domingo, 9 de junio de 2019

「風景が見えること」

清水透先生は、研究者としてのキャリアの後ろのほうになって、叙述において「風景が見えるということ」を大事にするようになっていった。これは、『エル・チチョンの怒り』(東京大学出版会、1988年)の冒頭のように、情景描写を置いた上で、語りに入るというふうに捉えられることがあり、ひょっとすると本人もそう思っているふしがある。


この「風景が見えること」は、近年の<声を発することのなかった死者たちの声が聞こえる>というモチーフへとつながる、清水先生の中の重要な概念であるのだが、私自身はこれについて、単に情景描写をするということではないのだと思っている。

それは、おそらく単語一つ一つのレベルで、そこから風景が匂い立つように書くということであって、叙述の全てにわたって言えることなのだろうと思う。すると、風景は、歴史叙述を取り巻く文脈でも環境でもなく、叙述そのものと相互浸透し、叙述から匂い立つような「風景」、なのだと思う。

だとすると、清水先生のオーラルヒストリーは、翻訳であることに大きな意味があることになる。翻訳の過程で、風景が匂い立つように訳語を工夫することができるからだ。そうすると、そんなに簡単にスペイン語で出せと言えなくなってしまう、か。先生は、翻訳をそれほど頻繁に手がけてこられたわけではないが、翻訳がご自身の方法のやはり根幹にあると考えたほうがよいのか。

あまり、そのように考えてこなかったのだが、ふとこの前の研究会でそのような思いに取りつかれた。記録のために、ここに書き留めておく。

domingo, 2 de junio de 2019

ペルー社会を考えるときの難しさ

下のエントリーでは、重要な問題提起を受け継ごうとする希望について書いたが、同時に頭を抱え込むような思いもした。

ペルーというのは、社会として非常に難しいところを持っている。社会がバラバラ過ぎて、民族という面でも階級という面でも複雑な、この社会全体を視野に入れることが困難なのだ。20世紀に革命に向かう動きがついに生まれなかったペルーが、必然的に発達させることのなかった視座だと言ってもよいだろう。

これは、批判的に考えることが、そのままペルーというまとまりを考えられるかという課題に収まってしまう、ということでもある。言い換えれば、ナショナリズム自体が「批判的思考(pensamiento crítico)」だと位置づけられてしまうのだ。これは例えばアルゼンチンにあるラテンアメリカ社会科学評議会(CLACSO)が出している批判思想集成シリーズのペルー版の序文で、マルティン・タナカが、まさにそのような趣旨のことを述べている。
(Tanaka, Martín coord. 2016. Antología del pensamiento crítico peruano contemporáneo. Buenos Aires. CLACSO. ←CLACSOのホームページからPDFを無料でダウンロードできる)


すぐ南にあるボリビアと関わっている限りは、そのようなことがない。1952年の革命の前後でナショナリズムが発達してきたボリビアでは、ナショナリズムを批判するような思考も同時に発達してきたからだ。ペルーの全国紙を見ていると、時折起きる大規模な抗議運動を除いては、先住民社会の動きが全く見えてこない。その意味で、ボリビアとは全く異なるリテラシーが、ペルー社会の分析においては要求される。

そのような状況下で何が起こるか。ペルー社会全体を見ようとする動きは、すなわちアンデス高地社会に目を向けるべきで、そこにあるケチュア語世界を見るべきだということになる。そこでは、南部高原部のアイマラ語世界はもとより、東部低地の先住民社会は後景に退き、付け足しのような形でしか現れない。すなわち、リマ中心主義を抜け出そうとしたときに、我々はすぐにそのままアンデス高地ケチュア語世界中心主義に絡め取られてしまいそうになるのだ。これを乗り越えるペルー社会の基本ビジョンは、いまだに明確に提示されていないように、私は思う。
(ただし私の不勉強で、その萌芽がどこかに現れ始めている可能性はある。少なくとも、その問題意識を共有している人たちはいることは分かっている。)

そうすると、それぞれがそれぞれの主題を追求しているが、そこに連関を見出すことがしづらくなる。日本ラテンアメリカ学会でもボリビアだとギリギリ様々の分野の中に共通の論点を見出すことができるのだが、ペルーではそのようなことが難しい、と私は思う。

さて、今回日本ラテンアメリカ学会の大会の中で見ることのできた劇団ユヤチカニの演劇作品の上映で、『遍歴の音楽家たち(Los músicos ambulantes)』は、1982年の作品で長い上演暦を誇っているが、まさに上に述べたようなパターンに典型的にはまってしまっている。ペルーの多様性を知るというのは、ロバと犬のケチュア語世界が中心になって、そこにアマゾニアのニワトリがスペイン語を話しながら加わるのだ。しかもこれらの動物は、全てヨーロッパ起源のものだ。ああ、やはりそうなるんだなあ、と私は思いながら作品の上映を見ていた。

ただし、上のエントリーにも書いたが、私はまだこの劇団の作品をあまり見ているわけではない。より最近になるにしたがって、どのような問題系を取り上げるようになっていくか、そこまでを踏まえたうえで考え続けたいと思う。

ペルー社会を考えるときの希望

日本ラテンアメリカ学会の定期大会が6月の第一週末にあったが、それと関連して、ペルーの劇団ユヤチカニ(Yuyachkani)の演出家の人が来日していて、上智大学で講演があり、学会の当日にも様々な催し物が組まれていた。学会では我々はボリビアに関する2つ続きのパネルを組んでいたので、ほとんど時間がかぶってしまったが(そもそもこの学会で個別のスロットが3つしかないということに今回初めて気が付いた)、それでも上映されていた作品を二つほど見ることができた。

演出家の人とは大変気が合う感触を受けた。一貫して社会の問題を考えながら、政治暴力の時代を踏まえた記憶の問題に取り組んできたその姿勢には、確実にラテンアメリカの民衆演劇の伝統が、より広くは民衆とつながろうとする1970年代以降の様々な潮流とつながる「感じ」がある。このような演劇の存在が目に入るだけで、ペルーの首都のリマの町が全く違った様相で見えてくる。

それとは別に、私自身が考えさせられた点が幾つかある。まずは勇気づけられた点。劇団ユヤチカニは、ペルー社会を考えるにあたって作家・民族学者のホセ・マリア・アルゲダス(José María Arguedas)から大きなインスピレーションを得て、アルゲダスが着目したインカ王(Inkarri)の伝説に着目して作品を構成したりもしてきた。これは、より広くは、アルベルト・フローレス・ガリンドが指摘した、アンデス先住民における天変地異を通じたユートピアの実現を希求する心性にもつながる。
(Alberto Flores Galindo (1986) Buscando un Inca: Identidad y utopía en los Andes)。

ペルーの真実和解委員会を主導した人類学者カルロス・イバン・デグレゴリは、フローレス・ガリンドに対し、アンデス・ユートピアを求める動きは、実は20世紀にはそれほど事例が見られないという指摘をし、アルゲダスをもとに、それをセンデロ・ルミノソへとつなげようとした死去直前のフローレス・ガリンドの議論運びに異議を唱えている。すなわち、あくまでも土台になるのは国家と市民社会の関係という枠組みであるという見解だと、私は理解している。
(この議論については、Libros y Artes, no.11, agosto 2015を参照)

劇団ユヤチカニの実践は、この意見の対立を乗り越えようとする試みに見える。ペルー社会を考え、真実と記憶の問題に取り組むためにこそ、アルゲダスに立ち帰り、インカリの神話を解釈し直さなければならないという姿勢は、デグレゴリとフローレス・ガリンドを再度つなごうとする試みであると受け取れるであろう。その課題が現代に引き継がれている。それだけで、ペルーを考える際に一つの希望が確実にそこにあるのだと、私は思う。

ユヤチカニの劇団の作品については、まだその全体を見れているわけではないので、特に近年の記憶をめぐる作品で、社会がどのように描かれているかに、引き続き着目していきたい。