sábado, 13 de mayo de 2017

Deseducar

同僚の非常勤の方と話していて、常々スペイン語も日本語もとても繊細な言葉づかいをする人なのだが、この表題の単語を使われたときにハッとした。教育を解体する、でもあるのだが、ここではむしろ自分を教育する取り組みの放棄と取りたい。それを余儀なくされてしまうこと。

私の直接の職場ではないのだが、関連する所で(なんと!)5年での非常勤の雇い止めが実際に適用されていて、とても苦々しい思いをしていて、皆で文句を言っている中で使われた言葉。

そもそもeducar(教育する)のは、学生に対してだけ使われるものではなくて、教員だって長い年数をかけて教育という仕事に携わりながら自らをも教育している。5年というスパンでそのような意味での教育が十分にできるのか?

それは「任期付き」という仕事に否応なく巻き込まれてしまった私たち若い世代の教員が、だんだん擦り減らして鈍くなった感覚でもあり、それに対する厳しい問いかけでもある。。私たちは本当に自らを教育しようとし続けてきただろうか、と我が身を頼りなく振り返る。

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