lunes, 1 de agosto de 2011

たましいを呼び戻す

今日も、「t'uquが来たよ~」と孫が言うと、このメンドリだけ特別扱いで、専用のトウモロコシをもらっていた。それにしても、羽をバサバサさせて、「ギョエー」という変な声で鳴くから、よく見ていると卵を産んでいるって分かりそうなもんだなあ。

ちなみにこの単語(t'uqu、トコ、「ト」は破裂音)は名詞にもなるのか~、と私はちょっと変なところに注目しながら聞いていた(先日のエントリー参照)。

桃の花は満開。で、そろそろプラムの白い花が少しずつ咲き出した。
南アンデスの8月は風の季節。最初はよけいに寒くなるけれど、少しずつ和らいで春(primavera)へと向かっていく。

豚の子供はまったく大きくならないが、意外と走るのが速い。瞬間的に。豚なのに(失礼?)。

お母さんにくっついているだけではなくなって、離れて四匹で歩き回る半径が広がっていく。

そして今日は初めて魂を呼び戻す場面に出会った。
アンデスでは子供の魂が身体を出て行ってしまうことがあって、基本的には寝起きの時に激しく泣き叫ぶことで分かる。
そうするとその子が好きな物をもって、四方に向かって言葉を唱えて、呼び戻さないといけない。
お願いして、どういう言葉で呼び戻すのか、丁寧に記録させてもらう。
居合わせるということの重要性は、私の指導教官の木村秀雄先生も強調しているが、その場でしかない空気とパフォーマンスに直接接することの意味は大きい。その緩やかな重なり合いと拡がりの重要さを実感する。

追記:
誰かの役に立つか分からないのだけれど…。言葉に興味がある私は、茹でトウモロコシ(mote)とチーズとコーヒーでくつろいでいるおばあちゃんに、「さっき何て言ったかもっかい教えてくれない」と頼んでみた。そうしたら、「いま食っているからちょっと待ってろ」と言われる。「ふむ?」と思っていると、食べ終わって「いまいい時間だから、そばに付いて来い」と言って、もう一度繰り返してくれた。午後の帰る前にもう一度。
かつて、前に語ってもらった話でよく分からない単語があったので、「これ何?」って聞いたら、話自体をもう一回語り始めたこともあった。これらは、多分、パフォーマンスとしてのロジックなのだと、今の私は思っている。
でもそれだけではなくて、質問の仕方によっては、もっと解釈的なことを話してくれたりする。ここは本当に言葉づかいの機微なのだよな、といつも思う。コミュニケーション。

No hay comentarios.:

Publicar un comentario