jueves, 20 de octubre de 2011

ボリビアTIPNISの行進(ラパス到着)

先週の日曜日にボリビアで実施された司法府の選挙は、大量の無効票と白票が投じられたことが明らかになっていて、現政権による司法府の掌握への批判であれ、TIPNIS問題への対応への批判であれ、エボ・モラレス大統領への懲罰票(voto castigo)という受け止め方が広くなされています。そしてそれは、「エボ・モラレスが2005年の総選挙で大統領に就任して以来初の選挙での敗北」となりました(ここまで実は圧勝が続いていた)。そして反対勢力が候補をある程度絞るとモラレスに選挙で勝利できる可能性まで生まれてきてしまい、ボリビアの政治は新しい局面に入ったといえるでしょう。

そのような中で、TIPNISの低地先住民のデモ行進は19日水曜日にラパスに到着し、出迎えた市民の数の膨大さは、ちょっとこれは近年に見たことがない水準となりました。これをどう解釈し、位置付けていくかは、これからしばらく議論されなければならないかもしれません。ともかく、幾つか写真を撮ってみたので、以下私のコメントとともに載せることにします。

ユンガスからラパスに入ってくるデモ行進は、Qala Jawira (Río de Piedras)、Villa Carmen、Villa Fátimaといった地区を通って市内中心部Mirafloresに入ってきます。ここは、Villa FátimaとMirafloresの境にある大きな広場Plaza Villarroelから上を臨みます。午前9時の写真、デモ行進がここに到着したのはもう12時近くでしたが、この時間から迎える市民の列ができていたことが分かります。

その更に上にあるPlaza de Maestroという広場の付近。市民というのは、付近の高校生や小学生や先生たちやお医者さんや看護士さんなども総出で、学校の楽隊などが音楽を鳴らし、国旗が揺れ、大歓声が上がる中を、もみくちゃにされながらデモ行進が通過していきます。

この辺りはTIPNISの低地先住民の人たち。

その先は、昨日と同じでCONAMAQの集団。その後に、迎えるラパス市の大学生や市民や音楽隊などが入っていき、デモ行進自体も膨れ上がっていきます。

Plaza VillarroelからMirafloresに入っていきます。まるでカルナバルみたいで、しかも出て来た市民の数は今回の方が遥かに多いでしょう。

スタジアムからカマチョ(Camacho)通りに入っていく大広場は、歩道橋の上まで人がギッシリ詰まっています。

ラパスの中心部に向けてカマチョ通りを上がっていくデモ行進。真ん中の3列がデモ隊で、残りは全部が見物する市民です。ずっと先の方に見えている旗のかたまりが、CONAMAQの集団。

これはアヤクチョ(Ayacucho)通りに入って、副大統領府と中央銀行の角からムリーリョ(Murillo)中央広場を見上げるところ。以前に写真を載せたCOBのゼネストのデモ行進と違い、デモ隊が中央広場に入っていったことが分かると、全員のテンションが上がります。

中央広場は市民に対して完全に解放されていて、大統領府と議会のところから入って一周します。以前に警察がデモ隊に介入して大規模な反発を受けているので、今回警官を配置して侵入を阻止していたら、かなり深刻な衝突となって、政府が事態の収拾能力を失っていただろうという見解は、複数の人が既に述べています。

カテドラルと国立美術館(Museo Nacional de Arte)の角をもう一度下りていき、

プラド(Prado)中央通りに入って、

サンフランシスコ寺院前広場が終着点なのですが、その先のランサ市場(Mercado Lanza)が見物する人で上まで溢れかえっているのが見えるでしょうか。

今の時点で言えそうなことを幾つか書き留めておきます。
(1)このTIPNISの行進を迎えたラパス市民の規模は、確実に歴史に刻まれることになります。ボリビアでは社会運動が歴史を作ってきたのだ、とする社会学者Fernando Calderónの見識は、再び確認されたことになるでしょう。それは結局、「先住民出身」を自認した大統領が誕生しても、ボリビアの政治と社会の動きの基本パターンが変わらなかったことにもなります。
(2)またこれはラパス市民の気質をとてもよく表しているのでもあります。本当の富裕層は隔絶したところに住んでいますが、中間層の人たちはいざというときに「正しさ」に対して結局は柔軟に受け入れて支持に回ります。自分たちは長いことこうやって受け入れて共存してきたんだという、ある種の懐の深さと連帯感がある、それを知っていると社会と政治の動きの様々な側面がよりよく見えてくると私は思います。
(逆に言うと、ラパス市の(地理的に)上方に位置しているエルアルト市民が、自らが主役になったときは極めて強硬な戦闘的姿勢をとるのですが、今回の件では非常に曖昧な態度を取り続けていることは重要です。)
(3)この熱狂の中に、「制度化されない形での多様性の共存」が垣間見えるように、私自身は感じます。それは多分、先住民主義(インディアニスモ)と都市のアナーキズムが結びつく一瞬なのだとも思います(これは私の師匠のSilvia Rivera Cusicanquiの影響です、以前のエントリー「左派の傲慢」との違いも参照)。僕はこういう場面に出会うと、「自文化を大事にする先住民の本質主義は、常に他の人たちに向かって開かれていたんだ」と幾度も独特の形で主張していた、アンデス・オーラルヒストリー工房にいて今は自分の村に戻った同僚(Godofredo Calle)のことを思い出して、それはこういうことでもあるのかい、と心の中で問いかけたりしています。


1 comentario:

  1. Impresionante. Gracias por el artículo y
    ¡qué suerte que estés ahí compartiendo este momento histórico!

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