martes, 12 de julio de 2011

アイマラ語を書き起こすお仕事

今日また音声と自分の書き起こした文字を、二人別の人と頭を突っつき合わせて検討してもらって、これで二つ目のお話の聞き起こしにだいたい目途がついた。ふうぅ。珍しいことに同業者の人(アメリカ人)がいて、それだけでちょっと心強い。しかも向こうは社会言語学という僕がまったく馴染みのない分野が専門でいてくれるので、最近の理論的動向とかも含めてちょっとずつ教えてもらえるのもありがたい。わたしゃもうちょっと泥臭く行きますよ。
人が話したのを書き起こすなんて複雑なことがあるのかと思いきや、複雑なのですよ。もともとネイティブの人だったら変わらんだろうよと思って、たまにいろいろな人に試してみたりするのだけれど、本当に見事に自分の聞きたいことを勝手に聞き取ってくれちゃって、ある意味自分のレパートリーで言い換えてしまうんだよね。人が話すことを正確に聴くというのは、話としてであろうと、もう少し細かく言語としてであろうと、やはり当たり前のことではないね。どこかで、意識的にでも無意識にでも訓練が必要なのかもしれない。
スペイン語だとそこまでいかないのかも、「自分のレパートリーではない」というのが干渉してしまう度合が。ひょっとすると「標準化」が強制的に進められた度合が少なくて、個人の話者ごとの差が大きいと、そのぶん複雑になっていくということなのかもしれないな。それと接尾辞の種類がたとえば日本語よりはるかに多くて、組み合わせの自由度がはるかに高いというのも影響しているかどうか。

この仕事、今年のノルマはあともう一つ。そして同じくらいの量が来年にまた。書き起こしたら次はスペイン語に訳す作業が来る。これも実は語学的に正確に(=接尾辞の一つ一つをできるだけ忠実に)訳すべきだという立場を私は私の先生たちのグループと共有しているので、練習しながら見てもらわないといけない。
今日も聞き起こしを確認しながら口頭でぶつぶつ訳していたら、横から先生に修正された。ある動詞の屈折接辞(活用)を過去未来完了(用語あっているかな…habría dormidoってやつね)で訳していたら、「いやそれはただの過去未来(dormiría)で訳せ」という。ここ若干議論の余地があるのだけれど、確かに文法的にはその方が正確か。日本語と似て推量のような言い方が複数あって、それが時制と組み合わさるのでたいへんたいへん。
(某古文の授業で生徒たちを苦しめていると、どこかで自分に跳ね返ってくるといういい例ですな。)
訳す先のスペイン語も、アンデス言語の影響を受けて変容した「アンデスのスペイン語(castellano andino)」だから、訳とは相互変容を経たもの同士の相互作用になるのだね。

その後に「グロス」と呼ばれるものを…。これは一からやり方を確認(勉強)しないと…。

これは実は日本では掲載してもらえそうな雑誌のあてが既にあるのです(ボリビアは交渉中)。来年途中に出るはずですので、ご関心ある方はお楽しみに~。しかし、これを論文にするためには、まだある村にいろいろと話を聞きにいかないといけないのだが、誰も知っている人がいない。誰かつながりのある知人に連れて行ってもらうのではなくて、ある特定の村と関係を築かないといけないというのは初体験で、今いろいろと頼んだり人をあたったりしているのだけれど、果たしてうまく行くだろうかね。

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