sábado, 20 de mayo de 2017

研究における違和感と救いと

ある分野の新しい潮流について、様々な批判も視野に入れながら建設的な概観を書こうとするとき、本来はその潮流にあった深い問い直しが深刻に受け止められず、全体が平板化されたところで議論が展開される、ということを目にする。そういう議論はそれ自体の有用性はあるのだけれど、それよりも、元々の深い問い直しを、問い掛けを受け止めて、そこに応答したいなと思う。

現場や実務とのつながりを重視するような研究分野において、議論の枠組みが定型化してしまうことに、イギリスで大学院生をしていた私はとても批判的だったけど、それ以前に議論の枠組みがグズグズになったり、意味不明な論理のこねくり回しがまかり通る、ということを目にする。年配の人はしっかりとした訓練を受けられなかったのだなと気の毒に思いつつ、コミュニケーションがねじれていく嫌な感じを味わう。

でも、その中で信念が岩を貫くような、不器用なそして鮮烈な思考を、そして問題提起を若い人から見せてもらうと、何かが救われたような気持ちになる。私たち人間はどうしようもないが、そのどうしようもなさに風穴を開けるのも、また私たちなのだ。

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