sábado, 18 de diciembre de 2021

【アイヌ語口承文学の名言その3】悲しさと悔しさにジタバタする

 (出典――四宅ヤエ「兄と夫を風の女神からとりもどしたある女性の話」藤村久和・若槻亨訳注『四宅ヤエ媼伝承――アイヌの神々の物語』藤田印刷エクセレントブックス、2018年。)

感情と行為のとても具体的な描写が強く印象に刻まれる、そのような語りもある。

この白糠の四宅ヤエさんが語った神謡(オイナ)では、主人公の女性が夫と兄と暮らしていて、この夫と兄は、狩猟で蓄えた鹿と熊の毛皮をもって交易(ウイマㇺ)に出かけていく。しかしこの二人はずっと帰って来ないので、主人公が心配して待っていると、ある日――

V [ay] pirka cip / V [ay] nisor_ ta / V [u] yan h_ike / V an=sikkote / V inkar=an h_ine
立派な舟が 空中を 陸に向かってやって来るのを 私は目をすえて じっと見ていると
(pp.180-181:Vはこのオイナの折り返し句でrera rera suy suy、[ ]内は音節数を合わせるための虚辞、表記と日本語訳を若干変更している)

そこには夫と兄が乗っていて、さらに「神なる淑女(カムイ カッケマッ)」がいる。このカムイの正体は物語の中でアイヌ語で示されてはいないが、この神なる淑女が風のカムイであることが、折り返し句や藤村さんの解説から分かる。このカムイが、立派な首飾り(カムイ イムタッ:四宅ヤエさんによれば「タマサイ」ではなくこのように物語では言うのだそうだ)と引き換えにこの二人を自分にくれるように、主人公の女性に言う。そして、女性がこれを拒否して、首飾りをバラバラにして投げ返すと、その舟は消えてしまう。続いて、この主人公は悲しさと悔しさにジタバタする――

V yup utari / V oya ipor / V an=ciskoterke / V an=tekporapora / V an=teksuyesuye / V ta sirki wa / V [u] mun kaske peka / V karkarse=an kane / V otappa aine
兄たちの 別人のような顔色に 私は泣き転がり 私は両手をばたつかせ 両手を空で振りまわし そのようにして 外庭の草原を 転げまわり 砂塵を巻きあげたあげくに
(pp.184-185)

情景が絵として目に浮かぶような表現だ。同時にここは、アイヌ語では、iporが兄たちの顔色なのに所属形ではなく概念形になっていたり、ciskoterke、tekporapora、teksuyesuyeのそれぞれの動詞が、自動詞でありそうなのに他動詞の人称接辞がついている(つまり直前のyup utari oya iporを目的語にとっていることになっている)のが、アイヌ語のかたちとしても気になる箇所である。

考えてみると、主人公が家を出て何かの冒険に巻き込まれ、かなりの期間家を空けてしまうという、家の外の目線から語られる物語の方が多く、家に残された側から語られる物語の方が少なくて、それで印象に残るのかもしれない。そして残された側から語られる物語の場合、夫や兄がカムイに連れて行かれてしまうことも多いのだが、さいわいこの物語では、夫と兄が無事に家に帰ってきて、主人公は元のくらしを取り戻し、夫とのあいだに子どもができ、兄も結婚して子どもができ、ということになる。



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