私はかつて、『3月のライオン』で二階堂の扱いが少年漫画みたいで、中途半端なわき役になってしまっている、と文句を書いたことがあった。しかし、昨年に出た第13巻では、そこから見事に別の「少年漫画」へと、主人公の桐山零を脅かす別の物語へと、少年の冒険がそのまま死を予感させる閃光へと、作り変えられたことに目を見張った。ああこれは、描いてしまったら、物語が終わりへと向かってしまう、でもまだ終わらない、そのような一瞬が捉えられていたことが、とても印象に残った。
自分が物語の主役ではないことに気づいた主人公にとって、他の人たちが同じように輝きだし自分の物語を生き始めたとき、将棋の「目指すべき場所」はどのように変わるのだろうか。かつて土橋九段が宗谷名人との対戦で登場したときに、『ハチミツとクローバー』の最後にある「箱を開ける」主題が再び取り上げられた。そこで私は、そうか、ここで辿りついて、そしてまだ先に行くつもりなんだな、と思ってみていた。
そして、よく考えてみたら、もうしばらく前から、わき役の一人一人の物語がよく目を凝らすと、もう十分によく読み取れていたことに気づく。
だとすると、『ハチミツとクローバー』の登場人物たちが、いま生きている物語がまた別にあって、また新しいコミュニティの物語が続いているのだな、と思わされた第14巻でもあった。
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