miércoles, 8 de febrero de 2023

アイヌ語の口承物語研究を進める際の「文献学的課題」(その4)フィールドワーカーとしての萱野茂氏の姿の解明に向けて

 萱野茂さんは沙流川の二風谷が生んだ偉大な知識人で、アイヌの文化についての収集や記録作業に長年にわたって尽力し、とても貴重な文化遺産(ヘリテージ)を後からの世代に残した。アイヌ語とアイヌ語で語られた口承の物語についても同様で、『萱野茂のアイヌ語辞典』、『ウウェペケレ集大成』、『萱野茂のアイヌ神話集成(10巻)』、(上田トシさんとの会話記録である)『凍ったミカン』、『チセ・ア・カラ――われら家をつくる』などなど、伝承されたアイヌ語も、そして自らのアイヌ語も記録として遺した。それは今の若い世代がアイヌ語を学び、取り戻すにあたって不可欠の記録群である。

 しかしながら、知識人として発言や発表される成果に注目が集まってきた一方で、調査者(リサーチャー)としての萱野茂さん、あるいはフィールドワーカーとして萱野茂さんの姿は、それほど明らかになっているとは言えない。このことが見えてきたのは、平取町と千葉大学で共同で取り組まれた事業で、『アイヌ語の保存・継承に必要なアーカイブ化に関する調査研究事業 2年次(北海道沙流郡平取町)調査研究報告書』に結実した作業であった(詳細については中川裕(2016)「千葉大学におけるアイヌ語資料の整理と公開」を参照)。これは、萱野さんが平取町からの委託で録音した24本のオープンリールテープを聞き起こし、公開する取り組みであり、私(藤田)も参加していた。現在は、二風谷アイヌ文化博物館のホームページで、テキストと音声が公開されているこの音声を聞いていると、和人の研究者が調査者として聞き取り調査をしているのとは、全く性格の異なる調査がそこにある。萱野さんの訪問を受けているおばあさんたちは、自分たちの文化を共有する後続世代の萱野さんに対して心から楽しんで言葉を発しており、口承文芸を共有する温かい場がそこに生まれていたことが分かってくる。

 しかし、これは平取町だけで萱野茂さんが展開していた活動ではない。北海道教育委員会(道教委)が出している6冊の報告書『アイヌ民俗文化財緊急調査報告書(無形民俗文化財1~6)』(1977-1981)を見ると、道教委のこの委託事業によって、萱野茂さんは平取町でも一層広い範囲を歩きまわり、また西は鵡川町、室蘭市、そして門別町、穂別町、新冠町、静内町、様似町、三石町、浦河町、鵡川町、室蘭市、さらには十勝まで足を延ばしている。この記録が一体どこにあるのか、それとも失われてしまっているのかが、私は長いこと分かっていなかったが、その相当な部分が北海道立図書館で電子化されたCDの形で「アイヌ民俗文化財伝承記録CD」として所蔵されており、これが道立図書館の蔵書検索からも確認できることが分かった。(北海道立図書館のこの資料の存在は阪口諒氏のご教示による。)この資料はアーカイブ公開などもされておらず、かつCDの内容と道教委の報告書の内容がどのように対応し、どのように対応しないのかの内容目録の検証もなされていないようだ。

 しかしこれは、まさにフィールドワーカーとして、自らの出身地域を越えて広範囲を歩き回った調査者リサーチャー)としての萱野茂さんの姿を示していると言えよう。この道教委の記録では、平取町内だけでもかなりの話者の下を訪れて記録がなされていることが伺え、記録としても貴重な価値をもっていることは論をまたない。と同時に、足を使って各地の伝承者を尋ね、言葉を交わす萱野茂さん自身の姿もこれらの記録から浮かび上がってくるはずなのだ。上述のCDを聴取するだけで、勝手知ったる旧知のおばあさんたちとの話し方と、初めて話を聞かせてもらう他の地域のおばあさんたちとの話し方とがどのように違っていたか、口承文芸を聞かせてもらう際にどういう文脈でお願いしているか、語り終えた際にその場に同席している人たちとどのようなコメントを短く挟んでいるか、そのような姿と佇まいとやり取りとが生き生きと浮かび上がってくるのだ。

注1――ただし興味深いことに、十勝での萱野茂氏の録音は、道立図書館の検索結果から確認できない。先の「アイヌ語の口承物語研究を進める際の「文献学的課題」(その3)」で指摘したように、『アイヌ民俗文化財緊急調査報告書(無形民俗文化財6)』(1981)の辻秀子氏による十勝での録音記録も、道立図書館の検索結果に全く現れてこない。この部分だけがぽっかりと抜け落ちていることになる。これは何が起きたのだろうか。

注2――これは相当に規模の大きい資料群であり、全体を聞くことは全くできていないが、テープによってはかなり劣化した状態でデジタル化されたものが入っているようだ。 これは、現在の技術でより良いデジタル化が可能かどうかも含め、早期の注目と対処がなされた方がよいのではないかと思われる。

 そしておそらくは、この道教委の録音資料だけではない。『炎の馬』、『カムイユカラと昔話』、『アイヌと神々の物語』 など、萱野さんによって日本語で紹介されたアイヌの物語群、そして特にカムイユカㇻ(神謡)ではないウエペケㇾ(散文説話)の方には、アイヌ語の原文が付されておらず、また神謡も含めて音声が公開されていないものが多い。これらの物語のどこまでが、上の平取町や北海道教育委員会の調査に基づいており、どこまでが、それ以外のタイミングで録音されたものなのかが重要になるだろう。そのような点の検証も進んではいない(なお、阪口諒(2018)「萱野茂氏によるアイヌ民話記録一覧」(『千葉大学大学院人文公共学府研究プロジェクト報告書』第325巻)はその点に向けた重要な一歩である)。すなわち、萱野茂さんの膨大な仕事は、いまだにその全貌が明らかになっていないのだ。

 仕事の全貌が明らかになっていない結果として、萱野さんの年長世代のアイヌの人たちとのネットワークや、そこでのやり取りの内容や、そこでの萱野さんの佇まいなども見えないままになっている。これはもったいないことでもある。結果から過程へ、アイヌ文化を広める役割への着目からアイヌ社会のなかでのリサーチャーとしての姿へ。世界的に「調査方法(リサーチ・メソッドとメソドロジー)への関心が高まり、以前の時代に行われた調査方法(例えばラテンアメリカの参加型アクションリサーチ)の掘り起こしが進む状況で、この点の重要性は高まりつつある。萱野さんのこのようなリサーチャーとしての等身大の姿は、やはり明らかになっていった方が誰にとっても良いのではないかな、と私は思っている。そして、それは逆接的ではあるが、丁寧な資料の掘り起こしと検証と公開を通じてしか実現できないことなのだ。

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