていますが、たまにピヨピヨと出てきます。

 
8月14日。まだ室内で飼われていますが(他のニワトリが攻撃するらしい、用水路や肥溜めに落ちる可能性も高い)、もうお母さんを離れてかなり歩き回ります。1羽死んで現在8羽生きています。

8月のアンデスは果樹の花が開く季節。この前咲きかけだったプラムの花はもう満開です。写真はプラムの木の一つと、その下をうろつきまわる子豚たち。

そして一番日当たりのいいところでは、梨の白い花が咲き始めました。

それにしても…
うちの犬(オソ、oso)なのだけれど、なんか寝相が変ではないかしら…。

この家は犬を数回毒殺されている(とうちの家族は言う)ので、このオソは私が知っているだけで四代目くらいになります。


sábado, 13 de agosto de 2011

二つの言語の間で

アンデスのスペイン語(castellano andino)に結構慣れているから、アイマラ語とか早く分かるようになるんじゃないだろうかと思っていたら、実は僕にとってはそんなことなかった。単語が分かっても、意外とこれ何なんだろうと分からなくて、説明してもらって「ああ~そうだったのか」となることが多い。アンデスのスペイン語とアイマラ語はずっと接触しながら、日常的に二言語両方で話す人が多くいて、だからすごく近いところにあるんじゃないだろうかと思ってみても、それぞれはやはりそれぞれで、両方を使う人の意識的な努力で橋が渡されたりするように思う。

一昨年にアイマラ語のテレビドラマの収録に数か月同行させてもらったことがあって、あのときは僕にとってこのことへの手荒い歓迎だった。うちの監督は、実は(アイマラ語で)文学的な言葉づかいをするのがけっこう上手だと思うのだが(そしてそれはうちのラジオ局内でもそれほど認識されていない気がするのだが)、準備で脚本を読んでもわからなくて、僕は収録の合間にアイマラ言語の監修担当の人の裾を捕まえながら、「これなに?これなに?」とひたすら質問していたのだ。アンデスのスペイン語の感覚があることは蝶番としてはとても役に立つのだが(スペイン語の地域性はそれ自体面白いですよね)、それだけでアイマラ語の感覚が身に付いたことにはならない。これは、ひょっとすると当たり前かもしれないと思うこともあるのだが、僕にとっては一つの発見であった。

これは僕自身の実感とつながっていて、僕の中ではスペイン語とか日本語とか英語とか(アイマラ語とか)がバラバラにインストールされていて、普通はそれのどれかで動くことに慣れてしまっているから、よっぽど意識しないと、それぞれの間に橋が渡らないのだよね。べつに何か元の言語から訳して話しているわけではなくて、その言語と社会のレパートリーの中から話せることを話しているから。
(ここの実感は個人差があるかもしれなくて、ひょっとすると本来は多様な感覚に基づいた理論がありうるかしらね。)

アイマラ語のネイティブの人が、「こういうときはアイマラ語で話しにくいんだよね…」とやりにくそうにしているときがある。具体的には公共の場で議論をしたり、少し日常を離れた仕事の話をしたりするときだ。これは、社会的にそこはスペイン語でということになっていたということに加えて、そういう話をする時の語彙が十分でなかったりということでもあって、どんどん話し方がぎこちなくなっていく。バイリンガルでありながら、自分が本来得意であるほうの言語が、自分の中でも劣位に置かれるという、そういう場面に何度も出会うことで僕自身の問題感覚も少しずつ鋭くなってきた。このことは今現在様々な場面で話題になっていることだ。公共の議論の場にアイマラ語を回復していかなければいけない、という。たとえば1980年代には全くそういうことはなかったので、これは大きな時代のうねりなのだと思う。

レパートリーを増やしていく

地方に向かうバスに乗っていると、おばちゃんが三人うしろの席でおしゃべりに興じている。そのうち、その中の一番年配の人が泣き出して、残りの二人がなぐさめている。うん?と思って耳をすましてみるのだが、どうも単語は分かる気がするのだが話題が完全に掴めない。二時間ほど経ってバスを降りた後で、一緒にいた人に「あの人は自分の息子か娘の文句を言ってたよね?」と聞いてみると、確かに一生懸命育てた息子に冷たくされているという話だった。

これはアイマラ語の話だけれど、むかしスペイン語でも似たようなことがあったなと思いだした。まだ修士課程をやっていた頃にペルーの北部でNGOのインターンをしていたことがあった。ちょうどエクアドルとの和平が成立して、国境地帯での体系的な開発プロジェクトを開始しようとしている時期だった。開発の世界では、こういうときはまずベースライン・サーベイというのをやる。そのために村々を回っているときに、まさに単語は分からないわけではないのに話を追うことができないという、自分にとってはけっこう衝撃的な体験をしたのだ。つまり村の人たちの話の紡ぎ方に僕はついていけなかったのであって、なんでそういう展開で話がつながるのかが分からなかったのだ。

このことは僕に重要な教訓を残した。単語が分かるとか文法が分かるというのとは少し違う次元で、話の紡ぎ方が分かるというのがあるのだ、という。なんでもありなのではなくて、何か共有された展開の仕方というのがあるのであって、それは色々なことが話される場面に居合わせて、そういう様々なレパートリーを身につけていくということなのだ。それは知らない言語を身につけていくときに、ある時からとても気を付けるようになった点だ。

もちろん何でもありだと思ってもいいのだけれど、そういう緩やかな共有された拡がりに敏感になりながら、一度それを受けた上でそれでも自由を確保できるような、そういう話し方ができるといいなと思っている。それは習得の様々な段階にある言語のいずれについても、そうだ。

miércoles, 10 de agosto de 2011

宣伝―学会発表

ボリビアの国立民族・民俗学博物館が主催する2011年民族学年次大会で発表します。
(2010年の日本ラテンアメリカ学会での発表のスペイン語版のようなものですが、若干変更を加えてあります。)

お暇でしたらぜひどうぞと言いたいところなのですが、会期中の8月23日(火)から26日(金)のどこに自分の発表が当たっているのかが分からなくて…。登録番号308番なので、火曜日の午後か水曜日の午前ではないかとヤマをはっているのですが…。

Mamoru Fujita. "Las radionovelas aymaras entre la oralidad y la escritura."
Seminario III. Lingüística, Educación Intercultural Bilingüe (EIB) y Oralidad.
Reunión Anual de Etnología 2011
Museo Nacional de Etnografía y Folklore
http://www.musef.org.bo/cgi-bin/koha/musef/musef-rae_lista_aprobados.pl

(直前まで原稿を修正していいって言ってたのに、いきなりすぐに修正を持って来いと言われて大慌て…。まあこんなことになる気はしていたんだけれど、気がしているわりには先にやっとこうとか思わないんだよね…。原稿集がCD-ROMに収録されて当日から販売されて、再度本の形で来年出版されるはずなのです。)

追記(8月15日):
日時と場所は8月25日(木)09:40 Sala 3になりました。

martes, 9 de agosto de 2011

『ちはやふる』第13巻と『3月のライオン』第6巻(感想)

こういうのを現実逃避というのだけれど、日本から来た研究者の(?)友人にマンガを二冊持ってきてもらって、昨晩読んでいた。

両巻の大きなテーマは「欲」だ。でも『ちはやふる』の場合、その欲は千早や逢坂恵夢だけのものではない。確か第12巻あたりの奥付に作者自身が書いていたことなのだけれど、書いているうちに作者の欲が出てきたというのが実際に分かる。物語を描くだけでなく、読者が(百人一首かるたの)クイーンになってほしいと。だからたたかいの描写が、少年漫画にありがちな感じではなく(僕はそんな読んでないけど)、どんどん身体化されて細やかになっていく。当初の、何かが自分にもできる喜び、仲間ができる喜び、一瞬の感覚的なひらめきから、明らかに違う次元に入っていっている。

でも僕が面白いと思うのは、それは単にたたかいの描写ではなくて、一つの「読み」の方法になっていることなのだ。かるたをめぐって、身体の感覚や、技術的な部分(大山札とか囲い手とか)や、背景知識に基づく情感、そして読み手の多様性までも含めて、ただのひらがな14文字のかるたに常に複数の線が走っている。常にその複数の糸が一つの試合の場に集まってきて、そこからもう一度新しい発見という「読み直し」を経て解き放たれていく。

その点で残念だったのは、『3月のライオン』の新人戦の描写だ。棋譜を読む場面が出てくるのだけれど、そこで二階堂を「冒険小説」(というよりは「ただの冒険小説」)にしてしまった感じを僕は受けた。「火の玉」は「ただの冒険小説」ではないと言えばいいだろうか、「冒険小説」は「ただの冒険小説」ではないと言えばいいだろうか、そこには第5巻の島田8段と宗谷名人の対局にあったような、あるいは島田8段と桐山くんの研究にあったような、面白いと思わせる「読みの方法」が欠けていたと私は思う。この漫画の場合、それは「プロであることの方法」と言ってもいい。第6巻では「問題」に「読みの弱さ」というルビを振った言葉が出てきて、それは山崎順慶に対して桐山くんが頭の中で思っていることなのだけれど、これは実はこの巻の将棋の「読み」の描かれ方に対しても、そのまま通用してしまうのではないかと僕は思う。

ちょっと違う言い方をすると、冒険小説つまり少年漫画の世界を生きる「男の子」に、元々その世界を生きていない「男の子」はどう関わっていけるのかというモチーフに僕は結構関心をもっているのだけれど、そしてそこが『3月のライオン』の僕にとっての一つの魅力でもあったのだけれど、そこが失速したような感じがするのだ。二階堂が完全な脇役に回ってしまったというか…。

でもそれは仕方がないことかもしれない。それは『3月のライオン』では「生きる」こと「生き抜く」ことがもつ重さがあって、その中で戦って自分の居場所を見つけていくことに、その中での一つ一つの発見に力が注がれているからだ。僕はこの巻の物語の中での、ひなちゃんの「怒り」の抑制された描写のされ方にハッとするような好感(共感)をもったのだけれど、それでもやはり僕はこの物語に将棋の物語でも、つまりプロ棋士の物語でもあり続けてほしいのだと思う。

この両巻で、『3月のライオン』の桐山くんと『ちはやふる』の千早が試合中にたどり着いた発見は、よく似ていると僕は思う。桐山くんは二階堂の声を想起して、千早は原田先生を想起して、少しずつ複奏的な、守りを組み込んで、かつ正確さを増した読みの方法を獲得していく(千早の場合は前の巻から続いているけど)。でもその背後にある読みの方法と(漫画としての)欲の勢いに僕は注目していて、それがありきたりにならないでほしいと思っているのだ。

あわてて追記:
ちなみに「研究者」に?を付けているのは、人を形容するのに研究者というラベルを用いることに僕が違和感を感じているからであって、現地での人間関係を大事にしたとても面白い研究をする友人です。(汗)

jueves, 4 de agosto de 2011

くるくると回る言葉の方へ?

今週は独立記念日(8月6日)にまつわる行事だらけで、調査先の仕事の一環で、自分の家族の関係で、パレード(desfile)を見に行くことが続く。

ビールが湯水のように流れて、アンデスの管楽器は山の空気を運んできて、金管楽隊の不協和音(!)に神経を逆撫でされて、公共の式典が終わった後の人々が、少しずつ踊り始める。女性の色とりどりのスカートがひらひらと回り、男女の人の輪がくるくると回り…、

アイマラ語は(もちろんケチュア語も)接尾辞を組み合わせていく言語なのだが、接尾辞ごとに分解して分析していく線形な方法(日本語の古文の品詞分解ですね)ではなくて、もっとくるくる回るような(アイマラ語ではmuyu muyuと言います)回転体として接尾辞の連なりを捉えるのが本来の考え方のはずではないか、と問題提起したのは、こちらの機関での仲間のオスカル・チャンビ・ポマカワ(昨年8月のエントリーに登場しています)であった。

日本語でいうと、時枝文法の入れ子構造を想起させるような、それを受け継ごうとする藤井貞和先生のkrsm四面体のような(注1)、いつも頭のどこかにありながら自分では手が出ない着想の種が、南アンデスの8月の風に舞いながら、真っ青な空を駆け回っている…。

追記(8月5日)
そんなことを考えていたら、偶然(私から話を持ち出したのではなく)、アイマラ語の単語の語根に関する意味の場の拡がりを回転運動として考察していかないといけないんだと師匠(下に登場)に力説される。坂部恵くるくるバージョン。しかも南半球は回転が逆回りになるんだ、reverso(リバース)だ、反逆しろと(注2)。言語学者はそういうことを考えないからいけないんだって。はい~。(注3)

途中でつぶれたので、おぼろげにしか覚えていないのだけれど、でも今日出されたそれよりも重要な宿題は、自分の身体との関係はウンコにあるので、それを文学的に展開する必要があるということだった…。お腹がユルイときにトイレで座るときに取るべき体勢について白熱したノウハウの交換が行われたような気がするのだが、ハテどこからそんな話になったんだっけ…。

(注1)藤井貞和『日本語と時間―<時の文法>をたどる』岩波新書、2010年。

(注2)Silvia Rivera Cusicanqui y El Colectivo. 2010. Principio Potosí Reverso. Madrid: Museo Reina Sofia.

(注3)この辺りがいろいろと自分の中でつながっている背景には、小森陽一先生の着想によるところが大きい。小森陽一「拮抗する言葉の力―大江健三郎『水死』を読む」『世界』2010年4月号。

miércoles, 3 de agosto de 2011

二日酔いとアイマラ語

私はこれまでずっとボリビアで二日酔いはch'akhi(チャキ、「チャ」は破裂音、「キ」は空気の入った音)とスペイン語でもアイマラ語でも言うのだと思っていたが…

飲んだ後の、ラーメンが食べたくなる段階(日本)、フリカセ(fricasé)が食べたくなる段階(ボリビア)がch'akhiだよと今日ボリビアの人に教えてもらい、ちょっと物を見る目が変わった(o_o!)。確かにch'akhiは「渇いている」という意味の単語だよ。でもちょっと違うのは、その状態は翌日の朝昼くらいでも使えること。
(要は、昼間にある程度ビールを飲まされてラパスに戻ってきた私は、自分が既にch'akhiであることを認識していなかったのです。)

そして(本来の二日酔いで?)グワングワン頭が痛いのはch'uqirata(アイマラ語)、ch'uqirado(スペイン語)と言うのだと(アイマラ語の-taは過去分詞を形成する接辞、ケチュア語の-sqaに相当)。ch'uqiはふつう「ジャガイモ」という意味の単語なのだが、なぜか頭が痛いのにも-raという接辞を付けて使われるのか、それともそもそも両者は別の単語なのか。
(-raはふつう連続と持続を表すので、そうすると「ジャガイモ幾つも」みたいな感じなんだが…、うーん本当だろうか。)

よく分からないところはありながら、このように単語相互の担当範囲の違いのようなものは、それに気づくと、大変だけど楽しくなってもくる。

lunes, 1 de agosto de 2011

たましいを呼び戻す

今日も、「t'uquが来たよ~」と孫が言うと、このメンドリだけ特別扱いで、専用のトウモロコシをもらっていた。それにしても、羽をバサバサさせて、「ギョエー」という変な声で鳴くから、よく見ていると卵を産んでいるって分かりそうなもんだなあ。

ちなみにこの単語(t'uqu、トコ、「ト」は破裂音)は名詞にもなるのか~、と私はちょっと変なところに注目しながら聞いていた(先日のエントリー参照)。

桃の花は満開。で、そろそろプラムの白い花が少しずつ咲き出した。
南アンデスの8月は風の季節。最初はよけいに寒くなるけれど、少しずつ和らいで春(primavera)へと向かっていく。

豚の子供はまったく大きくならないが、意外と走るのが速い。瞬間的に。豚なのに(失礼?)。

お母さんにくっついているだけではなくなって、離れて四匹で歩き回る半径が広がっていく。

そして今日は初めて魂を呼び戻す場面に出会った。
アンデスでは子供の魂が身体を出て行ってしまうことがあって、基本的には寝起きの時に激しく泣き叫ぶことで分かる。
そうするとその子が好きな物をもって、四方に向かって言葉を唱えて、呼び戻さないといけない。
お願いして、どういう言葉で呼び戻すのか、丁寧に記録させてもらう。
居合わせるということの重要性は、私の指導教官の木村秀雄先生も強調しているが、その場でしかない空気とパフォーマンスに直接接することの意味は大きい。その緩やかな重なり合いと拡がりの重要さを実感する。

追記:
誰かの役に立つか分からないのだけれど…。言葉に興味がある私は、茹でトウモロコシ(mote)とチーズとコーヒーでくつろいでいるおばあちゃんに、「さっき何て言ったかもっかい教えてくれない」と頼んでみた。そうしたら、「いま食っているからちょっと待ってろ」と言われる。「ふむ?」と思っていると、食べ終わって「いまいい時間だから、そばに付いて来い」と言って、もう一度繰り返してくれた。午後の帰る前にもう一度。
かつて、前に語ってもらった話でよく分からない単語があったので、「これ何?」って聞いたら、話自体をもう一回語り始めたこともあった。これらは、多分、パフォーマンスとしてのロジックなのだと、今の私は思っている。
でもそれだけではなくて、質問の仕方によっては、もっと解釈的なことを話してくれたりする。ここは本当に言葉づかいの機微なのだよな、といつも思う。コミュニケーション。