jueves, 12 de enero de 2012

物々交換が作り出す「場」

1月2月のアルティプラノ(ボリビア西部に広がるアンデス高原部)は本当にきれいだ。ジャガイモの紫の花が咲いて、ソラマメやキヌアが緑色に畑を勢いづけて、長いこと一面茶色の景色に馴染んでいると、ここはどこだっけと一瞬びっくりしてしまう。チチカカ湖の青色とのコントラストも美しい。

前回のエントリーで書いたが、果物をもって物々交換に出かけるのに付いていくことができた。僕は昔から横で物々交換をやっているのを見ていたことはあったのだけれど、ペルーの山の中の市に付いていっていたあの時は雑貨を売っていたので、自分が実際に交換をやる側の中にいるのはこれが初めての経験だった。近くで見ていて、そうだったのかと気付いたことが幾つかあって、それを書き留めておこう。

(木箱とバスケット(カナスタ)に、新聞紙を敷いて、果物を詰めて、その辺の草を刈り取ってきて詰めて、移動中にこぼれないように、アワユ(アンデス版風呂敷)やサカニャ(プラスチックの袋を開いたもの)で包む。)

交換するのに売り手と買い手というのもちょっと変な気がするが、今回明らかに交換していたのは、果物を持って行ったうちと、服などを売る横でエンパナーダ(チーズをはさんだパン)の固くなったの(!)を持って行った横のおばちゃんで、これを売り手側としよう。買い手側の村の人たちは、乾燥ジャガイモ(チューニョ(ch'uñu)とトゥンタ(tunta))か、乾燥オカ芋のカヤ(kaya)か、ソラマメ(hawasa)を乾燥させたものを持っている。これらは全て保存が利くので、ある意味通貨のようなものだと言えそうな気がする。
(なんで固くなったエンパナーダ?とは聞けなかったのだが、日持ちするという意味でちょっと似ているかもしれないな。ビスケット(galleta)みたいでしょう?と横のおばちゃんは買い手の人たちに説明していた。)

まず我々の品物の先にアワユやマンティーリャなどの布を広げる。これが交渉の場を作り出す。

欲しい人たちは、向こう側に並んで、それぞれ自分の前に保存食を差し出す。目安としては両手で軽くすくうくらい。見ていて思ったのだけれど、これは市場でun montón(一杯)と言うときとほとんど同じ量で、ある種の目安として共有されているのかもしれない。

そうすると、こっちはそれを見ながら梨やプラムを相手の袋やエプロンの端やアワユ(アンデス版風呂敷みたいなもの)の中に投げ込む。量はどうやって決めてるの?と尋ねてみると、「うーん…」と考えて、梨は10個でごねられたらあと1個、プラムは適当だねと答えられたが、よく見ているとプラムは片手で3掴みくらい。大体向こうは「少ない」とか「まだ緑の梨を別のに替えろ」と言ったりしてきて、今年は梨が不作だからを理由にして大体突っぱねていた。
(これは間違っていなくて、本来は梨を交換したい人たちの列が一列にできるらしいのだが、今日の木曜市は我々の他にはあと一人しかいなかった。ちなみに、渓谷部(valle)の梨が不作だと高原部(altiplano)のジャガイモが豊作になると言われていて(逆もまた真らしい)、今回も何度かこれを言う場面に出会った。)

交渉が成立すると、その差し出した乾燥ジャガイモなどは、こっちの手前に掻き込んできて、場が空になって、もう少し欲しい場合はもう一度仕切り直して、乾燥ジャガイモなどを差し出すところから。

果物が採れない高原部では意外なほどに大人気で、ハンコアマヤ(Janq'u Amaya)という小さな町の木曜市に、前日の夕方7時頃に着いたのだけれど、広場にいる人たちがすぐに集まってきてその夜のうちに少しはけてしまって、翌日は朝の5時から始まって朝の9時ごろには大方おしまいになった。これで一年弱分のチューニョやトゥンタが手に入るというんだから、やはり物々交換が依然として重要な役割を果たしているんだと改めて実感した。

ちなみに交換するはアイマラ語でtrukañaかと勝手に想像していたら(truequeから)、そうではなくてalkatañaらしく、色々な人がAlkatt'itayと言ってくる。うちのおばあちゃんにも、Has ido a alkatar ¿no?と言われたりした。でもアイマラ語の辞書を見てみると、この動詞の元々の意味はacercarse(互いに近づく)と書いてあるのだなあ。

PS 物々交換とは関係ない、もう一つの発見。頭では分かっていたのだが、チチカカ湖畔の斜面に囲まれた土地は、案外寒くない。アドべ(土レンガ)の壁に囲まれて、商人の人たちの中で毛布にくるまって雑魚寝して、すごい寒いかと思ったら全然そんなことはなかった。

1月15日追記:
alkatañaのことが気になっていたので、アイマラ語の先生のJuan de Dios Yapitaに尋ねてみた。「Alt'asitay (Comprate)とか言わないの」などブツブツ言いながら考えていた後で、「まさにお前の言っている、場を挟んで渡し合うやり取りなんじゃないのか」と言われる。そうか。-kataは「ある場を渡る(atravesar de aquí para allá)」という意味をもつ接尾辞で(川を渡るときなんかにこれを使う)、上に記したアイマラ語の辞書の意味もそこから来ているのであったよ。そう考えると、結構すっきり理解できるんじゃないかな。なるほどね。

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