martes, 10 de agosto de 2010

分断された人種社会で生活すること

 ボリビアというのは社会の中に様々な分断の線が走っている。外交や国際協力の世界に携わっていれば実際に経験しなくても生きていける。でも、実際に生活をして、その線を踏み越えて行ったり来たりすると、色々なところにその壁を感じるようになる。
 これはとても厄介だ。同じ空間の中に共存していても、(使用人として雇うのではなく)対等の立場で一緒にいることを嫌悪する人たちは多いし、明らかに人種主義的な人はまだ分かり易いけれど、一見許容範囲を広く見せている人が一瞬見せる排斥の振る舞いは、いっそう始末に負えない。
 さらに厄介なのは、これは多分誰の中にもある。ということは僕の中にも。この国の歴史は分かり合おうとして結局分かり合えない事例にあふれている。マルクス主義や革命と先住民的なもの、混血的なものと先住民的なもの。これは思想的な問題であるだけじゃなく、今ここの人間関係の中にそのまま表れてくる。ここは不信と癒えない傷と猜疑心と嫉妬と足の引っ張り合いに満ち満ちた社会だ。「仲が良くないこと」は、外面の良さを通り抜けて、もっと内側に入っていくと様々な様相を表してくる。
 でもならば、あっさりと平然と両側に行くしかない。線は簡単に越えてしまえばいい。それは様々なものを刻み付けてくるけれど、それだけのことでしかない。質感の全く違う空間が、複数階層を成して存在していることの意外性を感じ続ければいい。権威的な安住する人たちともうまくつきあいながら、でも実際に生きていく中で色々なことを考えてきた人たちと一緒にいて、何かをしていく方法は、少しずつ見つかって、広がっていく。その中でしか考えることのできないテーマは、たくさん転がっている。
 昨日僕に相談して来た、僕よりもずっと若い人が、ラパスに着くなり直面したのは、僕にはこういう問題に見える。うまくその人なりの、人と道が見つかるといいね。

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