jueves, 18 de agosto de 2011

直接に言わない

これは私が自分のアイマラ語の先生(Juan de Dios Yapitaという人です)から何度も教わっている感覚なのだが、どうにも簡単に体系的に身につきそうにないので、一旦メモっておこうと思う。(8月18日の本人との会話に基づきます。)
(注:これはスペイン語が分からないことを念頭において説明すると厄介すぎるので、今回はその点をご容赦ください。)

一例に過ぎないが「おなかいっぱい、満足」と言うとしよう。まずは
(1)Niya phuqatatwa.
が思いつくわけだ。phuqañaはスペイン語にするとllenarとかcompletarで、だからYa me he llenado.になるよね、と思うわけだ。しかしながら、これはバイリンガルの人のスペイン語発想のアイマラ語だ。このphuqañaは「何を」でとれるものがもっと限定されていて、たとえば借金を払い終わるときにこの単語が使える。(ちなみにこれは、今私が分析しているものの中にも複数回出てくる文脈だ。)(「仕事」も目的語になれる。つまり「責任を果たす」の「果たす」に近いと思うと分かりやすいような気がしている。)

したがって、本来は、
(2)Sist'asisktwa.
と言うことになる。sist'asiñaはスペイン語でhartarseとかsaciarseで、Me estoy hartando.になる。
しかしこれも本来は言ってはいけない、と言う。なぜかというと「その後腹痛が起きるかもしれないだろ」と私の先生は言う。つまり先に何が起きるか分からないから用心をしないといけない(hay que tomar precauciones)という理屈なのだ。
(これはどうも言葉自体が何かを呼び寄せてしまうということとは違うような印象が…。)
同じ理由で、最近頻繁に都市では使われるようになったkusisiña(alegrarse)も簡単に口にしてはいけないという。それは先々に不幸が起きるかもしれないからなのだ。

したがって、
(3)Manq't'asiwaytwa. Waliki. (He comido (brevemente). Está bien no más.)
(括弧に入っているのは、-t'aと-wayaという二つの接辞をスペイン語に訳すのがとても難しいのです。前者はmomentáneoと呼ばれ、後者はde pasoとふつう言うのですが、意味すら似ています。)
と言うのが本来の言い方ということになる。

アイマラ語の話者の人たちの間でこの言語感覚が失われていることに、私の先生は警鐘を鳴らし続けてきたわけだけれど、外国人である私がこの感覚を身につけるのはさらに大変だよ。どうしてもスペイン語に頼っちゃうでしょうよ…。ということで、失敗した時を念頭に置いて、感じを覚えている今のうちに一回書いておきます。もちろん都市のアイマラ語でこのような言い方が失われていくこと自体はいかにもありそうな気がするのだが、でもこの感覚はやはり大事よね。

それにしても、この話をわたしは先生と何度かしているので、どこかにメモがあるはずなのだよなあ…。過去の自分のアイマラ語とケチュア語のノートの電子化って実は取り組まなければいけない課題だったりするのかもしれないな…。

No hay comentarios.:

Publicar un comentario