martes, 18 de octubre de 2011

これはやはり政治なのだ(ボリビアのTIPNIS運動をめぐって)

TIPNISのデモ行進に対して、よく投げかけられる批判に、でも住民は実は道路を欲しているではないか、というものがある。

これ自体は事実として正しい。

それに対して、低地先住民運動側は、当該地域の生態を維持することがボリビアだけでなく南米全域の気候の恒常性を維持するために必要不可欠だという筋と、道路建設を契機としてコカ栽培農民による土地の占拠が進むと国立公園内の脱森林化が急速に進展してしまうという筋を組み合わせて説明することが多い。

でも、ちょっとこれを別の角度から考えてみよう。

おそらく当該地域内部では意見が割れているはずで、このことは認めるところから出発しなければならない。しかし、全国を揺るがす運動を作り上げたのは、生態を守ろうとする側の運動であって、ボリビア政府側が必死で道路建設を支持する側と会合を繰り返して、TIPNIS保護側を引っ繰り返そうとした試みが、結局は成功しなかったことは重要な示唆を与えている。環境主義の文脈で主張を展開したことが、都市中間層と外国からの好感と支持を生み出した一方で、低地先住民運動を貶めてつぶそうとしたボリビア政府は、明らかに対応に失敗した。そして、外国や反対勢力からの資金提供という要因では、最終的に何が大きな運動になるかを説明するのは不十分だと、私は以前から思っている。(政治的には、大体これを持ち出すと政権が逃げにかかっていると受け止められてしまうことが多い。)

そして、たとえ道路建設を住民が欲していたとして、その道路建設が実際に実施されていた場合にどうなるだろうか。上にもある通り、この件の背景には、アンデス高地から進出するコカ栽培農民と低地先住民との間の勢力争いがある。中期的にみて、低地先住民の自律的な生態圏が破壊され、文化的なまとまりが維持できなくなるか、再度他の地域への移住を余儀なくされるのは、確実だろうと思う。現在TIPNISに住んでいる低地先住民は、20世紀初頭にはもっと西の方に住んでいたらしく、もともと力が優勢なのはコカ栽培農民の方だからだ。今回の行進が、途中で衝突と死者を出しても何としてでもラパスに着こうとしたのは、この勢力争いで今回退いたら二度と対等になることができなくなるという計算が大きく働いているはずだ。つまり道路建設を欲する意見に従うことは、ある基準からみたときにプラスの効果をもたらさない。

つまり、何がそもそも正しいのかではなく、住民の意見がデフォルトで正しいのでもなく、政治とは正しさを作り上げるものなのだと思う。私の見解では、大っぴらに叩きつぶそうとしつつ、その裏側で利害とか打算で何とかできると思い込んで工作をしたエボ・モラレス政権が(モラレス大統領はコカ栽培農民を最大の支持勢力としている)、その「正しさ」を低地先住民側に取られたのが、今回の政権側の対応の最大の失敗だ。そしてその正しさは、集団間の勢力争いと実際に結びついた正しさでもあるのだ。

そしてその正しさが今回、「生態」、それも低地先住民のそれであったということは、「水戦争」「コカ戦争」「ガス戦争」を経てきた2000年以降のボリビアの社会運動史において、今回のTIPNISをめぐる運動が占めることになる重要な位置を示唆しているはずだ。そしてこれは、支配階層に対する異議申し立てではなく、社会勢力間の共存とせめぎ合いが全国的議題になったという点で、エボ・モラレス政権以降「多民族国家(estado plurinacional)」となったボリビア社会を、やはり反映しているのではないかと私は思っている。同時に、依然として様々な集団を結びつける正しさが社会の側から提示され、突き上げられた政府が軌道修正を余儀なくされるという、従来から指摘されてきたボリビア政治のパターンが変わらないことも示されたのではないだろうか。

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