domingo, 2 de junio de 2019

ペルー社会を考えるときの希望

日本ラテンアメリカ学会の定期大会が6月の第一週末にあったが、それと関連して、ペルーの劇団ユヤチカニ(Yuyachkani)の演出家の人が来日していて、上智大学で講演があり、学会の当日にも様々な催し物が組まれていた。学会では我々はボリビアに関する2つ続きのパネルを組んでいたので、ほとんど時間がかぶってしまったが(そもそもこの学会で個別のスロットが3つしかないということに今回初めて気が付いた)、それでも上映されていた作品を二つほど見ることができた。

演出家の人とは大変気が合う感触を受けた。一貫して社会の問題を考えながら、政治暴力の時代を踏まえた記憶の問題に取り組んできたその姿勢には、確実にラテンアメリカの民衆演劇の伝統が、より広くは民衆とつながろうとする1970年代以降の様々な潮流とつながる「感じ」がある。このような演劇の存在が目に入るだけで、ペルーの首都のリマの町が全く違った様相で見えてくる。

それとは別に、私自身が考えさせられた点が幾つかある。まずは勇気づけられた点。劇団ユヤチカニは、ペルー社会を考えるにあたって作家・民族学者のホセ・マリア・アルゲダス(José María Arguedas)から大きなインスピレーションを得て、アルゲダスが着目したインカ王(Inkarri)の伝説に着目して作品を構成したりもしてきた。これは、より広くは、アルベルト・フローレス・ガリンドが指摘した、アンデス先住民における天変地異を通じたユートピアの実現を希求する心性にもつながる。
(Alberto Flores Galindo (1986) Buscando un Inca: Identidad y utopía en los Andes)。

ペルーの真実和解委員会を主導した人類学者カルロス・イバン・デグレゴリは、フローレス・ガリンドに対し、アンデス・ユートピアを求める動きは、実は20世紀にはそれほど事例が見られないという指摘をし、アルゲダスをもとに、それをセンデロ・ルミノソへとつなげようとした死去直前のフローレス・ガリンドの議論運びに異議を唱えている。すなわち、あくまでも土台になるのは国家と市民社会の関係という枠組みであるという見解だと、私は理解している。
(この議論については、Libros y Artes, no.11, agosto 2015を参照)

劇団ユヤチカニの実践は、この意見の対立を乗り越えようとする試みに見える。ペルー社会を考え、真実と記憶の問題に取り組むためにこそ、アルゲダスに立ち帰り、インカリの神話を解釈し直さなければならないという姿勢は、デグレゴリとフローレス・ガリンドを再度つなごうとする試みであると受け取れるであろう。その課題が現代に引き継がれている。それだけで、ペルーを考える際に一つの希望が確実にそこにあるのだと、私は思う。

ユヤチカニの劇団の作品については、まだその全体を見れているわけではないので、特に近年の記憶をめぐる作品で、社会がどのように描かれているかに、引き続き着目していきたい。

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