lunes, 26 de septiembre de 2011

8年経った後に…

今年に入ってからのボリビアの政治・社会情勢は、私にとって幾つかの面でとてもショックだった。そして、過去の自分を振り返りつつ、当時想定していた幾つかのことを組み替えなきゃなあと思っている。(ボリビア特有の状況と私の思考の好みがかけあわさっているので、一般化できるものではありません。)

(1)2003年10月政変当時の(20代中頃の)私は、全体の軸と見取り図の中で、当面の現実における政治的実効性が高いと思われる戦略的に明晰な思考と行動を重視する傾向があった。これは、2009年に発表した自分の論文の底流にあったバランス判断でもあり、論文自体にははっきり書いてないと思うのだが、その内容を口頭で発表した際にはその傾向を説明していたし、無意識のうちに論文のトーンにも現れているだろう。それ自体が間違いだとは思わないのだが、結局この過程の中で信頼できる軸を一貫して提示してきたのが誰だったのかと考えると、布置がだいぶ変わって見えてくる。重く鈍い軸と、強靭な批判精神は、やはり大事なのだと思う。それは、明晰さと情念の両方において。

つまり2~3年のスパンで何が信頼できるかという感覚が、7~8年のスパンで見直してみると変ってくる。かつて仲良くて信頼していた年上の友人たちが、簡単に曲げられていく。左派政権になったときにこそ、左派の知識人が試されるというか、ね。

目配りをすることの大事さはあった上で、本当に信頼して参照する思考が限られていき、自分の周りと上に人がいなくなっていく。

(2)革命政権が掲げる大義(かつて私が「2000年代左派アジェンダ」と呼んだもの)が、これほど早く色褪せるとは正直言って思っていなかった。まだ形成から十年経つか経たないかだよ。それ自体について私は独自の読みをしようとしているのだが(以前のエントリーを参照)、しかしながらあまりに早く現政権は正当性を失ってしまった。

これはグローバル化時代に独自の試みを模索することの困難さと見ることもできるし(こういう立場をとる人は沢山いるだろう)、現副大統領がかつて指摘していたようにMASの政権獲得までが早すぎて指導者層が鍛えられていないと見ることもできるだろう。でもこのあまりに小粒な再生産はいったい何だったんだろうという問いが、従って現代のラテンアメリカにいる我々は一体どういう時代を生きているのだろうという問いが、結局我々はどのような過渡期にいるのだろうという問いが、唖然とする形で私の前に突きつけられ続けている。


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