sábado, 17 de marzo de 2012

映画『MADEINUSA(マデイヌーサ)』について

Magaly Solierつながりで、ペルーのClaudia Llosaという人が監督をした映画(2005年)が上映されていて、これは以前にDVDで見ただけだったので、初めてスクリーンで見ることができた。

ブログを書いていてありがたいのは、こういう打ちのめされてまだ歯が立たない映画の、取りあえずの感想を記しておけることかもしれない。

あらゆる意味で衝撃的な作品だと思う。女性主人公のマデイヌーサが救ってくれるはずの白馬の王子様を裏切るラストももちろんなのだが、それだけではない。私は3年前にこれを男性不信の文脈で受け取っていたのだけれど、そして当時の私にとってはそれはリアリティをもつ解釈だったのだけど、もっと底の方に存在している奔流をも感じとるべきなのだと思うようになった。

(私は以前、『MADEINUSA』で強烈に提示された男性不信に、『La teta asustada』の最後でかすかで静かな光が差し込むのだと思っていたのだ。)

Claudia Llosa監督は、確かこの映画が公開されたときに、「アンデス文化を蔑視している」という趣旨の批判をペルー国内で受けたはずだ。この批判は何とか成り立たせることはできそうな気が(今では)するけれど、全てが全てに反逆をしているようなこの映画をそう解釈してはいけないようにも思う。アンデス文化を礼賛するのではなく、理解したうえで批判的に関わろうとするという態度を、私は何回かまだ検討し直さないといけない。そして何よりも、「リマから来た」男性主人公が結局うまくいかず(濡れ衣を着せられて)、「リマ行く」(=まだ着いていない)女性主人公が生き残るという関係が大事なのだ。

でもやはり、妻にリマに逃げられた悲しみの中で娘二人を犯す父親は最後には娘の一人(女性主人公)に殺され、リマから来てアンデスの村の文化に翻弄されながら外部の批判者(かつ救い手)の位置を占める男性主人公はその罪を着せられて(おそらく)殺される末路を辿る。男性不信が基調にある中で、殺されて殺されて、それでも新しい何かが生まれようとする(cf. ラスト近くの鼠の赤ちゃん)、それはペルー社会のある種の感覚としてその通りなのかもしれない。

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