jueves, 3 de mayo de 2012

歩きながら考える(その2)

コチャバンバ日記二日目。

昨年一度このテーマでエントリーを書いたことがあるのだが、今回も同じ人と午後にお茶をした。その人の家まで訪ねて行って、昼なお暗い室内は、まさに20世紀ラパス最大の詩人・小説家ハイメ・サエンス(Jaime Saenz)の著作の中身のようだ。
(「歩く、立ち止まる、話す、考える」http://lapazankiritwa.blogspot.com/2011/06/blog-post_11.html

大通りまでコーヒーを飲みに行こうと言って外に出る。久しぶりなので最近僕ははこういう仕事をしていて…とボツボツと話していると、家を出て角を曲がって三軒めくらい、急停止して、その家の門の大きな柱のところで、「ほらアンティゴネ―の話があるだろ」と言って考えながら説明し始める。

その前にお昼ご飯を一緒に食べていた、その人の年下のお弟子さん兼友人のような人(ちなみにすごく有名な政治学者)から、「あれはな、止まるタイミングが予測しにくいんだよ」と、この<コチャバンバの街路の博士課程>について色々話を聞いていたのだけど、まさに何度もこの「おっとっと」を繰り返すことに私もなった。二年前よりブレーキの精度が上がってないかい、おじいちゃん。

この人はT.S.エリオットの『荒地』とボリビアの1952年4月9日の革命を結びつける、極めてアクロバティックな読解を展開する論文があって(この人はボリビア最大の文学研究者です)、私はそれを読んだ二年前に文字通り震撼したのだけど、今日、あの見知らぬ家の前で、アンティゴネ―と20世紀前半のアイマラの先住民運動をまたいで、「ほらこれを共和国の法とするだろ?」と門の柱に図解してくれたことを、なかなか忘れることはできないだろう。

人と歩くというのは、考えてみると不思議なことだ。誰と、どういうペースで、何を見て、どのルートを歩いて、誰に話しかけ話しかけられて、どこで立ち止まるか。それだけで街は、まったく違った色彩で自分の目の前に姿を現す。

私自身の博士論文の理論的な部分で、二年前くらいから少しずつ前に進んでいる着想も、それをもう一つ前に進めるヒントをもらった。自分の思考が、そのように他人の思考を前に進めるような力をいつか持つことができるだろうか。

ぎこちないんだかウマが合ってるんだか分からない、この授業。明日もお昼ご飯を食べながら続けることになった。嬉しいなあ。今日のお昼はクレープ(ご馳走していただいてありがとうございました)、明日のお昼は牛タンのトウガラシ煮込み(picante de lengua)だー。

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