短いコチャバンバ滞在の3日目(最終日)。
ビックリするほど美味しいお昼ご飯を食べた。一緒に食べた人(昨日午後にお茶をした人)はピカンテ・デ・レングア(picante de lengua)という牛タンのトウガラシ煮込みが大好物で、美味しいお店があるよと誘ってもらって連れて行ってもらったのだが、トウガラシのソース(ahogado)が、もうウソみたいに味が引き立っていて(辛いというのとは違います)、牛タンの柔らかい茹で具合が丁度良い加減で(está a la punta)、切り方(corte)も丁度良い分厚さで、この世の中にこんなに美味しいpicante de lenguaがあるものかと、思いっ切り感動した。(しかもご馳走になってしまった。ありがとうございました。)
コチャバンバのプラド(Prado)通りを進むと川を渡る橋に行き当たる。その橋を渡るとスタジアムがあるが、それを通り過ぎると右側にタリハ(Tarija)通りが斜めに始まる。その通りに入って少し行った右側にある、ミラフローレス(Miraflores)という店だった。もっと街の中心に近い所にあったのが、客が入りきらなくなって外側に移転したということらしい。月曜日と火曜日が休み。1960年代からコチャバンバにあるお店のようで、既に亡くなった店の創始者の女性はピケ・マチョ(pique macho)というこれまた有名なボリビア料理の考案者であるらしい。(pique machoは、お酒を飲む時のガッツリ系おつまみというイメージがある…が、コチャバンバでは屋台でも食べられるなあ。)
ここで一緒に食べていた人の名文句が。「コチャバンバでこの店が一番だと思う、ということは、他にこんな店はないから、すなわちこの店が世界一だということだ!」。なるほど~。
そしてあまりに美味しい美味しい言いながら食べていたら、コチャバンバ料理に関するエッセイがあるよと教えてもらった。その名もLa crítica a la sazón pura(『純粋味性批判』?、出版はEditorial El Paísというボリビアの会社から)。ラパスの本屋で探せるはずだとのことで、楽しみだ。
食べた後に、楽しい気分になって色々と話を聞かせてもらう。歴史に関するもので、文学としても価値があるものをもっと読むといいよと言われて、Arsanz(これは実は幻の三巻本というのがある)、Gabriel René Moreno(Biblioteca Ayacuchoに入ったのはこの人が編集をした)、Querejazu、Tambor Vargas(独立戦争のゲリラ軍の行軍日記、Plural社で解説本も出ているらしい)などがリストアップされた。自分の好きなことを、権威におもねらずにやってきた人なので、一つ一つの話が面白い。
自分の職業への熱意(amor al oficio)があれば、どんなに資金的に窮した状況であっても、すごいことができるということを、スクレ市にある国立文書館を設立した歴史学者Gunnar Mendozaを例にとって説明される。人の話を例にとってくれたけど、僕はあなたもそうなんですよね、と思いながら聞いていた。大事なのは万遍なくやることではなくて、これとこれとこれという位に決めて、それをひたすら深めていく方向に行くこと。そうすると、そこから世界の先端へと出て行くことができる。それはこのコチャバンバ料理のお店も同じこと。ふむふむ。
自分に欠けているものを嗅ぎ分ける感覚も大事で、分かったら後からでも大学の場で授業とかで教えてもらうといいよと言われる。興味深かったのは、彼が独学「だけ」を勧めなかったこと。授業というのは元々の素材がそのままあるのではなく、それがエラボレーションを施されてそこにあることが大事なんだと言われる。その人は、自分に言語哲学が欠けていることに気付いた時の話をしてくれたのだけど、僕はそれは学ぶ側だけでなく授業をする側にとっても重要な視点だよなあと思いながら、その話を聞いていた。
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