miércoles, 10 de agosto de 2016

今日のひとこと(ボリビア文学:イルダ・ムンディ書簡集)

Esos instantes vividos al calor de un sentimiento necesitan ser descritos por nosotras mismas. Quizá puedan tener exageración (exageramos algo) pero poseerán la visión exacta de lo que sentimos, de lo que vivimos, de lo que amamos...
【私訳】ある感情の高まりの中で生きられたその一つ一つの瞬間は、私たち女性自身の手で描き出されなければいけない。ひょっとすると、そこには誇張があるかもしれない(私たちは何がしかは誇張している)が、しかしそこには私たちが感じ、生き、愛した物事についての、正確なビジョンがあるはずだ。

"Carta de Laura Villanueva Rocabado (Hilda Mundy), octubre de 1934." En Hilda Mundy (Edición de Omar Rocha). 2016. Bambolla Bambolla: Cartas, fotografías, escritos. La Paz: La Mariposa Mundial y Plural editores, página 54.

昨日(8月9日)に刊行され出版記念のプレゼンがあった、『花火(Pirotecnia)』(1934年)で知られるボリビアの作家イルダ・ムンディの書簡と新聞記事を集めた書籍を読み進める中で出会った言葉。

家庭の中での(保守的で)退屈な人生と、こうではなかった筈なのにという思いと、女性が置かれた状況への絶望と、それに取り組む女性たちへの絶望と。それでも抑えきれない自身の内面の困難さが、書簡のそこかしこに姿を現して、花火のような閃光を走らせる。 この人をvanguardia(前衛)ではなくretaguardia activa(活動的な後衛?)と特徴づけるのがいいのではないかと、編者のRodolfo Ortizが昨日のプレゼンの場で発言しているのを聞きながら、確かにそれはそうかもしれない、と思った。



No hay comentarios.:

Publicar un comentario