杉山晃先生の「ボルヘスを語る」と題した最終講義を聞きに、清泉女子大学に行ってきた。
かつて杉山先生が非常勤で担当されていたスペイン語講読の授業を、私は学部の時と修士の時に、合計3年半ほど受け続けていた。その時に読んだホセ・マリア・アルゲダス(初期短編の中で「ワルマ・クヤイ」と「ドニャ・カイターナ」が当時の先生のお気に入り)、フアン・ルルフォ(『燃える平原』のなかの「犬の声は聞こえんか」が一番最初の講読教材だった)、そしてこのホルヘ・ルイス・ボルヘス(「エル・スール(南部)」、「砂の本」、「円環の廃墟」などを覚えている)は、私に大きな影響を与えた。
杉山先生の授業は、言葉の一つ一つが、丁寧で切実で、確かにそうでなければならない、と思わせるものだった。学生だから辞書を使って予習をしていくわけだが、講読の授業での杉山先生の訳は、辞書に載っているような単語が一切出てこず、しかし、確かにそうでなければならない、と思わせる説得的な訳だったのだ。一つ一つ、「これはなんだ?」と考えながら、立ち止まりながら、先生は言葉を紡いでいかれた。
そういう言葉の紡ぎ方だから、最終講義でも先生は冗談めかしておっしゃっておられたが、学生が半分くらい眠ってしまう。これは清泉でなくてもそうだった。でも、私はとてもビックリしながら先生がどのように言葉を発されるのか、なんとか分かりたいと思っていた。そしてそれは、その後の私が教える仕事に就いていく際に―最初は大学受験生の古文と漢文と現代国語、そしてのちにスペイン語やアイヌ語やラテンアメリカ研究を教えることになった―一つの大きな土台となった。
最終講義は、ラテンアメリカ文学史の授業の一環だった。講読の授業と同じような丁寧な言葉を一つ一つ受け取りつつも、でも講読の授業でしか接点がなかったあの頃の私が聞いていなくて、先生が清泉で展開していたであろう講義へと、思いを馳せていた。
聞いていて気づいたことがある。アルゲダスも、ルルフォも、そして(私は昨日まで気づいていなかったが)ボルヘスも、杉山先生はそこに出てくる人の生き方に、モチーフに、自分の人生とは違っても何か魅かれる部分を感じ、共鳴しながら読んでいかれるのだ。話を聞いていると、「エル・スール」の主人公に、「ボルヘスとわたし」の「わたし」に、「アステリオンの家」の怪物に、確かに杉山先生自身が響いているのが感じ取れる。先生がペルーのリマから日本へと辿ってこられた人生が、そこに響いているのだ。
先生がアルゲダスについて書き続けてこられた諸論文を読むと、これも実に細やかな共鳴とともに、初期の短編を丁寧に丁寧に読み解いていかれる(これらの論文はスペイン語で執筆されていて、清泉女子大学のレポジトリからアクセスできる)。この共鳴が、優しさと丁寧さでもって先生の一つ一つの言葉に繋がっていたかと、胸をつかれる思いで、わたしはとても久しぶりに先生の教室に座っていた。どうもありがとうございました。
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