domingo, 24 de marzo de 2013

日常生活の中で先住民言語が生き残っていくメカニズム

元々アイマラ語やケチュア語などの先住民言語を話していた人々が、移住などを通じて都市のスペイン語世界に巻き込まれていくと、親から子への先住民言語の伝承が行われなくなり、スペイン語のモノリンガル(単一言語話者)化が進んで、先住民言語の話者数が減少していく……というのがよく言われる話だ。そして広い意味でこれは間違ってはいないかもしれないのだが、私は少なくともそんなに一直線にこの過程は進まないだろうと思っている。

20世紀を通じて、アイマラ語もケチュア語もいずれ話者は絶滅すると考えられ続けてきたのだが、21世紀に入った現在もそんなことは全くなかった。そしてボリビアの高原部では話者数が1000人ちょっとしかいないウル・チパヤ語ですら、勢いを盛り返しつつある状況にある。多くの言語が危機的状況にある中でも、先住民言語における<もうだめなのだ>という言説には、少なくとも注意してかからなければいけない。

そんなに簡単に消え去らないのは、日常生活の中で色々なメカニズムを通じて先住民言語が使われ続けているからだと思う。その中で重要なものの一つに「内緒話」があると思う。階層間の分断がある際に自分たちの側だけで使える言葉があったり、仲間うち(たとえば市場の女性たちの間)で気楽に話をするときに使える言葉があるとかなのだが、最近親同士で話をするときにもそういうことがあるかもしれないと思うことがあった。

それは、周りに自分たちの話の内容を知られたくないとか、子どもに自分たちの話を聞かれたくないとか、そういうときに使われるものだ。私が仲良くしている家族の中で、子どもの頃にはケチュア語の世界の中で育っていて、随分と後に若い親になった女の子が、とても久しぶりにケチュア語で色々と夫に向って話しているのを聞きながら、こうして役に立ったり使われたりしていくこともあるのだなあと、私は感心しながらその様子を眺めていた。(夫はケチュア語を決して話さないが聞けば分かるし、子育ての手伝いに行っている彼女のおばさんはケチュア語を完璧に解する。)

ラパスで仲の良い家族のおばあちゃんは、孫たちに向ってはスペイン語で話すのだが、そのスペイン語の中にはアイマラ語の単語をスペイン語化して話しているものが数多く混ざっていて、したがって一緒に暮らしている孫たちは、少なくとも語彙の面ではかなりアイマラ語が分かる。

たとえ全体の流れとしては「負け」であっても、先住民言語は様々な形ですり抜けて、もれ出して、しぶとく使われ続けていく。

*これは3月23日にツイッターで簡単に書いた内容を少し丁寧に書き直したものです。

木になるトマトのジャム(再び)

昨年木に成るトマト(tomate de árbol, sach'a tomate)でマーマレードを作るエントリーを書いた。



昨年の教訓のようなかたちで、やっぱりアクが強いよねという話になった。

木に成る果物にも年季というものがあるのだろうか。成り始めて最初の年の方が今よりもずっと苦かったらしい。それでも何も加工をしていないこの果物は、おそろしく苦いというかザラザラしている。

なので、まず湯むきをして(このトマトは湯むきをすると中身は黄色とオレンジの間の色をしている)、中の種を取り出すが、今回はその後に四回ほど茹でてそのお湯を捨てるという灰汁抜きをすることいなった。

しかも昨年はヘタ付きで煮たのだが、そのヘタも苦さの要因ではないかということで取り除くことに。

その後に砂糖とシナモンを入れて煮込むのは同じ。圧力鍋で二回くらいピーというまで持って行って、あともう一度ふたを外して弱火にかけ、汁がとろっとするまでもっていく。

それにしても、このトマト、エクアドルではジュースやアヒー(アンデスのトウガラシと合せた万能調味料)にしたりもするのだが、灰汁対策ってどうやっているのだろうか。今度誰かに聞いてみなければいけない。




途中段階を確認中そして味見中。

.



sábado, 23 de marzo de 2013

アンデスのしめ鯖

セビーチェはペルーでもどちらかというと海岸部の料理なのだが、アンデス山岳部でもよく作られて、よく食べられる。ペヘレイで作ったりもするのだが、ペルーは今ペヘレイが禁漁(veda)の期間中で、我々の家族はよく海岸部から冷凍で運ばれてくるサバ(jurel)を使ってセビーチェを作る。

セビーチェは簡単に言うとレモン〆めで、同時に余った骨の部分と頭の部分でチルカーノ(chilcano)と呼ばれるスープを作って食べるのだが、サバでこれをやると、ははあセビーチェはしめ鯖で、チルカーノは船場汁かなあと思いながら私は今日眺めていた。

(実際に、魚の皮を剝いで切り分けた後に、しばらく塩をしておいてからそれを洗い流し、そして絞っておいたレモン汁につける。しめ鯖の作り方とおなじではないか。チルカーノは、ポワロー葱とセロリと生姜を入れて煮立たせて、最後にセビーチェの漬け汁を少し混ぜます。白濁しているのは漬け汁に牛乳が入っているから。)

ところで、ここのサバ(jurel)は日本のとだいぶ違って、なんとゼイゴ(尻尾の近くにあるギザギザしたもの)があってそれを取らないといけない。なんか特大アジみたいだな。





上の写真のように、チャーハン(arroz chaufa)を作って、それを横にとって、セビーチェの汁に浸しながら食べるのが、うちの家族の流儀です。真ん中上方に見えるのはサツマイモ(camote)。

天気の良い週末


jueves, 14 de marzo de 2013

街のうす暗がりの中で

オレンジに所々白が交じった街灯が薄暗く照らしだすラパスの夜を、家路につく客で満員になったミニバスはひたすら走っていく。坂と川の多いこの街を、斜面をおりておりて川を渡って、またのぼってのぼって、またおりておりて川を渡って、またのぼってのぼって。

今日はコパ・リベルタドーレスでラパスの地元のチームがブラジルと当たるというので、街の中心のスタジアムだけ煌々と照明がついているのが、斜面の上の方から眺めると、そこだけ目立って明るくて、すぐわかる。

人間の命も簡単に失われ、動物の命なんてもっと簡単に失われてしまうこの社会で、誰も死なずに二年間を生き延びたことを讃えよう。資金繰りがどんどん大変になっていって、人生の苦しさはいつも上り坂で次第に急になっていくなかで、何とかこれからも生き延びることができるだろうか。

遠く離れた地球上の二点をつないで、少しずつ積み上げてきたつながりに、絶望的に生きるのが大変なこのボリビア社会の中で、少し救われる思いがすることがある。まったく当たり前でないことが、当たり前のような気がするその一瞬を、まだもう少し私は生きていこう。

martes, 12 de marzo de 2013

研究者のためのラパス本屋案内

ある研究仲間からのリクエストがあったので書いてみます。

ボリビアの出版事情の厄介なところは、大学の紀要やワーキングペーパーを手に入れるのが意外と厄介だったり、その日にその場所にいないと手に入らなかったり、道端の売店で売られる重要な出版物があったりもすることですが、それはちょっとマニアックすぎるので、まずは標準的な辺りで。

1.Plural社直営の本屋
 Sopocachi地区のRosendo GutiérrezとEcuadorの角にある。文学、歴史、社会科学などの分野で、いまボリビアで最も精力的に重要な著作の出版を続けている出版社。それ以外の出版社の本や大学の紀要も部分的においてある。かつて存在していたhisbol(しばらく前に潰れた)という重要な出版社の本の在庫を全部引き取ったことでも知られている。

2.Yachaywasi
 Plaza del Estudianteからラパスの目抜き通り(Av. Arce)をほんのちょっと下りたところに左に折れる行き止まりの小道があり、その奥にある。曲がるところにお店の看板が出ている。ラテンアメリカ域内で出版された書籍にボリビア国内では最も強く、ボリビアに住んでいると重宝する。しかし、ボリビア国内の出版物の品揃えに波があるのが弱点。でも寄ってみるべき重要な本屋。

3.Librería Akademia
 Yachaywasiのすぐ近く、UMSAのビル(モノブロックと呼ばれるやつ)の正面やや右側にAkademiaという本屋さんが最近できていて、ボリビア国内の出版物を比較的よく揃えている。半地下に入っていく小さな店構えなので、油断すると見逃す。

4.Escaparate Cultural
 Plaza del Estudianteから6 de agosto通りを下りていき、最初のAspiazu通りの交差点を過ぎて半ブロック程下がったところにある。ボリビア国内の出版物の品ぞろえがよく、「この本まだあったんだ!」という本が見付かることがあるが、時期による波がある。

5.Los amigos del libro
 Plaza Murillo(ラパスの中央広場)の上の辺(へん)からミラフローレス地域に向かう方角に半ブロック戻ったところにある(通りの名前がすぐに出て来ないので変な言い方ですみません…)。昔はラパス市役所の傍にあったのだが移転した(このことを知らない人がまだ結構いるので注意)。かつて重要な出版社だったのだが、創業者が亡くなった後は在庫を捌くだけになってしまったらしい。でもボリビアで出版された古めの本が置いてある。この本屋の対面にGisbertという本屋もあり、本がどれだけ置いてあるかが時期によって変わるのだが、併せて覗くといい。

6.Fundación Xavier Albó
 先住民関係の社会科学と歴史の本を出版している。かつてはCIPCAというボリビア最大の農村開発NGOの出版局だったのだが、自立した。C. ChacoのOstriaとの角にあるが、タクシーで行く場合は運転手にCancha San Luisと告げると理解してもらえる(建物の向かって反対側にある)。角にある白と青色の建物を入って二階へ。建物正面の鉄格子の扉は中に手を突っ込むと開く。Ichiban Hotelの場所が分る場合は、そこからLandaeta通りを上って最初に左に曲がる角(すぐ)を曲がって急斜面を上ったところにある交差点の角。ここの図書館はボリビアで調査をする研究者が必ずと言っていいほどお世話になるところ。
 ちなみにCancha San Luisからのイリマニ山の眺めは素晴らしい。

ちょっとマニアックなことを書きくわえておくと、サンフランシスコ寺院からラパスの目抜き通り(場所によって名前が変るがこの辺りはAv. Montesと呼ばれる)を上っていくと、右側に古本を扱う屋台が並んでいる(これもかつては現在のMercado Lanzaにあったものが市場の建物の新設に伴って移転した)。そして、逆に下に行くと、この目抜き通り(こちら側はAv. 16 de julioと呼ばれる)とAv. Camachoの間にPasaje Nuñez del Pradoというチョケヤプ川を埋め立てた上に古本の屋台が並んでいる一角があって、そこの一番上側で開いている店が社会・歴史・文学関係に強く、私は個人的にずっと贔屓にしている。通い続けていると、こっちの好みが分ってきて、「こんなのがあるよ」と置くから出してきてくれたり、探してきてくれたりする。

また、8月のどこかで二週間にわたって国際書籍市(Feria Internacional del Libro)が開催されて、そこには主要出版社に加えて大学や様々な社会団体も参加するので、ものすごい人出で消耗したりもするのですが、手っ取り早い。時期と場所は近くなったところで「Feria Internacional del Libro」と開催年でググると出てくるはずです。また、社会思想や人類学関係は8月末に国立民族学・民俗学博物館(Museo Nacional de Etnografía y Folklore, MUSEF)で開催される民族学年次大会(Reunión Anual de Etnología)に出る出店をチェックするのが役に立ちます。

domingo, 10 de marzo de 2013

アンデスのご当地パン

アンデスの各地には、その町ごとの名物といえるパンがあったりする。ペルーのクスコ市付近だと、インカの聖なる谷(valle sagrado de los Incas)ではピサック(Pisac)という町のパンが有名で、クスコから南に行く街道に出るときには、オロペサ(Oropesa)という町の巨大なパンが有名だ。

たぶんこれは、その町の標高の違いや、オーブン(オルノ、horno)の作られ方や、粉の種類や配合が組み合わさっているのではないかと思うのだけど、これは想像して楽しんでいる段階で、確かめたわけではない。これは「どこどこのパン(Pan de XXX)」と呼ばれ、その名前を口にするとみんなが「あぁ~」と言う。

ボリビアはラパス市自体にもマラケタ(marraqueta)と呼ばれる、<小型バゲットしかし中ふかふか>のパンがあって、私はボリビアを離れているとこれが恋しくなる。ラパスからティワナクの町と遺跡に向かう街道で高原(アルティプラノ)に出ると、ラハ(Laja)という町があって、そこのパン(Pan de Laja)もどこかピタパンに似たような独特の味わいがする。

そして私はこの週末に新しいご当地パンを発見した。これはラパス市から渓谷部に下る街道沿いにあるパルカという小さな町(ムリーリョ郡第一地区の中心-Capital de la Primera sección, Provincia Murillo)のパン(下の写真)で、形はマラケタに似ているのだが、三倍以上大きく、なんとも形容しづらいのだが全体がもう少しサクッとしている。


私はミニバスが止ったときに殺到を始める人の群れに乗り遅れたのだが(売り切れてしまった)、買っていた人から後でお裾分けをもらった。

いろいろと探求し甲斐のあるアンデスの食文化が、また一つここにある。

追記:ラパス市のロドリゲスの市場でふと見つけてしまった。な、なんと……マラケタ・ミックス(mezcla para marraqueta)??こんなものが使われているのか。

アンデスの谷のイメージ


谷の筋が一つ違うだけで、アンデスの山はまったく違う姿を我々の目の前に現わしたりする。なだらかな斜面と急な斜面、どれだけの高度差を上り下りするか、切り通しの場所や谷の筋の配置され方、途中の作物や集落の生業のあり方など。


ラパス市の守り神であるイリマニ山(写真)とムルラタ山を正面にのぞみ、それらに抱かれながら谷をひたすら下り続ける。


するとイリマニの麓で、氷河から流れ出る水に恵まれて、湿気を身の回りに濃く感じる小さな集落へと出る。トウモロコシや果物がふんだんにある楽園のようなところ。

むかし飛行機の上から、こんなところにも村があって、自分が行くことはあるだろうかと思ったりしていたところで、今はアイマラ語の口承文学の調査をするまでになった。ラパス市から3時間以上かかり道も悪いこの場所は、とても遠い印象があったのだが、気候と水の条件の良さから17世紀の植民地時代には既にスペイン人のアシエンダ(大農園)が存在した記録があると、先日別の研究者の方に教えてもらった。スペインとアンデス先住民の歴史は、ここでも複雑に地層をなしながら、現在があるのだった。

悪魔の群れが踊りながら

ラパス市内のロドリゲス市場の一角で、いつ来るとも知れない村に向かうバスを待って、大雨の中を二時間くらいじっとぼんやり座っていると、モレナダという踊りを踊る大軍団が姿を現した。とうとう私にも悪魔が見えるようになったのかと内心びっくりしていると、やっぱりこれは人間たちで、創立50周年を迎える団体が、お祝いでしこたま酔っ払って大雨の中を練り歩いてくるのだった。

私はおばあちゃんから、夜に山の中でモレナダを踊るお祭りに出くわしたのだが実はそれは悪魔の群れであったというお話を教わっているので、ははあと思いながら周りの露店のおばちゃんたちに紛れて、ずっと見入っていた。お話の世界と現実の世界が重ね合さるように物が見えるというのは、こういうことなのかもしれない。

domingo, 3 de marzo de 2013

ボリビア版クイの料理

(日本でモルモットと呼ばれるかわいいかわいい動物が解体されて料理されるのを見たくないかたは、このポストを回避してください。)

アンデスにはクイと呼ばれる動物がいて、特別な日のご馳走のために飼われていることが多い。うちのおばあちゃんは、これをワンク(wank'u、「ク」は破裂音)と呼んでいるが、他のアイマラの人たちは別の呼び方をするかもしれない。

今回の滞在ではお家にお邪魔する最後の機会となった私のために、朝一番でクイをつぶして料理をしてくれた。

クスコでお世話になっている家族は、クイに香草を詰めてオーブン焼きにするのだが、このおばあちゃんはちょっと違った料理のしかたをする。

まずクイは茹でてから小麦粉をまぶしてフライパンで焼く。これはフライパンで焼く時間は短いので、その前に肉を十分に柔らかくしておくということなのだと思う。


同時に、これにあわせるソースを作る。これはアグァード(aguado)と呼ばれるのだが、私にはいつもアオガード(ahogado、窒息した)に聞こえる。イタリア料理のaffogatoに影響されているのかな。タマネギとトマトを刻む。タマネギは玉のところだけではなく茎のところも。グリーンピースを入れて、まずはこれに火を通す。

火が通ったらお湯を足し、それが沸騰したら黄色トウガラシのペーストを加える。それを煮詰めていくとアグァードの完成。この料理のしかたはペルーでほとんど見ない気がするので、ボリビア・アンデスならではの味かもしれない。

これらを併せて、何と呼ぶのか分からないけれど、この家族のクイ料理の出来上がり。この精一杯のおもてなし料理に皆で舌鼓をうつ、幸せな日曜日であった。どうか、どうか、まだこのような機会にまた巡り会えますように。

うちの家族では動物を屠るのはおばあちゃんの役目。クイも、ニワトリも、羊も、豚も。ちょっと死神みたいねと私は密かに思っている。

まだら模様のトウモロコシ

不思議なことに、チョクロと呼ばれる白トウモロコシには、一定の割合で赤系統の色の粒が混じったまだら模様のが獲れることがある。そして、それらは乾かされて次の年にも使われているようだ。おばあちゃんに聞いてみると、白いのとおんなじだよ、と言いながらも、白い方が美味しいけどねとか言ったりもする。

アンデスにはウィルカパル(Willkaparu)と呼ばれる栄養価の高い赤トウモロコシもあるのだけれど、それとはまた違うんだろうな。実は私はよくウィルカパルの粉末(ピト、pito)をお湯に溶かして飲んでいるのに、実物を見たことがない。

このあたり、もうちょっと深く分かっておきたいなと思いながら、とりあえず写真を撮っておいた。

jueves, 28 de febrero de 2013

政治の季節から経済の季節へ?

昨年2012年に11年ぶりに実施された国勢調査の結果が明らかになると、もう少し細かいことが分ってくるかもしれないのだが、ここしばらくどうも景気がいいのではないか、しかもその景気の良さが社会階層としてはかなり下の方まで利益を得るような形で進んでいるのではないかと思わせる。

これはペルーの高成長が海岸地域(コスタ)に集中していて、アンデス(例えばクスコ)にいると全く感じられないように思うのと、対照的だ。(ただし、これはちょっと気を付けないといけなくて、プーノの近くのフリアカで興隆しているバッタもんを含めた製造業の活況を私はあまりよく感じ取っていない。)

ホルスト・グレーベ(Hörst Grebe)が28日付の論説記事で述べているが、ボリビアではおそらくアイマラ出身の都市中間層の拡大が起きている。
(Hörst Grebe. 2013 "Las capas medias emergentes." La Razón, 28 de febrero.)

彼の挙げる要因にさらに幾つか加えながら述べてみると、エボ・モラレス政権は誕生以来複数の社会給付金の新設(妊産婦に対する給付金Bono Juana Azurduy)と増額(高齢者への給付金…それまでのBonosolがBono Juancito Pintoへと名前を改めた)を行った。天然ガスと石油部門への税金の大幅引き上げにより、地方自治体や大学などの予算が大きく拡大し、特に公共事業は毎年執行しきれないほどの予算を獲得している。これと併せて天然ガスのブラジルとアルゼンチンへの輸出は拡大基調にある。スペインの不況などはあるが、移民している人々からの送金は重要であり続けている。麻薬取引と密輸は拡大傾向にあり、そこからの収入が社会に還流している。そして最後に、エボ政権下で政府と官僚機構のポストの民主化が起こり、それまで政治権力にアクセスできなかった人々が議員になったり省庁や地方自治体に入ったりするようになった。

カルロス・トランソ(Carlos Toranzo)は昨年、現在のボリビアの経済を、国家資本主義の復活とその下での民衆ネオリベラリズム(新自由主義)の組み合わせだと特徴づけ、アイマラ先住民が密輸を含めた移動と商業で生計を成り立たせようとする動きを、植民地時代以来続いてきた傾向だと指摘した。
(Carlos Toranzo Roca. 2012. "Neoliberalismo popular." Página Siete, 26 de junio.)

人から聞く話だが、大工さんの仕事への需要が高まっているらしい。色々な工事現場へ引っ張りだこで、給料もだいぶあがっているらしい。今色んなところで建築ラッシュで、ラパスでもビルやマンションの建築が進んでいる。これは一部には麻薬取引や密輸と関連した資金洗浄があるようだが、おそらくそれだけでもないだろう。そういえば、私が住んでいる家の前は、配管工(plomero)や電気工(electricista)などが、PLOMEROなどと記された鞄を持って朝に並んでいたりする場所でもあるのだが、最近朝待ちぼうけをしている人をとんと見なくなった。

ボリビア社会を特徴づける差別や分断がなくなったわけでは全くないのだが、政府や官職に入れるようになったというのも、経済的な面を含めて現政権への強い支持の背景にあるように思う。これは周りの人々を見ていてよく思う。まあ色々文句はあるけど、しょうがないじゃん、という感覚だ。また、社会紛争が減っているわけでは必ずしもないのだが、「自分たちの政府だ」という感覚が、各種社会組織の政治的な自信につながっているというのは、どうもその通りだと思う。「政治的エンパワーメント」というのは、まさにこういうことを言うのだろう。

私自身は、以前にも何回か書いているけど、このエボ・モラレス政権が政治・行政改革の面で先住民の味方ではないという特徴に着目していて、批判的立脚点を探そうとすることの方に関心があるが、これは別の意味で大多数の先住民の(人々の・民衆の)政権でもあるということなのだろう。そして、現状はこの両方の面を視野に入れないとうまく理解できないように思う。

そしてもう一つ、私は2000年から始まった「政治の季節」がいつまで続いて、いつになったら「経済の季節」となるのだろうか、少し言い換えるとひょっとすると政治の季節がいつまでも続くのだろうかと思っていたのだが、エボ・モラレス政権成立を契機として、しかもそれ以前からも続いてきていた経済の動きが、やっと表面化して人々の意識に捉えられるような局面にあるのかもしれない。そして人々はこれでいいと思い、しばらく続いてほしいと思っているかもしれない。

現在2014年の総選挙に向けて、エボ・モラレス大統領は一旦は諦めた再選を目指す意向を明らかにし始めているが、このような状況もこの再選問題に影響してくるのかもしれない。

domingo, 24 de febrero de 2013

トウモロコシ「仕事」と乾燥させるアンデスの食文化


ここボリビアでは2月は「狂った2月(febrero loco)」と呼ばれ、雨がざんざか降るのだが、カルナバルが終わると急に晴れ間が広がるようになる。雨が降っている間にせっせとトウモロコシを収穫して、フミンタ(ウミンタ)を作ったりしていたのだが、この時期になるとこうやって残りのトウモロコシを広げて乾燥させる。

この目的は二つある。

一つには、アンデスの食文化は、乾燥させることに一つのポイントがある。気候の恩恵を受けてのことなのだが、ジャガイモを乾燥させてチューニョ(ch'uñu)やトゥンタ(tunta)を作るだけでなく、トウモロコシを乾燥させて粒をバラバラにしておいて、後で茹でると、モテ(mut'i)と呼ばれる料理になる。

果物だって乾燥させるので、今この家でも落ちたり鳥に食われたりした桃(durazno)が、そっと片隅で乾燥させられている。これはキサ(k'isa)と呼ばれるもので、石のように固くなって、あとで煮出して砂糖で味付けをして、飲み物になるのだ。桃のキサから作るのはモコチンチと呼ばれる。

ちなみに下の写真は桃のキサを作っているところ。水分の多い梨(peramotaと呼ばれる)も転がっている。


そしてこちらはその梨を輪切りにして乾かしているところ。


そしてもう一つは、今年のための種子もここから採るのだ。こうしてまた次の年のサイクルがまわり始める。

辰巳芳子さんが「梅仕事」という言葉をよく使っている。そういえばこうやって一連の作業をして、いろいろな形で丁寧に利用し尽くそうとするのは、「仕事」という言葉がふさわしいように思う。

アンデスの真っ青な空を見上げながら、「またもうすぐ冬になるねえ」という言葉が出てくるようになる、アンデスのカルナバル明けの2月終りはそういう季節だ。

ちなみにフミンタ(ウミンタ)には二種類あって
これは鍋で作る蒸しウミンタ(huminta a la olla)

こちらがオーブンで作る焼きウミンタ(huminta al horno)

lunes, 11 de febrero de 2013

カルナバルの季節

ボリビアは(も?)カルナバルの真っ最中で、すべてが開店休業状態だ。ボリビアといえば、オルーロのカルナバルが全世界的に有名で、そして私も二回踊ったことがあるのだけど、ここラパスでも小規模ながら踊りの祭典が月曜日に行われます。今年で二回目の参加になった。

ここ数日のあいだ練習したり踊ったりしていて気付いたことを幾つか書き残しておこう。

チュタ(Chuta)と呼ばれる踊りがあって、ラパスではカルナバルの最後の日曜日(Domingo de tentación)に大々的に踊られるのだけど、これは何かをデフォルメしたような感じの衣装と金管の楽隊(banda)はいかにも都市的な踊りなのだけれど、実際の踊り方は行進のし方も女性の回し方も村の踊りにとてもよく似ていると思う。これは元々都市に出てきたアイマラ移民の踊りとされているのだけれど、確かに実際も都市と農村のちょうど中間のような形なのかもしれない。2007年のカルナバルで踊ったことがあるのだけど、そのときは全然気づかなかった。

シクの音楽というか、アンデスの管楽器全般は、アンデスの風を表している音だよなあとずっと思っていたのだけれど、そうではなくて、アンデスの風の響きを自分たちのものにしようとする、微笑ましい人間の努力だと考えるのがいいかもしれないと、演奏を間近で聞きながら考えていた。

音楽に真摯な人を見ると、とても参考になる。それはその人のたたずまいと、覇気のようなもの、物事にまっすぐ向かっていく感じだ。

踊りに向かう際に、横で「街を活気づけるためにね(para animar la ciudad)」と言った人がいた。この言い方は好きだなあと思って覚えておいた。

街の中心部で偉い人たちが観覧している部分(パルコ、parco)を踊りながら通り過ぎる際に、エケコ(アンデスの豊穣の神、下記参照)を見たというか、エケコが一人いたような気がするのだが、あれはなんだったのだろうか……。


sábado, 26 de enero de 2013

アラシータスのお祭りの一角に見える神々たち


アンデスの豊穣の神であるエケコ(上の写真)が司るミニチュアの祭りアラシータス(alasitas)が24日(木)から始まった。これはこのあと一ヶ月くらい続いていく。

物質的な富の蓄積を願って、欲しい物のミニチュアを購入するという独特な工芸品のお祭りで、商店の商品セット、日常生活の必需食料品セット(小麦粉とか砂糖とか)、現金紙幣(ドル、ボリビアーノス、ユーロ)、家、建築途中の敷地と柱とセメントや漆喰のセット、車、トラック、スーツケース、大学の学位証明書など、所狭しと物と人がひしめき合う。豊穣のお祭りらしく、ミニチュアのパンやお菓子やサルテーニャ(ボリビア名物のパンの包み焼き)なども売られる。

しかしこのお祭り、先ほどのエケコ以外にも宗教的なモチーフが顔を出す。買ったミニチュアの工芸品は、初日の正午近辺で民間呪術師にアルコールなどを振りかけながら祈祷をしてもらう(ch'allar)と効果が出ると言われていて、従ってこの時間帯はものすごい混雑するのだが、それだけでもない。

一つはこの蛙の存在だ。蛙は金をもたらす動物だとされていて、蛙自体が売っていることもあるし、先ほど挙げた現金紙幣などはとっても小さい蛙が一緒に付いてくるものがあったりする。

蛙は蛇と近い存在で、これらの地面を這うような位置にある動物たちは、地面の「中」の世界(manqhapacha)に棲みついていると考えられている。これは鉱山の中だけではなく、地表すれすれやアンデス高地から見て標高の低い方の地も、その世界を構成していると考えられるように思う。実際、私の友人によれば、蛙は鉱山をつかさどる神であるティオ(tío)の傍にいる存在でもあるらしい。

(追記:別の友人によれば、蛙は雨が降ると出てくるので豊穣のイメージと関連付けて捉えられているともいう。)

これは豊穣の鍋(olla de abundancia)と言われて、素焼の鍋から富が溢れ出てくる。



この屋台は典型的な蛙と蛇の組み合わせなのだけど、同時に最近のアンデスでは「干支(えと)」という考え方が実は大流行していて、かなりの人が今年が蛇年だということを知っている(例えばこの上の写真)。そして蛇は金をもたらしてくれたりもするので、これは中国とアンデスの興味深い出会いものになっているなと思いながら、私は屋台を巡っていった。この貪欲に取り込んでしまう感じも楽しい。

domingo, 13 de enero de 2013

遠くに見える街の灯りと空気の張り詰め方と和らぎ方と

ラパスの街から渓谷部(バーリェ)に下りて行くと、そこでは空気が和らぐのが肌で感じられる。そのやわらかい空気の中で、夜になっても冷え込まない空気の中で、暗くなった後に家の入り口を開け放して外になんとなく人々が集まって、話をしたり、酒を飲んだり、ゲームをしたり、タマネギの皮をむいたりしている。

こういう光景を見ると、その空気を味わうと、ああ自分がラテンアメリカにいると思って懐かしくなる。これは考えてみると不思議だね。私は、もともとペルーのクスコやボリビアのラパスを調査と生活の拠点としているので、アンデスの標高の高い街の空気がきりりと張る感じ、空気が薄くて意識が研ぎ澄まされていく感じの方に馴染んでいるのだ。

そういう中をラパスの街に向って帰り始めると、だいぶ坂道をずっとずっと上って行ったところで、山あいの向こうにラパスの街の灯りが見える。

ずっと向こう側に自分がいる街の灯りがパッと広がる感じは、昔からよく覚えている。
水などの開発プロジェクトの調整で、ペルー北部のアンデスで一週間村々を回ってきた後に、山を下り終わってはるか向こうに一直線にピウラの街の灯りが広がったときの感じ。
一日山の上の方の市で家族総出で商売をやった後に帰って来て、峠を越えた瞬間にペルーのクスコの街並みが眼下に広がり、その黄色の光の海に向かって降りて行くあの感じ。
国境などから戻ってきて、ティワナクを過ぎて小高い丘の峠越えをするときに、向こう側にいきなり広がるボリビアのエルアルト市の灯りと、ああ文明に帰ってきたと思うあの謎の感じ。
渓谷部にある村に夜のギリギリまでいたあとで、何とか近くの町から帰るための車を見つけて上って来たときに、山が折り重なった向こうの上の方にわずかに姿を見せるボリビアのラパス市の灯り。

アンデスで、そして世界中で、どれだけの人々が、空気のやわらかさや硬さを感じて、そして戻って来た街の灯りを眺めながら暮らしているのだろうか。

ジャガイモとトウモロコシと

南アンデス高地は豊穣の季節に入っている。そしてアンデス社会の食事の基礎をなすのは、やっぱりジャガイモとトウモロコシだ。

アンデスにいるとジャガイモが基本的にとても美味しいのだけれど、やっぱり渓谷部でとれるジャガイモよりも、標高が高い高原地帯でとれるジャガイモの方が味がいいというのは一般的にあるみたいで、ごくたまにもうすごく美味しいジャガイモにあたるときがあって、粉をふいていてホクホクしていて甘くて、そのようなときは世界の何かに対してありがとうと言いたくなる。

その前に自分で石のすり鉢を使って、トウガラシ(ロコト)やハーブ(キルキーニャやワカタイ)やトマトをガシガシとつぶしてすって作ったリャフアという調味料がうまくできたときなんざ、右手でジャガイモを持って、右親指でリャフアをすくって、一緒に口に入れるときのこのうまさだよ。

今日食べたジャガイモは、昨日山の上の方の村の人が果物と交換しに持ってきたものだ。アンデス社会に生き続ける物々交換(trueque)がもたらしてくれた、たまたまの巡り合わせに感謝。一緒にいた家族の長男も、今日は朝早くからかごに果物を入れてチチカカ湖畔の方まで出かけて行って、ソラマメとトゥンタ(乾燥ジャガイモの一種)を一杯に入れて帰って来た。まだまだ日常生活に物々交換が生きていて、活発化するのが今の季節なのだなあ。

そしてとれたての白トウモロコシ(チョクロ)の、大粒のみずみずしい甘さ。茹でたてのものをがんがん食べられるけど、この家族のおばあちゃんは、生のまま勢いよくかじっていく人もいるんだよと教えてくれた。

今年も一日がかりで恒例のウミンタづくりをする。トウモロコシの外皮をむいてむいてむいてむいて、白い粒をこそげおとしてこそげおとしておとしておとして、それをテーブルの横にとりつけた装置ですりおろしてすりおろしてすりおろして、それに溶かしバターと塩と砂糖とシナモン粉をまぜて、チーズとともにその皮に包んでいって、オーブンに放り込む。市販のやつは小麦粉を混ぜているけど、うちのは100%トウモロコシだけで作る本物だよと言われて、オーブンから出したてのものを一つ頬張る。

皆が外で色々な問題を抱えていても、なんでこんなうまくいかないんだろうと頭を抱えていても、ジャガイモを頬張った瞬間は、オーブンからウミンタが出て来た瞬間は、やはり本物の幸せがここにあるんだと思う。

miércoles, 9 de enero de 2013

新年の抱負

自分の行く先を占うような苦しい時期は周期的に巡ってくる。

深く潜っていく際の考え方とか、日常の習慣をやり直すとか、何をやって何をやらないことにするかとか。

これではダメだという思いと、何かにしがみつこうとする思いが交錯しながら、自分を絞り込んで透徹にしていく作業をする。

だからといって事態は好転しないどころか、上り坂はさらに急になり、苦しさは増すけれど、でも焦点を何度でも合わせ直すことはできるし、自分の感覚を何かに向って開き続けることはできる。

ただ明るく無邪気な楽観とは友だちのままでいよう。

新しい光景から今までのことを続けなければいけないのが私の2013年です。今年もよろしくお願いします。