jueves, 30 de junio de 2011

お誕生日の豚料理

日本のまな板のトントントントンに当たる音は、アンデスではゴトンゴトンというバタン(batán)の音でしょうか?
この写真では、黄色トウガラシ(ají amarillo)、クミン(comino)、ニンニク(ajo)、シナモン(canela)、そして塩とコショウを、すり合わせてコンディメント(condimento)(日本語にすると「薬味」かしら?)を作っているところ。

横には豚の開いたものが横たわっています。作っている料理はレチョン(lechón)という豚のオーブン焼き。僕は実はこれが大好物なのですが、豚まるごとで作るのは初めてなのです。うちの家族は食堂をやっているのだけれど、そこで働いているおばちゃんが「いい子豚がうちにあるよ」と言っていたのがこれだったのか。

まず筋を切って完全に開いて、


そして薬味を詰め込みます。


 これは紐(タコ糸みたいな)で脚をしばっているところです。


オーブン焼きは、どこの家も近所にあるオーブンを借りに行くのです。うちの二軒隣の家が、この一年のうちにオーブンを製作しました。こういう風に貼り紙がしてあったりします。horno calienteは「熱いオーブン」。(作りが悪いと、どんなに薪を焚いても温度が十分に高くならないのです。以前に一度その問題に出くわしたことがあります。)


昼ご飯を作っている台所の片隅で、付け合せになるモラヤ(moraya、ボリビアではトゥンタ(tunta))という凍みジャガイモ(?)を水でうるかしています。
















朝に持って行った豚は、夕方になって取りに行きます。写真はもう一度温め直したのを長柄の木材の道具で取り出しているところ。

















冷めないように何重かにくるんで、アンデスの冬の夜の道を歩きます。

















出来上がりはこんな感じ。肉もやわらかいし、皮も弾力があるし、condimentoもよく染み込んでいて、おいしかった。トウモロコシの皮に包まれているのは、タマル(tamal)という、白トウモロコシをすりつぶして蒸したものです。


うちの二歳になった小さな男の子の誕生日なのでした。



martes, 28 de junio de 2011

meditation

以前イギリスで勉強をしていたとき、東洋的なものが流行していて、イギリス人からヨガを教わるとかそこにインド人の友だちと行くとか、ちょっと不思議な状況があった。
その中で同じコースの僕と同世代の男の子の彼氏(二人ともイギリス人)から瞑想(meditation)を教わる機会が何度かあった。あのとき、瞑想の中で「この世界はよいものであってよいか」という問いかけをしたときに、かすかに奥の方でイエスという答えが聞こえるといい、という話があって、そのバランス感覚に深く納得した覚えがある。
最近そのことをよく思い返す。何かへの執着を、しがみつきを、その力の入り方を、自分の中であともう一段少なくできる気がするのだ。それは同時に、目の前にある大きなハードルに対して、苦しみや怒りや哀しみに対して、変な気負いと力みをなくして、もっと静かにそっと深くへと潜れるようになるのではないかと思う。

lunes, 27 de junio de 2011

社会を縫うように

誰と一緒に歩くかによって、街並みがまったく違う色取りをもって姿を現すことがある。周縁にいる者たちこそが街の主人公であるというモチーフを、確か僕は『砂の戦士たち』というブラジルの小説を読んだときにはじめて意識したのだけれど、決して治安のよくないうちの地域を夜遅くに家族皆で歩いて、社会をぬうようにして生計を成り立たせて、やわらかい抜け目なさで割り込んでいく感じに、僕のクスコの街の感覚は形成されている。


(追記:言葉づかいをきれいにしていますが、要はうちの家族はお祭りとかで後から行っていつの間にか前の方まで進出する名人芸をもっていて、私も段々とそういうことができるようになってきたのですが、先日Inti Raymiというお祭りでは後ろからゴミを投げられました。そーゆーことでもあります。小さい子供を連れていくとかなり使えます…「この子に見せてあげたいんだ戦法」ですね。)

jueves, 16 de junio de 2011

pensar desde lo propio

アイマラの人々の間に様々な形で萌芽のように存在している、自らの習慣や言い伝えに着目して、それを深めていこうとする思考。自己民族誌(autoetnografía)とでも呼べるかもしれないこの方向性に沿っていくと、人類学は思想とか文学というものにどんどん近くなっていく。新しいカテゴリーを、新しい読み方を。そのような動きの中にいて、僕は結局どこにもいないけれど、からみながら励ましながら、うまくその可能性の中で自分の身体に取り込みながら思考できるだろうか。

そのようにして、混血のやつらのなりすまし先住民主義なんて潰れてしまえばいい。偽りの普遍性の名のもとに「自らのもの」をすり替えてしまう卑劣さに、こっそりと自分が優位に立ってしまう物分かりの良さに、迎合するなんてくだらない。

昼ご飯のときに必ず作るもの。

日常を記録してみようとふと思い立ちました。
ボリビアのご飯にはリャフア(llaxwa, llajua)という調味料がついてきます(注)。トウガラシとトマトで作ります。写真のが辛い辛いトウガラシで、ウルピカ(ulupika)と呼ばれるもの。僕が仲のいい家族のおばあちゃんの家の山の上の方にある土地でとれます。トマトは買ってきました。

まずはウルピカをつぶしてすります。これはあの小さいのを15個ぶんくらい。この石も山の上の方で拾ってきたと、うちの家族は言います。

次にトマトをざく切りにしながら加えていきます。トマトをざく切りにするときも玉ねぎをみじん切りにするときも、まな板を使わないで手のひらの上ですべてを捌きます。この写真の子はあまり料理に慣れていないので、ざく切りがちょっと大きめ。

だんだんとllajuaの感じになってきた。トマトは2個分くらいがちょうど。最後に塩を加えて味を調えます。kirkiñaと呼ばれる緑の葉っぱを入れることも多いですが、いまは乾季なのでうちの庭では採れません。

(注)場合にによってはwayk'a(ワイカ…「カ」は破裂音)と呼ばれる、黄色トウガラシ(ají de vaina)ベースのものが付くこともあります。
そして、ある段階でulupikaのことをurukipaと僕は勘違いしていた…。

追記:いやおかしいぞと思って、後日もう一度みなに聞き直してみたら、うちの家族は「k」と「p」を逆にしてこのトウガラシを呼んでいたのだった。

sábado, 11 de junio de 2011

ボリビア料理とアイマラ語とスペイン語と

ボリビアには(ラパスには?)queso umachaという料理がある。これまで最後の-chaは縮小辞だと思っていたのだけれど(PabloがPabuluchaになるみたいに)、ふとそんなはずがないと昼ご飯を食べながら気付く。

辞書にも:
umachaña: hacer aguanoso (Félix Layme. Diccionario bilingüe aymara castellano.)
(訳すと、水っぽくする/液体状にする)
この-chaは「~にする」という接尾辞で、jaqichasiñaは「お互いに人間(一人前)にする=結婚する」、utachañaは「家を建てる」、yatichañaは「知恵があるようにする=教える」などなど。
チーズをとろけさせるところからこの名前になったのだろう。

今日横にいた家族連れは、「queso umachaってなに?」という子供の質問に、「choclo ahogado en quesoだよ」(白トウモロコシがチーズに窒息させられている=とろけたチーズを絡ませること)と親が答えていた。なるほど。ちなみにイタリア料理のデザートにあるaffogatoも窒息している感じがするといつも思う。

そしてahogadoと言えば、ここの料理は大体最初にトウガラシをすりおろしたものを油で炒めて、そこから玉ねぎを炒めたり水を足してのばしたりしていくのだが、僕はこれをかなり長いことahogadoだと思い違いしていて、一昨年やっと訂正された。これはaguadoなのだ。確かに液体状にのばしていくものね。

最後に水に戻っておさまりがよろしいかな。

(注1)なんでそんなことはないと思ったかというと、ここでは縮小辞は例えば-ukuなのだ。僕のahijadoのSantosはおばあちゃんによくSantukuと呼ばれている。
(注2)umaは「水・液体」という意味です。

viernes, 10 de junio de 2011

歩く、立ち止まる、話す、考える

ボリビアには、コチャバンバ学派というものがあると一般に考えられている。コチャバンバは気候の温暖なボリビア中部の街。なにせごはんがおいしい。

僕は政治学者のフェルナンド・マヨルガ(Fernando Mayorga)という人と昔からなぜかうまが合って、たまにご飯を一緒に食べたりする。このときはピカンテ・ミクスト(picante mixto)という唐辛子煮込み盛り合わせみたいなのを僕はガシガシ食べていた。mixtoとは牛タンと鶏肉とクイの肉が山盛りになってくるやつだ。彼はメキシコで博士課程をやってボリビアに戻ってきたのだけれど、「Yo hice mi doctorado en las calles de Cochabamba.(コチャバンバの街路で博士課程をやったんだ)」と、以前僕に話してくれたことがある。これは実は、Cachínと愛称で呼ばれる、ルイス・H・アンテサナ(Luís H. (Huáscar) Antezana)という人のことを言っているのだ。ボリビア文学の第一人者であり、1952年革命の際の革命ナショナリズム(Nacionalismo Revolucionario)や20世紀ボリビア最大の政治思想家レネ・サバレタ・メルカード(René Zavaleta Mercado)についての研究でも定評がある。僕は昨年の一月に初めて本人を家に訪ねてゆっくり話す機会があって(それ以前にも仕事で一度一緒になったことがあった)、身をもって体験した。何せ、コチャバンバの街角で突然考え込んだり、立ち止まって何かを力説してくれたりする。歩いて、立ち止まって、話して、考えて。思考するというのは多分そういうことなのだ。この人が考えるときに使う言葉はとてもとても丁寧で、<discursar por discursar no más(議論することが自己目的化すること)>とは対極にあった。歩きながら考える言葉だからかなとずっと思っていた。

そうかこのことだったかと思って、喫茶店でマラクイヤー(maracuyá)のジュースをご馳走になったことと併せてよく覚えている。これは伝説となって語り継がれていく類のものだけれど、伝説じゃなくて自分の体で横にいられるのは嬉しい。

もちろんこれは、歩く哲学者、みたいな話(だけ)ではない。山道をうちの畑に向かって上りながら、息を切らして、途中の木陰を休憩所にしたところで一息ついていろいろと話して、上る途中も何かの目印ごとに立ち止まって教えてもらう。訪問したところで、ふとした機会に、ふとした時間に、思いがけず話が展開して、深まっていく。寄せて返して、揺れて止まって、そしてもう一度、あともう一度。人と話しながら、歩きながら、立ち寄りながら、考えていく。そういうゴツゴツしたものが、自分のペースになるといい。考えることは、言葉を使うことは、やはり生き方だからだ。

lunes, 6 de junio de 2011

アンデスの気配


昼ご飯をよく食べに行く食堂がある。道の反対側にはその向こうへと下っていく石段があるような、急勾配に沿った通りにある。入り口わきの席に座ると、扉を通してラパスの街の斜面の反対側が、そしてその上に向かって雪をかぶった峰々が見える。真っ青な空。アンデスの風が自分の中に入ってくる。

どんなに昼なお薄暗い、閉ざされた部屋の奥であっても、そこにはアンデスの山の、風の気配が感じられている。そういう孤独、そういう世界。

(注:Jaime Saenzという作家が好きで、ここにいるときはよく読みながら、いろいろと考えているのです。)



追記:6月11日に写真を追加しました。

viernes, 3 de junio de 2011

旅をする食べ物

(1)今日の朝ごはんの食卓の上にポンカンが置いてあった。サンフアン移住地のかなと思って聞いてみると(サンフアン移住地で栽培されているのは前に実際に行って見せてもらったことがあって知っていた)、別にそういうことではなくユンガスかチャパレ(低地の亜熱帯地域)のものだろうということだった。ポンカンってミカン(mandarinas)に接ぎ木をすると簡単に育つのだそうで、移住地からこちらの人々に採用されて広まっていったのだろう。mandarinas japonesasと呼んだりするのだそうだ。
(2)ビワ(枇杷)って日本のものだと思っていたら、ユンガスに行くと垣根に使っていたりして、たまに小さな実がなっているのが見られるのだそうだ。Wikipediaを見ると、ビワは中国が原産だから、そこに書いてある通り、やはり日本人が持ってきたのだろうか。旅する植物は面白いところに顔を出すね。
(3)ここの宿の主の南雲さんは、Locoto(こっちの唐辛子)の赤いのを買ってきて、干して、ミキサーにかけて一味唐辛子のボリビア版を作っている。ラパスは乾燥しているから、簡単に野菜が干せる。種と実の筋と一緒に潰しているから、辛くておいしそうだ。(Locotoは種だけでなく、実の中の筋になっているところに辛みがあるので、そこを掻き出すと辛くなくなって香ばしさだけが取り出せるのです。Locoto rellenoを作る時はそれをやらないと、いわゆるシシトウの「あたり」状態の大規模版になって、大変なことになってしまう。)
(4)最近チリから甘柿が入ってくるようになったらしい。市場とかで見つかるかな。