sábado, 20 de septiembre de 2014

『3月のライオン』と底抜けの恐ろしさ

(本エントリーでは、この作品のここ最近の展開が、ボカシてはいても何となくわかるようになっているので、要注意。)

まだ単行本(10巻)になっていないのだけれど、しかも8月に日本にいなかったので一回分抜けているのだけれど、『3月のライオン』がおそろしいことになっている。

『はちみつとクローバー』から、プロとしてやっていくことの恐ろしさというテーマを引き継いできて、9巻の土橋九段と宗谷名人の指し合いの中で『3月のライオン』も同じ所までたどり着いたのだと、私は思っている。その果てしなさは、それはでも救いと隣り合わせなのかもしれないと思わせてくれた。

しかしその後、桐山零君は別の対戦で深くもぐり恐ろしい世界に入っていきながら、しかしもっと愚直で凡庸な相手に対して「負けて」いる。(注意―最初私はこの対局で桐山君は負けたのだと思っていたが、実際には勝っているかもしれなくて、おそらく勝ったのではないかという思いが最近は強くなってきた。でもここの話はそういうことではない。)この「負け」は、たぶん何かがすごく正しくて、たぶん人生の過程を踏んで年齢を重ねていくことと、つながっている。キラキラした透き通った世界は、際限なく開けていける新しいドアは、おそらくそれが到達点ではない。そのことが気になって頭から離れない。

数回前で、桐山零くんが幸田家を再訪していたが、ここまでに経過した時間の中で柔らかくなった、ものすごく残酷な話が語られた。それは穏やかな日差しの中で優しくなった、無力な、底抜けの残酷さであった。

そして、優しさが帳消しにしてくれない底抜けの残酷さが、底抜けの悪意が、 ここでまたもう一度現れてきているのだろうか。恐ろしすぎて、気になりすぎる。作者の方が病気とか(これ以上)しませんように。