domingo, 25 de marzo de 2012

フィールドワーク

街なかで調査をしていると鈍ってくる感覚というのはあって、それを忘れないうちに。

何かが前に進む時というのは、こっちに進みたいという方向感覚は複数持っていたとしても、自分が自分であることはもうできなくて、自分の限界のところで物事が進んでいき、その結果として自分も変わっていく。

そういう瞬間は、全ての人がふと見せる優しさとかに全面的に支えられながら、でも同時に圧倒的に孤独だ。コトバとモノガタリの間で、ひとの記憶があふれ出てきて、その世界の荒波に揺さぶられて、でもそっとそっと一人でいる。

自分が、なにをやっているのか、なぜやっているのかなんてことは分からなくて、他人にも説明しようがなくて、ただそこにいる。

そういう瞬間が確かにあって、いわゆる研究倫理とかそういうものは、その瞬間に対して誠実に向き合おうとする、つまりそこから離れたときに偉そうに振舞う虚栄心に足を取られないための、精一杯の心の持ちようなのかもしれない。

sábado, 17 de marzo de 2012

映画『MADEINUSA(マデイヌーサ)』について

Magaly Solierつながりで、ペルーのClaudia Llosaという人が監督をした映画(2005年)が上映されていて、これは以前にDVDで見ただけだったので、初めてスクリーンで見ることができた。

ブログを書いていてありがたいのは、こういう打ちのめされてまだ歯が立たない映画の、取りあえずの感想を記しておけることかもしれない。

あらゆる意味で衝撃的な作品だと思う。女性主人公のマデイヌーサが救ってくれるはずの白馬の王子様を裏切るラストももちろんなのだが、それだけではない。私は3年前にこれを男性不信の文脈で受け取っていたのだけれど、そして当時の私にとってはそれはリアリティをもつ解釈だったのだけど、もっと底の方に存在している奔流をも感じとるべきなのだと思うようになった。

(私は以前、『MADEINUSA』で強烈に提示された男性不信に、『La teta asustada』の最後でかすかで静かな光が差し込むのだと思っていたのだ。)

Claudia Llosa監督は、確かこの映画が公開されたときに、「アンデス文化を蔑視している」という趣旨の批判をペルー国内で受けたはずだ。この批判は何とか成り立たせることはできそうな気が(今では)するけれど、全てが全てに反逆をしているようなこの映画をそう解釈してはいけないようにも思う。アンデス文化を礼賛するのではなく、理解したうえで批判的に関わろうとするという態度を、私は何回かまだ検討し直さないといけない。そして何よりも、「リマから来た」男性主人公が結局うまくいかず(濡れ衣を着せられて)、「リマ行く」(=まだ着いていない)女性主人公が生き残るという関係が大事なのだ。

でもやはり、妻にリマに逃げられた悲しみの中で娘二人を犯す父親は最後には娘の一人(女性主人公)に殺され、リマから来てアンデスの村の文化に翻弄されながら外部の批判者(かつ救い手)の位置を占める男性主人公はその罪を着せられて(おそらく)殺される末路を辿る。男性不信が基調にある中で、殺されて殺されて、それでも新しい何かが生まれようとする(cf. ラスト近くの鼠の赤ちゃん)、それはペルー社会のある種の感覚としてその通りなのかもしれない。

viernes, 16 de marzo de 2012

映画『Altiplano』感想

Cinemateca bolivianaで今週から始まった『アルティプラノ(Altiplano)』という映画を見てきた。元々は2009年に公開されていたもので、同年のカンヌの批評家週間に選ばれたりしたらしい。監督はベルギーの人。私は主演の一人のMagaly Solierという女優のファンで、彼女の演技を見たかったのもある。
(公式ホームページ:http://www.altiplano.info/

自分が負った深い傷は、相手の真実を知ろうと追っていくことでしか癒すことはできず、それは必ず後追いでしかたどり着くことができず(主人公の一人がそこにたどり着いたとき彼女の夫は既に死んでいる)、しかもそこにはまた別の深い絶望がある、というモチーフは、ああその通りだと思うものだったし、映像は非常に美しく詩的で、アンデスの精神世界の表現も納得のいくものだったと思う。現代に新たに甦る鉱山と先住民の闘争という古くて新しいテーマへの重要な取り組みになっている。そしてもちろん、Magaly Solierの演技は素晴らしかった。

しかしながら、イラクの戦場とアンデスの高原部の鉱山闘争という二つの文脈を扱いながら、それは主演の一人の内面の中を除いて、最後までつながることがない。その両方に関わりつつ深められるのはヨーロッパをベースにしていることの特権であるはずだが、それは最後まで果たされることがない。

そして、外部の人がアンデスの人々を撮る際、私はよく自分の中で「アンデスの人々が『影』になってしまう」と表現しているのだが、人物造形がある種定型化されて、それ以上の拡がりがなくなってしまう。<抑圧に対し抵抗する、宗教的・倫理的に高潔な人々>と言えばいいだろうか。そして、ケチュア語が、やはりどう見ても最初ヨーロッパ系の言語で発想したのだろうなという台詞回しになってしまう。(これらは、ボリビアのウカマウという集団が製作する映画も含めて、アンデスの先住民世界を扱う映画で常に付きまとってきた問題だ。)

ただこういうことを越えて、私が衝撃を受けたのは、我々はなぜ同じことをもう一度そのまま繰り返さないといけないのだろうかという、現代のラテンアメリカ社会が抱える厄介な問題に、改めて直面させられたことだ。1950年代から80年代初頭まで続いた、様々な社会問題と闘争の歴史を経てなお、それ以降ふたたび同じことを、しかも多くの場合縮小再生産するかのように繰り返す、その現実の中で我々はどう生きていけばいいのだろうか、その答えはこの映画の中にも、やはり見付からなかった。(ちなみに、このモチーフは最初押井守の『Sky Crawler』という映画を見ているときに思い付いたのだった。)

しかし、しかしだ。この映画は、ヨーロッパ人が他者と関わろうとする際の最良の誠実さを示していると私は思うし(、それは例えばencounterとencuentroという単語の狭間に現れるようなもので)、私自身はそのような態度に大きな影響を受けてきた。困難で複雑な現実に対して詩の可能性を信じようとするこの重要な挑戦は、広く観られるに値するものだと思う。

sábado, 10 de marzo de 2012

哀しみ

2月25日に友人が殺害されました。

女性を殺して衣類を奪うことが酒の席での勲章として自慢される社会に、陰口や妬みを気にして本当の心配をなかなか他人に話すことができない社会に、そして、旅とか移動とかの狭間に落ち込んでいる自分に、最後まで続く呪いを。

とてもオープンに接してくれた素敵な人だった。そして何より自分の人生を生きようとしていた。インタビューに応じて自分の生い立ちについて語ってくれたことを、丁寧に書き起こそう。

2009年のエルアルト市の7月16日の記念日。この年と次の年、ミス・エルアルトに当たるCholita alteñaになっていた。

2011年8月5日のエルアルト市のVilla Adela地区での独立記念日の市民行進(Desfile Cívico)にラジオ局(Radio San Gabriel)として参加。

2011年10月18日、TIPNISの行進の報道でユンガスへの峠越えのPongoと呼ばれる場所で。当日のエントリーは別にありますが、その時撮った別の写真。この後に峠の食堂でみんなでマスを食べたんだった。そして朝とても早く出たので、帰り道に爆睡しながら戻って来たんだった。

miércoles, 7 de marzo de 2012

両側から見る

あまり大きなことではないのだけれど、うちの家族がある一週間にわたる泊まり込みのワークショップでの食事の提供の仕事を取ることができて、ある村の学校施設で数日間ひたすら皿洗いをしていました。

ペルーでは、最近、農村で子供たちの通学時間の負担を減らすために、数週間学校に泊まり込んで、また二週間くらい自分の村に帰ることを繰り返す寄宿制(alternancia)の仕組みが広がりつつあって(これ自体は以前にJICAの客員研究で取り上げたことがあります)、そこに新しく赴任する教員を対象としたワークショップだったのです。

以前は先生たちの側からくっついてそういう学校に泊まり込んで一緒したことがあったのですが、ある意味下働きの調理人の側からこういうワークショップを斜めに見ているというのは、いい経験でした。

私は以前にもインターンをしていたペルーのNGOで、国際援助機関から来るモニタリングのチームを現地で受け入れをする側にいたことがあって、その際の担当する村々での事前の準備とか、普通だったら自分がいる側とは逆の側から物事が見れたことは、私自身の物の見方に重要な影響を与えました。

それは話を聞く際に既に模範解答が用意されているのだという感覚であり、かつて大学院の修士課程で私の先生だったRobert Chambersという人がrural development turismと揶揄した、短期の訪問では部分的にしか見えない、背後にあるプロセスの感覚です。

こういう「両側から見ようとする」経験を積むのは、全員が共有しているわけではないにしても、一つの重要なフィールドワークのあり方かもしれません。


午前4時半頃、朝ご飯の準備の開始。

lunes, 5 de marzo de 2012

二項対立じゃなかったときに

『ちはやふる』という漫画は、恋と部活とあるとしたら、恋を抑圧(凍結)することで成り立つ典型的な青春漫画の構図かなと思っていたのだけれど、最新刊(たぶん第16巻)を読んで、真島太一くんが真面目だからこそ押し寄せてくる闇の中で一瞬だけ女神がほほ笑む、あの最後の場面を見たときに、ああそういうことではなかったんだと、少し嬉しくなった。あの鬼気迫る場面が描かれたことで、何かが確実に広くなった。私は嬉しかった。

Mermelada de sach'a tomate (tomate de árbol)

En nuestra casa tenemos un pequeño jardincito, donde crecen aguaymanto, wakatay, lechugas, ajos, manzanillas, y este sach'a tomate (tomate de árbol).

Con este tomate, se puede hacer tanto el ají como el dulce. Para hacer la mermelada haces reposar la fruta en agua caliente, quitas la cáscara y las pepas, y lo pones a hervir con azúcar y canela.

Recién me di cuenta de que esta fruta tiene su propia amargura que no tienen los tomates normales. Esto da su toque particular a la mermelada. Nuestra familia lo llaman "dulce" o "mermelada", pero creo que otros lo llaman también "compot(e)".