miércoles, 16 de marzo de 2016

ペルー料理(鶏肉の唐辛子ソース:アヒー・デ・ガジーナ)

鶏肉の唐辛子ソース(ají de gallina)はペルー料理の定番とも言える。でもその作り方は、意外と簡単で、黄トウガラシのペーストさえ手に入れば、日本にいても作れそうだ。

恒例のお昼ご飯シリーズをもう一つ。このアヒー・デ・ガジーナを作るのを、横で見ていた記録を残しておこう。

まずは鶏肉でストック(だし、caldo)をとっておく。そのときにセロリも入れておくのがポイント。 鶏肉は細く裂いておくことが多いと思うが、もっと大きなかたまりで残しておいてもいいのだそうだ。
黄トウガラシの種を除き、細長い片(trozos)に切り分け、ニンニクと一緒に油で炒める。
 

炒めた黄トウガラシとニンニク、セロリ、ストック(だし)をミキサーにかける。

その間に、水に浸しておいたパンを取り出し、水けを絞る。

同時に、千切りにしたタマネギを炒め始める。ここで、会社の名前で「シバリータ(sibarita)」と呼ばれているのだが、パリーリョ(palillo、ウコン)の粉末を入れている。

シバリータというのは、色々な形態で市場や雑貨屋で売っているが、例えばこのようなものだ。この使い方がやや不思議で、黄トウガラシの色が十分に出てくれないときに、色づけとして使うのだそうだ。特にこれで味に何かを足すわけではないのだと。


先の水に浸したパンをミキサーに加えて、少量のピーナッツ(スペイン語ではマニーmaní)も加える。パンを入れるのは、ソースに厚み(とろみ)を加えるため。
(注:スペイン語では、このスープやソースの「とろみ」のことをespesuraと言う。ちなみに日常的なスペイン語では、「しつこい」人や「重い」人のことをespesoと言う。)


タマネギを炒め上げたところにミキサーの中身を注ぎいれる。沸騰するまでは鍋にひっつき易いので、かきまぜ続ける。

鶏肉を入れるのは、もう最後の段階で。


そしてもう出来上がりだ。シンプルで美味しくて、ありがたい。
レタス、トマト、茹で卵、オリーブと一緒に皿によそって、頂くことになる。これも飽きないペルー料理の定番の品だ、と思う。




lunes, 14 de marzo de 2016

ペルー料理(春を知らせる料理:カプチー)

雨期が始まるとアンデスは豊穣と収穫の季節に入る。その時に丁度出会える「季節もの」とでも呼べそうな料理があり、その料理が出てくると、皆が少しウキウキしているような様子が伝わってくる。ボリビアのラパス市には、ジャガイモやそら豆やチーズや白トウモロコシなどをとり合わせた「プラト・パセーニョ(plato paceño)」という料理がある。私は最初この料理を見たときに、何の変哲も工夫もないつまらない料理だと思ったが、これは旬のものを一皿にとり合わせていることに意味があるのだと思うに至り、そう思えると出会うのが楽しくなってきた。前にブログにも書いたプレー・デ・パパス(puré de papas、マッシュトポテト)も、私の中では同じジャンルに入っている。

ペルーに来ると、ここにはカプチー(kapchi)と呼ばれる料理があり、調べてみるとどうもクスコ地方の料理なのだそうだ。

ニンジンやカリフラワーなどの野菜をざく切りにしておく。ブロッコリーが入ることもあるらしい。この辺りの野菜の取り合わせも、いかにも春らしい。これ以外にもジャガイモはごろごろとしたままで入れる。

この料理の特徴は牛乳とチーズで茹でることにある。先に混ぜ合わせておく。

ある程度まで野菜を茹でておいて、牛乳とチーズを鍋に投入する。そら豆はすぐに火が通るので、最後に入れる。

出来上がりは春らしい明るい色合いの料理になる。これはそら豆のカプチー(kapchi de habas)だが、これにさらにキノコ(これも雨季にしか出回らない)を入れることもできて、そうするとキノコのカプチー(kapchi de setas)と呼ばれる。濃厚さと爽やかさが同居する料理だ。写真ではロコトの詰め焼き(rocoto relleno)と一緒になっている。

ペルー料理(豚肉スープ:アドーボ)

アンデスでは、そしておそらくラテンアメリカ全体でも、少し場所が違うだけでそれぞれに特色のある料理があって興味が尽きない。メキシコ料理やペルー料理など、世界的な流れに乗って有名になっていくものもあるが、そのすぐ隣に個性豊かな美味しい料理がそれほど知られずに存在している。そして、「ペルー」料理や「ボリビア」料理も、その内側に豊かな多様性をもっている。ここでは、とりあえずボリビア料理とペルー料理と言ってしまうことにする。

豚肉のかたまりがベースになったスープは、力をつけるための食べ物で、一晩中飲んだ後の明け方に好まれたり、週末のちょっとしたご馳走になったりする。ボリビアにはフリカセ(fricasé)という、黄トウガラシ(ají amarillo)をベースに豚肉を煮込むスープがあるが、ペルーには、チチャをベースに豚肉を煮込むスープとしてアドーボ(adobo)と呼ばれるものがある。この週末にはその作り方を教えてもらった。

すべての元になるのがチチャ(chicha)で、これはアンデスの白トウモロコシの発酵酒だ。この味加減で全体のスープの味が変わってくる。我々の家はクスコの街外れにあるのだが、「やっぱり地方の町のチチャの方が味がいいよね」と皆が口々にコメントしている。

豚肉は骨付きのかたまりを市場で買って、骨にそこで切り込みを入れてもらっておく。それを一人一人へのかたまりへと切り分け、ある程度の量のチチャに浸しておく。ニンニクをつぶし刻み、タマネギをみじん切りにする。

タマネギとニンニクを少量の油で炒める(「aderezoを作る」と言う)。そして豚肉を入れる。炒めるというよりは、浸していたチチャとともに茹でる感じ。

豚肉料理と言えば必要になるのがイェルバ・ブエナ(hierba buena)。ミント(スペイン語ではメンタmentaと呼ばれる)とよく似ているのだが少し違う。これを何本か庭から摘んできて、茎ごと投入して、水でひたひたにする。

この間に残りのタマネギをざく切りにして大量に投入する。残りのチチャをひたひたまで注ぎいれる。このタマネギがスープにコクを出す役割を果たす。

しばらく茹でたら、ロコト(rocoto、トウガラシの一種で丸い形をしている)を丸のまま入れる。これが裂けたりする(reventarするとスペイン語では言う)とスープが辛くてエライことになるので、そっと気を付けて入れる。家庭用の場合は大きいのを数個入れればいいが、店で出す場合は小さいロコトを買っておいて、一人ひとつ行き渡るように入れておく。

ここからかなり長く煮込む。豚肉が皮つきで入っていて、皮の部分が柔らかくなっているかというのが、ひとつの目安になる。


ロコトはくたくたになったら、破裂する前に取り出しておく。おそらくスープの味にうっすらとした辛味と旨みを加えているのだが、私はまだはっきりとは認識できていない。豚肉の茹で加減を確かめながら赤唐辛子(パプリカと同じか?ají coloradoと呼ばれる)を油で炒めてスープに入れていく。

仕上がりのスープの色はこんな感じで赤みを帯びる。豚肉も皮まで柔らかくなっている。

このアドーボを出すときはパンを必ず添える。今日はクスコ近郊の、パンで有名なオロペサ(Oropesa)という村のもの。クスコ市内のサン・ペドロ地区(かつてマチュピチュ行きの列車が出ていたところ)の市場では、オロペサのパンが買える。くたくたになったロコトは、種をよけて(死ぬほど辛いので)、皮の部分を切り分けてスープに辛味を添えながら食べる。ここは好きずきで、ロコトにまったく手をつけない人もいる。

このスープはかなりおもたくて、私の腹とあまり相性が良くないのだが(前は店で食べているからかと思っていたら、今回家で作って食べてもそうだった……)、しかしあまりに美味しいので、あまりそういうことを事前に考えずにおかわりをしながら食べている。皆が揃う週末の昼ににぎやかに食べる料理だ。

sábado, 12 de marzo de 2016

アンデスのスペイン語における動詞の活用の使い分け

アンデス地域において、特に先住民言語との二言語話者の人々が用いるスペイン語を「アンデス・スペイン語(castellano andino)」と呼ぶ。その特徴は、先住民言語の話者では既にない人々にも共有されている。さらに、より広い階層の人々のスペイン語まで含めてこの呼称を用いることもあるが、ここでは前者の狭い意味で基本的に使うことにする。

そのアンデス・スペイン語がもつ独特さに、前から注意を払うようにはしていたつもりではあったのだが、やはり自分は甘かったなと再認識する思いで、幾つかメモを書いておく。

(1)点過去に比べて現在完了が遥かに多く使われる。
 この点はスペイン語とスペイン語教育界ではそれほど知られていないことで、かつ点過去と現在完了の関係の地域的差異はスペイン語学全般における大問題なので、大分早い段階から自分でも意識していた。しかしこれは、特にアンデス・スペイン語でなぜそうなるのか、という問題でもある。そして、ごくたまに点過去が使われることはあって、それがどういう場面なのかが問題でもある。
(相手が現在完了で話したことを追認して繰り返すときに点過去を使う、というのが一つあるような気がするが、それもまだ要確認事項に留まっている。)

(2)線過去の使用頻度が高い。
 そもそも線過去の特徴づけはスペイン語学の中でも難しい話題で、たとえば「叙述の線過去」の位置づけに私は多大な関心がある。線過去と点過去はアスペクト(ある動作のどの側面を切り取るか)に着目して定義されることが多いが、そうもそこに入りきらないように思うからだ。
 アイマラ語圏のアンデス・スペイン語では、自分が直接体験した過去を示すremoto cercanoに対応するものとして、線過去の位置づけが与えられている。ただし、アイマラ語圏(ラパス、エルアルト)とケチュア語圏(クスコ)を問わず、過去の出来事を物語る際に、線過去が頻繁に用いられる。そもそもケチュア語の過去の接尾辞と、アイマラ語のremoto cercanoがどの程度対応するのかが、まずは検討されていない問題で、その上でケチュア語圏での線過去の使われ方とアイマラ語圏での線過去の使われ方が似ているか、も同じく重要な問題だ。

上のことは、まず最初に、アイマラ語の文書をスペイン語に翻訳する作業を、アイマラ語の母語話者の人と共有する中で気づかされていった面があり、またここし ばらくで日常会話のアイマラ語にもう少し丁寧に着目しようと思う中で、スペイン語について同時に意識するようになってきたことでもある。

文法による世界の組み立てに注意を払わなくてもコミュニケーションは成立してしまう。でもそれは、何かが狭間にボロボロとこぼれ落ちていくコミュニケーションだ。

そして、生活と言語は切り離せないとするなら、生活の一つの重要な部分を、私は自分の関わる家族たちと共有していなかったことにもなる。

viernes, 11 de marzo de 2016

ラパス・エルアルト国際空港の朝

空港の建物の改築が進んでいるにもかかわらず、相変わらず鄙びた感のあるボリビア・ラパス市のエルアルト国際空港。それでも朝一番には国内線と国際線の、ともに比較的小型のジェット機が頻繁に発着する。

夜明けと前後して、アビアンカ航空のボゴタ行きとアメリカン航空のサンタクルス経由マイアミ行きととが出発していく。

ボリビアの中軸を構成するコチャバンバとサンタクルスとの間は、国内線が頻繁に飛び交い、その合間に他の県都(スクレ、タリハ、コビハ、ポトシ)などとを往復する便が出る。朝は特に出発が集中するので、国内線の航空会社のチェックインカウンターは大慌てで殺気立つ。(列の割り込みも続出して口論も多発する……。)




ペルーのリマ行きは一日に何便もあるのだが(ラン航空が夕方や深夜に来ている)、アビアンカ航空(かつてのタカ航空)のリマ行きは、その朝の大慌てが一段落した頃に出ていく。

その後がペルーのクスコ行きの出発になる。まずクスコからペルービアン航空が到着すると、それを受けるようにしてボリビアのアマソナス航空がラパスからは先に出発する。クスコ―ラパス線は観光客が主体の路線だ。観光客の流れとしてはクスコからラパスに向かう方が多いため、ラパスから乗ると飛行機がかなり空いていることが多い。
 長いことボリビアの航空会社が週に三本ほど飛んでいる時期が続いていたのだが(しかも、リョイド航空のときもアエロスールのときも、それぞれの会社が倒産してしまい、この便が存在しない時期があった)、今ではペルービアン航空とアマソナス航空が両方毎日飛び、ペルービアンはそのままリマまで接続し、アマソナスはスターペルー航空と提携してリマまで接続している。航空会社間の競争があると料金が比較的安くなるので、この状況が続いてほしいなと私は思っている。


本来この二つの便の出発は30分ほど離れているのだが、アマソナスがクスコ空港周辺の濃い雲で着陸できずにモタモタしている間に、ペルービアンにすぐ後ろにつけられていたようで、クスコ空港への到着はほぼ同時になってしまった。

domingo, 6 de marzo de 2016

アンデスのスペイン語、家族のスペイン語

アメリカ大陸におけるスペイン語は、先住民言語の接触などにより、地域ごとに独自の様相を示す。アンデス地域で先住民言語との二言語話者を中心として話されるスペイン語を――もちろんその中にも多様性が存在する筈だと思うのだが――まずは一括りにアンデス・スペイン語(castellano andino)と呼ぶことになっている。

私がいつも時間を一緒に過ごしている家族のおばあちゃんは、アイマラ語の方がスペイン語よりも若干得意な二言語話者なのだが、スペイン語を話すといくつかの単語で接頭辞が落ちる。前から二つは把握していたのだが、今日話している間に思いがけずもう一つあることに気づいたので、ちょっとここに書き留めておこう。

(1)aparecer「現れる」がparecerになる。だから、No parece.と言うと「(話題になっているその誰かが)来ないねえ」という意味になる。動詞parecer自体の意味からすると「そうではないようだ」を頭に浮かべがちだが、そういうことではない。

(2)refrescoは、コカコーラやスプライトなどの炭酸飲料を指すとともに、果物の切れ端を水に入れて煮出し、砂糖で味付けをした飲み物を指すのだが、うちのおばあちゃんはこれをfrescoと言う。

(3)今日話を聞きながら気づいたところでは、preocupado「心配している」をocupadoと言う。ocupado自体は「忙しい」という意味で使われるので、Ocupado estoy.と今日言われたときに、忙しいのかと最初思って聞いていたら、どうも文脈に合わず、心配していると言っていたのだった。
(注:アンデスのアイマラ語やケチュア語には文法的な性の区別がないので、女性が主語の場合でも形容詞などを男性形で用いることが多くあり、ここもそうなっています。この記事を読んだ方からのご質問があり、補足しておきます。ありがとうございます。)

あまりこういう話は、アンデス・スペイン語の特徴として確認されていないような気がするが、そもそもうちのおばあちゃんの特徴なのか、それとももう少し広く見られる特徴なのかすら分からない。

もう一つは、それぞれの地域のスペイン語で、点過去と現在完了をどのように使い分けているかは大問題なのだが、そもそもうちの家族は点過去を使っていないのではないだろうか。線過去と過去完了にはアイマラ語の動詞の過去の形に対応した用法があるのだが(線過去はremoto cercano、過去完了はremoto lejanoに対応する)、それ以外は全部現在完了で話しているんじゃないだろうか。

前からボリビアのスペイン語は現在完了を多用するという印象があり、ただ点過去も使わないわけじゃないしと漠然と思っていたのだが、私自身が幾つかの社会集団をまたいで接しているから、いろいろとごっちゃになっているのかもしれない。この家族の使うスペイン語を、言葉を、もうちょっとちゃんと見つめてみよう。

sábado, 5 de marzo de 2016

アイマラ語の話(伝え残す教訓エウハiwxa)

昔から私がアイマラ語を教わっているフアン・デ・ディオス・ヤピータ先生と、久しぶりにゆっくり話をする機会があった。昨年は、向こうがボリビアにいなかったり、その次は私がボリビアの別の街で学会発表だけして日本にとんぼ返りをしたりなどして、互いの予定がうまく合わなかったのだ。

昔教えてもらっていた頃のように、最近あれこれと先生が考えていたことからポーンと一つ例を出してくれて、それを二人でああだこうだと検討する。

今日、話題によく出たのは、子どもや後進の者たちに何かを伝え残そうとする教訓の言葉で、これはアイマラ語ではエウハ(iwxa)と呼ばれる。アイマラ語では、この伝え残す教訓が一文ほどの長さで語られることが多く、これを耳にしたり目にしたりすると、いろいろと考えさせられるのだ。

(1)Jaq uñtasaw saräta.
アイマラ語のjaqi(ハケ)は「人」を指すのだが、これは<経験を積んで十分な資質を獲得するに至った人>という意味をもつ。いつも私は、日本語での「一人前」「成人式」「人物」「人として恥ずかしい」などの「人」と似ていると思っている。uñtasaは動詞uñtaña「じっと見る」の現在分詞、sarätaは動詞saraña「行く、進む」の2人称未来形。全体としては「参考になりそうな人物をじっと見ながらお前は歩むのだよ」ということになる。ここでの「人」は、「参考になりそうな人物」ということになるわけだ。

(2)Janiw sutij aynaqayitätati.
アイマラ語ではjaniwと動詞につく接尾辞-tiが呼応して否定文を作る。sutijはsuti-j(a)「名前・私の」、aynaqayitätatiはaynaqa-y(a)-itäta-ti「(棒状の物)を運ぶ・(使役)・2→1(あなたが私に)未来形・(否定接尾辞)」で、全体の意味としては「お前は私の名前を粗末に扱わせるんじゃないよ」ということになる(カッコに入ったアルファベットは、その母音が脱落していることを示す)。ここで面白いのは、「(棒状の物)を運ぶ」という意味の動詞aynaqañaが、「~を粗末に扱う」という意味で使われていることで、これも教えてもらってから二人でしばし考え込む。はてどういうことだろうね、おもしろいね。ちなみに、アイマラ語では「運ぶ」にあたる動詞が、運ぶ物の形状によって細かく分類されて用いられることが知られている。

ある言語への自分の感覚を育てようとするときに、このゆっくりとした時間の中でその言語の世界に入り込んで、ああでもないこうでもないと検討することは、計り知れない恩恵を私にもたらしてくれた。久しぶりに、あの頃の時間の感覚を思い出し、そして先生がどういう方法を伝えようとしていたのかを思い出した。

「私が覚えていられなくなったら、お前が覚えておくんだよ」 と言われた私は、でもまだ「いや先生まだ全然元気そうじゃないですか」と言い返すしかなかった。

ボリビア料理(リャマのスープ)

ボリビアのラパス県では、特にパカヘス郡(Provincia Pacajes)が牧畜の中心地になっている。比較的乾燥していて農業に向かない土地が多いのだそうだ。

その牧畜で重要な位置を占めるのが、アンデスのラクダ科の動物の一つであるリャマの飼育なのだが、行政上の首都のラパス市に近接する高原の街エルアルト市で、パカヘス郡へのバスが発着する場所は、そのリャマ肉の料理が食べられる場所となっている。この構図はなかなか面白い。都市の特定の場所が特定の農村部とつながり、その場所の性格が決定されている。

今回、食べに連れて行ってもらったのは、リャマのスープ(caldo de llama)。ふだんリャマの肉は食べていて筋っぽいなと思うことが多いのだが、このスープの肉はとても柔らかくなっていて驚いた。骨付き肉を長い時間煮込んであるからだろうか。

下の写真がそのリャマのスープだ。「お前は背中のところの肉が当たったな」と言われたが、確かにそんな形をしている。右上はトウガラシとトマトの万能調味料のリャフア(llajua)で、スープに混ぜたり、肉や芋に乗せたりする。


このスープが飲めるのは、クルセ・ビヤ・アデラ(Cruce Villa Adela)付近。ビアチャ(Viacha)の街へと向かう街道がエルアルトのビヤ・アデラ地区へと分岐する交差点の、ややビアチャ側に進んだ右手側に店が並んでいる。このあたりが、早朝にパカヘス地方へと向かうバスが次々と出発する場所で、これらの店もそれに合わせて早朝から品切れになる昼前後まで開いているのだそうだ。

もう一ヵ所のパカヘスとの交通の発着点は、同じエルアルト市の12 de octubre地区だ。先の方にCancha 12 de octubreというサッカー場があり、その周りにバスが発着するのだが、そこではリャマのチチャロン(chicharrón、味をつけた肉を油で揚げた物)やティンプー(timpú、茹で肉に黄トウガラシをベースにしたソースをかけたもので、もとの茹で汁をベースにしたスープが後から出てくる)が売られているのだそうだ。

リャマのチチャロンは、パカヘス郡へ行くと途中止まる町や市場で必ず屋台が出ているので、そこで口にすることもあるのだけれど(前にこのブログでも言及したことがある)、ティンプーは食べたことがない。どんな味がするだろうか。
(2016.3.6追記:ちなみにオルーロ地方には、リャマの干し肉(チャルケ)を炒めて作るチャルケカン(charquekán)と呼ばれる料理があって、これもとても美味しい。あとフリカセ(fricasé)というトウガラシペーストをベースにしたスープは、ふだん豚肉(たまに鶏肉)で作るのだが、これもリャマ肉で作ったりもするのだそうだ。)

martes, 1 de marzo de 2016

密度の高い思考形成の現場へ(『レネ・サバレタ・メルカード全集』完結)

ボリビアの20世紀を代表する政治思想家レネ・サバレタ・メルカード(René Zavaleta Mercado)の全集の刊行が、国内の出版社Plural Editoresによって、2015年に完結した。

最後の第3巻は、それ自体が第1部と第2部の二冊に分けて刊行された。ジャーナリストとして新聞に執筆していた論説記事(第1部)、本人へのインタビューや授業シラバスなど(第2部)、それまでの2巻に収められた単行本や論文以外の、雑多な書き物が集められているのがこの巻だ。

まだ目を軽く通している段階なのだが、この第3巻は貴重な貢献だと思う。編者が前書きで、まだすべてを発見し収録できたわけではない進行形の全集であると断っているが、それでも現段階としての重要性をもっている。

そもそも、第1巻および第2巻を通じて、著者の様々な時代の作品が通覧できる形になったこと自体が大きかった。サバレタの思想は、ナショナリストの前期、正統的なマルクス主義の中期、そして異端マルクス主義の後期へと分類することが一般的だ。しかし、実はサバレタが形成した概念とその背後にある社会の見方には、前期から後期まで通して取り組まれ ているものがあり、全ての期が一冊にまとまることで、生涯を通じたある種の連続性もまた見えてくるように思うのだ。

第3巻では、特に新聞への寄稿で、そのときどきの具体的な問題や事例をもとに自らの思考を展開している。全集の編者も指摘しているが、サバレタの特徴は新聞への寄稿でも平易な表現を使わないことにある。それは逆に言うと、具体的な事例からサバレタが自らの抽象的な政治的思考を練り上げていく、その瞬間が垣間見えるということである。また、第2部に収められている、晩年(1970年代以降)のメキシコでの授業シラバスに目を通すと、何に対抗しながらサバレタの問題関心が定位されていくのかを見出すことができる。(ざっくりいうと、従属論(teoría de dependencia)に対し、いかにそれぞれの社会の自律性と主体性を見出すかについての闘いだった、ということを再確認した。)

つまり、単行本や論文において密度高く展開される抽象的な思考が形成されていく、その現場を、ある程度まで後から来た世代の我々が追体験できるのではないかという期待を抱かせてくれるのだ。

それにしても、この全集に限らないのだが、なぜか一回の刊行部数が少なく、すぐに本屋から姿を消してしまう。 せっかく刊行されたのだから多くの人の手に渡ってほしい。私は私で、出版元が直営する本屋も含めてなかなか見つけられず、いろいろな本屋や古本屋を訪ね探し歩いた。なんとか見つかってよかった。出版元によれば、次の刷りまでは少し時間がかかるらしい。