martes, 31 de mayo de 2011

パパイヤの味噌漬け

今回は自分で部屋を借りるつもりなのだけれど、それまでお世話になっている宿で今日の朝ごはんにパパイヤの味噌漬けが出た。まだ青いものを細く切って漬けるのだそうだ(少しでも黄色が入ってはだめらしい)。確かにパパイヤって瓜のようだから漬物に向きそうだ(ウィキペディアで調べたら「パパイヤ科」なのだそうだ。コリコリしていて、これはなかなかいける。「東南アジアではサラダにも使うんだよ」と。ここの移住地(サンタクルス)の方では、皆がこれを作っているのだそうだ。
昔Locoto con shoyuについても書いたけれど、こういう食べ物のhybridityって面白いな。ちなみに、こちらに赴任している人たちの間で、チチカカ湖のマスのお刺身とイクラをご飯に載せて、「親子丼」と言っているのを見たこともある(チチカカ湖のマスは標高が高いので日本だとついてしまう寄生虫がつかないのだそうです)。

追記:ふと気になって調べてみたら、沖縄でもパパイヤを味噌漬けにするのだね。ここのおじさんは沖縄の出身ではないけれど、オキナワ移住地(カタカナはボリビアの方)の熱帯つながりで伝わったのかな。

sábado, 28 de mayo de 2011

いつづけるたたかい

たぶんあと数日すると当たり前になって忘れてしまうのだけれど。ボリビアにいると、ただそこに居続けるだけのことが闘いなのだなと思う。別にそれはイデオロギー上の争いとかではない。ただその人がその人としてそこに居続けることが、不信、抑圧、陰口、嫉妬、からかいなどの中で立ち続けるための闘いなのだ。いろいろな人が集団の中にいるときに見せるふるまいと、後でこっそりと話してくれることと、ままならない人生と。
本当は日本にいるときだって、様々な形でそうなのだよね。

jueves, 26 de mayo de 2011

マイアミ

次のフライトまで一日時間があったので、空港まで行って路線バスに乗ってマイアミ・ビーチへ。蒸し暑くて汗が滴り落ちる。海岸の白い砂浜で広い空を満喫して、白い個性的な建物群の中をゆっくり散歩して(この地区は1910年代から整備が始まっていて、当時流行していたart deco様式の建物の宝庫ということになっている)、キューバ風アメリカ料理のランチを食べてmojito(カクテルの名前)を飲んだ。久しぶりの濃密な光、太陽。
マイアミ空港からは、150番のAirport Flyerという急行バスが新しくできていて、30分ちょっとでマイアミビーチの先端の方に着いてくれて、便利。

miércoles, 25 de mayo de 2011

雷に愛される

成田ですっかり駆け込み乗機(?)が癖になってしまった私は、今回初めて係員の人に一緒に走ってもらうというまたもや貴重な体験をした。
成田からダラスまでの隣は、インド人でダラスの半導体関係の企業で3年働いていて、タイのバンコクに出張に行った帰りの若い男の人。ちなみに、彼も私も飛行機の中では爆睡していたので、この話をしたのはimmigrationで並んでいる間に立ち話で。彼は僕の話を聞いて、「うそ20時間超も飛行機に乗るの?」と驚いていたが、いやいやタイから成田も結構かかったし、ほらあまり変わらないじゃない、という話に。お互いのやっていることがここまで違う二人が乗り合わせる。
さて、ダラスで飛行機に乗り込んだのに一向に動かない。やっと一時間経って離陸したかと思ったら、「激しい揺れに備えろ、乗務員はいいと言うまで席を立つな」というお達し。乗務員の人は「雷」と説明していたけれど、後ろの席の人が着陸後に携帯で話しているのを聞いていたら、竜巻も発生していたらしく、Dallas Stadiumにいたその人のお母さんは、全員避難という事態になって大変だったらしい。と思っていたら、DFW(空港)もあの後に閉鎖どころか飛行機に乗っている人も全員安全な場所まで避難ということになったらしく、夜まで飛行機はもう飛ばなかったらしい、とニュースで報じられていた。
ということで、飛んだのはよかったのだけれど、マイアミでの乗り継ぎ時間がもう10分しかなく(東京の電車の乗り継ぎみたいだ)、しかもラパス行きは空港の辺境のようなところから出発するので、タッチの差で間に合わなかった。しかも天候という不可抗力は、ホテルがただにならないようで、割引のバウチャーだけもらって空港の近くにやってきました。でもこれは実はありがたくて、飛行機を三本いっぺんに乗るとけっこう疲れるので、途中で一泊できると少し落ち着くのだ。
さて、今日はどうしようかな。
私は数年前に、マイアミへの出張から戻る飛行機にカリブ海上で雷が落ちたらしく、全電気系統がしばらくの間逝ったこともあって(この後に一日遅れで乗る便だ)、どうも雷の神様に愛されているらしい。これは笑えなくて、あのときは乗務員の若い人たちが全員泣いてお祈りをしていて、機内が異様な雰囲気に包まれ、持ち直した飛行機がマイアミに引き返すと滑走路の端から端まで何十台もの消防車が臨戦態勢で待っているという事態。あのとき「これはもうダメなのかもしれない」と思っても、過去の思い出は走馬灯のようになんて自分の中を駆け巡らなかった。

追記 飛行機の中でAnother Yearというイギリスの映画を見た。老年にさしかかるカップルを取り巻く人々の濃く穏やかな悲哀。素敵な映画だった。
(自分の専門に引きつけていうと、イギリスでparticipationとかparticipatory developmentがどのような社会に対する感情や姿勢から生まれてくるのか、私自身がもともと持っていた実感を別の形で確かめ直すようだった。カップルの女性の方も息子の彼女として途中から登場する女性もカウンセラーを職業にしている。)
蒼井優がたった一人で成り立たせている映画(西洋菓子のお店のやつ)は、それ以外(江口洋介の演技を含む)にまったく見るべきところがなかったけれど(ひどい脚本)、蒼井優の演技を見ているのは楽しかった。

追記その2 成田から離陸するときは、きれいな夕焼けだった。おばあちゃんが脳溢血で倒れたとき、僕はアルゼンチンのブエノスアイレスからボリビアのサンタクルスに戻るLAB(リョイド航空)の飛行機の中で、ほぼ同じ時刻に茜色の夕焼けを眺めていた。あれ以来、茜色の空を見ると会えそうな気がしてくる。

jueves, 19 de mayo de 2011

『世界文学とは何か?』

 デイヴィッド・ダムロシュ『世界文学とは何か?』(国書刊行会、2011年)は、たぶん中南米科の同輩の山辺弦くんが以前から翻訳に関わっていると言っていた本ですね。完成・刊行おめでとうございます。なんとも面白そうな本だ。
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E6%96%87%E5%AD%A6%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B%EF%BC%9F-%E3%83%87%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%A0%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5/dp/4336053626

他のブログで見かけた感想
天満放浪記(松本健二さん):http://bar-trilce.no-blog.jp/tenmablog/2011/05/post_b4b7.html
CRIOLLISMO(柳原孝敦さん):http://criollisimo-cafecriollo.blogspot.com/2011/05/blog-post_19.html

miércoles, 18 de mayo de 2011

Revista Andinaをきれいにコピーする

ここしばらく東大の駒場図書館で試行錯誤をしていたのです。あまりにマニアックな話題だけれど、これはひょっとして誰かの役に立つのではないだろうかな。要は定形をかなり外れたものをA4におさめて、きれいにコピーを取るにはどうするかということで、黒い所が余白にあるとなんか気に入らないという、部屋と机は汚いのにコピーには神経質な、そう、私のような人のために。
(コピー機によってやり方が異なるかもしれません。)
(1)まずは「読み取り」で手動でミリ単位で読み取る際の原稿の縦と横のサイズを指定する。スクリーンの横に目盛りが付いている。ここで面倒臭さにメゲるかもしれないが、きれいなコピーのために乗り切るべきハードルは、これがほぼ唯一。
(2)その上でA4の用紙を指定しておく。これは実は縦でも横でも変わらない。
(3)そして「倍率」を「自動」にする。これを忘れると元も子もなくなるので注意。
これで自在にきれいなコピーがあなたの手に。

追記:よく見たら、駒場図書館の一階のコピー機には、ほぼ同じことが書いて貼り付けてあった…。

martes, 17 de mayo de 2011

作家への信頼

 下の大江健三郎のシンポジウムで僕も手伝いをしていたのだが(そもそもこれ自体が非常に珍しい)、そのシンポジウムで非常に印象に残ったのが(他にも幾つかありますが)、朝吹真理子さんの発表だった。作家への信頼、作品の向こう側にある作家の魂への全幅の信頼がもとになっていながら、刃を真っ直ぐに向けて切り込んでいくような発表で、そのようなことが実際に可能なのだと実感できただけでも、僕にとっては重要な機会だった。
 今日はうちの(?)ゼミの飲み会で、しばらく小森陽一先生と隣に座って話していたのだが、作家への信頼があった上でというのがこの先生の基本の姿勢でもあるのだった。それは、このようなひどい状況の中で、「それでも生き延びるための言葉」を自分が受け取ったということが、一つの出発点としてあるのだった。
 もちろんこれは、文学の方法論としては異論もあるところなのだろうが、先日のシンポジウムで大江さんと朝吹さんの間で何かの継承が行われた瞬間を目にしたという感想は他の人からも聞いたところで、今日小森先生と朝吹さんと大江さんとの間をつなぐ線を、同時に、改めて僕自身も認識した。そこは、性急に解決するのではなくて、その葛藤を含んだ拡がりこそが、実は文学から人類学へと通底するなにかを見つけることができるように思うのだ。ここは一つの発見であり宿題となった。

追記:ちなみに朝吹さんから唐突にLeopoldo Lugonesについて聞かれ、無教養な僕は何も答えられなかった。次の誰かとの同様の機会では話題を続けるためというミーハーな理由であれ何であれ、あれはちょっと自分の中で一つの転機になった。あーあ。

(幾つか筋を変更しました(17日))

sábado, 14 de mayo de 2011

小森ゼミと先生の講演会

 今日は、多摩の方の市民読書グループが主催する大江健三郎の『水死』をめぐる講演会があった。講演者の小森先生のゼミ生たちで、『水死』を巡る小冊子を講演資料として執筆したので、終わった後の打ち上げでしっかりとしたご飯とお酒をご馳走になってしまった。原稿料を頂いたみたいで、ちょっと嬉しくありがたい。満腹満腹。
 自身よりも上の世代の人たちにも向けて言葉を届かせるような読書会なのだった。「国民学校のときは……」と子供時代を振り返りながら感想を言い始める人たちに、今日誕生日を迎えても余裕で50代である私(たち)の先生は言葉を発していた。この時代の厚みは、この経験の厚みは、それだけで端的に私を撃つ力をもっていた。
(ただし、この世代の方々についても、「読書感想文文化」のようなものに根っから染まっているような感じがあり、そこはうーんと思ってしまったという側面もあった。)
 『水死』の中で明示的に出てくる時代の転換点だけでなく、それ以前以降に、同様に拮抗する正反対の力がはたらくような複数の時代の転換点を見つけ出していく可能性を指摘する講演は、小説(文学)から歴史認識を問いなおす方向へと(再び)道筋をつけていくものであった。
 現実と虚構の間に、小説作者と語り手=書き手の間に、生者と死者の間に(あるいはこれから生まれくる者との間に)、多重に相互作用する層を見いだすことができるというのは、このゼミが『水死』に関して昨年一年かけて到達した大きな結論(の一つ)だろう。そこについて、誰が何をしたというのを越えて、メカニズムとしてどのように作動しているかを検討する方向へ、もう一本先の論文で向かえるといいなと僕自身は思う。

lunes, 2 de mayo de 2011

伝承する語り手

金成マツさんという人がいた。岩波文庫になった『アイヌ神謡集』を残して早死にした知里幸恵という人のおばにあたる人で、金田一京助と知里幸恵の弟にあたる知里真志保という二人のために、英雄叙事詩を中心として膨大な量の筆記ノートを残した。それは、全体が公刊されるまではまだ果てしない時間がかかるかも知れず(公刊の取り組みは暫く前から止まっている)、そもそもその筆録されたものの全体を僕は自分の生きている間に読み尽くせるだろうかと思ってしまうような量だ。(そのお母さんの金成モナシノウクさんは、さらにすごい伝承者であったと金田一京助は言っているから、これは本当に果てしない話だ。)
中上健次『千年の愉楽』(河出文庫、1992[1982]年)という小説には、オリュウノオバという語り手が登場する。最初、ああ路地に住んでいる婆さんねと思って読んでいくと、段々とこの人は何年生きてきたのかが分からなくなり、死にかけながら蘇生して、延々と「中本の家に生まれたこの世の者でない者」の血統の話を語り続ける。僕は途中で背筋が寒くなった。夫の礼如さんが文字の世界の人間だとすると、オリュウノオバは口承の世界を生きている。
この二人の存在は、非常に良く似ている気がするのだ。時空を、特に時間を越えて果てしなき世界に触れてそれを語り継ぐということにおいて。『千年の愉楽』には、それが書かれた時代を刻印されたかのようなアイヌの若い活動家が最後に登場するのだが、むしろオリュウノオバのつながりが僕の印象には刻まれた。
このように時空を越えているのに、でも、この世には(もう)生きていない。この場合において、この時代において僕は、死んだ後に残された筆録ノートを通じてしか、書かれた文字を通してしかそこへとつながることができない。これは僕の世代と一回り上の世代までとの間の大きな違いだと思う。
そして付け足しでもう一つ。『千年の愉楽』には、最後の方になってこの物語を書くにはこれまでの英雄叙事詩の叙述の仕方では無理だったのだという示唆が出てくる。つまりこれは新しい英雄叙事詩を叙述しようとする試みなのだと言っているのだろうと僕は思う。それがいったい何なのだろうかと、津島佑子『黄金の夢の歌』(講談社、2010年)をもう一方の脇に置いたりしながら、僕は折に触れてここしばらく考えている。