martes, 17 de mayo de 2011

作家への信頼

 下の大江健三郎のシンポジウムで僕も手伝いをしていたのだが(そもそもこれ自体が非常に珍しい)、そのシンポジウムで非常に印象に残ったのが(他にも幾つかありますが)、朝吹真理子さんの発表だった。作家への信頼、作品の向こう側にある作家の魂への全幅の信頼がもとになっていながら、刃を真っ直ぐに向けて切り込んでいくような発表で、そのようなことが実際に可能なのだと実感できただけでも、僕にとっては重要な機会だった。
 今日はうちの(?)ゼミの飲み会で、しばらく小森陽一先生と隣に座って話していたのだが、作家への信頼があった上でというのがこの先生の基本の姿勢でもあるのだった。それは、このようなひどい状況の中で、「それでも生き延びるための言葉」を自分が受け取ったということが、一つの出発点としてあるのだった。
 もちろんこれは、文学の方法論としては異論もあるところなのだろうが、先日のシンポジウムで大江さんと朝吹さんの間で何かの継承が行われた瞬間を目にしたという感想は他の人からも聞いたところで、今日小森先生と朝吹さんと大江さんとの間をつなぐ線を、同時に、改めて僕自身も認識した。そこは、性急に解決するのではなくて、その葛藤を含んだ拡がりこそが、実は文学から人類学へと通底するなにかを見つけることができるように思うのだ。ここは一つの発見であり宿題となった。

追記:ちなみに朝吹さんから唐突にLeopoldo Lugonesについて聞かれ、無教養な僕は何も答えられなかった。次の誰かとの同様の機会では話題を続けるためというミーハーな理由であれ何であれ、あれはちょっと自分の中で一つの転機になった。あーあ。

(幾つか筋を変更しました(17日))

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