domingo, 22 de enero de 2012

ウミンタの作り方

トウモロコシの季節ももう終わりに近づいていて、そうなると一年に一回か二回かやってくるウミンタ(humint'a)という食べ物を作る日がやってきます。トウモロコシのパンのようなものだと言えばいいかな。これも一つの季節の風物詩かもしれない。トウモロコシ地帯では多分どこでも作られていて、ペルーではタマルと言うような気がします。今回はうちの家族の作り方を記録してみます。
山積みになった白トウモロコシ(choclo)を剥いていきます。これは中の粒が柔らかいもの(llullu)と固くなってしまったもの(q'ulu)に分けます。ウミンタに使うのは柔らかく水分を多く含んでいる方。硬いのは茹でてモテ(mut'i)と呼ばれるものにして食べたり、来週はこれでスープ(lawa)を作ろうという話になったり。ちなみに形が良くて大ぶりのものは、ルフ(luju)と言って、包んでいる葉(?)を丁寧にはがしていって、あとで包むのに使います。
粒を剥がしていって大きなたらいがほぼ一杯になるくらいになりました。
次はこの粒を挽いていきます。これ一杯を一回交代で家族の息子の男の子と。水分を多く含んでいるのでその分挽くのは楽なのですが、それでも腕が筋肉痛になるほど。
(でも別の人にバタン(batán、石でガタゴト挽くやつ)を使わないなんて楽してるよ~と馬鹿にされたw。)
挽いていくと、柔らかい水分を含んだ白いペーストのようなものができます。
それに塩と砂糖とシナモンとアニスと溶かしバターを加えたものを、トウモロコシの葉に乗せて、その上にチーズを一切れ乗せて、包んで鉄板に並べていきます。四角に包んだり三角に包んだり。
左下に大きいのが一つあるのは、下の娘がチーズを沢山いれた自分用の特別ウミンタを作って、分からなくならないようにしているのです。これはおばあちゃんも含めて、「昔はみんなそうやった」という話になったりします。今年はたまたま山羊のチーズをもらったので、試しに全員に一つ作ってみようと言って、それだけ包み方を少し変えて作ったりしました。
これをオーブンで焼いて出来上がり。(鍋で作る場合もあります。)今回は上の鉄板10枚分。一日がかりの仕事で、でも皆がこれが大好物なので、今年も上手にできたと言って喜んでいました。よくラパスの市場でも売っているのですが、あれはコーンスターチを混ぜているんだと言われていて、自家製のはもう少し硬めの素朴な味がするように思います。

miércoles, 18 de enero de 2012

アンデスの地形と商売と交通の便と

ラパス市から東側に聳え立って見えるイリマニ山の麓の村まで行く機会があって、こういうことをすると新しい経験であるとともに、今までのことと重ね合わせて思い出す感覚のようなものがある。

(1)
ラパス市内のロドリゲス市場。土曜日(と日曜日)は幾つもの道をしめきって大がかりな市が立つが、その一角にこんな看板が。今まで全然気づかなかったが、ラパスから谷間へと下るバスの一部は、こんなところから出ていたのだった。普段下りているバスと乗り合いタクシーが比較的多く出る谷へ行く停留所から、半ブロック道を曲がりながら上がったところにあった。
いつも面白いなと思うのは、バス(トラック)輸送と商いの関係だ。村との交通が改善されると、街に出てくるのは何よりもまず作物を売りに来る人たちで、この停留所の周りの市場の一角は、この谷間から出て来た人たちがしめていて、路上で物を売っているのだった。そして、ロドリゲス市場のメインの建物の一番上の階も、この谷から来た人たちだという。こうやって分かってくると、大がかりな市場が地区ごとの特色と合わさって、複層的に見えるようになってくる。
(ちなみにいつも行く谷の方の村にも、ロドリゲス市場に場所を持っている人たちの組合というものが存在している。)
そして、輸送に関わるのは必ず男性で、それを利用して作物を積んで行き来し商売をするのは主に女性だ。村と行ったり来たりする層が、こうやってジェンダーの役割分担と組み合わさって形成されていく。

ここはもう、ロドリゲス市場の他の街路よりも目に見えてアイマラ語圏だ。天秤が静かに反対側に移ったのを肌で感じる。全てのやり取りの基本がアイマラ語で、スペイン語は外の人とのやり取りのための言語になる、このバランス感覚のシフトだ。

(2)
アンデスの街に住んでいると、「出口がどこにあるか」という発想をするようになる。ペルーのクスコもボリビアのラパスもそうなのだけれど、谷間の街は比較的緩やかな傾斜のところに幾つか他の谷間への出口があって、峠を越えて雲と戯れながらもう一度別の筋の谷へと下りていく。
僕は、このもう一つ横の谷に、ほぼ毎週末下りて行って通っているお家があるのだが、そちらの谷は比較的なだらかで広くて、交通のアクセスもいいので、富裕層の週末用高級住宅地として土地が少しずつ買い占められつつある。しかし、もう一本横の谷はびっくりするくらい地形が急峻で、つづら折りの道がどこまでも続いていく。
まずはトウモロコシが植えられているのが目立つようになって(大まかに言ってラパスから上はジャガイモ地帯です)、その先に少しずつ果樹が見えるようになってくる。ここまでたどり着くまでに、隣の谷の約3倍の時間がかかる。
これだけぐるぐる回ると方向の感覚がよく分からなくなってきて、村で夕暮れを迎えながら、一緒に行った家族と「何であっちの方角に太陽が沈むんだ!」と大騒ぎをして、いつも行っている村ではあっちに沈むから、とか、ラパスではあっちに沈むから、とか、色々と考えながらなんとか位置関係を掴もうとみんなで四苦八苦する。


昔は一日に一本のトラックしかなかったそうで、そんなに簡単に帰れないかなと思っていたら、今は少なくとも1日に4本はバスが行き来しているようだ。
アンデスの村々との交通アクセスはここ15年ほどで大々的に変わりつつある。それは、本当にごく最近の話なのだ。

sábado, 14 de enero de 2012

馬とロバの間で

去年このブログに、「先住民的なポストコロニアル思考に向けて?」というエントリーを書いたことがある(スペイン語)。
http://lapazankiritwa.blogspot.com/2011/09/hacia-el-pensamiento-poscolonial.html

私のアイマラ語の先生のJuan de Dios Yapitaは、馬とロバ(asnu)のたとえ話を最近よくする。馬はロバのことを良く知らなければいけないし、ロバも馬のことを良く知らなければいけないんだ、と。この話では、馬にはボリビアの混血層が、ロバにはアイマラの人々が念頭に置かれている。
(厳密にいうと、スペイン語単言語話者とスペイン語・アイマラ語二言語話者と、アイマラ語単言語話者とという区別になっている。)

この話が面白いなあと思うのは、権力関係(relaciones de poder)まで含めた文化間の相互関係(interculturalidad)を上手に喩えているように思うからだ。そしてそれはアイマラの側から見た考え方なのだ。

混血層は、声が大きく、もったいぶっていて、よく知らないことでも自信たっぷりに話す。parlanchinとかphaku-phakuとか言うのは、そういうことを表す言葉だ。

アイマラの人々は、むしろいつ話そうか慎重になる。大きな声で話すのは尊敬を欠いていると考えられることが多く、批判されるかもしれないと気を付けながら、話すべきときとそうでないときをよく見分けないといけない。Janiw parlañakïkiti (no hay que hablar nomás)とか、Jaqjamaw parlaña (Como gente hay que hablar)と言うのは、そういう教えだと考えていい。

熟考したうえで知識と経験に基づいて話し、人としての「道(thaki)」をついて歩こうとする(注1)。そこには、文句を言うだけでない、自立したアイマラとしての人間の在り方を、伺い知ることができるのだと思う。(私の先生は、自分たちが抑圧された側(subalternos)になってはいけないと主張する。)

(注1)Nanakax jayp'uyapxta. Jumanakax sarnaqapxakipunrakchïtaya. (Nosotros estamos anocheciendo=envejeciendo. Ustedes seguirían por el camino.) (Conversación con Juan de Dios Yapita, 14 de enero de 2012)

jueves, 12 de enero de 2012

物々交換が作り出す「場」

1月2月のアルティプラノ(ボリビア西部に広がるアンデス高原部)は本当にきれいだ。ジャガイモの紫の花が咲いて、ソラマメやキヌアが緑色に畑を勢いづけて、長いこと一面茶色の景色に馴染んでいると、ここはどこだっけと一瞬びっくりしてしまう。チチカカ湖の青色とのコントラストも美しい。

前回のエントリーで書いたが、果物をもって物々交換に出かけるのに付いていくことができた。僕は昔から横で物々交換をやっているのを見ていたことはあったのだけれど、ペルーの山の中の市に付いていっていたあの時は雑貨を売っていたので、自分が実際に交換をやる側の中にいるのはこれが初めての経験だった。近くで見ていて、そうだったのかと気付いたことが幾つかあって、それを書き留めておこう。

(木箱とバスケット(カナスタ)に、新聞紙を敷いて、果物を詰めて、その辺の草を刈り取ってきて詰めて、移動中にこぼれないように、アワユ(アンデス版風呂敷)やサカニャ(プラスチックの袋を開いたもの)で包む。)

交換するのに売り手と買い手というのもちょっと変な気がするが、今回明らかに交換していたのは、果物を持って行ったうちと、服などを売る横でエンパナーダ(チーズをはさんだパン)の固くなったの(!)を持って行った横のおばちゃんで、これを売り手側としよう。買い手側の村の人たちは、乾燥ジャガイモ(チューニョ(ch'uñu)とトゥンタ(tunta))か、乾燥オカ芋のカヤ(kaya)か、ソラマメ(hawasa)を乾燥させたものを持っている。これらは全て保存が利くので、ある意味通貨のようなものだと言えそうな気がする。
(なんで固くなったエンパナーダ?とは聞けなかったのだが、日持ちするという意味でちょっと似ているかもしれないな。ビスケット(galleta)みたいでしょう?と横のおばちゃんは買い手の人たちに説明していた。)

まず我々の品物の先にアワユやマンティーリャなどの布を広げる。これが交渉の場を作り出す。

欲しい人たちは、向こう側に並んで、それぞれ自分の前に保存食を差し出す。目安としては両手で軽くすくうくらい。見ていて思ったのだけれど、これは市場でun montón(一杯)と言うときとほとんど同じ量で、ある種の目安として共有されているのかもしれない。

そうすると、こっちはそれを見ながら梨やプラムを相手の袋やエプロンの端やアワユ(アンデス版風呂敷みたいなもの)の中に投げ込む。量はどうやって決めてるの?と尋ねてみると、「うーん…」と考えて、梨は10個でごねられたらあと1個、プラムは適当だねと答えられたが、よく見ているとプラムは片手で3掴みくらい。大体向こうは「少ない」とか「まだ緑の梨を別のに替えろ」と言ったりしてきて、今年は梨が不作だからを理由にして大体突っぱねていた。
(これは間違っていなくて、本来は梨を交換したい人たちの列が一列にできるらしいのだが、今日の木曜市は我々の他にはあと一人しかいなかった。ちなみに、渓谷部(valle)の梨が不作だと高原部(altiplano)のジャガイモが豊作になると言われていて(逆もまた真らしい)、今回も何度かこれを言う場面に出会った。)

交渉が成立すると、その差し出した乾燥ジャガイモなどは、こっちの手前に掻き込んできて、場が空になって、もう少し欲しい場合はもう一度仕切り直して、乾燥ジャガイモなどを差し出すところから。

果物が採れない高原部では意外なほどに大人気で、ハンコアマヤ(Janq'u Amaya)という小さな町の木曜市に、前日の夕方7時頃に着いたのだけれど、広場にいる人たちがすぐに集まってきてその夜のうちに少しはけてしまって、翌日は朝の5時から始まって朝の9時ごろには大方おしまいになった。これで一年弱分のチューニョやトゥンタが手に入るというんだから、やはり物々交換が依然として重要な役割を果たしているんだと改めて実感した。

ちなみに交換するはアイマラ語でtrukañaかと勝手に想像していたら(truequeから)、そうではなくてalkatañaらしく、色々な人がAlkatt'itayと言ってくる。うちのおばあちゃんにも、Has ido a alkatar ¿no?と言われたりした。でもアイマラ語の辞書を見てみると、この動詞の元々の意味はacercarse(互いに近づく)と書いてあるのだなあ。

PS 物々交換とは関係ない、もう一つの発見。頭では分かっていたのだが、チチカカ湖畔の斜面に囲まれた土地は、案外寒くない。アドべ(土レンガ)の壁に囲まれて、商人の人たちの中で毛布にくるまって雑魚寝して、すごい寒いかと思ったら全然そんなことはなかった。

1月15日追記:
alkatañaのことが気になっていたので、アイマラ語の先生のJuan de Dios Yapitaに尋ねてみた。「Alt'asitay (Comprate)とか言わないの」などブツブツ言いながら考えていた後で、「まさにお前の言っている、場を挟んで渡し合うやり取りなんじゃないのか」と言われる。そうか。-kataは「ある場を渡る(atravesar de aquí para allá)」という意味をもつ接尾辞で(川を渡るときなんかにこれを使う)、上に記したアイマラ語の辞書の意味もそこから来ているのであったよ。そう考えると、結構すっきり理解できるんじゃないかな。なるほどね。

domingo, 8 de enero de 2012

アンデス渓谷部の繁忙期

今年もやはりこの話が続きます。

高原部(アルティプラノ)とは全く異なる農業サイクルをたどる渓谷部では、先月ジャガイモの収穫がもう終わっていて、今はトマトやらトウモロコシやらの最盛期。うちの家族は小作のような形で土地を得ているので、半分くらいは持って行かれるけど、やはり採りたてのチョクロ(白トウモロコシ)の味は格別。ここではウミンタ(humint'a)という、白トウモロコシをすりつぶしたねっとりとしたものに、レーズンやチーズを入れて、トウモロコシの葉で包み直して、オーブンで焼いたものがあって、うちはそれを来週作ろうということになっている。すりつぶすので腕がとても疲れるのだけど、すごく美味しいのだ。

そこから先は、おばあちゃんと二人でトウモロコシを収穫しながら。

ここの地域の農業組合は、(確か)税金の滞納に乗じて(…所有者が死んでその後の手続きを適切に家族がしなかったとかかもしれない)、二か所の土地を占拠するという実力行使に出ていたのだった。片方の土地には学校を建てたいということになっていて、そこの書類手続きのために組合構成員一世帯あたま400ボリビアーノスが徴収されることになった。全部で37世帯。高っ!日本の通貨で6000円くらいなのだけど、この家族のお母さんの月収の80パーセントだよ!そして、その土地は市(メカパカ市)の所有になって、学校の誘致・運営とかも市の担当になるはずなのに、そこまでの過程で組合が資金を負担するんだと気付いて、世間勉強になった。

そしてさらに、先生に金を払わないといけないとおばあちゃんがボヤいている。先生の給料は教育省から支払われるんでしょうと聞いてみると、うちの子供の行く学校の音楽の先生が別のところに移りたがっているらしく(農村部ではそういうことはよくある)、引き留めるために組合から少し余分にお金を出すんだということらしい。なるほど…。うーん…。

今年は梨がかなりの不作。プラムはほとんどだいぶ熟れてきている。渓谷部では霜が降りないので、ジャガイモベースの保存食品(チューニョとトゥンタ)が作れない。だから、毎年家族から誰かが物々交換をしに高原部(アルティプラノ)のチチカカ湖畔の木曜市に出かけていく。今年は今週行こうということになっていて、前々から行きたい行きたいと騒いでいた私も付いて行くことになった。

(補足―以前の記事の訂正)
あの後いろんな人に聞いていたら、どうもニワトリはそもそも夜は高いところで寝る習性を持っているらしくて、木に梯子を立てかけておくと普通に上っていくらしい。そうだったのか!

martes, 3 de enero de 2012

夜の入り口

ずっと夜の始まりの時間が苦手で、その時間から深夜まで続けて作業をするというのが苦手だった。

考えてみたら、長いことこの時間は仕事(塾の講師)をしていた時間帯だから、身体のリズムがそうセットされているのかもしれない。

ご飯を食べた後で、早めに一回寝てしまって、深夜に起き出して作業をしたり考えごとをするという変なパターンが出来てしまっていたのだけれど、そして論文を実際に書いているときほどそうなりがちなのだけれど、なにかそれはおかしい気もしていた。

時間がゆっくり夜に入っていって、静かな夜の時間が重なっていくことを、自分一人で受けとめることができてないのかもしれない。変なあがき方をして、深夜に冴えているふりをして、そうでないと感じ取れないことはなんだというのだろう?もっと丁寧に、沈みながら、時間の経過を感じながら、何かを見出し続けていけるんじゃないだろうか。

自分一人の、今年の、ちょっとした抱負。