viernes, 11 de mayo de 2012

アンデス諸国の左派政治とボリビア

ここ二日間、ボリビアでは、FES-ILDIS(Friedrich Ebert Stiftung - Instituto Latinoamericano de Investigaciones Sociales)の新刊を記念したイベントが続き、それを聞きながら、色々と自分の中での着想をメモしていた。

ちなみにプレゼンがあったのは、一つはNueva Sociedadの最新号(¿Qué nos cuenta América Latina?)。(リンクはその時点での最新号のページに飛びます、過去の号も含めて全論文がPDFで入手可能。)

もう一つは、以下のベネズエラ、エクアドル、ボリビアの三カ国の民主体制の情勢推移を検討する文献。(リンクからPDFがダウンロード可能)
Anja Dargatz y Moira Zuazo editoras. 2012. Democracias en Transformación: ¿Qué hay de nuevo en los nuevos Estados andinos? La Paz, Quito, y Caracas: FES.

(1)我々は「ポスト新自由主義(pos-neoliberalismo)」の「ポスト」が依然として何なのかが分からない時代を生き続けているというPablo Estefanoniの指摘は、ある所までその通りだと思う。彼は現在のアジェンダを再分配とある種の社会的連帯の組み合わせとして表現していたが、それを聞かずに後で到着したRebeca Delgado上院議長(MAS)が再分配と社会的包摂と表現したのは印象的だった。

これは言い換えると、1990年代以降の左派アジェンダと変わるところがなく、MASが政権に就く際に提示したビジョン(多民族国家、アンデス・アマゾン流資本主義、よき生活(suma qamaña)、脱植民地化など)が、結局それ以上展開されず、政権の要職に就く者たちにすら共有されていないということでもある。

(2)1952年の革命との連続性がより強く出るようになっているというFernando Mayorgaの指摘も、確かにその通りだ。左派というのは「ナショナリストの左派」であって、全体を支配しようとする欲望が強くにじみ出る中で、自治的なアジェンダが軽視され、そこにジレンマが生まれる。

Fernando Mayorgaは「ミニマリスト多民族国家(estado plurinacional minimalista)」と呼ぶが、(ア)多民族主義に向けた制度改革(先住民自治など)は極めて遅いペースで進んでいて、(イ)しかしながら全ての意思決定は、代表制民主主義と参加型民主主義(国民投票、社会サミットなど)と共同体的民主主義の三つのメカニズムの組み合わせとして行われるようになっていて、その複雑さを回避することはもうできない。ボリビアのTIPNISの件は確かにそういうことで、この見立てもとても参考になった。

最近の社会紛争から見て取れると私が思うのは、自治(autonomía、autogestión)を政権がアジェンダとして採用したときに、強行しようとするか、「放っておけ」と政権が手を引くかの、どちらかの姿勢しか目につかなくなったことだ。各社会勢力の担当範囲が全国レベルのアジェンダになってしまったときに、中央政府がどのような役割を果たすべきかが現政権には見えていない印象があって、放置プレイと誹謗中傷を通じた貶めと最後の場面での渋々の譲歩に終始している。これは国家と社会の関係という観点から、望ましいことではないだろう。

(3)Pablo Estefanoniは、多くの国で新たにlo nacional-popular(支配階層の一部が民衆層と組んだ形でのナショナリスト運動)が新しい政権をもたらしていることに着目するが、私にとって不思議なのは、ボリビアの場合にlo nacional-popularの発現としてエボ・モラレス政権が誕生したにもかかわらず、国家と社会の関係(例えば、弱い国家と強い社会)に結局変化が見られなかったというのが、2010年の途中から明らかになり始めているように見受けられることだ。現政権が変革の機会を逃して旧態回帰してしまったからそうなったのか、もう一段構造的な説明ができることなのだろうか。

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