martes, 15 de diciembre de 2015

言語教育で最初に時間をかけることの大事さ

今年度、語学の授業に関して、どうもこういうことなのかな、と初めて気づいたことがある。

一つ目は、最初の段階で何度も丁寧に自分で考えて言葉を発してみる訓練を積むと、そこでの進みが少し遅いと感じられたとしても、後の進みが意外なほどにスムーズになるらしいということだ。それは、おそらく体感で確固たる基盤が形成されることによる。この丁寧に練習をしながら時間を積むというのは、コミュニカティブ・アプローチを採るときの重要な点で、というかコミュニケーションを取れるようになろうと思ったらどうみても必要な点だ。

二つ目は、時間を取って関係を構築してくると、単語の知識を得ようとするときの考え方や、文章を読む際の文の要素の組み立てとつなぎのパターンへ、思考を誘い易くなってくる。 もちろん、単語は一つの意味との一対一対応で覚えるべきではないし、文の組み立てやつなぎは「構文」のような静態的なものではなく展開していくゴツゴツして立体的なものだ。こう考えてごらん、こう見てごらんという方向へ、一緒にやり取りを通して向かえるようになる。これは、今年度非常に珍しく(しかも非常勤先で)二年連続で一つの集団を教え続けている中で気づいたことだ。

いずれにしても、これは最初の一年とちょっとという時間に、丁寧に丁寧に時間をかけて自分の頭で考えていくということの大事さだ。それぞれ、全然別の集団と時間を共にする中で、こういうことかなと気づいてきた。

こういうことをベースに据えると、ただ単元と項目を順番にこなすという以上の何かができるだろうかね。おもしろいかね。

martes, 1 de diciembre de 2015

30台の最後で

ああ私はオダギリジョーさんと同い年なのか。

NHK(Eテレ)の『スイッチ・インタビュー』を偶然見た。5年後に見たくらいでは自分が十分に変わっていないのではないかという感覚、技術を蓄積していっても20台で失った感覚にはもう辿り着かないのではないかという葛藤、それでも若い人ともう一度何かを作ろうとする再出発、それらのすべてがキツく、そういうことだなと納得し直すような、つらい時間を経験した。対談の相手に自分より10歳ほど若い人を指名するという、その振る舞いも含めて。

(逆に)将棋の羽生善治さんは、年配世代の継続を見たのが先の見えないスランプから立ち直るヒントになったと、事あるごとに話している。追求し続けて、それでも果てがない、その年台ごとの人のあり方があるのでしかないことを、受け入れられるようになるということは、狂言の野村万作さんと野村萬斎さんが言う「時の花」とも通じることだ。

もがき苦しむように楽しく、生きている。

jueves, 26 de noviembre de 2015

ニュースを読みたくない

ボリビアにおける私の師匠の、折に触れて言及している人ではない方の、ボリビア政府の要職に就いている方の人。

いったいなぜこうなった。

まだ、その職に就いた後の激務の合間を縫って、最後にまともに会ってから話してから、たったの9年だぞ。なぜこうなった。9年はそれだけの期間なのか。

余りに展開が早すぎたから、自らの知性を十分に成熟させる暇がなかったのか、運動が十分に成熟する暇がなかったのか。だとしても、こんなに簡単にビジョンは失われるものなのか。あんなに鋭かった冷徹な洞察は、こんなに無残にも失われるのか。

これは、今の国際情勢では真の変革には数十年を要するから、この現実にはこれしか答えがないという、絶望に満ちた身振りなのか。それとも権力の働きに心身ともに完全に取り込まれた、残骸のような姿なのか。

まずは来週、そしておそらく来年途中から、さすがにもう一度わたしは本格的にこのことと向き合わなければならない。

私はあの人と似ている、とずっと思っていた。だから目を背けたくて仕方がない。悲しくて仕方がない。嘘だと言ってほしいし、今やっていることは全部わざとだと言ってほしい。

martes, 10 de noviembre de 2015

子どもと自分と

自分のことが自分でどの程度客観的に見れるものかは、それ自体常に厄介な問題だけれど、子どもが自分に似ているかどうかはなぜか更に厄介で、私にはどうも判断が付かない。

みんなが似ているというのだが、どこが似ているのかサッパリ分からない。(似ていて嬉しくないというのではないのです。)

むしろ連れ合いの系列に似ている部分はとてもよく見えるもので、私には子どもがそっち側にすごくよく似ているように思うのだが、それはそれで言ってみても、いまいち反応が悪い。

人の認識って不思議なもんだなと日々思いつつ、なぜか私と一緒にいるときだけ号泣する子どもと一緒に生きております。なぜだ、なぜなんだ。

授業の配置とバランスについて

本来われわれは、多くの場合、自分の狭い意味での「専門」(があるとすればであるが)を反映したポストに就くことが望めなかったりする。ラテンアメリカ研究者の多くは語学の教員として生きているのであり、それは専門科目まで含むこともあるが、ただの語学オンリーの教員であることもあり、語学の授業のコマ数が週に10コマを越えるなんて状況は当たり前のようにあって、今の時代はそんな贅沢を言ってられる場合では全くない。
(授業の数が極端に少なく調査・研究に没頭できるポストが以前は存在したなんて、もうリアリティをもって想像できなくなってしまった。)

そしてそうであっても、研究は続けられるはずだし、当然続けなければならないはずだ。

……のはずなのだが、どうも私はスペイン語の授業だけで一週間が埋め尽くされると、そちらにしか目が向かなくなり、スペイン語についての勉強は進んでいくのだが、本来の研究は2年半ほど大幅に停滞した。二度ほど、ものすごい気合で事態を逆転させようと試みたのだが、身体的にかなり大きな負担がかかった。

たぶんこれは、そもそも語学の教員は授業のコマ数が多いので、一週間の平日をほとんど(一日当たり複数コマの)授業で埋められてしまうこととも関係する。 つまり気持ちがもう切り替わらなくなってしまうのだ。

これは良い面もある。私はここまで2年ほどスペイン語「しか」教えていなかったので、逆にスペイン語とかなり真面目に向き合う機会を得た。地域研究者が語学教員をやる場合、どうしても腰掛け気分になってしまう弊害があり(稀な例外はもちろんある)、<適当なところで許してね>的な甘えが出て来ることは否めない。地域研究者だからこそできる語学教育はもちろんあるはずなのだが、それがその言語の言語としての側面を適当に済ませて出来ることなのか、私には確信がもてない。

でもそれは、貴重な機会ではあっても、自分のバランスを非常に悪くする機会でもあった。

今年度の後半になって、授業で担当するコマのバランスがガラッと変わり、学生の人数がそれほど多くなく(そしてそれは確実にとてもよいことで)、元々自分が関心を持って手掛けていることと授業の配置とが、だいたい対応するようになった。そして、自分の授業の何かが相手の何人かに届いている気がするだけで(それはもちろん全員ではないが)、こんなことをやってみたいと向こうから積極的に提案してきてくれるたびに、そして寝ないで話を聞きたいからと学生がすごい努力をしているのを見たりするたびに(そこまでしないと起きてられないのかとビックリもするけれど)、狭い狭いところでもがいていた自分のバランスが戻っていく感じがする。

まあ、まだまだですけど。ていうか、最初の年度なのでまたもや溺れそうであっぷあっぷしてますけど。

どうしても教える側は、学生に助けられます。感謝しています。

jueves, 17 de septiembre de 2015

悔しさと怒りの置き場のない夜に

前から見えていた卑劣さと卑屈さが決定的に増幅され、民主主義の欠如だけでなく「クーデター」という考え方まで見えてきた夜に。

私が一番長くかかわってきた南米のボリビアの社会は、どのような理屈で動いているのかが分かりにくいとされ、私も長いことそのように思ってきた。しかし、危機に直面すると、大きな意味で、徐々に、社会のスローガンも論者の見立ても収束していく。私はそこに目を凝らすだけでよかった。しかし、ここの日本社会では、危機の最中でも言論における立場取りが際限なく分裂していくような印象を受ける。そもそもそういうものかと暫くは思おうとしてみていたのだけれど、自分の立ち位置の差別化に腐心する傾向が目につき、或いは批判しつつも大きな意味で共闘することが振る舞いにおいて見えなかったり、そして何よりもコロニアル状況の中にどっぷり漬かっている度合いが元々自分が思っていたよりも遥かに大きいのかもしれないと考えつつある。

コロニアル状況の中で人が一貫した行動を取れるし取るべきだ、ということを前提として考えるべきではないと私は基本的に思っていて、公刊されている文章にもそのように書いているのだが、ただそれでも、そのような困難な状況の中で射程を遠く遠く持ちうる立場がどこにあるのかには関心がある。

昨日9月17日の東京大学駒場キャンパスでの集会で、島薗進さんは、「いのち」が脅かされそうで胸が潰れる感じを、自分の子どもに対する情愛(と病気に対する心配)といまの安保状況を通底させながら指摘し、西崎文子さんは、渡辺一夫と大江健三郎の言葉を拠り所としながら、「もう一つの」日米関係に向かう可能性を指し示そうとした。それぞれがそれぞれに慣れない行為としての発言だったのだと言っていたし、したがって私にとって必ずしも聴き取り易い発言ではなかったのだが、それぞれが信頼できる言葉だと思った。そう自分が思っていることを確かめるまでに一日かかった。この集会の書き起こしもいずれ配布がされるとよいなと思う。

ここで「戦後の欺瞞」とされているものから我々が「脱却」するならば(ここの鍵括弧は私が必ずしも賛成していないことを意味する)、その出発地点はその前よりも遥かに条件の悪い場所になるのだろう。そのときに、誰の何を受け継ごうとするのか、私はさらに真剣で問われることとなるはずだ。

最後にもう一つ。東大に限ったことではもちろんないが、正解を当てに行こうとするような言葉の紡ぎ方、そして当てに行ったことで自分自身からどんどん離れていく言葉の紡ぎ方が蔓延る方向へ、大学で仕事をするまでの長い間大学受験業界で生きてきた私は結局加担してしまった。そのことも、私は今回まざまざと見せつけられた。そうじゃない何かを私はそこに介入させようとしたと思いたいけれども、結局加担したことに変わりはない。参議院の安全法制特別委員会の中央公聴会での、奥田愛基さん(SEALDs)の言葉を読み、そして動画で聞き、私はちょっとほっとした。いろんな人が言っているが、私も彼がいてくれたことに感謝している。そしてその思いは、塾の場で、そして大学の場で、様々に自分自身の言葉の片りんを見せてくれた人たちへの思いへと広がっている。

viernes, 17 de julio de 2015

2015年度前半の授業を終えて

 大学で教えるようになってから、授業をどうやるかが主要な関心事の一つになり、せっかくなので考えていることを折に触れて書き留めておこう。(あまり褒められた行為ではないのだが、回収した後で授業評価アンケートのコメントに簡単に目を通しています。そうじゃないと数カ月経った後にやっと結果が帰ってくるので……。もちろん誰が書いたのかは分からないし、改竄はしておりません。)

 駒場のスペイン語中級は、接続法と再帰動詞に的を絞った授業。私の授業は、常に試行錯誤を続けていて、最後まで何かに辿り着きそうで辿り着かないままで終わるが、 それ自体がスタイルだと言ってくれた学生がいたのも有り難かった。後期課程は担当するのか、次の学期は授業を持つのか、スペイン語を続けてみようと思う、学生たちのそういう言葉のそれぞれをとても嬉しく思う。駒場の授業時間が1コマ105分になったので、途中休憩を挟み前半後半に授業を分けた。それ自体はおそらくいいのだが、やり方があまりにも場当たりだった。そもそも90分の場合でも2部に分けて、それぞれをはっきりと設計できるくらいがいいだろう。また、学生の授業への参加の形態をもう少し事前に考えて設計できるといい。この中級の授業では目標・活動を複数系統立てていて、スペイン語史に関するリスニング読解の取り組みは途中で挫折したのだったが、むしろそれを続けて欲しかったという声が多かった。スペイン語史、面白いよね。わたしも勉強をつづけながら、これを組み込むのをまた模索してみよう。また今回は、文法と創作の作文とを合体させたが、将来的には具体的なテクストを検討しながら学生にも創作してもらうという形を取ってみても面白いか。

 駒場の2年生の必修スペイン語講読は、カリキュラム改正で今年度が最後の授業になる。ただし、私は今年度に担当するのが初めてであった。現状の最大の問題点は、1年目が終わったところで学生が(かなり極端に)二極分化していることが多く(これ自体が大問題だ)、それをそのまま引き継がないといけないことで、2年目の語学の授業を必修から外すのは正しい方向なのかもしれない。(あるいは慶應の湘南藤沢のように、取る前提として課題への取り組みと試験への合格を課すかだろう。)また、駒場は1年目の教科書と2年目の教科書の間に、あまりにも大きなギャップが存在することで悪評が高く、その間を何とか埋めることを試みたのだが、あまりうまくはいかなかった。(ただし、一部の学生たちからその部分を評価してもらえたのは、それはそれとして嬉しかった。)これは駒場の昔からの語学教育の伝統が、悪い形で残存しているのだと思うが、それはある意味一足飛びに大人になろうとしていた昔の日本社会の反映であって、現代の語学教育ではもう成り立たないのだと私は思う。そんなこんなではあったが、それでも楽しんで新たな可能性を見出した学生がいるのは、とても心強かった。下のエントリーの「楽しさ」発言が出たのは、このクラスからであった。

 神大の2年生のスペイン語演習(講読)、珍しく昨年度からの持ちあがりで、選択必修なのだがかなりの数の学生が去年からの継続だった。神奈川大は2年生に上がるときに学生の雰囲気がかなり変わるが、そこを越えて、そして様々な学生と話しながら今学期の授業ができて、今学期はとても楽しかった。何人かにはすごくできるようになってもらいたいし、できるだけ多くの人にはいてよかったと思ってもらいたいし、暗中模索している人が次の一歩を取りあえずやってみるという過程には寄り添っていたいと思う。

 駒場の1年生の初修の授業は、案の定というか、進みが速すぎるというブーイングの嵐だ。まあそうだよねえ。(私自身は、この点について、今回のカリキュラム改革でもう授業時間数が限界を越して少なくなってしまったので、インテンシブとそれ以外で進度を分ける仕組みをスペイン語も採用すべきだと思っている。)ただ、この教科書をどう使えば・補えばいいか私のアイディ ア(配布教材)を、1列と2列という系列を越えて活用してくれた人たちがいるというシグナルが今年も送られてきたのは、ここを担当する醍醐味だ。これから先も、この手のスペイン語の初級の授業を続けていくとすれば、例文を私自身が自分で探し、作る、そしてそれとつなげて「地域研究のスペイン語」をいかに(半分雑談と重ねるようにして)組み込んでいけるか、ということになりそうだ。ラテンアメリカについての雑談が面白く、もっとしてほしいという声も複数あった。現在、駒場で作成が進んでいるスペイン語の新しい教科書では、いかに従来のスペイン語教科書の「使い回し」例文から脱却するかが、執筆者の問題意識の重要な柱となっているのでもあるが、それは自分ひとりでもやり続けるべきだろう。また、学生の中から、文法(一列)や講読(二列)の授業だとしても、語彙を体系的に構築する取り組みをもっと積極的にやってもいいのではないかという意見が出てきたのは、ちょうど石橋純さんからもそういう話をされていたところで、本当にその通りだ。

 今年は、不思議な機会が次々と可能になった年でもあった。PARC自由学校からのお招きで、金曜の夜に隔週で南米アンデスのアイマラ語の講座を開講中で、太田昌国さんの基調講義に続いて、語学の講座を三回やって夏休みとなった。今年度後半からは、慶應大学の湘南藤沢キャンパスで、私が担当する研究会の一つをアイヌ語とアイヌ語の口承文学にして、皆で一緒に勉強しようという形で設定している。何かをやっていると思いもかけない新しい展開があるね。今年度後半から、全体の私が担当する授業の構成が一新して、また新たに苦しみ模索することになるが、それもまたありがたい新しい機会でもある。

miércoles, 15 de julio de 2015

愉しそうであること

学生に言われて自分の考えが少しずつ変わっていく、ということはあるもので。

私は以前、「研究の話をたのしそうにする」という評価をあまり気に入ってはいなかった。自分を研究へと突き動かす動機は、もっと暗いものであって、そういうことじゃなくない?と思っていたのだ。

しかし、ある学生さんが、スペイン語をしゃべっていたり、スペイン語について話しているときの私がたのしそうでいいなと思ったと言ってくれたのは、一瞬面喰らったのだが、後から嬉しくなった。そのように外から見えているとすれば、何か繋がって広がっていくことに向かっているだろう。そうであるといい、とはむしろ思う。

微かな希望へと手を伸ばそう

何かがあったときに身動きが取れないほど予定が詰まっているのは、やはり間違っているのかもしれないと思いつつ。

「教室」という小さな小さな空間で、私が取り組んでいることが、遥か彼方で何か、もう少しましな何かに繋がってほしいと、微かな願いをそっと先の方へ先の方へと差し出したい。

lunes, 30 de marzo de 2015

生け花(小菊の9本生け)

2015年3月30日、小菊の9本生け。

菊というのはいつが季節なのだろうと思ってしまうくらいに、一年中を通して手に入る。外では桜が咲いているが、市場は少し実際の季節より早いので、3月に日本にいなかった私は桜を生ける機会を今年は逃してしまった。もう青い木物や、杜若(かきつばた)などの季節にこれから入っていく。

自分の技術に一切満足がいかない難しい段階に入っていきつつあるが、そんなこととはお構いなしに小菊は美しく自分を誇っている。

あと、実物を見ているとそれ程は思わないのだが、写真に撮ると思うと、真や流の先端部分にもう少し流れを出した方がいいかもしれないね。

domingo, 22 de marzo de 2015

ボリビア料理(魚の石焼き塩漬け)

ラパス市とエルアルト市に雹と雨が降り吹き荒れた翌日、アルティプラノ(高原)の空気は澄み渡り、街を取り囲む山系は一面が白い雪に覆われている。

カトリックでは、セマナ・サンタ(聖週間)が始まるところで「ラモス」という日が設定されているらしく、その大きな市が、今週末の日曜日からエルアルト市の郊外に立つことになっている。本当は来週の日曜日のはずなのだが、ボリビアはそこに地方選挙がぶつかっているので、市を一週間早く開催するのだと言う。(場所はRío SecoからEx-trancaを通り越したその先にある。)

ここで久しぶりに出会ったのが、チチカカ湖の魚の料理でもう一つ重要な、この下の写真の料理。これは石を熱しておいて、取れたての生きている魚をそこで焼いて、焼き上がった魚を塩(とトウガラシ)に浸けておくものだ。 名前をこれまで認識していなかったのだが、マピ(map'i)と呼ばれるらしい。
(追記:……と、一つの家族のお母さんは言ったのだが、別の家族のお母さんはこれはパピ(p'ap'i)だと言う。こっちのお母さんはチチカカ湖の周辺の出身なので、そっちが正しいのか?うーん……)
上の写真はペヘレイ(pejerrey)と呼ばれる魚のマピが大部分で、イスピ(ispi)のマピが左側に少しある。魚スープのワヤケにもつかわれるカラチ(k'arachi)という魚で作ることもでき、これも美味しいのだそうだ。このカラチで作った場合は、骨がごついために、そのまま食べることはできないそうだ。

このマピ、パンと食べると美味しいということで、 今日はラハのパンを買う。ラハ市はエルアルト市からオルーロ市に向かう街道沿いの郊外にあり、この街のパンは独特な味で皆に愛されている。なんでも、バターを使わずに、小麦粉と膨らし粉と水だけで作るのだそうで、なるほど素朴だが飽きのこない味だ。
ちなみに、このペヘレイのマピは頭や骨も私はそのまま食べてしまうが、うちの家族は皆が「信じられない」と言いながら私を見る。また、これは内臓をそのままに焼いて浸けてしまうので、その苦味が独特の味わいを添えてくれるが、うちの家族の「妹」たちは内臓が嫌いだと言って、この品があまり好きではないようだ。

下の写真のようにジャガイモやトゥンタやチューニョをふかしたものと合せてもおいしい。下はトゥンタをふかしたものと一緒に食べているところ。

いつかチチカカ湖畔の村で実際に作っているところを見てみたいなと思っている。

viernes, 20 de marzo de 2015

日常をともにするだけでは

<貧しいということは資本が自分の身体しかないということだ>というのは、私の修士時代の先生の一人(ロバート・チェンバース)による名言で、悲しいことに様々な場合に直観的に役に立っている。

日常をともにするだけでは、その穏やかさや幸せや愛情だけでは、困窮の中にそれが全てこぼれ落ちていくようなときがあり、命はとても脆く呆気ないものであり、そうして昔の私の専門ともう一度向き合えと運命が後押しをする。私はかつて、貧困と開発を専門としていたのだった。

人の命は意外としぶといと思おうとしたが、そんなことはなかった。

「祖先」を崇め称えるようなボリビアの先住民主義的言説の中で、私はアイマラのお年寄りが蔑ろにされ、家の一角の狭く暗い場所に追いやられ、寒々しい日々を送る様子を見たことが一度ではない。自分は自分を貫きながら、絶対にその見たことを、そして「祖先」という言説の白々しさを、忘れないし、許さない。

少しずつ冬へと向かう季節

周期的に降り続いていた雨の間隔が空くようになって、天気が徐々に良くなってくると、逆に気温の低下を感じ始めて、南アンデスの季節は少しずつ冬に向かっていく。そういう会話が聞こえてくるようになる時期だ。

まだアンデス高地の豊穣の季節は続いている。今週末も出身の村でのジャガイモの収穫に向かう友人がいる。そして渓谷部の果物類は、その最後を飾る桃の季節だ。 下の写真は、その出身の村からの桃のおすそわけ。ラパス市に届く渓谷部の果物は、梨も、桃も、どこのものだかがはっきりしていることが多い。
冬に入ると、こんどは低地の亜熱帯/熱帯地域から、ミカンやオレンジなどが届き始める。もうすでにバナナは結構安い。アンデス地域の生態の補完性は、こういうところでもうまく働いているものだなと感じる。

martes, 17 de marzo de 2015

ボリビアのチリ料理(アヒアコ)

ラパスのエルアルト国際空港の二階に、こじんまりとした食堂がある。ここにアヒアコ(ajiaco)というトウガラシベースのスープがあり、これはチリの食べ物なのだそうだ。なぜそれがここでと思ったら、このレストランのオーナー・シェフ(女性らしい)がチリ人なのだそうだ。トウガラシの一つ(ロコト)を軽く炙ったもの、タマネギ、ピーマン、牛のかたまり肉、かき卵と落とし卵などが入っていて、おいしい。

チリでどんなものなのか私は知らないのだが、上の写真のように、ラパス名物のパンであるマラケタ(marraqueta)と組み合せて食べられるのは、ここだけかもしれない。

昔は知る人ぞ知るメニューに載らない隠れた品だったのだが(私はかつて20代の後半に大使館で仕事をしていた時代に、これがあるということを伝承されたのです)、最近になってメニューに堂々とこれが載るようになった。昔はありあわせの皿で出てきたのが、ちゃんとスープ皿っぽいもので出て来るようになった。

それにしても、最近は日本人の団体客が本当にびっくりするほど多くなった。ここ数年の現象のはずで、一階に下りて行くとボリビア人の知り合いが書類を配るので大わらわになっているところに出くわし、お互いに苦笑いをして通り過ぎた。

雲と山の間に




sábado, 14 de marzo de 2015

ラパスとクスコを行き来しながら

ボリビアのラパスとペルーのクスコの間は、もちろんバスで行った方がずっと安いのだが、バスだと13時間かかるところを飛行機だと1時間でついてしまうので、一日丸ごと潰したくないと思うと飛行機に乗ることになってしまう。

ボリビアのアエロスール航空が破たんした跡、しばらくの空白期間の後にボリビアのアマソナス(Amaszonas)航空がこの路線に参入し、なんと史上初の毎日運航が現在実現しているのだが、つい最近ペルーのペルービアン(Peruvian)航空がこの路線に参入してきた。

ペルーの航空会社がクスコ―ラパス線を飛ぶのは初めてではないだろうか。ウユニ塩湖を中心としてボリビアへの観光客が増加しているのが関係しているのだろうが、小さい飛行機でわりかしかっちり飛ぶ引き換えに運賃がやや高いアマソナス航空に対して、運賃が安いことが売りのペルービアン航空。クスコ―ラパス線が少し安くなる可能性に加えて、ここまで何と1時間45分の片道のフライトが300ドル以上するリマ―ラパス線が少し安くなるのではないかと期待されるのではないかな。
(ラン航空とアビアンカ航空しかないと、航空券の値段がどんどん高くなっていく)
(ちなみに、アマソナス航空は週に3回ラパス-アレキパ(ペルー)間を飛ばしてもいて、この路線を飛ぶのもおそらく史上初だと思う。)

下はラパスのエルアルト空港で見たペルービアンとアマソナスの飛行機。ラパスに向かう便はペルービアンが出発が早く、クスコに向かう便はアマソナスが出発が早い。というのは、ペルービアンはクスコからラパスを往復し、アマソナスはラパスからクスコを往復するからだ。


離陸するとまずはアルティプラノ(高原)を飛ぶ。下はアルティプラノの小さな町。

そして比較的すぐにチチカカ湖に差し掛かり、かなりの間を広大な湖の上を飛び続ける。

その後は徐々に渓谷部へと入って行く。眼下にビルカノタ(Vilcanota < Willkan uta)川が見え始めるとクスコ圏内に入ってきたという印だ。 比較的緩やかなビルカノタ川の流域(しかし雨季には橋を一つ運び去ることもある)の向こう側に、見えてはいないがもっと急峻なアプリマック(Apurimac < Apu rimac)川の渓谷があり、その深く激しい川の流れはペルーの農民運動と社会変動の象徴にもなっていて、それをかすかに感じながら私はいつも飛行機に乗っている。

着陸直前、クスコの街の入り口のサン・ヘロニモ地区が見えてくると、もうあとわずかで接地する。 この地区は中央広場の脇に知り合いが住んでいて、この景色を見ると気分の設定が急に切り替わる感じがする。
行きのアマソナス航空がガラガラだったので、既にペルービアンに負けているのかと気にしていたが、クスコ発のラパス行きは満員に近い乗客が待っていた。確かに向きとしてはペルーからボリビアに向かう観光客が多いかもしれない。この路線は、もう完全に観光客目当ての線だ。

(追記2015.3.15)ちょっと気になって調べてみたら、やはりラン航空のラパス-リマ線は大幅に値下がりしていた。

viernes, 13 de marzo de 2015

ボリビア料理(フリカセ)

週末の昼前に、ニンニクとトウガラシが煮えるよい香りが漂う。
豚肉というのは、ちょっと特別なときに食べるご馳走で、日本に住んでいるときとの、この感覚の違いがなかなか面白い。そして薄切りの肉というのがそもそも存在しない。この豚肉を使ったトウガラシスープがボリビアではフリカセ(fricasé)と呼ばれる。フリカセはラテンアメリカ・カリブの各地に同じ名前の料理があるはずだが(そもそもどれだけ種類があるのだろうか)、ボリビアのはニンニクと黄色トウガラシがベースになり、イェルバ・ブエナ(hierba buena)という少しミントに似た香草を使うものだ。豚肉は必ず皮付きのものを買い、皮が十分に柔らかく煮えてくると出来上がりになる。
上の写真は、出来上がりのフリカセをよそっているところ。ジャガイモの乾燥保存食チューニョと、白トウモロコシを茹でたモテ(mote/mut'i)が必ず入る。
休日や特別の日のご馳走で、ついつい勢い込んで食べ、食べ過ぎてしまう。家族の皆が幸せな気分を味わう料理だ。
(2015年3月8日Yüpampaの家で)

ボリビア料理(wallaqi)

 ボリビアのラパスで食べられる、チチカカ湖の魚を使った料理のもう一つの定番は、魚のスープでワヤケ(wallaqi)と呼ばれる。カラチ(k'arachi)と呼ばれる小さめの魚は、骨が多くて少し食べにくいのだが、とてもよい出汁が出て、身も香ばしくて美味しい。コワ(q'uwa)という香草を使うので、独特の香りが漂う。下の写真はペヘレイとカラチのワヤケだ。
 このカラチという魚は、身がかなり固い鱗に被われているので、それを取るのが一大事だったりすることもあり、家で作りたがらない人が私の周りには多い(というかそもそも魚があまり好きではない人が多いような気がする)。なので、屋台で食べる、ということになる。
 私が好きなのは、ラパス市内のロドリゲス市場の端のベルスー広場(Plaza Belzú、サンペドロの広場から2ブロック歩くと着く)から、イリャンプー通り(Calle Illampú)を上がって行くと、左と右に一軒ずつ魚を扱う店があるのだが、その左の方のお店(ただし右の方も美味しい)。左と右のお店が週末には交互に路上にも出て売っている。 私の友人は、ブエノスアイレス通り(Avenida Buenos Aires)のアバロア橋(Puente Avaroa)に座っているおばちゃんのワヤケが好みだと言う。

どこでも一度食べ終えた後にスープをお代わりすることができる。私はそのときに、ジャガイモの乾燥保存食チューニョ(ch'uñu)を戻したものも追加してもらう。

jueves, 12 de marzo de 2015

ボリビア料理(frito de pescado con ají de papas)

海のないボリビアにはチチカカ湖があり、チチカカ湖の魚がラパス市に運ばれてくる。私はこの湖の魚が大好物なのだが、その食べ方の一つが、魚にレモン汁を回しがけして、トウモロコシの粉(harina amarillaと呼ばれる)をまぶして、フリットにするものである。

特に、日本のワカサギをさらに小型にしてちょっとクセを強くしたようなイスピ(ispi)という魚があり、これは基本的にフリットで食べられるものである。私が魚を大好物にしていることを知っているので、ここの家族は私がいる間に必ず一回これを作ってくれる。

そして、魚のフリットはアヒー・デ・パパスと呼ばれるジャガイモのトウガラシ煮込みと合せることに、これまた相場が決まっている。これは、タマネギのみじん切りを炒めて、トウガラシペーストを加えてさらに炒め、これをのばしながら茹でたジャガイモをすりつぶしたものを加えた料理。単純ながら味わい深く、ジャガイモの偉大さを感じる。

上の写真はペヘレイ(pejerrey)という白身魚を揚げたもの。魚の下にやや隠れてしまっているのは、トゥンタ(tunta)と呼ばれる、ジャガイモをフリーズドライにして流水に晒して白くした保存食を戻したもので、これかチューニョ(ch'uñu)がないとこの料理はやはりしまらない。

そうこうするうちにイスピが揚げあがってくる。今回はトウガラシペーストが思いの外に辛くて、皆でひーひー言いながら食べることとなった。
(2015年3月11日Bajo San Antonioの家で。)

アンデスの植物(カルトゥーチョ)

この花も家の脇に咲いていたもので、名前を聞いてみたところ、カルトゥーチョ(kartuchu / cartucho)と言うのだそうだ。



martes, 10 de marzo de 2015

今日の一言との出会い5(アイマラ語から)

jawsat anu      呼ばれてきた犬

村に来たよそ者たちが得意げに振る舞い、村を食い物にしてうまい汁を吸っている様子を揶揄する言葉だという。要するに、村の生活に溶け込もうとしない態度のこと。

興味深いのは、この言葉を挙げながら議論を重ねていたのがアイマラの人たちで、農村部にできた国立の先住民大学で何らかの形で教員として関わっていて、その大学のあり方を批判的に振り返る中でこの言葉が出てきたことだ。

90年代は、白人・混血の支配層が自らのインディヘニスモを振り返る内省が進んだとすると(例えばウカマウのPara recibir el canto de los pájaros(邦題『鳥の歌』)はその気運をよく表している)、現在は都市と農村の間でのアイマラの人たち自身の分断が前景化・問題化されてくる時代なのだと思う。これは、都市のアイマラには都市のアイマラの生き方があるという気概ともぶつかるために、一筋縄ではいかない厄介な問題だ。

これは、グローバル化し市場経済に積極的に参入していくアイマラ富裕層を、社会につなぎとめられるかという、より広い問題とも今後つながってくるだろう。

(ただし、同じウカマウのLa nación clandestina(邦題『地下の民』)は、都市に出たアイマラの人は農村に戻れるのかという、とても射程の長い問題を扱っているのでもあった。その意味で先駆的だが、そこでの問題の立て方と現代はやはりずれていく。)

でも、私はこの時代に、この新しい問題を自分の近くに感じながら生きていられて、そのジレンマを肌で感じながら生きている人たちと仕事ができることは、とても有り難いことだと思っている。ここに、一つの新しいフロンティアがある。

今日の一言との出会い4(ボリビアの文学から)

¿En qué estaba Adela Zamudio?
     Creo que estaba escribiendo una crítica romántica a estas obras que, en general, textualizaban una norma, un deber ser de las mujeres. A esto se opone Zamudio, a esta representación textual de la mujer. Es en este sentido que Zamudio "crea" a la mujer en Bolivia porque interpela el modelo romántico de mujer y sus mecanismos como el del amor romántico.

ではアデラ・サムーディオは何をしたのだろうか?
 私は彼女が、総じて女性の規範を、あるべき姿をテクスト化しがちなこれらの作品に対して、ロマン主義的な批判を書いていたのだと思う。サムーディオはこれに対して、この女性のテクスト表象に対して、反対しているのだ。この意味で、サムーディオはボリビアで女性を「創出」したのだ。ロマン主義の女性のモデルとそのロマンティックな愛のメカニズムに異議を唱えることで。

Virginia Ayllón. "Introducción." En Adela Zamudio. 2013[1942]. Cuentos. La Paz. Plural Editores.

アデラ・サムーディオ(Adela Zamudio、コチャバンバ、1854-1928)
 ボリビアの女性の詩人・作家で、近年Plural Editoresによるその短編及び長編小説の体系的な再刊と再評価が進んでいる。

domingo, 8 de marzo de 2015

次の豊穣に向けた仕事

今日は朝にずっと雨が降ってどんよりしていたが、途中からきれいに晴れて、少し汗ばむような陽気の週末の一日となった。

日に照らされながら、白トウモロコシが乾かされて、また次の種まきの時期への準備を始めている。
よく見てみると、真ん中に塩のかたまりが置いてあり、また幾つかトウガラシ(ají)が置いてある。うちのおばあちゃんによると、トウモロコシを乾燥させるときにこれを置いておくものなのだそうだ。

また、必ず白じゃないトウモロコシが混じっているのが興味深く、これまたおばあちゃんによれば、必ずいくつか混じるものなのだそうだ。それを排除せずに、来年度の種まきの準備の群れの中に入れていることも、これまた興味深い。
ちょっと面白いので、色のついているもののパターンを取り出して並べてみた。

アンデスの植物(クイティーリュ)

家の裏に生えている植物で、この時期にしか花を咲かせない。
これ名前なに?って聞いてみたところ、kuytillu(クイティーリュ)と言うんだと教えてもらったのだが、それはひょっとしてcohete>cohetillo(スペイン語)なのではないだろうか。確かにちょっとロケットっぽいかな。


それにしても写真で見てみるとすごい斜面だ。

sábado, 7 de marzo de 2015

今日の一言との出会い3(アンデスの気候について)

febrero loco        狂った二月

ラパス市を含めて南アンデスの多くの地域では、雨季の中でも二月に特に雨が多い。その雨が多い時に使われる表現で、元々知っていたのだが今日たまたま話の中に出てきたので。

狂った三月とは言わないので、ここしばらくまだ雨が多いのだが、二月の延長線上にいるようなものか。
ラパス市に雨が迫ってくる。このあと一瞬で町全体が雨に包まれ、しばらく経つとまた過ぎ去っていく。

ボリビア料理(relleno de papas)とソポカチ地区らしさ

ジャガイモの原産地であるアンデスでは本当にジャガイモが美味しいのだが、これは詰め物をしてオーブンで焼いたもの。長距離バスで売り子が売りに来たりするポピュラーな食べ物で、「ご馳走」という感じはしないかもしれない。

ラパスの古いソポカチ(Sopocachi)地区の入り口、6 de agosto通りからAspiazu通りへと折れて、Sánchez Lima通りに着くすぐ手前に、小さな小さな喫茶店がある。喫茶店とはいっても、むしろ中にある大きなオーブンで作られる、このpapa rellenaとか白トウモロコシのhumintaやpastel de chocloなどが売り物。並びに似たような店が他にもあるのだが、ここのが断トツで美味しい、というか余計なことをしないで普通に素朴に作った味がする。
店の名前はCAOBAというのだが、そもそも入口の外の看板が半分朽ちている。でも小さな店内の雰囲気、古めかしい内装とテーブルとイスが、とても居心地がいい。おかみさんは物静かで穏やかなお母さんなのだが、実際に客対応する人がとても無愛想だったりして、それもまたソポカチらしい。ラパス市内でも独特の建築をもつことで有名な、古くからの中間層の住宅街であったこのソポカチ地区の、昔ながらの雰囲気を伝えるお店の一つがこれじゃないかなと思い、私は気に入っている。

前に、ボリビアでとても有名な詩人で文学研究者の友人にここでバッタリ出くわしたことがあり、ああ他にもそう思っている人がいるんだなと思った。
(私に駒場で必修のスペイン語であたると、二列の授業の最後にその詩を一つ読む人です。)

ほくほくしていて、ジューシーで、やはりこれはごちそうだ。

jueves, 5 de marzo de 2015

ボリビア料理(Puré de papas con asado)

私にとってのご馳走の一つ。

前にもこの料理については書いたことがあるが、シンプルな料理ながらジャガイモが本当に美味しいと思える。私が行く渓谷部の村ではジャガイモの収穫期はもっと前なのだが、アンデスの高原部(アルティプラノ)は今がちょうどジャガイモの収穫期だ。周りの人たちが村に帰らなきゃと言っている。

一昨日からラパスに戻って来ている。この写真は前々からずっと昼ご飯を食べに行っている、住宅地の地域に根差した食堂で(この食堂についても前に書いた)。お、戻って来たなという顔を皆にされて、でもいつも通りに扱ってくれる、とても居心地のいい食堂だ。


今日の一言との出会い2(ボリビアの政治から)

Un chiste racista no es un chiste, es un acto de racismo. Un chiste machista es un acto de machismo.

人種差別的な冗談は冗談ではなく、人種差別の行いなのだ。男性優位(マチスタ)的な冗談は、男性優位の行いなのだ。

- Maria Galindo. 2015. "Respuesta a Walter Chávez, el rabioso." Página Siete, 4 de marzo, La Paz.
http://www.paginasiete.bo/opinion/2015/3/4/respuesta-walter-chavez-rabioso-49004.html

miércoles, 4 de marzo de 2015

今日の一言との出会い1(ボリビアの政治から)

En alguna medida la crisis del "modelo neoliberal" latinoamericano fue un atecedente de la crisis global actual que, por cierto, incluye una crisis de la convivencia multicultural.

ある意味で、ラテンアメリカの「新自由主義モデル」の危機は現在の世界全体の危機の先例であったのであり、そこには多文化主義にもとづく共生の危機も含まれている。

- Fernando Calderón. "Prólogo." En Fernando Mayorga. 2014. Incertidumbres tácticas. Ensayos sobre democracia, populismo y ciudadanía. La Paz: PIEB, CIUDADANIA, y Plural Editores.

sábado, 14 de febrero de 2015

生け花(松屋の古流協会展)

今年も銀座の松屋で開催された古流協会展に、2日間(2月13日、14日)出展しました。今年は竹の二重にヒバを下から上らせて、上に椿を配するという組み合わせ。
 ほとんど勉強しながら生けているようなもので、次にもう一回あったらこうしようと、細かい所を幾つも反省するところが満載なのだが、こういう少し凝った作品に取り組めるのは大がかりな華展ならではのこと。
 私の左手の反対側で生けていた仲間が、日中に別のことをしていても目の前からヒバが消えないと呻いていたが、まったくそうで、これ独特の強い集中を枝たち花たちと共にしてこれが出来上がる。今回は特に私の技術が足らず、形になるかどうかギリギリの冷や汗ものだったが、何とか見てもらえる形になってよかった。今後も精進いたします。