viernes, 26 de mayo de 2017

国際研究集会を終えて

昨日は東大駒場でストラスブール大学(フランス、アルザス)との共催で行われた国際研究集会(駒場の「学際日本文化フォーラム」という催しとして位置づけられた)。大江健三郎の文学に関するもの。

基調講演者のストラスブール大学の方のアントナン・ベシュレールさんは、大学院時代に小森陽一先生の同じゼミの場を共有した人。フランスにおいて大江健三郎の翻訳と研究で重要な仕事をしてきている人だ。

私的な話になってしまうが、駒場の大学院のゼミでは2007年度と2010年度に大江健三郎の晩年の仕事(レイト・ワーク)を年間を通して扱った。『取り替え子』『憂い顔の童子』『さようなら、私の本よ!』、そして『水死』。関連する形で『美しいアナベル・リイ』や『みずから我が涙をぬぐいたまう日』も。その後、より最近になって、大江健三郎の文学に関心をもつ私と同世代と年下の研究仲間たちが中心となって、大江健三郎研究会を続けてきた。そこで初期・中期・後期の様々な段階へと、視野が確実に広がった。ある場所で、少しずつ積み重ねられたものが、幾つもの線になって、その線が時にもう一度集まって結節点を作る。そういう場が昨日成立したことは、やはり嬉しかった。

私自身は、大江健三郎の小説自体が面白いし、そして、そこにはラテンアメリカの社会思想で直面する問題と相通ずるものを見出すことができるとも思っている。

フランスでの議論と日本での議論が接続し、幾つかの新しい切り口の可能性が検討され、作家としての生涯を通じた驚くほどの多様性が垣間見えた。そして、それぞれが次にどう進んでいくかという課題も。研究というものがもつ可能性を手探りする、苦しくも楽しい作業。

sábado, 20 de mayo de 2017

研究における違和感と救いと

ある分野の新しい潮流について、様々な批判も視野に入れながら建設的な概観を書こうとするとき、本来はその潮流にあった深い問い直しが深刻に受け止められず、全体が平板化されたところで議論が展開される、ということを目にする。そういう議論はそれ自体の有用性はあるのだけれど、それよりも、元々の深い問い直しを、問い掛けを受け止めて、そこに応答したいなと思う。

現場や実務とのつながりを重視するような研究分野において、議論の枠組みが定型化してしまうことに、イギリスで大学院生をしていた私はとても批判的だったけど、それ以前に議論の枠組みがグズグズになったり、意味不明な論理のこねくり回しがまかり通る、ということを目にする。年配の人はしっかりとした訓練を受けられなかったのだなと気の毒に思いつつ、コミュニケーションがねじれていく嫌な感じを味わう。

でも、その中で信念が岩を貫くような、不器用なそして鮮烈な思考を、そして問題提起を若い人から見せてもらうと、何かが救われたような気持ちになる。私たち人間はどうしようもないが、そのどうしようもなさに風穴を開けるのも、また私たちなのだ。

martes, 16 de mayo de 2017

研究と魔法使い

研究でフロンティアに出ていると思えるとき、そこには魔法が働いていると感じる。それは必ずしも自分が魔法を使っているということではなく、魔法を使うモードに自然に入っていく。

それは多分、研究分野にあまり関係がない。テクニカルな分野だろうとそうでなかろうと、まだ見ぬ何かに手探りで目を凝らし、形作ろうとするのは共通だからだ。

それは危険な時間でもある。魔法は幾らでも悪用できるから、そして必ずしも全てが本当に新しいわけではないことも分かっているから(でも逆も然り)、慎重に、繊細に、丁寧に確認をしていく。でも同時に、頭は飛んだり跳ねたり沸騰したりと忙しくしている。

そのような時間は、また次に来るという保証はない。特に自分一人では作れないものはそう。でもその次があることを信じて、またもう一度、投企をするのだ。研究者になってそういう魔法が使えるようになったのは、素直に嬉しい。

sábado, 13 de mayo de 2017

Deseducar

同僚の非常勤の方と話していて、常々スペイン語も日本語もとても繊細な言葉づかいをする人なのだが、この表題の単語を使われたときにハッとした。教育を解体する、でもあるのだが、ここではむしろ自分を教育する取り組みの放棄と取りたい。それを余儀なくされてしまうこと。

私の直接の職場ではないのだが、関連する所で(なんと!)5年での非常勤の雇い止めが実際に適用されていて、とても苦々しい思いをしていて、皆で文句を言っている中で使われた言葉。

そもそもeducar(教育する)のは、学生に対してだけ使われるものではなくて、教員だって長い年数をかけて教育という仕事に携わりながら自らをも教育している。5年というスパンでそのような意味での教育が十分にできるのか?

それは「任期付き」という仕事に否応なく巻き込まれてしまった私たち若い世代の教員が、だんだん擦り減らして鈍くなった感覚でもあり、それに対する厳しい問いかけでもある。。私たちは本当に自らを教育しようとし続けてきただろうか、と我が身を頼りなく振り返る。