viernes, 30 de septiembre de 2011

「先住民」というシンボルを巡る争い

昨今のボリビアのティプニス紛争は、「誰が先住民なのか」という正当性(レジティマシー)を巡る争いでもある。

エボ・モラレスがある時点から、自らを「先住民」と位置付けることをしなくなりつつあったという指摘がなされている。26日月曜日夜の謝罪会見においても、自らの側に言及する際に「先住民」ではなく「農民(カンペシーノ)」を使用しがちだったということも、同時にツイッターのタイムラインで指摘されていた。

彼と彼の最大の支持基盤であるコチャバンバ熱帯のコカ栽培農民は、「先住民」というシンボルをうまく利用してここまでやってきた。それはコカの葉がアンデス山地での高地適応を先祖代々可能にしてきたという歴史的意義とも結びつき、それを梃子とした反米・反帝国主義の拠点ともなり得た。

しかし、エボ・モラレス政権が成立して以来、この政権には本当に先住民の味方なのだろうかという疑いが常につきまとってきた。本来の多民族国家(estado plurinacional)構想にも関わらず、先住民の政治代表を可能にする制度構築、そして先住民自治の領域の再編をめぐる制度改革は、新憲法と新選挙法の制定をめぐる議論と反対勢力との妥協の中で、廃止されるか骨抜きにされてきた。そして、先住民思想に基づく「よく生きる(vivir bien, suma qamaña)を国家開発計画の目標に掲げたにもかかわらず、実際に採用された政策は従来からの国家主導の開発の復活と何ら変わることがないという指摘もなされてきた。

そして今、コカ栽培の増殖が低地先住民の生態をも脅かしつつあるという問題が表面化したときに(今回の道路建設計画はブラジルの太平洋への出口確保という側面と、コカ栽培者の販売のためのインフラ改善という側面をもっている)、この政権は低地先住民のデモ行進を当初は表だって叩きつぶそうとし、その結果として「先住民」を巡る「正当性」が低地先住民とそれを支援しようとする都市中間層に移ってしまう事態となった。高地の農民組合(CSUTCB)がこの件を巡って真っ二つに割れる中で、高地先住民組合(CONAMAQ)が早い段階で支持と連帯の方針を打ち出して存在感を高めたことも重要だ。

ただし、特にボリビアのアンデス高地においては、これは民族の分類と領域を確定させればいいという問題ではない。先住民というアイデンティティと他の社会アイデンティティの間の境界は流動的だし、農民組合という組織形態と伝統的な先住民共同体の組織形態が国家の行政体系の中で併存し、先住民は内部の階層差をも含めて一枚岩でもない。この複雑錯綜する社会状況の中で、それでもpropositiveに何かを考えていこうとすることが、ボリビアの社会と政治を考えていこうとする際の難題の一つなのだ。

しかしそれでも、これほどまでに「誰が先住民なのか」をめぐる争いは、ボリビア政治の重要な軸であり続けているのだと思う。それが今回の紛争で改めて表面化してきたのではないか。

miércoles, 28 de septiembre de 2011

ゼネストの行進

爆竹の音は全てのデモ行進につきものだが、路面を伝わって腹をえぐるようなダイナマイトの音がドーンとくると、ああ鉱山労働者がいるのだと実感する。この音がしはじめると、紛争のトーンが変わったという感じがする。

今朝Radio ErbolでAmalia Pandoが指摘していたが、ボリビアのゼネストというのはむしろ人々が抗議のデモ行進に繰り出すストライキだ。11時半頃、エルアルトからラパス市内に下りてきていた隊列が中心部に到着したので見に行ったが、予想外の規模の行進で、ラパスの目抜き通りは上りと下りが、いっとき全てデモ隊で埋まってしまった。予想外というのは、高地先住民の農民組合(CSUTCB)やエルアルトの各種組合組織(COR、FEJUVE)という本来の抗議行動の主役が、内部で見解が割れているため参加していないからだ。

大統領府や議会など政府関係の建物のあるムリーリョ中央広場(坂の上の方)の手前を通り、そこから折り返してくる隊列。遠くムリーリョ広場の入り口は警察が隊列を組んでガードしているのが分かる。手前のカマチョ通りを左折し、カマチョ市場の角を右折して、プラド通り(目抜き通り)に入り、下の方のエストゥディアンテ広場を回って再度目抜き通りを上がり始める。ちなみにデモ隊の先頭は、もうしばらく前にサンフランシスコ寺院前広場に到着して陣取っている。

そのままくるっと反対側を向いて、プラド通りを上がってくるデモ隊。鉱山労働者や建設労働者などはもう行進を終えていて、この辺りは住民組合連合や様々な機関の労働者が続き、その後ろに大学生たちがいる。

 
サンフランシスコ寺院の奥にあるランサ市場の4階から、目抜き通りを上がってくる方のデモ隊を見ると、どれくらいの規模だったかが実感される。既に行進が終わった組織は右後方に陣取っていて、まだデモ隊の後ろの方は目抜き通りの下の端を回っている。

中心に陣取るのは常にボリビア鉱山労働者組合連合(FSTMB)。良くも悪くもボリビア中央労連(COB)の中心には常に鉱山労働者がいる。1952年革命以降の既得権益にしがみついているという面もあるが、実際に命を縮めて働いていることが生む倫理的な力のようなものがあると私は思っていて、鉱山労働者が出張ってくると抗議行動のトーンがやはりガラリと変わる。
ちなみに各組織の公式見解は関与した大臣全ての辞任を要求することなのだが、実際に行進している人たちは大統領と副大統領を刑務所に送れと叫んでいる。この両者を併せみたあたりに全体のトーンがある。

デモの終着地点であるサンフランシスコ寺院の鐘。たまたまここですれ違った友人がボソッと、今日の鳴らし方は村に問題や不幸が起きたときの鳴らし方だ、とつぶやいていた。

lunes, 26 de septiembre de 2011

8年経った後に…

今年に入ってからのボリビアの政治・社会情勢は、私にとって幾つかの面でとてもショックだった。そして、過去の自分を振り返りつつ、当時想定していた幾つかのことを組み替えなきゃなあと思っている。(ボリビア特有の状況と私の思考の好みがかけあわさっているので、一般化できるものではありません。)

(1)2003年10月政変当時の(20代中頃の)私は、全体の軸と見取り図の中で、当面の現実における政治的実効性が高いと思われる戦略的に明晰な思考と行動を重視する傾向があった。これは、2009年に発表した自分の論文の底流にあったバランス判断でもあり、論文自体にははっきり書いてないと思うのだが、その内容を口頭で発表した際にはその傾向を説明していたし、無意識のうちに論文のトーンにも現れているだろう。それ自体が間違いだとは思わないのだが、結局この過程の中で信頼できる軸を一貫して提示してきたのが誰だったのかと考えると、布置がだいぶ変わって見えてくる。重く鈍い軸と、強靭な批判精神は、やはり大事なのだと思う。それは、明晰さと情念の両方において。

つまり2~3年のスパンで何が信頼できるかという感覚が、7~8年のスパンで見直してみると変ってくる。かつて仲良くて信頼していた年上の友人たちが、簡単に曲げられていく。左派政権になったときにこそ、左派の知識人が試されるというか、ね。

目配りをすることの大事さはあった上で、本当に信頼して参照する思考が限られていき、自分の周りと上に人がいなくなっていく。

(2)革命政権が掲げる大義(かつて私が「2000年代左派アジェンダ」と呼んだもの)が、これほど早く色褪せるとは正直言って思っていなかった。まだ形成から十年経つか経たないかだよ。それ自体について私は独自の読みをしようとしているのだが(以前のエントリーを参照)、しかしながらあまりに早く現政権は正当性を失ってしまった。

これはグローバル化時代に独自の試みを模索することの困難さと見ることもできるし(こういう立場をとる人は沢山いるだろう)、現副大統領がかつて指摘していたようにMASの政権獲得までが早すぎて指導者層が鍛えられていないと見ることもできるだろう。でもこのあまりに小粒な再生産はいったい何だったんだろうという問いが、従って現代のラテンアメリカにいる我々は一体どういう時代を生きているのだろうという問いが、結局我々はどのような過渡期にいるのだろうという問いが、唖然とする形で私の前に突きつけられ続けている。


[翻訳]TIPNIS紛争に関する声明


(承諾を取った上で掲載します。大急ぎで訳したので、途中で少し修正するかもしれません。)

死者を出すことにノー、暴力的衝突にノー
―ティプニス紛争について―

2011918日、ラパス市

 この書面に署名した者たちは、サンフランシスコ教会前広場に設置された監視団に自発的に参加し、イシボロ・セクレ国立公園の先住民の行進によって引き起こされた対立が解決されることを要求する。脅迫や騙りや暴力という手段に訴えるべきではなく、ユクモ村に向かう途上にある何百人もの女性男性、お年寄り、そして子供たちを「吹っ飛ばす」という脅しがなされるべきではない。私たちは、傲慢なふるまいに対して、そして行進に加わる者たちの動機を貶め、「変革の過程(proceso de cambio)」と称されるものへの反対者として見せかけようとする言いがかりに対して、反対の声を上げる。
 既に時代遅れになった発展や国の偉大さという観念の旗手となった現政権の主要な指導者たちによって、何十年も前から自由主義、ナショナリズム、そして新自由主義を担ってきた右派たちの開発主義的な夢が再び具体化しようとしている。それは、森林をなぎ倒し、セルバ地域を「生産的」な農牧業の土地へと変え、先住民族をエコ・ツーリズムの隙間あるいはショーウィンドウへと追いやるものである。そこでは先住民族は、自らの生態・生産面に関する知識を放棄し、「インディオ」という装束をまとい、消滅の過程をたどる種族として、国境を越えた観光客たちの同情の対象となるのだ。
 現在の対立を取り巻く指導者層の利害には、おべっか使いの汚れた指導者たちの悪意ある暗躍と、何人かの先住民指導者たちの政治的野心などがあり、これが行進に加わる者たちを出口のない隘路へと導き、これらの者たちの生命と安全に深刻な危険をもたらすことになってしまった。罪のない子供たちが馬鹿げた対立の犠牲者や殉死者となる可能性があり、これは民主主義的共存のいかなる形にも反する侵害である。
 多くの人が発言していて、言葉は溢れているが、行動が足りていない。しかしながら、CONAMAQCNMIBCPIBなど様々な社会組織が、芸術や文化に携わる若者たちと共に、公の場面に姿を現すこととなった。これらの組織と人々は、言葉から行動へと移るようにと、怖れからであれ打算からであれくつわと自己検閲に屈しないようにと、私たちに呼びかけている。政府がこの紛争に対して示してきたような、ひどく無骨で盲目なやり方に対して、私たちがオープンに顔を覆い隠すことなく声をあげるようにと呼びかけている。国の側の主要な登場人物―エボ・モラレス(大統領)や内務大臣サチャ・リョレンティ―が公の場に姿を現していないことは、いずれ起こる衝突と流血の事態に対して自らに火の粉が及ぶことを避け、自らの支持勢力―自らが誘惑し腐敗させた勢力―の側に罪をなすりつけようとする条件が整いつつあるのではないかと疑わせる。したがって、我々はこの監視団とそこから生み出される全ての行動に自発的に参加し、以下の点に基づく呼びかけを行う。

1.対立と暴力が紛争を支配し、右派と堕落した東部諸県勢力の政治的打算が再興する土壌となることを許すことはできない。これらの勢力が開発主義的政策を最初に打ち出したことを忘れるべきではなく、そして現在アルバロ・ガルシア・リネラ(副大統領)とその取り巻きが恥を忘れてそれを推進しているのである。
2.何百人の女性男性、お年寄り、そして子供たちに対して渦巻く死と抑圧の脅迫を前にして我々は無関心でいることはできない。これらの人々は、いかなる政治的利害と打算以前に、どのような建設会社との契約署名についても、自らの祖先からの生活領域に押し付けられようとする開発モデルについても、事前の相談を受けなければならないとする、憲法上認められた自らの権利を行使しているだけである。
3.エボ・モラレス政権が対外的に格好よく発した「大地の女神(pachamama)の権利を守る」という宣言とは裏腹に、全てを略奪する開発主義は土地に対する侵害であり、我々の兄弟姉妹である先住民の人々が何世紀も維持してきた、もう一つの共同体的経済のあり方に対する侵害でもある。
4.私たちは、すべての物質的または知的な創出にかかわる分野に存在する、良心ある人々、地域に根差した組織、環境主義のグループ、労働者たちなどに対し、この監視団に加わり、政府が我々に押し付けようとする開発モデルについて公の討論を行い、演説の言葉と実際の公共政策の間の乖離を助長する二枚舌の姿勢を拒絶し、暴力と騙しによってこの紛争を解決しようとする民主主義の殺害をくい止めるよう呼びかける。

ティプニスの行進において、一人の死者も出さず、一人の負傷者も出すまい
略奪的開発主義に関するオープンな議論を
知識人だけでない全ての人々の間での対話を模索しよう
脅迫、二枚舌、嘘はもう十分だ
生命と民主主義と母なる大地の権利を守るために
大地の母神に万歳

発起人:El Colectivo 2
Beatriz Chambilla Mamani, Nina Mansilla Cortéz, Violeta Montellano Loredo, Rolando Pinaya Pérez, Álvaro Pinaya Pérez, René Pucho Alejo, Silvia Rivera Cusicanqui

domingo, 25 de septiembre de 2011

Suma qamañ jikxatañataki

En los avisos gubernamentales en aymara que sale por la radio aquí en Bolivia, muchas veces en la parte final se escucha la frase "suma qamañ jikxatañataki." (Por alguna rara razón se ha establecido la norma de no hacer caer la vocal final en el aymara público, así que en realidad dicen "suma qamaña jikxatañataki.")

Lo que me captó la atención es la combinación, de palabras, de sufijos, y de conceptos. "Jikiña" es encontrar, y "-xata" aquí parece que tiene el sentido de esforzarse para lograr algo. Así que sería algo así como "encontrar el buen vivir esforzándose." Lo nuevo me parece que es el "encontrar" como una meta de las políticas públicas, en vez decir por ejemplo simplemente "lograr" ("achieve"). Y también el esforzarse para encontrarlo, el esfuerzo siendo probablemente tanto interno-psicológico como deliberativo-público. Así analizándolo bien podría contener nuevos modos de pensar, tanto como una concepción sobre el desarrollo o también como algo mucho más amplio y alternativo.

ボリビアでラジオを聞いていると、よくアイマラ語の政府広報が流れたりする。今日たまたま耳に入ったのは肺結核防止の呼びかけだったが、それはともかく、最後の部分でsuma qamañ jikxatañatakiというフレーズが挿入される。(公のアイマラ語では語末の母音を落としてはならないという奇妙な規則がいつの間にか流通していて、実際にはsuma qamaña jikxatañatakiと言ってる。

面白いなと思うのは、そこの言葉の組み合わせなのだ。jikiñaは「出会う、見付ける」という意味の動詞で、-xataはこの場合「力を尽くして~する」という意味合いが出てくるようだ。suma qamañaは「よき生活・生き方」と取りあえず訳しておこう。つまり「よき生活・生き方を見出すために」となるだろう。この、「力を尽くして」「見出す・出会う」というのが公共政策の目標というのが面白いのではないだろうかとふと思う。その「力を尽くす」は、内面的な過程としてあるのでもあれば、公共の試行錯誤と討議を経る過程としてもあるよね。よく分析してみると、開発に関して、そしてそれに限らず、新しい考え方を潜在的に内包しているのではないだろうか。

(このqamañaは日本語の「生活」に近くて、でももう少し広い意味範囲をもっているのだけれど、日本語だと「生計」や「生活」は「成り立たせる」という動詞との親和性が高くなってしまうように思う。「なりわい」とかはどんな動詞と結びつきやすいかしら…。そして大和言葉の方でqamañaやvidaのような広い意味範囲を持ちうる単語ってあっただろうか…。うーん。)

sábado, 24 de septiembre de 2011

国内社会関係の「外交」化?(ボリビア)

TIPNIS問題(承前)をめぐって、前々から薄々と感じていたことをいま一度確認できた気がする。以下はその思いつきをメモしたもの。

今回抗議運動を進める低地先住民側は、ダビッド・チョケワンカ外務大臣を交渉相手に指定した。これは、先住民同士で話がしたいという意向があったことは確実で、実際に報道もされている。チョケワンカ外務大臣は、現時点での閣僚では数少ないアイマラ出身の大臣で、有名な先住民主義者(インディアニスタ)である(インカ・)ヘルマン・チョケワンカの弟にあたる。

しかし、この件はそれだけで済まないのではないかと思う。国内のある社会集団との交渉に外務大臣が指定され、実際に外務大臣が赴き、そして「人質」に取られてデモ行進が警察の包囲を突破するのに利用された(9月24日)(私はこれは外務大臣自身の高度に戦略的な行動でもあったのではないかとみているが、それはそれとして)。これは、ボリビアが実際に「多民族国家(estado plurinacional)」化していくなかで、国内の社会集団間の関係が「外交関係化」していると考えられるのではないだろうか。

(10月16日追記:外務大臣が意図的にやったという部分は、若干書きすぎたかと思っていたのだが、本日のLa Razón紙におけるXavier Albóの論説は、外務大臣の行動が事態打開につながったという見解をやはり示している。)
(10月18日追記:外務大臣自身が、このとき中傷されたのではなくてあくまでも友好的なムードの中でのことだったと証言しているEl Oxígenoboliviaの記事も出た。。)

サチャ・リョレンティ内務大臣は、この低地先住民側の外務大臣を「誘拐する」という動きに対して、国際機関である米州機構(OAS)に訴え出ると表明した。この大臣の動きには多くの人が眉をひそめているが、それはそれとして、なぜ国内問題を国際機関に訴え出るのだろう…ということは、実際に国際問題と同等に認識していることになってしまう。(それにしてもこの話は馬鹿バカしい…。この人、私が以前日本大使館で政治を担当していた頃は、左派の人権活動家として重要な仕事もしたんだけどな…。)
(この件に関するコチャバンバの新聞Los Tiemposの記事

そして、外務省の特に多民族外交アカデミーは、エボ・モラレス政権発足以来、民衆外交(diplomacia de los pueblos)、特に(実際に国外に出ることの多い)芸術家の外交関係における役割に着目してきたが、それだけでなく、先住民的な「社交」のあり方を実際の外交に反映させるようにして考えられないかという試みを続けてきたことにも注目することができよう。高地先住民の間に存在するapthapiと呼ばれる村中での食物の持ち寄りを、その手順や背景にある思想を考察し教えるというのを、実際の外交官の卵たちに対する一つのコースとして設定していたこともある。

国内の社会集団間の関係が「まるで外交関係であるかのように」扱われるこの状況は、先住民の存在が前景化してくることで実質的なところで本来の国境とは違うレベルでのロジックがはたらき始めていることになるだろうかな。ちょっとしばらく気を付けて見ていようと思う。

lunes, 19 de septiembre de 2011

Kenzaburo Oe. Resignación ante y responsabilidad hacia el desastre de Fukushima.

Kenzaburo Oe: Resignation to and Responsibility for Fukushima Disaster.
(The Mainichi Daily News, 19 September 2011)
http://mdn.mainichi.jp/perspectives/news/20110919p2a00m0na001000c.html

大江健三郎「フクシマを見つめて」
(『毎日新聞』2011年9月19日「核心」欄)
http://jibetarian23.blog116.fc2.com/blog-entry-776.html(書き起こし)

Palabras efectivas que queremos transmitir pero que al mismo tiempo estamos necesitando nosotros... me he quedado impresionado por esta manera de pensar. Me parece que aspira a una manera ética de relacionarnos con las palabras dentro de redes de solidaridad. Lástima que esta parte no se tradujo muy claramente al inglés.
<実効性のある言葉を届けたいと願いながら、私たち自らがそのような言葉を欲してもいる>という考え方が述べられている箇所が、連帯の中で私たちがどのように言葉との倫理的な関係をもてるかを希求しているようで気に入りましたが、英訳の方はそこの部分があまり力をもっていないような印象を受けるのが残念です。

domingo, 18 de septiembre de 2011

ボリビアの政治の混迷について(TIPNIS問題)

現在ボリビアは、エボ・モラレス政権が東部低地のイシボロ・セクレ国立公園(TIPNIS)をもろに突っ切る道路の建設を許可したことで、東部先住民がこれに抗議運動を起こし、それに対して政府と政府を支持するコカ栽培農民がそれを強硬に抑え込もうとするという状況が起きている。(ちなみにこの政府の動きは地域住民との協議を義務付ける憲法に違反している。)

そもそもこれは呆れた状況だ。国際的な舞台では環境保護の旗手として振る舞おうとするエボ・モラレス大統領が、国内では開発を環境に優先させるというのは、以前から指摘されていた傾向ではあるとしても、ここまであからさまにやられてしまうと私は呆然としてしまう。そして同時に、ボリビア初の先住民出身大統領のはずのエボ・モラレスが先住民運動を強硬に抑え込もうとするとは、これまた私は呆然としてしまう。この唖然とする感じや怒りは、ボリビア社会に広がり始めている。
(これを含めて、2011年のボリビア政治をめぐる空気は、モラレス政権発足当初の高揚とはだいぶ状況が変わっていて、ちょっと注意が必要であろう。)

かつて私自身は、2000年代のボリビア政治は、国の理念とアジェンダをめぐるビジョン間のせめぎ合いとして展開されているという見解を提示したことがあった(藤田護「再び国家の時代へ―2000~05年のボリビア政治の動き」2006年日本ラテンアメリカ学会大会報告原稿)。これじたい重要な思想的問題へとつながるところなのだが、しかし憲法と選挙法の改正の頃から、そのような見方では現実のボリビア政治の動き自体はどうもうまく捉えられなくなっている気がする。

このTIPNIS問題に関して、Fernando Mayorgaは、エボ・モラレス政権が発足当初からもっているナショナリスト・開発主義的傾向(道路建設によるボリビア国土の統合)と先住民主義的傾向の間でのジレンマが現れ続けているのだととする見解を示している(La Razón紙9月12日オピニオン欄)。
http://www.la-razon.com/version.php?ArticleId=137293&EditionId=2649
Carlos Mesa元大統領は、エボ・モラレスの最大の支持基盤であり、この国立公園の土地に向かって植民を進めていくコチャバンバ県亜熱帯地域のコカ栽培農民の利害が絡んでいることを指摘している(スペインEl país紙9月18日オピニオン欄)。
http://www.elpais.com/articulo/opinion/Bolivia/indigenas/indigenas/elpepiopi/20110917elpepiopi_12/Tes
それぞれ一理のある論評なのだが、それ以上の何かがあるのではないだろうか。

低地に移住していく高地先住民(colonizadores)と低地先住民の利害が土地などを巡って衝突していることは、以前から指摘されていたことではあったが、国政を左右する形でこの利害対立と低地先住民の抗議運動が浮上したのは、これが初めてではないだろうか。(1990年の有名な低地先住民のデモ行進は高地先住民との対立に基づくものではない。)そして、高地先住民が低地への植民勢力であり、ボリビア社会の少数派である低地先住民を蔑視・差別して軽んじるという厄介な(そしてもちろん以前から存在していた)論点も表面化してきた。

これは、支配階層と排除された社会勢力間の対立ではなく、多様な社会勢力同士の利害対立自体が国政の争点になるようになったのが、2011年のボリビア政治の特徴だといえるのではないだろうか。

2000年代中盤に新規な理念の提示が左派(estado plurinacional)と先住民主義(suma qamaña, vivir bien)から提示されたが、その提示とそれを実現させようとする努力という意味では、ボリビアは国際動向の最前線からはおそらく既に落っこちてしまっている(問題としての重要度がなくなったと言っているのではない)。しかし、ボリビア国家とその政治は、おそらく確実に社会に近くなり、様々な社会勢力の動向を反映するようになっているのだ。混迷を深める、ごちゃごちゃした(messy)ボリビアの政治過程は、我々にとっての理解のハードルを更に上げつつあるのではないだろうか。

sábado, 17 de septiembre de 2011

日本のアンデス人類学と生態学派

手元に十分な資料がないのでスケッチだけ。

年長世代の日本のアンデス人類学は日本国内の生態学派の影響を受けて、アンデスの人々が高地にいかに適応しつつ、農業、家畜の利用形態、食文化などを生み出してきたか、そしてそれがいかに広域を支配する権力の成立を可能にしたかに関心を向けてきたような気がする。そしてそれは徐々にヒマラヤとの高地同士の比較に向かっていった。

近年のアンデス特にボリビアでは、口承文学を生態と結びつけながら考察しようとする試みが重ねられてきた。ここには口承文学に現れる世界観を生態と結びつけて考えていく可能性がある。(私が今準備している論文の一本は、この動きと連なっている。)

これを「口承文学の生態学派」と呼んでみるなら、これを元に日本の北方からユーラシア大陸へと比較で展開していくと、我々の年長世代のやろうとしたことにまた新たなことを付け加えられるのではないかなと、これはまた数十年単位の気の長いスケッチをたまに考えたりしている。

viernes, 16 de septiembre de 2011

[訃報]金子亨先生(千葉大学名誉教授)

本人と直接の知り合いではなかったのだが、アイヌ語や言語人類学(ととりあえず言っておく)の面でお世話になっている千葉大学のユーラシア言語文化研究のグループのドンのような方であった。

NPO地球ことば村のホームページより
ことば村顧問:金子亨先生(千葉大学名誉教授)が9月11日にお亡くなりになりました。
金子先生は日本言語学界の重鎮として理論研究の業績を重ねられるとともに、世界の先住民言語の存続や言語弱者の未来について常に心を砕き、ことば村の活動を 支えてくださいました。近々元気なお顔で復帰してくださるものと信じていたスタッフ一同喪失感に包まれております。先生に深く感謝しご冥福を祈るととも に、これからもことば村の活動を天上から見守ってくださるよう、願っております。


私自身は、後れてきてたまに言語学をかじろうとするだけのいい加減な研究者の卵なので、あまりわかったようなことを言うのは控えたいが、『先住民言語のために』(草風館、1999年)や千葉大の紀要(CES)に掲載されている論文、そして地球ことば村のホームページの様々な文章を通じて学風の一端に触れていた。実学として危機言語に取り組み、文法、そして言語類型論から考えていく姿勢は、おそらく私の先生である中川裕さん(千葉大学)に受け継がれていているのだと思う。そんな匂いがすることがある。

上の上の世代の人たちが持っている、真剣さと大らかさと、抱えた問題のスケールの大きさを感じる論文と著書だった。言語の普遍と特殊をそれぞれ最大限に拡げていく中で考えようとする。おそらく本人もそういう方だったのだろうと思う。

金子先生のホームページはこちら
千葉大学学術成果レポジトリの検索ページ

jueves, 15 de septiembre de 2011

Amazon España

A través del blog de Tomita-kun, un compañero de estudio de la universidad, me enteré de que ya hay amazon.es en operación.
http://hirokiss69.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/amazones.html
Una noticia importante para los hispanistas y los latinoamericanistas japoneses.

Pero aquí en Bolivia lamentablemente se ha puesto excesivamente complicado recibir los paquetes que llegan desde el exterior, los que compramos del Amazon incluido. Habría que aguantar y buscar medidas alternativas...

富田君のブログ(上記)からスペインのアマゾンができたことを知りました。
これは我々ラテンアメリカ研究者にとっても重要になりそう。

lunes, 12 de septiembre de 2011

明晰な思考

昔大学院の授業でMick Mooreという先生(政治学者)に教わっていたことがあって、have the clarity of mindということの大事さを教わったように思うのだけれど、
(現実のあるいは実務の役に立つような直観のはたらかせかたと、仮説の形成の仕方について大きな影響を受けた…わりに私はなぜこんなことをしているんだろう…。)

この前わたしの師匠がdedicatoriaにmä suma qhana amuytawi utjpanaと書いてくれた。アイマラ語で言うとなかなかすてきだ。日本語にすると「豊かで明晰な思考がありますように」となるかな。

明晰でいようとすると、遊びと闇がともに深くなっていく。

miércoles, 7 de septiembre de 2011

アイマラ語を話すことへの恥と恐れ


アイマラ語を話す人たちと話しているときに、どれほどまでにアイマラ語で話すことへの恥と恐れが深く内面化しているかを、その度ごとに感じさせられる。それは親の叱咤(激励)だったり、親戚だったり、小学校で自分のことを落第させた先生だったり、「インディオ~」と指差して笑う同級生たちだったり、病院での扱いだったり、政府機関の窓口での対応だったりする。

大学を出てprofesionalとして仕事をしている人たちも、そしてそうではないその母親たちも。

アイマラ語で自らが表現できることを大切に思う気持ちと、それを抑え込もうとする恥と恐れの感情がいっしょくたになって溢れ出てきて、襲いかかってくる。

いまだに、そしていつまでたってもトラウマであることを、しゃべってもらって、共有してもらう。だからせめてこちらは、ただの一回きりのことにならないように、長い時間をかけての取り組みをいっしょにやりながら、そしてそういう人たちから話を聞くように、これからもしていけるといいな。

そもそもの出発点は研究ではないし調査ではない。そこから始まっているのでは断じてないし、そのためにやってるんじゃない。

追記:
ここでの「恥」というのはアイマラ語のp'inqaという名詞に、「恐れ」はaxsarañaという動詞に対してあてているのですが、ふと気になってFelix Laymeの辞書を見てみるとvergüenza(ア→西)の項に次のように書いてあります。
Turbación del ánimo causada por alguna ofensa recibida, por una falta cometida, por temor a la deshonra, al ridículo, etc.
これは日本語の「恥」とニュアンスが違ってくるかもしれません。とりあえずそのままにしておきますが、ちょっと考えなければいけないかな。

Reflexivos en castellano y en aymara

El sufijo reflexivo en aymara es el "-si."

(1) comer (manq'aña)
Este verbo requiere el sufijo reflexivo en aymara. Para decir "Comeremos." se dice "Manq'asiñani." y no "Manq'añani." Pero en castellano no decimos "Nos comeremos." que significaría otra cosa algo más horrible.

(2) levantarse (sartaña)
Este verbo en cambio no se requiere el -si en aymara. Para decir "El/Ella no se levanta." decimos "Janiw sartkiti." y no decimos "Janiw sartaskiti."

Es interesante que después de tanto tiempo de contacto mutuo entre el castellano andino y el aymara, el uso de reflexivos en los dos idiomas no se ha convergido.
Pero... pensándolo bien, mi profesor de aymara muchas veces utiliza el verbo levantar/despertar en castellano sin el reflexivo. Puede ser que la lógica de aymara está influyendo a nuestro castellano en este caso.

martes, 6 de septiembre de 2011

「transcripción」と「校訂」

録音を聞いて書き起こすというのは、ただ音を文字にするだけじゃないかと思いきや、意外と不思議な作業だ。

演説に慣れている人の流暢な言葉ならまだしも、人は言いよどみ、口の中でボソボソしゃべり、時に思いもよらない表現を持ち出してしゃべる。

語末の接辞が付いているのか付いてないのか、早口でしゃべった真ん中のところの単語を果たして正確に聞き取れているのか。そして、文法としてちゃんと整合性がとれているのかというのは、実は自分の思い込みの書き起こしを修正する重要な視点になる。と同時に、自分の文法的な勘に従ってこっちでないといけないはずだと思うと、録音に裏切られていることがある。

これは先生も同じのようで、一回見ているはずのものを、「これほんとはちがくない?」と言い出し、録音を聞かせてみると「ああ~」と納得している。そして三度目くらいになっていきなりこちらの間違いを発見してくれたりする。つまり、一見純粋に技術的な作業に過ぎないようにみえるものが、自分が慣れ親しんでいるはずの言語を、もう一度見直して、作り直して、分かり直していく作業となっているのだ。

なので、とりあえずは、同じ録音を三度くらい行ったり来たりしながら繰り返し検討している。スペイン語への訳も同様に。意外とそういう風に時間をかけてやるのがちょうどいいみたい。最初のがすごく長い話じゃなくてよかった…。

これは何となく、日本語の古典文学をやる人が携わる校訂の作業に似ているのではないだろうかと思うことがある。本文同士の異同を検討するというのは、同じ話の複数の録音や同種の話との対応の中で考えていこうとする作業ともちょっと似ている。

言語を扱う際の、分かろうとする際の基礎作業のようなものの感覚を大事に育てられるといいな。

¿Hacia el pensamiento poscolonial indígena?

Estamos aquí en Bolivia tan familiarizados con el pensamiento katarista / indianista. Nosotros que estamos en el mundo académico estamos también familiarizados con el corriente del pensamiento poscolonial (pensemos en Frantz Fanon, Edward Said, Homi Bhabba, Chakravorty Gayatri Spivak) y sus vertientes latinoamericanos (pensemos por ejemplo en Walter Mignolo y compañía).

Pero se nos ocurriría también que en algunas ocasiones presenciamos a los pensadores aymaras hablar sobre formas de discriminación, estratos sociales, y diálogos interculturales, pero en sus própios términos con sus própias metáforas. Podríamos decir que es un intento para desarrollar el pensamiento poscolonial pero en sus própios términos.

Si la antropología se sigue definiendo como "epistemología comparativa," habríamos que escuchar más a estas palabras, y pensar en sus propias construcciones situadas en la trayectoria de vida de cada uno de los pensadores.

(覚え書き:これは、自分のアイマラ語の先生との会話を思い出している間に、ふっと頭に浮かんだ思いつき。昔むかしにスペイン語でちょっと試みた彼のライフヒストリーの聞き書きを、アイマラ語でそろそろできるよねと互いに言いながら、少しずつ相談をしている過程の一コマ。でもまずは、来年出る論文のための書き起こしと訳の検討を続けているところ。)