domingo, 27 de noviembre de 2011

文化の継承(ニワトリ)?

私がよく日曜日を過ごしている家のニワトリたちは、むかし実は木に上がって眠る独特の習慣があって、その後この習慣は継承されなくなったと思っていたのだけれど、どっこい今でも続いていたのです。しばらく前に気付いていたのだけれど、今日(11月27日)やっと実際に写真を撮りました。

庭に一本ブーガンビリャ(buganvilla)(日本ではブーゲンビレアと呼ばれるのかな)の木があって、そこには梯子がかかっています。私が初めてここに来た2003年からずっとこうなっています。冬の間は茶色い部分が多くなっていたこの木も、夏に入ってきて一面に紫の色が回復してきました。もう夕方で、その下の辺りにうちのニワトリたちが集まってきています。 

梯子をバサバサと上っていく「一番鶏」。

新参者の若い鶏は「あれっ、まだ早過ぎたかな」と逡巡して結局戻ってもう一度餌をついばんだりして…、

でも段々と列ができてきて、 

おいちょっと後ろ詰まってるよ、早くしろよ。

こうしてブーガンビリャの木の中にニワトリがとまっているという珍しい光景が見れるのです。

こうして「ああ文化は継承されていた」と思っていたのですが、いやそうではないかもしれない…。僕が知っている「あの時」の後で、実は当時のニワトリは「毒殺」されて一度全滅しているのです。なので、前のニワトリを見て今のニワトリがそれを覚えたということはないのですね。しかも僕が買ったニワトリたちはこの写真の奥の納屋みたいなところで最初は寝ていたのですが、他のニワトリが二羽夜にさらわれた頃から、木に上がるようになったとおばあちゃんは言っている。このさらいに来た動物はsiki(シキ)と言う狐のような動物だというのですが、すばしっこくて誰も実際に見ていなくて、猫みたいな動物と言われることもあります。自衛のための必要に迫られた判断か、何らかの形で昔のニワトリの痕跡が梯子や木に残っているのか…。

そして、毒殺にカギカッコを付けたことも説明した方がいいかもしれません。この家の犬はここまでに何匹も死んでいて、これも「毒殺」されたと僕は説明されています。これは事実かも知れない。でも、外を出歩いている間に変な物を食べた可能性はある。この前に犬が死んだときは、下のサッカー場に行く途中に豚の死体が腐乱していたことがあって、僕はそれを犬が食ったんじゃないかと思ったりもしていました。でもいずれにしても、それはここの人たちの隣人たちの見方を確実に反映している、そういう裏をかかれるかもしれないという互いに足を引っ張り合う不信感が存在しているのでもあるのだなあと、そういうことは言えるのだろうと思います。
(ただし、ニワトリが全滅するのは誰かが悪さをしないと実現しないから、これは事実なんだろうなあとも僕は思っています。そして、変な物を食ったにしては続きすぎているとも言えます。)

動物はそれを買った人の性格が反映されるというので、今度はと思って私が選んでみた。そうしたら、「昼飯を食ったらそこら辺で寝てしまうとことかよく似ている」と言われている。前途多難かなあ、がんばれよ。そう簡単には死ぬなよ。