jueves, 31 de diciembre de 2020

いけたあとの死へむかって

mr.childrenの「documentary film」を紅白で聞いていて、優しさに溢れていながら、全てが枯れていき朽ちていく、でもそこに愛情が確かに残っていく、こんな引き算の歌を作るようになったんだなと驚いた。

通勤途中の車のなかで耳にした時に、なんでこんな何の変哲もない歌詞なのにヒリヒリするんだろう、と不思議な気持ちになったのだが、少し分かったかもしれない。

花びらがテーブルを汚す、というところを取り出したのも、生け花をやっている人間として好き。花はいのちにたいして手向けるものであるけれど、「いける」ものであるけれども、それが朽ちていく、腐っていくところを見ていられるようでありたいな、と思った。

Mr.Children「Documentary film」MUSIC VIDEO - YouTube

domingo, 7 de junio de 2020

アイマラ語の先生フアン・デ・ディオス・ヤピータの訃報

Jichhax sinti llakit jikxatasta yatichirijax akapachat sarxatapata. Jumax aymara arut aski lurir masinak nayrt'iriw. Samart'akpan jan khitits llakisisa.

(日本語訳―私の先生であった人がこの世から去ってしまわれたことで、いま私は深い悲しみの中にいます。あなたは、アイマラ語について貢献しようとする人たちの先駆者であり続けました。誰のことで心を痛めることもなく、安らかであられますように。)


lunes, 18 de mayo de 2020

ほんの少しのユーモアとともに

Tú que interpretabas mis penas con un poco de humor
(ユーモアを少し加えて、私の悲しみを読み取ってくれたあなた)
(La Oreja de Van Gogh. "Estoy contigo" (2017))

今年度の非常勤先でのスペイン語の授業では、「コロナウィルス下でスペイン語世界で聞かれている歌」を取り上げて、歌詞の意味を考える取り組みを部分的に組み込んでいるのだが、言葉を丁寧に読んでいると、いまさらながら、いろいろと気づかされることがある。

人の話を聞くときに、ただ聞くだけの「うんうん、そうなんだー」でもだめだし、「そんなことないよ、大丈夫だよー」はもっと最悪、ということがある。ほんの少しのユーモアを加えながら、相手の話を聞いて、読みとっていく。ああ、うまい表現のしかただなと感心しながら、今夜も授業の準備を続ける。

miércoles, 12 de febrero de 2020

ここに最前線がある

2月の最初の週は、アイヌ語の方の研究会(ゼミ)の合宿で二風谷へ。

短い期間の滞在でも、いろいろなことが分かってくる。子どもたちへのアイヌ語の教育について、長い時間をかけて地元で取り組まれてきたことが、少しずつ実をつけ始めていること。若い人たちが年を重ねるにつれて、少しずつ次の一歩をどうしようかと考え始めていること。日常の中にいまでもアイヌ語が残っていること。
[暖房がよく効いているところで「エタㇻカ暑いな」と若い人が言っていた。やたら暑い、ということ。]

いろいろと難しい宿題を受け取るが、研究者という仕事の良いところは、自分次第で様々なことが変わっていくところだ。学生たちが自分たちのアイヌ語のレパートリーを持てるように。同世代のアイヌを背負っている若い人たちと、言葉が交わせるようになるように。

 ここが最前線なのだ。世界の、そしてたたかいの。


miércoles, 22 de enero de 2020

杉山晃先生の最終講義

杉山晃先生の「ボルヘスを語る」と題した最終講義を聞きに、清泉女子大学に行ってきた。
かつて杉山先生が非常勤で担当されていたスペイン語講読の授業を、私は学部の時と修士の時に、合計3年半ほど受け続けていた。その時に読んだホセ・マリア・アルゲダス(初期短編の中で「ワルマ・クヤイ」と「ドニャ・カイターナ」が当時の先生のお気に入り)、フアン・ルルフォ(『燃える平原』のなかの「犬の声は聞こえんか」が一番最初の講読教材だった)、そしてこのホルヘ・ルイス・ボルヘス(「エル・スール(南部)」、「砂の本」、「円環の廃墟」などを覚えている)は、私に大きな影響を与えた。

杉山先生の授業は、言葉の一つ一つが、丁寧で切実で、確かにそうでなければならない、と思わせるものだった。学生だから辞書を使って予習をしていくわけだが、講読の授業での杉山先生の訳は、辞書に載っているような単語が一切出てこず、しかし、確かにそうでなければならない、と思わせる説得的な訳だったのだ。一つ一つ、「これはなんだ?」と考えながら、立ち止まりながら、先生は言葉を紡いでいかれた。

そういう言葉の紡ぎ方だから、最終講義でも先生は冗談めかしておっしゃっておられたが、学生が半分くらい眠ってしまう。これは清泉でなくてもそうだった。でも、私はとてもビックリしながら先生がどのように言葉を発されるのか、なんとか分かりたいと思っていた。そしてそれは、その後の私が教える仕事に就いていく際に―最初は大学受験生の古文と漢文と現代国語、そしてのちにスペイン語やアイヌ語やラテンアメリカ研究を教えることになった―一つの大きな土台となった。

最終講義は、ラテンアメリカ文学史の授業の一環だった。講読の授業と同じような丁寧な言葉を一つ一つ受け取りつつも、でも講読の授業でしか接点がなかったあの頃の私が聞いていなくて、先生が清泉で展開していたであろう講義へと、思いを馳せていた。

聞いていて気づいたことがある。アルゲダスも、ルルフォも、そして(私は昨日まで気づいていなかったが)ボルヘスも、杉山先生はそこに出てくる人の生き方に、モチーフに、自分の人生とは違っても何か魅かれる部分を感じ、共鳴しながら読んでいかれるのだ。話を聞いていると、「エル・スール」の主人公に、「ボルヘスとわたし」の「わたし」に、「アステリオンの家」の怪物に、確かに杉山先生自身が響いているのが感じ取れる。先生がペルーのリマから日本へと辿ってこられた人生が、そこに響いているのだ。

先生がアルゲダスについて書き続けてこられた諸論文を読むと、これも実に細やかな共鳴とともに、初期の短編を丁寧に丁寧に読み解いていかれる(これらの論文はスペイン語で執筆されていて、清泉女子大学のレポジトリからアクセスできる)。この共鳴が、優しさと丁寧さでもって先生の一つ一つの言葉に繋がっていたかと、胸をつかれる思いで、わたしはとても久しぶりに先生の教室に座っていた。どうもありがとうございました。