viernes, 9 de diciembre de 2011

村から、アイマラ語から、考える

私はここボリビアのアンデス・オーラルヒストリー・ワークショップというアイマラの人たちを中心とする組織ともう8年以上の付き合いになるのだけど、今日の午後そこで昔のカセットを年上の友人から預かったものをデジタル化していたら、長いこと会っていなかった友人が姿を現した。以前のエントリーのTIPNISの行進の話の最後にちょこっと顔を出す人で、5年越しの卒論をなんとか完成させようと、村から出て来ているのだった。アメリカに出張中の私の師匠の家に泊まらせてもらっているらしい。

夜にあった多元的経済とか社会的連帯経済を考えるセミナーでも顔を合わせたので、近所まで一緒に帰って来た。そのアルゼンチンから来た人のセミナー自体は大したことがなかったのだけど、「よき生活(suma qamaña)」のあり方とかを考えるとしたら、死者との関係とか星のこととか、村で伝わることわざ(アイマラ語で「イウハ(iwxa)」と言います)から自分は考えるなあと、帰り道に横でボソッと言っている。それを聞きながら私は一瞬頭がグラグラして、でも本当にその通りなんだよなと同時に思う。でもこれを実感を込めて言えるというのは、やっぱりすごい。本来先住民の考え方から導入されたはずの「よき生活」を巡る議論には、こういう発想からの思考が決定的に欠けているのだ。

そして私がカセットの音声をデジタル化しているのを横で見ていた彼は、そのインタビュアーの年上の友人(ラパス生まれ)について、多分話し方を甘くしよう(endulzar)と努力していたはずで、お年寄りへの敬意をどうやって込めようとするかだよねと、またひどく適確なことを言う。本当にその通りで、都市で生まれたアイマラの人は、どうしても「乾いた」言葉の紡ぎ方になってしまうのだ。これは私のアイマラ語の先生が、特に都市のラジオのアイマラ語について、しつこくしつこく批判をし続けてきたことでもあった。

アイマラ語の方が得意な彼は、アカデミックな言葉を操るということもだけど、段落の形で文章を書くということに苦労しているのを、以前私は見てきている。自分の思考が都市の(アイマラの)人に分かってもらえないと思っている、その感じが何となく私はすごくよく分かる気がする。それは彼だけではなくアイマラ語の方がスペイン語よりも得意な人はよくそう思っていて、不思議なことに私はそういう人たちと仲良くなる。それでも彼は「向こう」から、村に住みながら考えるんだと言っていて、数年前から村の役職(の最初の方でつくやつ)につきはじめているのだった。口数が少なくて、ゆっくり考えてボソッととても重い言葉を発する彼のあり方に、私は実はとても影響を受けていて、今度こそ卒論が終わるといいなと、ラパスの夜の灯りの下を歩きながら横でそっと思っていた。

*最初はツイートしていたのですが、長くなり過ぎてしまって、こちらで書き直しました。

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