手元に十分な資料がないのでスケッチだけ。
年長世代の日本のアンデス人類学は日本国内の生態学派の影響を受けて、アンデスの人々が高地にいかに適応しつつ、農業、家畜の利用形態、食文化などを生み出してきたか、そしてそれがいかに広域を支配する権力の成立を可能にしたかに関心を向けてきたような気がする。そしてそれは徐々にヒマラヤとの高地同士の比較に向かっていった。
近年のアンデス特にボリビアでは、口承文学を生態と結びつけながら考察しようとする試みが重ねられてきた。ここには口承文学に現れる世界観を生態と結びつけて考えていく可能性がある。(私が今準備している論文の一本は、この動きと連なっている。)
これを「口承文学の生態学派」と呼んでみるなら、これを元に日本の北方からユーラシア大陸へと比較で展開していくと、我々の年長世代のやろうとしたことにまた新たなことを付け加えられるのではないかなと、これはまた数十年単位の気の長いスケッチをたまに考えたりしている。
ひとことでいうと時代でしょうね。そういうのがはやっていた時代だったと。学史的に見ても1950年代から始まり、特に60-70年代はその(第一段階での)全盛だった気がする。その影響を非常に強く受けている感じがする。梅棹先生をはじめとする京大系はやはり生態学を中心にしていたので、その薫陶を受けてる人類学者はその系譜を引いています。
ResponderBorrarまた、現実的な要求からも生態学は必須とされると思います。日本と全く異なった生態学的環境を持つアンデス地域を詳細に知るためには、生態学については基礎ですし。