miércoles, 22 de diciembre de 2021

旧道から見える風景

辻堂駅の方から勤務先の大学のキャンパスに向かう際に、旧道を通ると天気が良い日に富士山が見える場所が、何か所かある。しかし、本数が多くキャンパスの中に入るバスの路線は、3年ほど前から広くまっすぐ進む新道を通るようになり、旧道に入らなくなってしまった。

だから私はキャンパスの外側を回っていく、昔からのバスの路線に乗って通勤することが多い。この路線は一日に6本くらいしかなく、街中でも郊外の農地でもいろいろと細い道を縫うように通っていくので、運転が上手な人が運転手に配置されることも多く、景色を眺めているのも楽しい。新道を直進する路線よりも少し時間がかかるが、中学生や高校生はこの路線の存在自体に気づいていないので、常に座れるのもありがたい。

今日も富士山がきれいに見える。高圧線がちょっと邪魔だけど。




 

 

sábado, 18 de diciembre de 2021

【アイヌ語口承文学の名言その3】悲しさと悔しさにジタバタする

 (出典――四宅ヤエ「兄と夫を風の女神からとりもどしたある女性の話」藤村久和・若槻亨訳注『四宅ヤエ媼伝承――アイヌの神々の物語』藤田印刷エクセレントブックス、2018年。)

感情と行為のとても具体的な描写が強く印象に刻まれる、そのような語りもある。

この白糠の四宅ヤエさんが語った神謡(オイナ)では、主人公の女性が夫と兄と暮らしていて、この夫と兄は、狩猟で蓄えた鹿と熊の毛皮をもって交易(ウイマㇺ)に出かけていく。しかしこの二人はずっと帰って来ないので、主人公が心配して待っていると、ある日――

V [ay] pirka cip / V [ay] nisor_ ta / V [u] yan h_ike / V an=sikkote / V inkar=an h_ine
立派な舟が 空中を 陸に向かってやって来るのを 私は目をすえて じっと見ていると
(pp.180-181:Vはこのオイナの折り返し句でrera rera suy suy、[ ]内は音節数を合わせるための虚辞、表記と日本語訳を若干変更している)

そこには夫と兄が乗っていて、さらに「神なる淑女(カムイ カッケマッ)」がいる。このカムイの正体は物語の中でアイヌ語で示されてはいないが、この神なる淑女が風のカムイであることが、折り返し句や藤村さんの解説から分かる。このカムイが、立派な首飾り(カムイ イムタッ:四宅ヤエさんによれば「タマサイ」ではなくこのように物語では言うのだそうだ)と引き換えにこの二人を自分にくれるように、主人公の女性に言う。そして、女性がこれを拒否して、首飾りをバラバラにして投げ返すと、その舟は消えてしまう。続いて、この主人公は悲しさと悔しさにジタバタする――

V yup utari / V oya ipor / V an=ciskoterke / V an=tekporapora / V an=teksuyesuye / V ta sirki wa / V [u] mun kaske peka / V karkarse=an kane / V otappa aine
兄たちの 別人のような顔色に 私は泣き転がり 私は両手をばたつかせ 両手を空で振りまわし そのようにして 外庭の草原を 転げまわり 砂塵を巻きあげたあげくに
(pp.184-185)

情景が絵として目に浮かぶような表現だ。同時にここは、アイヌ語では、iporが兄たちの顔色なのに所属形ではなく概念形になっていたり、ciskoterke、tekporapora、teksuyesuyeのそれぞれの動詞が、自動詞でありそうなのに他動詞の人称接辞がついている(つまり直前のyup utari oya iporを目的語にとっていることになっている)のが、アイヌ語のかたちとしても気になる箇所である。

考えてみると、主人公が家を出て何かの冒険に巻き込まれ、かなりの期間家を空けてしまうという、家の外の目線から語られる物語の方が多く、家に残された側から語られる物語の方が少なくて、それで印象に残るのかもしれない。そして残された側から語られる物語の場合、夫や兄がカムイに連れて行かれてしまうことも多いのだが、さいわいこの物語では、夫と兄が無事に家に帰ってきて、主人公は元のくらしを取り戻し、夫とのあいだに子どもができ、兄も結婚して子どもができ、ということになる。



miércoles, 3 de noviembre de 2021

学生たちが一緒に考えてくれる嬉しさ

非常勤先では、とても珍しいことに、4年間のうちの3年間を教え続けた代の学生たちがいて、その4年生の必修のスペイン語講読の授業を火曜日に担当している。難しい社会や文化や政治のテーマを一緒になって考えてくれて、毎週とても充実した時間を過ごしている。スペイン語でそういうことをできる段階にまで、この学生たちと到達できたことが感慨深く、ああこの学生たちも大人になったんだなあと、しみじみした気持ちになる。あと少しで、この人たちも卒業していく。



 (写真は10月12日の夕暮れ、神奈川大学みなとみらいキャンパス)

sábado, 23 de octubre de 2021

【アイヌ語の口承文学の名言その2】超強力なのに全く役に立たない「魂の入った眼座」

(出典――砂沢クラ「キンラコロポイヤンベの話」『人々の物語』アイヌ無形民俗文化財記録第三輯、アイヌ無形文化伝承保存会、1983年、pp.177-200。

osiso ka ta cise kor nispa a wa inunpe kay ne inkar wa an kusu inkar=an awa inunpe ka ta ramat un sikso an wa nep cikap ne yakka ramat oma p tan kotan ek a ranke kor inoka a=nuyekar wa an w_a siran.

(右座には家の主人が座って、炉縁へと目を向けているので、私も目を向けたところ、炉縁の上に、魂の入った眼座があって、何の鳥でも生き物(魂の入ったもの)がこの村に来たら、その姿が映し出されている様子だ。)【石狩のアイヌ語】

 

【アイヌ語の解釈】

「右座」のことをosisoともsisoとも言う。「右」というのは分かり難いが、入口にあい対してというか、上座から見て炉の右側にある座のこと。osiso ka taで「右座・の上・に」。cise kor nispaは「家・を守る・旦那さん」で、「その家の主人」という意味で様々な地方のアイヌ語で使われる表現。aは「座る」という動詞の単数形で、接続助詞のwaで後ろに繋がる。

家の主人は、inunpe kay ne inkarしている。inunpeは「炉縁」を指す。kayはおそらく位置名詞ka「~の上」がこのような形にもなるのだと思うが、十分に他の用例が確かめられない。neは格助詞で「~へ、~に」という向きを示すはたらきをする。inkarは「眺める、目を向ける」という自動詞。ここでは自動詞が使われているから、inunpe kay「炉縁の上」と動詞は格助詞でつながれなければならない。inkar wa anは「見ている」で、家の主人は炉縁の上に目をやった状態でずっといることになる(だから主人公が忍び込んでいることに気づかないのだろう)。そうすると、主人公も自然とそちらに目をやることになる。kusuは「~ので」と理由を示す接続助詞で、inkar=anは主人公の動作を示している。awaは「~したところ」を意味する接続助詞(過去または完了の助動詞aとwaが結びついたもの)。

inunpe ka taのtaは、「~で、~に」と場所を示す格助詞で、炉縁の上にramat un sik-so「魂・~がついた・目の・座」という物がある(an)ことになる。nep cikap ne yakkaは「何の・鳥・である・~ても」という、文法用語としては<譲歩>を示す表現。ramat oma pは興味深い表現で、「魂・~に入っている・もの」で「魂が(そこに)入っているもの」ということになり、浅井亨さんは「動物」とこれを訳していて、どうもそういうことなのだろうと私も思っているが、十分に他の用例が確かめられない。

この続くtan kotan ek a rankeには、実はよく分からないところがある。tan kotanは「この村(コタン)」なのだが、ek「来る」は自動詞なので、kotanにそのまま続くことはなく、何かしら格助詞が入りそうなものである。かつ、後ろのaは過去又は完了のはたらきをもつ助動詞で、rankeは頻繁に行われる行為を示すはたらきをする助動詞なのだが、このようにa rankeと結びついているかたちが、あまり見当たらないようである。korは「~すると」を示す接続助詞なので、とりあえず「この村に来ると」ということかな、と考えてみる。

そうすると、i-noka「その物の・形象」がnuyekarされる。ここのa=は、主人公を示すのではなく、不定人称で受け身のはたらきをしていると考えられる。nuye-karは、nuyeが「彫刻する、刻む」という意味の単語で、nuyekarで「描く」という意味になる。つまり、a=nuyekarで「刻まれる、描かれる」つまり「模様がそこに浮かび上がる」ということなのだろう。siranは視覚的な根拠にもとづく情報であることを示す動詞で、「~の様子なのだ」といった意味になる。

 

【物語の解釈】

英雄叙事詩というジャンルの物語では、一つの話のなかに興味深いアイテム(私は「マジック・アイテム」と呼んでいる)が登場することがあり、ここで出てくる「魂の入った眼座」というのは、その一つだ。これはアトゥイヤ コタンという村での描写で、この場所を語り手の砂沢クラさんは中国だと考えているようだ(p.199の注2)。

その村の村長が上の引用した箇所で出てくる家の主人であり、彼はシネン アㇱ ウシ カムイ ラメトㇰという名をもっている。浅井亨さんはこれを「一人立ち大勇士」と訳している。この者が、「魂の入った眼座(ラマトゥンシㇰソ)」という物をもっていて、それをじっと眺めている。これは村に近づいてきたものを全て映し出してしまうのだそうで、sikso「目の・座」というからには、炉縁の表面の一部に、全てを映し出す目のようになっている部分があるのだろう。われわれが考えるところの「鏡」のようなものかもしれない。このアイテムがあることで、このアトゥイヤコタンは外敵の侵入に対して強い防御の力を得ているようである。

なぜ主人公のポイヤウンペがこのアトゥイヤコタンに来ているのか。育ての兄に養われている主人公は、大きくなって狩りに行ってくるよう兄から言われ、出かけた先で鹿を矢でしとめるのだが、そこで母親がアトゥイヤコタンで切り殺されたことを思い出し、そのままでは家に帰れないと思って、アトゥイヤコタンへと風に乗って海を越えて飛んでいく。当座の通過儀礼としての<初めての獲物をとる>という行為と、歴史のなかの代々の因縁を晴らそうとするとする行為が連続するのであり、私はこれを物語の構成における「マルチタスキング」と呼んでいる。

英雄叙事詩の主人公は、昔から続く戦闘の因果に巻き込まれていくのが定番なのだが、この場合は、母親の仇をとるというのが主人公の動機になっている。父親の来歴は全く語られない。このようなかたちは、少し珍しいかもしれない。

そしてまた、おもしろいことに、この「魂の入った眼座」というマジックアイテムは、全く役に立たない。主人公は、家の主人すなわち村長に全く気付かれずに家に入り込み、その妹にかたらいて恋仲となり、急に出ていって主人に切りかかり、その先に村の全員を切り殺してしまう。その恋仲となった相手すら、最後には主人公の刀の先に引っかかって動けなくなり、その片方の乳房だけもぎとって、主人公は獲物の鹿を背負って家に戻ってしまうのだ。主人公がKinrakor Poyyanpe(キンラコㇿ ポイヤンペ)と呼ばれる所以であり、これを浅井亨さんは「激情若大将」と巧みに訳している。ちなみに、件の女性は、家に戻ってからポイヤンペが天に向かって放ったramat un ipe op(ラマッ ウン イペ オㇷ゚:魂の入った人喰い槍)に刺さって天から下りてきて、主人公と兄とともに暮らすことになる。

全てを見通せる監視カメラのような眼座(鏡)が存在したとしても、英雄叙事詩の主人公ポイヤンペの強さの前には役に立たないということに、私は少し嬉しい気分になる。


jueves, 21 de octubre de 2021

秋を失いつつあるわたしたちは……

10月の半ばすぎで、大学の裏側のバス停を下りたところの農家では、椿の花が咲き始めている。秋という「あわい」の季節を失いつつある私たちは、夏の蒸し暑さから冬の寒さへの急な移行にとまどっている。

 


 

 

【アイヌ語の口承文学の名言その1】魔物の合体に継ぐ合体と、数字の「6」

(研究のためのノートを取っているのですが、せっかくなのでその断片を公開しながらいきます。)
出典:「トミサンペッの女がトゥスをして許婚を蘇生させた話」『冨水慶一採録四宅ヤエの伝承――歌謡・散文編』四宅ヤエの伝承刊行会、2007年。

pp.128-129
repunkur atuy yaunkur atuy, atuy utur
atuy asam ta atuy rasanpe iwan rasanpe sinep ne yaykarika
otasaw ... sawrasanpe [ota sam ta ota rasanpe?] iwan rasanpe sinep ne yaykarika
na ota rasanpe ne wa atuy rasanpe sinep ne yaykarika menoko ne an ike
atuy corpok ta pirka cise kor wa an ike

沖の人の海と陸の人の海、海のあわいに
海の底で海の魔物、六つの魔物が一つになって、
浜辺で浜の魔物、六つの魔物が一つになって、
それからまた、浜の魔物と海の魔物が一つになって女になったもの、
海の下で綺麗な家をもち、そこに住んでいるものが

 

【アイヌ語の解釈】
repunkurはrep-un-kur「沖・に住む・人」、yaunkurはya-un-kur「陸・に住む・人」で、レプンクㇽは海の向こう側の島に、ヤウンクㇽはこちら側(北海道)の島に住む人を指すようだ。repunkur atuyは海の向こう側、yaunkur atuyは海のこちら側ということになる。uturは「あいだ、あわい」を意味する位置名詞なので、atuy uturとは向う側の海とこちら側の海の、ちょうどあいだくらいの場所ということになる。人間が住む世界からは、ちょうど一番遠い場所になる。

asamは「~の底」を意味する位置名詞なので、atuy asam taで「海・の底・に」となる。rasanpeはなかなか見慣れない単語だが、『アイヌ語方言辞典』で美幌の菊池クラさんがto rasanpeで「湖の悪魔」だとしたという記録があり、「魔物、悪魔」という意味の道東(の一部?)で用いられる単語なのだろう。atuy rasanpe「海の魔物」とiwan rasanpe「6つの魔物」は同じ存在を指していて、対句的に並んでいる。yaykarikaもなかなか見慣れない単語だが、田村雅史さんが解釈しているように「変身する」でよいのだと思う(様々な地域のアイヌ語でこれはyaykarと言う)。sinep ne yaykarikaで「一つ・に・変身する(合体する)」となる。
(注――ちなみに同じ四宅ヤエさんは別の物語で、an=yupi utari / oman rukoci / an=yaykarika / an=nospa ki wa / paye=an ike(私の兄たちが 行った足跡を まわって 追いかけて 行って)という使い方をしている(『冨水慶一採録四宅ヤエの伝承――韻文編2』四宅ヤエの伝承刊行会、2012年、「第8話 オタスッツの男の自叙――キムンナイの長者を危篤から救ったオタスッの末っ子の物語」p.187)。yay-kari-ka(自分・回る・~に…させる)という語構成を考えると、後者の使われ方の方がこの単語はしっくりきそうだ。)

その後ろでも四宅ヤエさんは言い迷っているが、[ ]で補われている表現が対句としても正しそうで、ota sam ta「浜・辺・で」となり、ota ranpe「浜の魔物」とiwan rasanpe「6つの魔物」が同じ存在を指していて、対句的に並んでいる。naは「まだ」を意味する副詞、ne waは二つのものを結びつける言葉でota rasanpe「(6つが1つに合体した)浜の魔物」とatuy rasanpe「(6つが1つに合体した)海の魔物」を結びつけている。これがもう一度sinep ne yaykarika「一つに合体し」、menoko ne an「女性・になって・いる」、ike「そういうもの」となる。

corpokは位置名詞で「~の下」を意味する。atuy corpok ta「海・の下・に」pirka cise kor「きれいな・家・を持つ」、そしてkor wa anで「持っ・て・いる」となる。上の...menoko ne an ikeと、ここの...pirka cise kor wa an ikeが並べられて、同じものを指している(同格になっている)。

 

【物語の解釈】
アイヌの物語の世界では、カムイがしばしば人間に横恋慕をして、魂を奪い取ってカムイのくに(カムイ モシㇼ)で結婚しようとする。ここでは、主人公の女性(シヌタㇷ゚カウンマッ)の許婚のイヨチウンクㇽに、魔物の女が横恋慕をする。そして、その魔物の女性は、複数の魔物が姿を変えていることになっているのだが、その過程が合体に合体を継ぐすごいことになっている。海の底で6つの魔物が、浜辺で6つの魔物がそれぞれ合体して、その2つの魔物がさらに合体して1人の女性(魔物)になるということで、合計して12の魔物からなる女性というのは、聴くからにたいへん恐ろしげで強力な存在である。

このようにアイヌの世界においては、「6」という数字を基盤として世界の様々なことが組み立てられており、この物語で「6」が出てくるのは魔物の数だけではない。この魔物の女性が横恋慕した相手の魂を奪い取ろうとするのだが、この魂も6つの「小さな玉」からなることになっている。魔物の女性に魂を取られていく主人公の許婚イヨチウンクㇽは、病になり床に臥せって、息も絶え絶えになる。この魂が5つまで取られてしまい、あと1つという絶体絶命の窮地に陥る――
na sine pon tama uk ciki ray ciki ramaci uyna kuni yaysanniyo(さらにもう一つ小さな玉を取って(イヨチウンクㇽが)死んだら、その魂を取ってやろうと考え)(p.129)
アイヌ語を見ると、6つあるものはpon tama「小さい玉」であり、これが6つ集まってramat「魂」を構成しているらしい。ちなみに、『四宅ヤエの伝承』における日本語の訳では、この両方が「魂」と訳されている。

主人公の女性シヌタㇷ゚カウンマッは、これにどのように対抗しようとするか。実は、この主人公はトゥスとアイヌ語で呼ばれる巫術の力をもっており、床に臥せっている許婚の病の真の原因が魔物の女性であることを見通し、魂を取り返しに行く。巫術で見通すと、目の前がパッと開ける感じがするらしい――
tusu=an kane paye=an ine, ayne inkar=an ike, an=siketoko maknatara(トゥスをしながら進み、しばらくすると、私の目の前がぱっと開けて、次のような様子が見えてきました)(p.128)
このように、この物語についてはトゥスについての興味深い描写もある。

そして、シヌタㇷ゚カウンマッは奪い取られた許婚の小さな玉たちを取り返し、許婚イヨチウンクㇽのもとに行き口から飲ませる。それによってイヨチウンクㇽは活力を取り戻し、主人公の女性は無事に結婚を実現し、幸せな生活を送ることになる。このように、女性同士の巫術対決は、アイヌにとっての病いと<いのち>のあり方を垣間見せてくれるのだ。

参考――
「道東のアイヌ語テープ大量発見――白糠の故四宅さん40年前録音」『北海道新聞』2007年3月26日
(URL: https://blog.goo.ne.jp/ainunews/e/b7677dd3aa012540afd9a948335d9dfa



sábado, 9 de octubre de 2021

いろいろな言葉で仲間を追悼する

アンデス・オーラルヒストリー工房(Taller de Historia Oral Andina)では、この2年に亡くなってしまった先人たちを偲ぶセッションを連続で開催している。そして今回は、メンバーで創設者の一人でもある仲間を追悼するイベントであった。

この仲間の家族たちをも招き入れてのイベント。常に大量の酒を飲み、明るく朗らかで、家族と仲間をつなぎとめていくような女性だった。ラ・パスのカルナバルの最終日のチュタの踊りに皆で参加しにいったことが、懐かしい。

常にもう少し話したいと思っていたのだが、私が標高の高い場所では一瞬で酒が回ってしまうので、何を話したのかすら、よく覚えていない。今度私がそっちへ行ったら、あちらの世界ではそんなにすぐに酔っぱらわないで、もっと話せるんじゃないかなと思う。

個人の軌跡というよりも、家族として、組織の仲間としての思い出を大事にする言葉が続き、これまでのイベントともまた少し違う色彩を帯びていく。アカデミックな領域に参入しながらも、そのような形式的にきれい」ではない語りや、家族の語りに常に立ち戻って、それを大事にしていく、それはそれを標榜する組織にとっても簡単なことではないわけで、常に危ない刃の上を歩いて渡っているような気持ちになる。今回のがうまく成立して、本当に良かった。

 


miércoles, 29 de septiembre de 2021

まったく新しい光に照らされる、繰り返されてきたモチーフ

ああそうか、この人はこんなところに出ようとしていたのか。『3月のライオン』第16巻を読んで、少し驚いた。

『ハチミツとクローバー』から何度も繰り返されてきたモチーフが、まったく新しい光の下で立ち現れて、私は呆然として、深く納得して、そして心の底から恐ろしくなった。

全ての伏線を(しかも時には何度も)回収し(※)、死への欲動まで抱え入れて、それでも真っ直ぐ前に進めるとは。若さと老練とが同居しつつ、そこにはあるということなのか。ああそうか、それでも前に進めるのか。

そして、この光がキラキラする場所は、かつて宗谷冬司が見せてくれた場所へと、桐山零が自分で辿り着いたということでもあるのだろう。

闇の力ではなく、光の力で進めるようになることは、10代の若さの中では切実な課題の一つなのだろうと思っていて(教育産業でも闇を上手に利用して商売をしている人たちがいるから)、そこに確かな執着心に満ちた道が示されたのだな、とも思う。

※読者の勝手な言い分ですが、私は二階堂を生かしきってくれようとしていることに、心の底から感謝しているのです

sábado, 25 de septiembre de 2021

夏から秋へ

職場の大学のキャンパスは一歩中に入ると、大学に関係する業者が整然とした植生を作り出しているのだが、その外側では全く違う木と植物が鬱蒼と生い茂っていて、湘南の森とはこういうものなのかと、いつも呆気にとられる思いをする。

キャンパスに入るのではなく、キャンパスの山の外側を回っていくバスの路線がある。2時間に一本くらいしか来ないのだが、これは中高等部の生徒たちが乗らないで空いているので、朝早めの時間に大学に行かないといけないときには、この路線を私は愛用している。そして、自分の大学の山のもう一つの姿を見ながら、その森を抜けながら、人工的に造られた仮の自然空間へと入っていく。さあ、もうすぐ新しい学期が始まる。



jueves, 23 de septiembre de 2021

アイヌ語の口承物語研究を進める際の「文献学的課題」(その3)十勝のアイヌ語の録音資料

(2022年1月27日追記、2023年10月1日再追記)

 一つ前のエントリーにも記したように、ひょんなきっかけでここ数年は、十勝のアイヌ語の筆録資料や録音資料を再び世に送り出す取り組みに加わることが増えた。そして、この地域のアイヌ語について、いかに公になったアイヌ語の記録が少ないかを痛感することとなった。この地域のアイヌ語については、澤井春美、切替英雄、高橋靖以各氏の重要な仕事が重ねられてきたが、これはほぼ、沢井(澤井)トメノさんただ一人との協働作業によるもので、またテキストとして公刊されているものについても、元となる音声にアクセスすることができない。(沢井トメノさんについては、逆に、音声が聞けるもので、その音声が文字に聞き起こされて公開されていないものもある。)

 沢井トメノさんよりも前の世代の、この地域のアイヌ語の話し手の人たちからの録音記録が本当は存在しているらしい。このことは、一つ前の「アイヌ語の口承物語研究を進める際の「文献学的課題」(その2)」で言及したNHKの過去の記録事業にも見てとれるのだが、ここでは、この十勝地域で過去になされたことが分かっている、個別の研究者による訪問と録音の取り組みをまとめておきたい。

1)辻秀子氏による録音資料

 帯広畜産大学で教員をしていた辻秀子氏は、十勝のアイヌの人たちの中で調査をしていて、その調査を基にした著作を発表してきた。本人は既に亡くなっているそうだが、この辻秀子氏が調査をしたその記録が本人の没後にどうなっているのかは、明らかにされていない。

 以下の文献に、辻秀子氏の録音調査の概要が記されている――
辻秀子(1984)「十勝アイヌの伝統文化に関する民族学的研究」『帯広畜産大学後援会報告』第12巻、pp.48-52。
(帯広畜産大学学術情報レポジトリPermalink:http://id.nii.ac.jp/1588/00003651/)
ここで辻氏は以下のように記している――

十勝アイヌに伝わる詞曲, 昔話, 歌謡, 祈詞などの口誦伝承をテープに収録し, それを基に,伝承構造, 言語, 世界観の分析を行なって, 他地域との共通性と変異を体系的に整理する。伝承者として, 十勝に在住する古老(田辺トヨ, 山川シマ, 沢井トメノ, 山川弘)の4名にお顕いした。

(同、p.48)

そのより詳しい内実については、さらに以下のような説明がある――

十勝アイヌに伝わる口誦伝承のうち,43編をテープに収録した。十勝の言語は日高,胆振などとかなり相異があり,アイヌ語辞典に掲載されていないことが多く,ー語ー語.を古老に問いながらの翻訳となった。サコロベ(英雄詞曲) 2編,オイナ(神謡) 1編,ツイタク(昔話)10編,ウポポ(歌謡),ャイサマ(抒情民謡).イフムケ(子守歌)などの歌30曲を収録した(以下略)

(同、p.50)

これはかなりまとまった量の録音記録であり、また、実際に辻氏がこれらの伝承者を含めた当時のアイヌ語の知識があった人たちにアイヌ語の言葉の意味を確認しているとすれば、その確認の記録自体も貴重な情報である可能性が高い。そして、上の記述を読むかぎりで、辻氏も自らの録音記録がたいへん貴重なものであることを十分に認識していたようである。これらの記録は一体どこにいってしまったのであろうか。

 さて、上の証言とは別に、以下の文献からは、辻秀子氏による十勝地方のアイヌ語の物語や歌の録音の記録が、北海道教育委員会の「アイヌ民俗文化財緊急調査」の一環として取り組まれていることが分かる――
北海道教育委員会編(1981)『アイヌ民俗文化財緊急調査報告書(無形民俗文化財6)』北海道教育委員会。(該当箇所はpp.75-92)
これが、上に示した辻氏自身が述べている録音資料と同じものなのかどうかが、まず一つのポイントになる。二つの文献を読み比べて検討してみると、資料の内訳や規模はおおむね符合しているように見えるのだが、伝承者の一部の氏名が符合していない。結果として、はっきりしたことが分からないようだ。

 さて、この「アイヌ民俗文化財緊急調査」において録音された記録の多くは、その複製が北海道立図書館に「北方資料」として所蔵されているが、不思議なことにこの辻秀子氏の録音資料はその中に見当たらない。このあたりの北海道教育委員会と北海道立図書館の資料管理と整理の状況については、どうも記録が見つからず、どのような経緯と現状であるのかが把握しきれない。

 さらには、北海道立図書館の北方資料で「アイヌ民俗文化財伝承記録テープ [録音資料] [204]」から「同[229]」にかけての記録は、主人公がオタストゥンクㇽやオタストゥンマッ(オタスッ人やオタスッの女)であるものが多い。そうすると、十勝地方のものであるか少なくとも広く道東のアイヌ語の記録ではないかと思われる、私は最初これが対応する辻秀子氏の記録なのかと思ってみたのだが、物語の内容が上の道教委の報告書と合致せず、また道立図書館の所蔵記録では記録者も語り手も明らかにされていない。これはこれで一体どのような記録なのであろうか。 あらためて、これらの記録は十勝のアイヌ語や広く道東のアイヌ語にとって非常に重要なものであろうと思うのだが、その存在・所在や詳細が確認できない残念な状況にあると言えそうだ。これらの記録の存在と整備のされ方いかんで、後の若い世代のアイヌの若者たちの言語と文化の継承活動を取り巻く状況は、大きく変わってくるはずだ。 

(追記:その後、この辻秀子氏による録音資料については、複数の経路から寄贈がなされているらしいことが確認できており、失われるという事態は回避されたようです。)

2)斎藤米太郎・明両氏による録音資料  

 齋藤米太郎は、沼田武男と並んで、吉田巌が自らの弟子であり後継者であると認めた人であり、吉田巌自身がそのことを書き記している。この点についての吉田巌による記述としては、とりあえず私は手元にある――
吉田巌(1959)『愛郷往來――東北海道アイヌ古事風土記資料』帯広市社会教育叢書No.5、帯広市教育委員会。
を参照しているが、他にももっと記録があるだろうと思う。

 この斎藤米太郎氏は、息子の明氏とともに、道東のアイヌの古老たちを訪問して、オープンリールのテープに録音をする取り組みを続けてきた。この録音資料は、以下にその目録が作成され、公開されている。
アイヌ文化研究会(2009)「『東北海道のアイヌ古謡録音テープ』の内容調査研究」『アイヌ関連総合研究等助成事業研究報告』第8号下巻資料編、pp.273-377。
この目録には話者の情報などが――プライバシー配慮の意図で――記載されていないが、テープと併せて丁寧な記録のノート2冊が残されていることが述べられている。

 この録音資料は、平成18年度(2006年度)に斉藤明氏から帯広市図書館に寄贈されたとの記録があり(帯広市図書館『図書館要覧2007』p.21を参照)、この音声記録はデジタル化され、帯広市図書館の館内で視聴できるようになっているようだ(アイヌ文化研究会2009、p.277)。この館内利用の音声の部分的な書き起こしを用いてなされた研究に、高橋(2016)がある(詳細な書誌情報については、一つ前の「その2」のエントリーを参照)。

 この録音資料には、様々な歌が記録されているとともに、数は少ないが神謡(オイナ)、散文説話(トゥイタㇰ)、英雄叙事詩(サコㇿペ)が記録されている。これらの長い物語については、上の目録(アイヌ文化研究会2009)には、その聞き起こしが冒頭一部分しか掲載されていない。
(ちなみに、十勝地方のアイヌ語の口承の物語には、英雄叙事詩にサコㇿペとユカㇻの二種類があったとする記録が幾つかある――『[昭和61年度]アイヌ民俗文化財調査報告書――アイヌ民俗調査  Ⅵ  (十勝・網走地方)』pp.68-69を参照。)
まず資料として帯広市図書館に所蔵され、利用可能な形となったこと自体が大きな前進である。しかしそこから、聞き取りと訳注の作業を経て、音声と比較可能な形で全体をアーカイブ公開するという課題が取り組まれなければならない、と言えるだろうか。

 研究者――ここでは狭い意味で大学に所属する研究者ではなく、広く調査・研究に関心をもつ人を指して使うことにしよう――が、自らの生涯で取り組んで集めた記録は、その研究者自身が自らの生涯のうちに全体を整理し、公開できる量のものでは到底ないことに、後から続く世代の私たちは次第に気づきつつある。アイヌ語についてかつてのようなフィールド調査ができなくなってしまった現代において、これらの記録をもう一度人々が使える状態にもっていくこと、そしてその前段階としてその資料の詳細情報の整理・対応づけを行うことは、これからのアイヌ語にとっての「基礎研究」として、大きな重要性をもつ。そこでは、記録と収蔵に関わってきた各組織・機関が、アイヌ語の知識をもつ人間を登用し、これらの課題に取り組んでいくことが必要になるだろう。

※このシリーズは「その5」まであり、もちろん本来はもっとたくさんの課題があるはずなのですが、今の私自身の研究のなかで重要で意識していることをまとめるという目的の下で、私が意識している部分を書きとめておきます。この問題はややこしく、意外と状況を把握すること自体に時間がかかるので、書き記しておくことには何らかの意味があるだろうと思っています。

アイヌ語の口承物語研究を進める際の「文献学的課題」(その2)NHKの録音資料

 アイヌ語は北海道の南側の地域の言葉が、そのアクセスのしやすさもあって、昔からよく知られてきた。私もその例に漏れず、千歳や沙流のアイヌ語を学びながら、幌別の知里幸恵や金成マツのアイヌ語に少しずつ親しんでいった。でも、本当はアイヌ語はずっと多様で、特に北海道東部のアイヌ語は、言葉や口承文学の歴史を知ろうと思ったときにもとても重要なのだが、一つの地域に実質的に一人の話し手しか知られていないような状況が、ずっと続いてきた。

 でも本当は、もっといろいろとあるはずなのだ。例えば私は最近は帯広の(十勝地方の)アイヌ語で、家族のなかで大事に残されてきたような筆録資料や、ふとしたきっかけで語り残された録音と関わることが続いている。我々研究者がその翻刻や聞き起こしに関わることが、それらのノートや録音が伝承される過程へと取り戻される手助けをしていることになるとしたら、それは意義の大きい関わり方だなと思う。

 我々のそのような一つ一つの仕事は、しかし、より大きなその地域のアイヌ語の言葉の使われ方の記録があって、かつそれが参照できるようになっていて、はじめてその精度を高めていくことができる。

 そこで重要になってくるのは、公共放送媒体がかつて記録した音声の資料だ。特にNHKが第二次世界大戦後のすぐの時期(昭和22年(1947年)と昭和23年(1948年))に録音に取り組んだ『アイヌ歌謡集』第1集および第2集は、他の調査ではカバーされていないほどの地理的な広がりで、様々なジャンルの口承文学を録音・記録していたことが見てとれる。
(注:本当はここから先には樺太のアイヌ語についての記録を視野に収めるべきなのだが、そこまでは私の力が追いつかないので、残念な思いで割愛することにする。)

 この『アイヌ歌謡集』第1集および第2集は、レコード化されたものであり、その目録(地域と演唱者)が公開されている。かつ、国立国会図書館の「歴史的音源」として提携する館で視聴することができる。
これには、北海道博物館の甲地理恵氏による案内が役に立つ――
甲地理恵(2020)「「歴史的音源」で聴けるアイヌの芸能について」歴史的音源ホームページ(URL:https://rekion.dl.ndl.go.jp/ja/ongen_shoukai_16.html)
甲地理恵(2018)「アイヌ音楽の音声資料――公刊されたアナログレコード盤」『北海道博物館アイヌ民族文化研究センター研究紀要』第3号、pp.73-116。
(URL: https://www.hm.pref.hokkaido.lg.jp/wp-content/uploads/2018/04/bulletin_ACRC_vol3_04_p73_116s.pdf)

 さて、これの何が問題であり、課題なのか。

 この「歴史的音源」では、それぞれの物語の音声の冒頭3分余りしか公開されていない。したがって、そこから推察されるに、元のレコードでも冒頭3分余りしか公刊されなかったのであろう。それぞれの物語は到底3分で語りきれるものではなく、私が視聴した際にも、それぞれの録音が中途で唐突に終わってしまうことが確認できている。
ちなみに、このような悪条件下でも、以下の高橋靖以氏の仕事では、その十勝方言の録音の冒頭部分だけを聞き起こしつつ、そこに考察を加えようとしている――
高橋靖以(2016)「十勝地方におけるアイヌ口頭伝承の語り方について――関係性理論の観点から」『北海道民族学』第12号、pp.35-40。
(URL: http://douminzoku.web.fc2.com/kaishi_pdf/12/12-04takahashi.pdf)

 このような公開され方では、到底そこで語られた物語の中身を知ることができない。そして、何が分からないかというと、レコードには3分だけしか収めなかったとしても、元の全体の録音が存在していたはずなのだが、その元の録音が保存されてきたのかどうかということだ。これについて――そして私が確認できる限りで――NHKは特に何も説明をしていないようだ。

 しかしながら、どうも保存されているらしいことが伺える情報もある。アイヌ民族文化財団(当時の名称ではアイヌ文化振興・研究推進機構)は、平成24年度(2012年度)から平成29年度(2017年度)まで、「オルㇱペ スウォㇷ゚(oruspe suwop)」というアイヌ語の口承文学をアニメ化し現代の語り手が演唱するという取り組みを続けてきた。
(URL:https://www.ff-ainu.or.jp/web/learn/language/animation/index.html)
この平成28年度(2016年度)の白老地方の神謡「うさぎがはねた」の解説を読むと、次のような文言に出会う――

 同資料は全国規模の民謡調査の一環としてNHKが1947年9月4日に登別で収録した音声資料である。同じ神謡の一部を編集したものが「アイヌ歌謡集第1集 アイヌ神謡 カムイ・ユカラ』(1947年刊行)に集録されている。
 アニメ化にあたっては、未公刊音源を編集委員によって聞き起こし、テキストを作成した。

(URL:https://www.ff-ainu.or.jp/animation/files/h28_ol5.pdf、pp.5-6)

これはNHKの中に未公刊音源が残っており、アイヌ民族文化財団のプロジェクトに関わっている人々は、その未公刊音源にアクセスできていた、ということを示していそうだ。また、上記の甲地(2018)のp.81にある「通し番号1)3)19)の音源の一部となっている「NHK放送文化財ライブラリー」」という記述も、何かしら元の音源が存在していることを示しているようだ。

 さて、これと関連して、繋がりが分かり難くなっている点がもう一つ存在する。NHKは2016年の年末近い12月17日と12月23日に、ETV特集で「今よみがえるアイヌの言霊〜100枚のレコードに込められた思い〜」という番組を放送している。この番組についての情報は、既にNHKのホームページからは消されてしまっているが、以下のホームページで確認することができる――
https://amass.jp/82171/
https://amass.jp/82391/
そこでは、「NHKが戦後すぐにアイヌの歌や語りを録音した100枚のレコード。最新の復元技術で音がよみがえった」という説明がある。これが放映された当時は、談判(チャランケ)の音声が記録されていて、それを北原次郎太さんや当時の「担い手事業」に参加する若い人たちが練習しているといった場面に関心が向いていたが、これには果たして『アイヌ歌謡集』の元録音が含まれているのだろうか。このETV特集では――私が覚えている限りではあるが――そこの対応関係も特に説明はされていなかった。

 NHKはその後も、1961年から1964年まで「アイヌ伝統音楽収集整備計画」事業を行っており(甲地2018、p.87)、これは以下の書籍とLPレコードで刊行されている――
日本放送協会編(1965)『アイヌ伝統音楽』日本放送出版協会。
さて、この書籍をみると「収集結果は、22市町村、68地区、273名から、1,987曲を収録し、この中からさらに原形として重要な440曲を抽出掲載した」とある(同「はしがきと凡例」を参照)。これも全体像が明らかになってはおらず、元の録音がどのように保存されているのかも分からない。

 本来、このNHKの調査に加わったアイヌの人々は、自分の言葉が後世まで残り、伝えられてほしいと願い、協力をしたのではないかと想像する。だとするならば、NHKはこれらの音源の所在と詳細を明らかにしつつ、どのようにアーカイブ化を進めていくか(あるいは既存のアーカイブ化の取り組みに加わり、協力するか)を定め、公けにするべきではないのだろうか。将来に向けて、アイヌ語がそれぞれの地域で取り戻されることがあるとすれば、そのためにはこれらの音源を使えるような形にしていく、地道な土台の整備がどうしても必要である。

付記――STVとHBCによる音声記録

 公共放送媒体が記録したアイヌ語の音声ということでいえば、札幌テレビ放送(STV)が1970年から1978年に録音した音声記録が、なぜか国立民族学博物館(「みんぱく」の方)に所蔵されていることが知られている。これは、以下の記事で概要が報告されている――
中川裕(2009)「アイヌ語の声のアーカイブへ――共同研究「アイヌ語を中心とする国立民族学博物館所蔵北方諸言語音声資料の分析」」『民博通信』第126号、pp.20-21。
この民博が所蔵するSTVの音声記録についても、この概要調査が行われたまま、それを公開するための取り組みへとつなげられることはなかったようである。唯一の例外は、その中の鍋沢元蔵氏の筆録ノート5冊で、これは遠藤志保氏の尽力により、以下の報告書として公刊されている――
中川裕・遠藤志保編(2016)『国立民族学博物館所蔵鍋沢元蔵ノートの研究』国立民族学博物館調査報告第134号、国立民族学博物館。
また、この音声記録についても、例えば以下の書籍にまとめられているようなSTVの録音事業との関係は明らかでない――
荻中美枝(1978)『サコㇿベの世界』札幌テレビ放送。
この『サコㇿベの世界』に記載されている人名を見る限り、上のみんぱく所蔵の音声資料よりも広い範囲で録音に取り組まれたようで、この記録がSTVには別に存在しているようだ。また、上の中川(2009)には、みんぱくのSTV資料の中に北海道放送(HBC)の録音が、断片的で混乱の大きな形で含まれていることも記されている。このHBCの録音記録がどのようなものであったかは、まったく明らかになっていない。

 NHKを筆頭に、しかしNHKだけではなく複数の放送局が、これらのアイヌ語の記録に無形の文化遺産としての価値を認め、それが幅広い人にとって利用しやすくなるような取り組みを進めることが、望ましいのであろう。そのような取り組みを通じてしか切り開かれることのない、アイヌ語の言葉の未来が存在しているのだと思う。

後日注(2023年8月21日):当時のレコードの録音容量からして、公開されているものが録音されたものの全体であろうという教示を得ました。(ただし同時に、公開されているものにほんの少しだけ録音の先がある場合があるらしいということも知りました。)

miércoles, 15 de septiembre de 2021

アイヌ語の口承物語研究を進める際の「文献学的課題」(その1)知里真志保ノート

 もともとこのブログには、研究そのもののことはあまり書いてこなかったのだが、自分の頭の整理も兼ねて、メモ書きのようにまとめておこうと思う。

 アイヌ語については、言葉を日常生活に回復しようとする取り組みが続けられる一方で、かつて記録されたアイヌ語を利用しやすい形でアクセスできるようにするという、資料の整理と公開の課題がある。この後者を「文献学的課題」と名付けることにする(この名づけ方は、私の先生である中川裕さんを踏襲している)。いま私たちは、どのような「文献学的課題」に直面しているであろうか。

 もちろん課題はそれこそ山のようにあるわけだが、今の自分自身の研究に近い範囲で意識していることを書き留めておく。たいへんややこしいので、書き留めておくことで自分にとっても整理として役に立つのではないかと思うのだ。

 アイヌとしての出自をもち、アイヌ語の研究に尽力し、北海道大学の教授になった知里真志保(1909-1961)によるアイヌ語の記録がもつ重要性は、比較的最近になって光が当てられるようになったと言ってよさそうだ。知里真志保は、『アイヌ神謡集』を遺して早逝した知里幸恵の弟としても知られている。彼が記録したノート(「知里真志保遺稿ノート」と呼ばれる)については、まずは北海道立図書館北方資料室によって(知里真志保書誌刊行会編(2003)に再録:pp.115-129)、また続いて北原・小林・八谷(2012)によって本格的な目録作成の取り組みが行われてきた。

 この目録作成の取り組みと並行して、北海道教育委員会(道教委)がノートの整理、翻刻、刊行の取り組みを行い、『知里真志保フィールドノート』が(1)から(7)まで刊行された(2002年~2008年)。 そもそも(7)の刊行をもって、なぜそれ以降の取り組みがなされなかったのかについては、私が見ている限りでは道教委から何の説明もなされていないようだ。それと同時に、しかし、刊行時に十分に検討されなかったと思われる課題が、もっと細かいところにある。

 この『知里真志保フィールドノート』は刊行の途中で方針が何度も変わっており、(3)から(5)までが、ノートの中の口承文学テキストの翻刻と翻訳に当てられている。それがノートのどの部分に相当するかは、前述の北原・八谷・小林(2012)を見ることで確認でき、そこからは知里真志保自身が記録・整理した内容の相当部分が翻刻・翻訳されて刊行されたことが見てとれる。ここにまだどれほどのの「漏れ」があるかも、丁寧に検討されなければならないのだが、ここで示したい課題はこれでもない。

 ここで指摘したい課題、刊行にあたり十分に検討されなかったと思われる課題は、『知里真志保フィールドノート』(3)~(5)で公刊された物語群のなかに、当初金成マツが筆録した物語を別の手で清書し直したものが含まれているのではないか、ということだ。

 これがなぜ重要なのか。

 金成マツが知里真志保に宛てて筆録したノート一式は、金田一京助に宛てて筆録したノートとともに、北海道立図書館にマイクロフィルム化されて所蔵されている。この資料をもとに、蓮池悦子が詳細な目録を作成したものがアップデートされて公開されている(例えば白老楽しく・やさしいアイヌ語教室2008)。元の目録には、おそらく現物を実際に全部確認していないことによると思われる、細かいところの漏れなどがあるようだが(藤田2021でその一部を指摘したことがある)、たいへん参考になる労ある仕事であることに疑いはない。そして、この目録と公開されているマイクロフィルム資料の複写を元に、当初は蓮池悦子が『アイヌ無形民俗文化財記録刊行シリーズ』において、近年では白老楽しく・やさしいアイヌ語教室が、その一部の翻刻・翻訳・考察を行い、成果を公刊してきている(白老楽しく・やさしいアイヌ語教室2021、2020および2017:蓮池悦子氏の元の仕事にはここの文献一覧から遡ることができる)。藤田も個人的に並行した努力を少しずつ行ってきている(藤田2021および2018)。

 さて、『知里真志保フィールドノート』の特に(4)の前半に配置された、「ウラシペッの人の物語」と題された一連の物語群については、第90冊(CM90)からとられたとされているが、これは蓮池悦子の目録における「請求番号ア92/c/26」の金成マツ筆録ノートの内容の一部分であるらしい。これらは、筆跡の特徴に関する指摘を含めた様々な情報から、同一のノートではない。特にその中の「1.2 子無き梁井村人の許へ六青年来りて養子になる事」は、私自身の手元にある複写から、金成マツ筆録ノートのなかの物語と同一の文言であるらしいことが確認できている。そして、この対応関係は、北原・八谷・小林(2012)では確認できない。道立図書館の資料の目録を手掛かりにした順番で当たってみるとすれば、CM116の後ろ辺りにきそうなのだが、どうもこれらの物語がその辺りに見つからない。
(おそらくこれは、北原・八谷・小林(2012)p.116の注5に書かれている、一部のノートが北海道文学館に収蔵されなかったことに起因するのではないか、と推察される。)

 つまり、この目録作成の取り組みが、十分にお互いを参照していないために、情報の重複の照合がなされずに整理・公刊の取り組みが進展したということになる……可能性がある。

 これは、特に『知里真志保フィールドノート』で公刊された内容に、重要な影響をもつ。というのは、金成マツが筆録したノートの方には、知里真志保が付けたのではないかとみられる注釈の書き込みが、随所に見られるからだ。しかし、それらの注釈の情報が十分に考慮されないまま、またその情報が翻刻されないままで、清書されたテキストだけが公開され、翻訳を付されたということになる……可能性があるのだ。これはあくまでも私の手元にある一部の資料を元にした推論であり、十分な確認がなされなければならない。(上述の子どものいないウラㇱペトゥンクㇽの物語には、随所に知里のものとみられる注釈の書き込みがある。)

 さて、ということで、ここで必要とされる作業は何かといえば、北海道文学館に所蔵されているノートと、北海道立図書館で公開されているマイクロフィルム資料をつき合わせて確認する作業だということになる。そして、私たちはここで壁に突き当たってしまう。北海道文学館に所蔵されている「知里真志保遺稿ノート」については、一般公開がされていない(少なくとも一般公開されているとはどこにも書かれていない)ために、最終的には十分に確認を取ることができないのだ。
(ただし、北海道立図書館のマイクロフィルム資料と上述の北原・八谷・小林(2012)を元に、かなりの程度まで推測を進めることは可能だ。)

 これは、知里真志保のフィールドノートのなかにプライバシー情報が入っている部分があるために難しいのかもしれないが、しかし口承文学テキスト自体にはプライバシー情報は入っていない。そこの仕分けと公開に北海道文学館が取り組むことは、やはり必要なのではないだろうか。それがない限り、私たちは何か「痒いところに手が届かない」感を抱えながら、資料と付き合っていかなければならないことになる。

※なおこれは、あくまでもユーザー視点からの課題の提示であり、実際に各種機関の内部で資料公開に向けた実務にあたる際の、人員と予算の少なさによる苦労、また規定を一から策定しなければならないことの苦労も、想像に余りある。その一端は北海道アイヌ民族文化研究センター研究課(2011)で知ることができる。

文献情報

複数著者(2002-2009)『知里真志保フィールドノート』(1)~(7)、毎年刊行、北海道教育委員会。
北原次郎太、小林美紀、八谷麻衣(2012)「北海道文学館所蔵『知里真志保遺稿ノート』の細目次」『北海道アイヌ民族文化研究センター研究紀要』第18号、pp.115-321。
白老楽しく・やさしいアイヌ語教室(2021)『知里ハツ口述ウエペケㇾ5話の研究』白老楽しく・やさしいアイヌ語教室。
白老楽しく・やさしいアイヌ語教室(2020)『盤木アシンナン口述ウエペケㇾ8話の研究』白老楽しく・やさしいアイヌ語教室。
白老楽しく・やさしいアイヌ語教室(2017)『金成アシリロ口述ウエペケㇾ10話の研究』白老楽しく・やさしいアイヌ語教室。
白老楽しく・やさしいアイヌ語教室(2008)『金成マツ筆録アイヌユカㇻ『カニビラッカ(金の下駄)』散文訳』白老楽しく・やさしいアイヌ語教室。
知里真志保書誌刊行会(2003)『知里真志保書誌』サッポロ堂書店。藤田護(2021)「金成マツ筆録ノートのアイヌ語口承文学テクストの原文対訳及び解釈 : 金田一京助宛ノート散文説話「金の煙草入れ (konkani tampakop) 」中川裕編『アイヌ語・アイヌ文化研究の課題』千葉大学大学院人文公共学府研究プロジェクト報告書第358巻、pp.15-42。
藤田護(2018)「金成マツ筆録ノートの口承文学テクストの原文対訳及び解釈 : 散文説話「六人の山子(iwan yamanko)」 中川裕編『アイヌ語の文献学的研究(3)』千葉大学大学院人文公共学府研究プロジェクト報告書第325巻、pp.25-65。
北海道アイヌ民族文化研究センター研究課(2011)「北海道アイヌ民族文化研究センターにおける採録資料の公開について」『北海道アイヌ民族文化研究センター研究紀要』第17号、pp.123-148。

domingo, 3 de enero de 2021

過剰な意味を読み込まない

元日付けの朝日新聞をめくっていたら、「アイマラ語」という文字列が目に飛び込んできて、おっと立ち止まったが、読んでみると残念なことに首をかしげたくなる内容であった。

以下にまず該当箇所を引用してみる――
「たとえば人が時間の流れの中に立ったとすると、時間は自分の<前方>の未来から流れて来て、<後方>の過去に去っていく。日本語や英語など多くの言語でそう表現する。だが南米の先住民の言葉「アイマラ語」は[引用者注:英語や日本語とは]逆だ。まだ知り得ぬ未来は自分の背<後>からやってくる。見知った過去は、友を見送るように目の<前>から遠ざかっていく。」(「コトバと時間――世代超えた「知の蓄積」可能に」)

まず、アイマラ語において、未来が自分の背後にあり、過去が自分の目の前にあるというのは正しい。そして、このように時間が空間に配置されていることを、アイマラ語話者の身振りを通じて確認した研究も存在する。(※)
(ただし、あくまでも未来が後ろに、過去が前に「ある」ということ。大問題なのは、果たしてアイマラ語で時間が未来から過去に向かって「流れる」ものなのかで、私はこの点については重大な疑念をもっている。「時間が流れる」とか「時が経つ」という表現は、少なくともアイマラ語で該当する表現が思いつかないからだ。)

しかしながら、これは日本語とそれほど違うのだろうか。日本語でも、未来のことは「後」のことであり(例えば「3年後」)、過去のことは「前」のことである(例えば「10年前」)。身体感覚として時間が空間的に理解されるかどうかとは別に、前後関係でいえば日本語とアイマラ語はよく似ている。

これとは別に、「前に進もう」というときの「前」は未来を指していて、これは逆の位置関係にある。朝日新聞の記事が直前に引いている瀬戸賢一『時間の言語学』(ちくま新書、2017年)は、その第1章で、前者を「動く時間」、後者を「動く自己」と名付け、二つの軸があるのだとする考え方を提案している。果たして時間が「動く」のかという点を除けば、二つの軸を分けて設定しようとする試みは興味深いものだと思う。先ほどの朝日新聞の記事は、もうこの段階でおかしくなっていて、それはおそらく記者の人が『時間の言語学』をよく読まずに使おうとしたことが原因となっているのだろう。あとは、たぶん自分が知っているはずの日本語について、十分に振り返らないで書いていることも、原因であろう。

しかし、ここでの問題は、朝日新聞の記者が『時間の言語学』をよく読まなかったというだけではない。同書の著者は、動く時間と動く自己という二つの軸を重ね合わせようとし、さらにそこに認識主体Cを導入する。そこで、認識主体Cは、日本語の場合は流れる時間の外で傍観し、アイマラ語の場合は流れる時間の中に身を置いているとしているのだが、私にはこの点が疑問に思える。それは、アイマラ語の場合に時間が未来から過去に向かって「流れる」と考えられているかどうかが微妙で(スペイン語から借用した表現でならば言えるのだが……)、つまりアイマラ語の位置づけがうまく行っていないのだ。元の研究に沿って、時間が身体を介して空間に位置づけられているという点を重視すればよかったのに、余計なところで言えるかどうか分からない事柄を強弁しているようにみえる。 したがって、同書でのこのアイマラ語の事例への言及のしかたにも、十分に問題があるのである。

これは、一般的に、先住民言語を議論するときにとられやすい典型的な傾向だと、私は考えている。つまり自分たちとは「違う」として一方的に切断したうえで、かつ知らないはずのことに自分の文化をもとにして過剰な意味を読み込む、という操作を施しているのだ。スペイン語しか話せない人が、アイマラ語やケチュア語にそれをするのは山ほど見てきたが、日本人がアイマラ語でそれをやるのはちょっと珍しい。私自身は言語相対性の考え方(言語によって世界は違う姿をとって立ち現れる)に親近感を抱くが、言語相対性は「逆だ」とか「全然違う」というかたちで使うのではなく、もっと繊細にそれぞれの言語における様々な表現の相互連関を検討していきながら明らかにしていくものなのだ。

※Núñez, Rafael E. and Eve Sweetster. 2006. "With the Future Behind Them: Convergent Evidence from Aymara Language and Gesture in the Crosslinguistic Comparison of Spanish Construals of Time." Cognitive Science, Vol.30: pp.1-49.
(『時間の言語学』はこの研究に言及するだけで、文献情報を一切挙げていない。いかに新書と言えども、このような点について情報源を示さないのは不誠実なのではないだろうか。)