アイマラの人々の間に様々な形で萌芽のように存在している、自らの習慣や言い伝えに着目して、それを深めていこうとする思考。自己民族誌(autoetnografía)とでも呼べるかもしれないこの方向性に沿っていくと、人類学は思想とか文学というものにどんどん近くなっていく。新しいカテゴリーを、新しい読み方を。そのような動きの中にいて、僕は結局どこにもいないけれど、からみながら励ましながら、うまくその可能性の中で自分の身体に取り込みながら思考できるだろうか。
そのようにして、混血のやつらのなりすまし先住民主義なんて潰れてしまえばいい。偽りの普遍性の名のもとに「自らのもの」をすり替えてしまう卑劣さに、こっそりと自分が優位に立ってしまう物分かりの良さに、迎合するなんてくだらない。
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