martes, 28 de septiembre de 2010

「現国」と「文章」と「分かる」こと

 今日ある生徒の質問に答えて話そうとしたことを、自分で確認するために、もう一度。
 大学入試の現国の勉強をするときに、知っているから問題が解けるんだという方向に、やはり僕は持っていきたくない。それだと知識があれば解けて、知識が無いとガクンという波から抜け出せない。高校生が現在の言論の動向に全て目を配っているべきだという想定は、やはり非現実的だ。そして、それは自分が思いもかけなかった何かを見出していくことに対して、とても閉鎖的に働くのではないだろうか。
 だから、むしろ本文の組み立てられ方(様々なレベルでのパーツとパーツのつながれ方)に着目して、その形を見抜くための道具立てを揃えていく。そして選択肢を切るための道具立てを揃えていく。ただ「消去法」と言うならば、それは実は様々な理屈から成立しているものを大雑把にまとめているだけに過ぎない。つまりそれは、「論理学」の「論理」とはちょっと違う、実践的な論理の練習なのだ。
(ちょっと話がずれるけれど、大学の先生が入試問題について書くものは、往々にして木目が粗すぎて実際の受験生の役に立たない、というかそれでできるようになる受験生はそもそもそのような本を実は必要としていないのではないだろうかと思うことがある。だからやはり、鍛冶屋は鍛冶屋の仕事をではないけれど、大学の先生より塾や予備校の先生が細かくなるし、その意義はそれとしてあるはずだ。)
(そしてもちろん、この方向で考えているのは僕だけではなくて、あまりオリジナルな見解ではないと思う。)
 そう考えることで、一つ一つの話題ごとに分類するのではない、論理の形に注目しながら考えていくことができるようになる。
 でもそれだけではない。知識があれば読めると思って「分かる」と思う、その感じが僕は嫌いなのだ。それは結局字面を追いかけて納得したと思ってしまう、そこから一歩も出るものじゃない。そんなところで「分かる」と思いたくない。その一言一句が、その一つ一つのつながりが、実は何一つ分かっていることなんてないんだ。だから、そこからもう一度バラさないといけない、そこからもう一度切り込まないといけない。文章が到達点ではなくて、そこから世界に入っていくための入り口であってほしいんだ。
(念のために、入試の現国では知識が要求される部分がやはりあるので、それはそれで教えるというのはあった上での話。それは2000年代に入って増えてきたという印象がある。)

miércoles, 1 de septiembre de 2010

引きこもり

藤田護におすすめの職 最下位:外交官 第3位:魚屋 第2位:ソwムwリwエw 第1位:ヒッキー
http://shindanmaker.com/42590 #11Fsy
色々と試してみたら結構安易な感じの診断が繰り返されていたことに気付くけれど(もちろんそういうものよね)、でもこの最下位と第一位は考えさせられる。たまたまにしては上手くできすぎてないかい?
 まず簡単な方から。そもそもボリビアの日本大使館で働いていたから、(広めの意味で)外交官だったじゃんっ!と突っ込みたくなるところなのだけれど、中学生の頃、いわゆる「帰国」でオトナの話を適当にかわすのが上手だった僕は、「外交官が向いているわよ〜」という周囲のこれまた適当な意見をまともに信じて、本気で目指そうかと思っていた時期があった。ところが、高校の担任の先生に思いっきり強く反対された。「絶対に上と衝突して辞めて、それは周りの為にもならないから辞めとけ。それでもと言うなら、専門職(=ノンキャリ)の方にしておけ」と。今から考えると(そして実は当時もそう思ったのだが)、これはかなり的確に僕の何かを言い当てているかもしれない。
 さて、問題は「引きこもり」の方なのだ。最近のCLACSOが出している雑誌Crítica y Emancipaciónというラテンアメリカ社会科学の雑誌に、ボリビアの現副大統領のÁlvaro García Lineraによる記事がある。そこで彼は、何かを考えようとするならば、社会に関わろうとする時期(tiempo de acción)と引きこもる時期(tiempo de reflexión)の両方があると主張する。(マルクスやグラムシやラテンアメリカの何人かの思想家たちが念頭にあるようだ。)
Álvaro García Linera. 2010. "Elementos para pensar la reconfiguración del campo político boliviano." Crítica y Emancipación, Año 2, No.3, pp.293-306 (Buenos Aires: CLACSO).
 直接には書いていないが、彼の場合は、武装ゲリラEjército Guerrillero Túpac Katariに深くコミットした時代があり、その後の投獄の時代があり、その後の政治アナリストから副大統領へという時代があることになるのだろう。
 若干話のレベルが落ちるのだけれど、研究をしているときに「引きこもる」ことが重要で、僕自身にはそれが足りていないような気がする、言うならば外に出て行くときと引きこもるときのメリハリをもっとつけないと、この先に行けないのではないだろうかと漠然と思っていたときにこれを読んで、自分の課題を再認識し直したというのがある。現地調査をしているときは、それがなかなか難しいのだよね。
(ここから話の筋が若干ずれていくのだが、Álvaroは人類学系統のセンスがないと以前から言われてきた。この人から僕はボリビア政治の見方と戦略的に有効な言説の構成の仕方について多大なことを以前学んだし、この人を批判する人は彼ほどには戦略的な有効性を考えていないのだが、この批判については僕もその通りだと思う。なぜなのかをよく考えるのだが、自分自身の論理的な一貫性が崩れることを過剰なまでに嫌う、ということなのではないだろうか。文化的差異や社会的差異に敏感になるということは、自分を崩して矛盾を内に孕んで、それでももっと後ろのどこかで一本筋が通ってほしいと願う、そういう姿勢を必然的に伴うからだ。この立場の違いの両側からボリビアの社会において重要な様々な論点が生まれてきているのだ、という感覚が僕にはある(そしてそれはもっと広くラテンアメリカ全域に言えることかもしれない)。以前に書いた「2000年代ボリビアの左派アジェンダの検討」という論文は、この軸を巡っての考察というのが表に出ていないモチーフなのだが、今回ちょっと先に考えが進んだように思う。)
(それにしても、そろそろまた引きこもった方がいいかもよ、先生。)